« 葛野 松尾大社 その2 | Main | 京都 嵐山・清水秋景色 (2009年) »

葛野 松尾大社 その3

200911kyoto_072  (水の祭祀)

 松尾大社の神泉ですが、この奥にには小さな滝があり涸れる事が無い水に恵まれています。200911kyoto_073 古来日本では水を祭る祭祀が国家レベルで行われていたといいます。

 最近の発掘成果では明日香での酒船石遺跡での導水設備の発掘は斉明天皇が水の祭祀をされておられた証拠として記憶に新しいと思います。7世紀中頃の遺跡と考えられるが亀かスッポンの形をした石槽に山の上の酒船石があるあたりから導水し石畳のコロッセオのような場所で天皇が水の祭祀をされていた。

 天変地異の全ての責任が天皇にあると考えられていた時代、天皇の一番大事な仕事は天変地異を鎮める事であったと思います。水は生命の源であり豊穣の源でもあります。以前にカンボジアのアンコール遺跡を歩いた事がありますが、彼の地に於いても最大の祭りは水祭りでした。秦氏が如何に4世紀末頃から葛城が王権に大きな影響を与え始めた頃から平安時代にかけて祭祀の重要な立場についていたか、想像ができます。

 (宇佐神宮と秦氏)

 隋の裴世清(はいせいせい)が聖徳太子に隋皇帝の返書を持ち来朝したおり、豊後に秦王国が存在したと隋書倭国伝に記録を残している。宇佐神宮は秦氏の一族である辛島氏が建立したと考えられているが、友人の浅茅原さんの話では境内に卑弥呼の墓と伝説がある遺跡があるそうだ。

 例の奈良時代に道鏡事件が起こるが、和気清麻呂が宇佐神宮に神の言葉を聴きにゆく場面が登場しますが、それ程重要な神社であったそうだ。祭神は応神天皇なので、4世紀末に秦氏の祖と考えられる弓月君の大がかりな朝鮮半島からの移住が始まる頃であります。

 京都盆地の南を固める男山の頂上にこの宇佐八幡から分家した石清水八幡宮が鎮座しています。これも秦氏と関係がある可能性があります。森浩一先生の話では石清水八幡宮の麓に『徒然草』で有名な仁和寺の法師が間違って高良社を石清水八幡と間違って参拝した記事がありますが、本来、この場所が水祭祀の重要な場所ではなかったかと発言されています。

 高良社は継体天皇と戦争をした九州の磐井の高良社と関係が深いのではないかと森先生は記録されていた記憶があります。磐井の名前そのものが水祭祀と関係が深い事を述べられていたと思います。今、手元に資料が無いので詳細は省きます。

 纏向遺跡の紀行から始まった今回の旅は思わぬ、他田天照御魂神社に遭遇し、葛城への旅から京都は嵐山の松尾大社までの旅となりました。紀行に同行して頂いた浅茅原さん、高校時代の親友である鴫沢隆成さんに感謝いたします。

|

« 葛野 松尾大社 その2 | Main | 京都 嵐山・清水秋景色 (2009年) »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



« 葛野 松尾大社 その2 | Main | 京都 嵐山・清水秋景色 (2009年) »