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纏向遺跡 大型建物跡の解釈

 承前 纏向遺跡第166次調査現地説明会資料(桜井市教育委員会)

 先日の纏向遺跡第166次調査現地説明会で日本中を話題の渦に巻き込んだ内容について、疑問を抱く専門家や考古学ファンもおられるようです。

 問題は現地説明会資料の3ページです、発掘図面が示されていますが、その一番東に位置する大型建物跡と呼ばれる図面です。南北4間(19.2m)×東西2間(6.2m)の建物遺構と説明ですが、実際に柱穴が確認されているのは一部であります。図面を見ると確かに、建物の東側の半分しか柱穴が発掘されていません。

 この図面の儘なら、南北4間東西2間の建物となりますね。問題は柱穴の大きさが1m×1.7m程度で柱の太さが32cm程度と推測される大きな柱が立っていた。32センチという大型であり問題は柱と柱の中間に径40cm前後で柱の太さが15cm程度と想定される建物の床を支える束柱が存在する事です。

 発掘現場だけの建物の再現をすると南北(正確には5°西に傾いている)に19.2mで東西6.2mの細長い建物となり且つ建物の床を支える束柱まで完備した建物となります。はて、こんな建物は何に使えるでしょうね。先ず、同じ広さが必要ならば3間×3間の建物を建てますね。そんな建物が古代に存在したか知識が無いので判らないが私が設計者ならそうする。

 長い矛のようなものを格納する倉庫と考えれば、縦に格納すれば良いのでわざわざ、ウナギの寝床のような建物は建造しませんね。という訳で、この遺構は西側の柱穴が発掘されていないが、東西は4間あったと判断したのが桜井市教育委員会の見解ではないでしょうか。

 この建物Dについては現在の発掘現状からは東西4間という断定は発掘資料だけらは実証できないのが現実だと思います。しかし、162次調査に於ける建物A,建物B、建物Cとの関係を総合すると桜井市教育委員会の解釈も筋が通る説明であると私は考えます。

 今後、線路で分断された場所から東側の発掘に期待したいと思います。JRの問題は文化遺産の保護の観点で何とかして欲しいですね。

 (古代の宮の風景について)

 私は今回の発掘で興味が湧いたのは高槻市教育委員会が以前に発掘した今城塚古墳の造り出し部で発掘された巨大な埴輪祭祀場であります。東西65メータ、南北10メータの埴輪祭祀場は4区画の建物に分割され継体天皇の宮と思われる建物を再現し4つの区画された建物や衛士、巫女、力士、鶏、鳥、その他当時の宮の風景というか政治の風景を埴輪でジオラマを作ったものがありました。

 参考 JoBlog 『継体天皇の時代徹底討論 今城塚古墳』 高槻市教育委員会

 私は、今回の纏向遺跡の建物跡の発掘において発掘が難しい宮の発掘に挑戦されていると思います。垂仁天皇や景行天皇の纏向での宮跡は未だ発掘されていません。珠城山古墳近辺で期待したいです。

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