石見鏡作神社、唐古・鍵遺跡を歩く その1(石見鏡作神社)
近鉄線の石見駅で下車し石見鏡作神社から唐古・鍵遺跡を訪問しましょう。
石見駅とは妙な駅名ですね、駅前には付近の遺跡の案内板がありました。
地図を見ますと、今回は石見駅の東の方角の唐古・鍵遺跡を訪問するので西の方角には行きません。しかし、但馬とか杵築という名前が登場しますね。
杵築神社が二ヶ所もありますね、出雲大社の事なのか、それとも秦氏の豊の国の杵築なのか判りません。先月記事を書きましたが、出雲の西部を支配していた杵築神の事であれば、但馬と合わせると日本海から丹後半島の勢力がここに存在した事になります。
写真は杵築神社の遠景です。石見鏡作神社から唐古・鍵遺跡への道で撮影しました。
石見・但馬・杵築となるとやはり出雲の勢力が弥生時代からこの場所で環濠集落を形成していたのでしょうね。そういえば、纏向遺跡の近くは昔出雲庄が存在していたと聞きました。
しかし、秦氏の故郷である豊の国に杵築があるんでしょうね、秦氏と出雲とは関係があるんでしょうか、今後の課題です。さて、石見鏡作神社でしたね。
どうやらこの辺りで鏡作りの工人が住んでおり八尺鏡(やたのかがみ)も青銅から制作していたようです。
出雲は銅剣や銅鐸制作においても高度な技術を保持していたグループです、古墳時代初期に多く埋納される銅鏡はここで制作されたのでしょうね。
鏡の神社はこの周辺に幾つかあります。中国の長江流域で製造された鏡が列島輸入され、この場所で彷製鏡が制作されたのかもしれない。
卑弥呼の時代から河内王権に移行する期間は特に鏡が祭祀では重要でした。皇室の三種の神器の一つでもありますね。まさにこの場所は大和王権が連合する国々の王に与えた威信財として鏡を作らせたのでしょう。
以前に記事にしましたが、この石見鏡作神社は冬至の日に太陽が三輪山から昇るのを観測出来る場所であります。三輪王権と深い関係が存在したと考えられます。
又この辺りも、環濠集落として濠で囲まれた集落であったようです。
写真の神社の濠はその環濠集落の濠でしょうね。
神社の隣に小さな社がありました、不明です。写真だけを掲載します。
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