『坂の上の雲』 第四回 日清開戦
参考 威海衛
参考 戦艦『定遠』
日清戦争が始まりました、列強が虎視眈々と眠れる大国である清国を狙っていた時代です。明治維新を成し遂げ、近代国家を目指していた明治日本は大国である清国と戦争をする実力は無かった筈です。清国の北洋艦隊は当時の日本の海軍力と比べれば比較にならない程の近代化した戦艦を持ち、巡洋艦を持つ優位な立場だったと思います。
主人公の秋山真之が乗船していた『筑紫』は老朽艦船ですから鴨緑江河口海戦(黄海海戦)には呼ばれなかった。当時の清国の北洋艦隊司令長官は名将、丁如昌が率いていた。黄海会戦では清国では旗艦である『定遠(7300トン戦艦)』に丁如昌が乗り、同じく戦艦『鎮遠(7300トン)』、以下巡洋艦『東遠(3000トン)』、巡洋艦『経遠(3000トン)』以下8隻の巡洋艦を備えていた。
日本の連合艦隊は殆どが巡洋艦クラスであり旗艦『松島(4200トン)』に本隊旗艦として伊東佑亨が指揮を取り、『千代田』、『厳島』、『橋立』、『比叡』、『西京丸』、『赤城』、『扶桑』の陣立て、遊撃隊旗艦は『吉野』に坪井航三が司令官として乗船、以下、『高千穂』、『秋津洲』、『浪速』と足の速い船を使用した。
この海戦は清国側は戦艦二隻を持ち、巡洋艦を従える重火器中心の装備であるが、日本の連合艦隊は巡洋艦だけだが、速射砲を多数構え足の速い船中心の戦争でした。陸上戦で表現するなら、清国側は戦艦二隻を中心に据え、両翼に一列に開く鶴翼の陣形で戦った。日本の連合艦隊は縦一列の隊列であるが、遊撃隊『吉野』を中心とする足の速い巡洋艦(騎馬隊に相当)と本隊である『松島』を中心とする隊列ですから、雁行の陣形と呼べるのではないでしょうか。
遊撃隊が相手の陣形を崩し、本隊が縦一列で突入する戦い形でした。これは陸上戦では秦の始皇帝やハンニバルが得意とした戦法です。これを、海の上で行ったのです。戦闘場面を描かないのが司馬遼太郎です、戦争を描くために『坂の上の雲』を書いたのではない。当時の弱肉強食の列強の帝国主義に脅かされていた日本が、止む無く戦わねばならない過酷な歴史状況を悩み生きる若者と日本の姿を描こうとした訳です。
黄海海戦(鴨緑江河口海戦)では連合艦隊の旗艦『松島』以下被弾し甚大なる損害を受けるが、沈没した船は無く、清国は5隻の巡洋艦を失うという大損害を与え決定的な打撃を与えた。列強諸国は日本の連合艦隊の統率力と操舵技術、そして速射砲による相手戦艦、巡洋艦の戦闘員を壊滅させる新しい時代の海上戦を提示したと言われている。
『坂の上の雲』を生前、司馬さんは絶対に映像化はさせないとお話されていました。その理由は小説でどうしても過酷な戦争場面が登場する、戦争を賛美するような誤解を与える事を一番に心配しておられました。朝鮮半島への進出、清国との戦争、ロシアとの戦争と過酷な時代を扱っていた訳ですから。
秋山真之が自分の命令で部下が即死する事件で、自分は軍人に向いていないと述べます、司馬さんの姿が重なる気持ちでした。
子規は従軍記者として清国の地を踏むが、現地住民の姿に触れ、日本の戦争に疑問を持ち始める、そして、帰国の船上で血を吐く事になりました。病魔が彼の身体をかなり蝕み始めたようです。
参考 グーグルアース 旅順
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