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自由が丘Bar『八甲田』 52年間の灯が消える

200911hakoda_006  自由が丘で52年間灯り続けたバー『八甲田』も遂に終わりを迎えた。

 昨夜は今までお世話になった御礼とお別れの会になりました。

 オーナーの清水青年氏は青森は八甲田の出身、18歳でこの自由が丘で『八甲田』の店を開いたそうだ。そして52年間もう70歳、昔のお客さんも段々と減り世代交代はせずに遂に閉じる事にしたという。

 清水さんは、気に入った客しか店に入れないので有名です、店の雰囲気を守ろうとしていたのです。

 ママは函館出身の天然ボケ芸風、未だに方言が抜けない何時までも少女のままの素晴らしい人でした。哲ちゃんによく説教して、人の道を教えていましたね。私と哲ちゃんがお世話になり始めたのは1986年からだと記憶しています、私が米国駐在から帰任した年からだと思います。それ以来23年間お世話になりました。

 当時、同じ会社ですが職場は関係ない部長さん、小野さんに連れて行かれたのが初めての出会いでした。当時、小野先輩は自由が丘の帝王と呼ばれていた人で夜のネオン街に精通した粋な人でした。酒場でのルールというのを教えて下さった恩人です。

関連ブログ 道産子哲 八甲田~♪

200911hakoda_016  23年前、同期の哲ちゃんは何せオホーツクの山の中でヒグマと暮らした人間、カラオケなどは歌えません、マスターが『黒の舟歌』を最初に教えたと記憶しています。野坂昭如さんが歌っていたものですね。

 そして今は哲ちゃんはカラオケの帝王と成長(笑)してしまいました。

 マスターは博学でお店では色んな雑学を教わりました。過去に何回か記事にしました、雪虫の話とか、キツネの嫁入りの話とか、数え切れない。

 人間として生きて行く上での色んなアドバイスを清水さんご夫婦から教えて貰いました。なかなか、職場では教えて貰えない大事な事を教わったと思います。沢山の酔人を眺めて来たマスターは知恵の塊のようでしたね、本当に大事な人でした。

 昔、車にマスターを乗せて哲ちゃんのゴルフ場にお連れした事もありました、懐かしい思い出が一杯詰まった昔ながらのBar『八甲田』さん、長い間有難うございました。昨夜は、今まで記事にしたものを印刷し、マスターとママの写真を印刷し、皆で寄せ書きをしてささやかですが、思い出にお渡ししました。

200911hakoda_001

 何時もの『金田』です、自由が丘では此処が一番美味しいお店です。福永先輩、韓国駐在を終えて今は日本に居られる京都祇園の置き屋さんの息子の本橋さん、中国に10年以上駐在していた儘田さん、彼とも何回かオーストラリアに出張した思い出があります。

 久しぶりの忘年会兼、『八甲田』の御礼・お別れ会でした。

 参考 自由が丘BAR 『八甲田』

 参考 本橋さんソウルに赴任する 

 参考 キツネの嫁入り

 参考 雪虫の話

 参考 八甲田の親父 蚕の話

 参考 本橋氏、韓国から帰任する

 参考 還暦を迎えた人々の宴会

 参考 大先輩 辻さんを囲む会  

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

Comments

とまり木がまた一つ

 八甲田へは2、3度連れて行ってもらったような記憶があります。
また一つ(行きつけの店)がなくなりましたねえ。
店を発見してお店の人とお付き合いさせてもらって、やがて別れのときが来ます。
東京へ出てきてからもそういうことの連続でしたねえ。

 よく言われることですが店はなくなっても記憶は残ります。
バーの椅子は昔(とまり木)なんて言われていましたね。
飛び疲れた小鳥(?)たちがふっとたち寄って羽を休める。
そういう(とまり木)があちらこちらにありましたなあ。
(とまり木)はその小鳥(?)たちが死ぬるまで癒してくれるものである、とはさる瘋癲老人のセリフであります。
(あの店であんなことがあったなあ)という楽しい思い出はずっと我々を支えてくれているのですね。

Posted by: ふうてん | 2009.12.19 03:33 PM

ふうてんさん 御無沙汰です

 そう言えば、何回かお連れしましたね。昨夜のマスターのお話では開店当初は安いウイスキーが一杯30円だったそうです。そして、皆さん西部劇に憧れてストレートだったと言う。

 ふうてんさんは今でも頑固にストレートを守っておられますね、あれ、普通の日本人にはキツイそうです、だから日本独特の『水割り』というアイデイアが生まれたとマスターは言うてはりました。

 西洋人には大事な香りがするウイスキーを水で割るという考えは全く無いのですね。海外に出かけるようになった頃に気が付きました。ウイスキーと水は別々に飲むものだそうですね。

 Whisky with water,please!
でしたね。

 思い出の酒場が消えて行く、マスターは昔からの馴染みの客に夏頃に閉店の葉書を出したそうですが、当初は誰も来ないと嘆いておられました、いざ、12月26日閉店となると昨夜も、4組以上のグループのお馴染みのお客さんを断っておられました。

 この清水さんは、昔堅気の古き良き時代の酒場の『ルール』を守り、客にも要求する、頑固なオヤジさんでした。しかし、最近の若者気質からすれば煙たい頑固おやじに見えたかも知れません、遂に客がまばらになり始め、終止符を打つ決断をされたのでしょうね。

 これが、清水さん御夫婦の生き方でした。

Posted by: jo | 2009.12.19 05:22 PM

 Joさん

 昨夜はお疲れ様でした 忘れられないお店、本当に大変お世話になったお店・・・寂しいですが、これも定めと思うしかないですね

 マスターの博識、ママさんの天然・・・熊野神社へ車を2台・・・忘れられないことが一杯。そういえば、マミーはどうなってんやろ?

Posted by: | 2009.12.19 10:23 PM

てっちゃん お疲れ様

 淋しいですね、しかしこれも運命やね。もう我々も歳やからね。

 熊野神社の前に深夜タクシーを呼んでもらいましたね、午前様でしたね。

 所で、鹿児島の『マミー』はどうなりましたかね、フロンターレのサポータの拠点になっていたと聞いてますが・・・。

Posted by: jo | 2009.12.19 10:38 PM

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