纏向遺跡の遺物について
承前 纏向遺跡の古代地形
纏向遺跡は縄文時代に土石流が起こり弥生時代にかけて人々が暮らせたり、稲作が出来る環境では無かった事を前回の記事で御紹介しました。
突然に古墳時代が始まる頃にこの纏向地域に人々が集結したようです。しかも農耕の為ではなく都市と考えられる町(邑)を作る為であったようです。
最盛期の布留0式期の頃(3世紀後半)の頃は2.7km₂に及び唐古・鍵遺跡の7倍、国内古墳時代遺跡では群を抜いた規模でありました。日本列島各地の土器が出土し、東は関東から九州、韓国の土器まで出土する巨大な都市が出現したのです。
その理由は、出土遺物で鍬の出土割合が5%しか出土せず、95%が鋤という土木工事、現在のスコップの使われ方をする道具が出土するからです。
写真はビニールシートで覆われた第166次纏向遺跡発掘現場の写真です。大型建物跡が発見された場所であります。前回、御説明したように纏向地域は沢山の川が東より西に向かい流れていました、その川に挟まれた微高地に遺跡が残っています。
庄内0式土器編年期(3世紀初頭)から布留1式土器編年(4世紀初頭)までの期間と考えられています。(注:今年の夏に発表された歴博の放射性炭素14法の結果では少し、時代が数十年古くなるかも知れません、学会で議論中です)
(二重口縁壺 土師器)
(弧文円板と弧文板と吉備との関係)
写真は弧文円板の写真ですが、石塚古墳から出土したものです。纏向遺跡からは弧文円板、弧文板、弧文石、特殊埴輪が出土し特殊な文様がほどこされています。写真の遺物は古墳のまわりの柱の上に取り付けられていた威儀具のひとつとされています。
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