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纏向遺跡 『大和・纏向遺跡』読書感想(3) 年輪年代法による纏向

  承前 纏向遺跡 『大和・纏向遺跡』読書感想(2) 纏向石塚古墳

今年の夏に、歴博の春成氏グループによる放射線炭素14法での箸墓古墳や纏向遺跡の遺物の年代測定結果が発表され、センセーショナルな結果が出た事は最新の出来事です。纏向遺跡では、年代測定に関しては過去に、年輪年代法による調査もなされています。

 (纏向石塚古墳の年代)

20093nara_068  1989年の第四次発掘調査により、周濠より出土したヒノキの板材(長さ約30センチ、幅約60センチ、厚さ約2センチ前後)を選定し年輪年代法により調査が行われた。ヒノキの暦年標準パターンと照合し、板材は177年と確定した。そこで、使用された原木の表皮までの距離(辺材幅)を平均の1センチとすれば、この試料の残存辺材部に刻まれていた年輪総数は36層と推定され、平均年輪幅は0.58ミリ、この年輪幅でもって最終形成年輪まで推移したとすると、18年輪が形成されていた事になる。

 従い、削除された18年輪を足すと伐採年は西暦195年となる。この結果は年輪年代を基にあとは推算した数値をあてはめただけであるから、正確性には欠けるしかし、西暦200年を境にして狭い年代幅で伐採された事は確かだ。

 この前方後円墳の祖形となった重要な古墳の年代に関して、石野氏は纏向1式、寺沢氏は布留0式と土器編年に於いて、異なる意見が存在している。

 ちなみに、放射性炭素14法による調査で石塚古墳の周濠下層の木材・種実は1880¹⁴CBPであり3世紀前半という結論を今年の夏の考古学協会の発表論文『古墳出現の炭素14年代』で春成氏が報告されている。

 いずれにせよ、箸墓よりは古い古墳であり纏向遺跡群に於いて、前方後円墳の始まりを示すメルクマールとなる古墳であるこに変わりはない。

20093nara_074 (纏向勝山古墳の年輪年代法)

 2001年1月から開始された勝山古墳第四次調査により、前方後円墳北側くびれ部近くの周濠埋土中から無数の木材が出土した。その木材を奈良文化財研究所の光谷拓実氏が年輪年代法により伐採年の調査を開始した。

 結論から述べると、資料に耐える辺材は一つでヒノキの板材であったが、198+1A.D.という結果でありました。この試料の辺材最外年輪部は樹皮直下に近いと考えられ、この数値が樹木伐採年にほぼ間違いないと考えられた。しかし、念のため樹皮まで1センチ存在したと仮定すると年輪数は7~8層と考えられ199+7~8=西暦210年は降らないという結論に達した。

 ちなみに、矢塚古墳の庄内3式甕の煤を歴博が放射性炭素14法で調査した結果は1820¹⁴CBPとでており石塚古墳よりは60年新しい時代であると調査結果が報告されてる。

 年輪年代法や放射性炭素14法はどれだけの測定データベースを貯えるかが重要である。考古学者が納得する為には沢山の調査試料と結果のデータを蓄積し、齟齬が無いかデータ相互間での矛盾が存在しないか、自らが検証する時間が必要でしょうね。しかし、明らかに年代測定に関しては、研究が前進していると認められる。

 くしくも、理科学的手法により古墳や遺跡の年代が調査される時代になりました。これで、纏向遺跡群は2世紀末から3世紀にかけての時代である事が確実になりつつありますね。

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