大和(おおやまと)古墳群を歩く その10(感想)
年末に京都への帰省の機会があり、二日間をかけてヤマト王権成立の鍵を握る遺跡群を歩いた。初日は、近鉄線の笠縫駅から多神社、秦庄を歩き、同じく石見駅で下車し石見鏡作神社から唐古・鍵遺跡を歩いた。
二日目はJR長柄駅で下車し、大和(おおやまと)神社から萱生(かよう)古墳群、中山古墳群を廻った。特に、継体天皇の皇后で飛鳥時代を切り開いた、欽明天皇を産んだ手白香皇女の墓の仮説がある西山塚古墳、そして大和古墳群最大の盟主墳である西殿塚古墳を訪問した。
又、この古墳群で一番古いと考えられる中山大塚古墳と大和神社の御旅所を訪れ、古代の武装航海民である倭直氏の雄大な大陸との航海を想像した。そして、最後に柳本の黒塚古墳を訪れ32面も出土した三角縁神獣鏡が埋納された石室の上に立った。
昨年は春の3月に桜井茶臼山古墳から纏向遺跡群を歩き、11月にも纏向遺跡や葛城を歩いた。やはり、現場に行かないと実感が湧かない、机上や本を読んでばかりいては駄目である事を再認識出来た旅でもありました。
2010年が幕開けし、橿考研は桜井茶臼山古墳の調査で銅鏡が最低、81面埋納されていたことを発表した。大王墓であると考えられる桜井茶臼山古墳はヤマト王権の中枢の磐余(いわれ)という場所に位置する。ヤマト王権誕生の謎を解く鍵は奈良盆地中央低湿部の弥生時代から続く唐子・鍵遺跡や多神社の付近、葛城川が古代の奈良盆地湖に注ぐ地域、そしてヤマト王権が誕生する龍王山から三輪山西麓の北部、大和古墳群、中部の柳本古墳群、三輪山西麓の纏向(箸墓)古墳群、そして、一番南部の鳥見山北麓の桜井(外山)茶臼山古墳である。
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