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継体天皇(ヲホド王)と百済

 最近古代史関連で面白いのは朝鮮半島西南部の栄山江(ヨンサンガン)流域の前方後円墳13基の発掘調査である。5世紀末から6世紀にかけての時期に建造されたと考えられ、日韓の研究者でその解明が本格的に進んでいる。概要については以前記事を書きましたので、参考にしてください。

 参考過去記事 『栄山江(ヨンサンガン)流域の前方後円墳13基』

 朝鮮半島南西部はどうやら百済が高句麗に押され南下するまでは昔の馬韓の人々が活躍していたという。土器の分析や墳墓の研究から、彼らは倭国の九州の土器や墳墓形態と類似する事が判り始めている。どうやら、海の民として九州の海の民と密接な関係があったようだ。

 しかし、5世紀末から6世紀に突然に前方後円墳が築かれ始め、何か政治的な激動が起こったようですね。時代は、百済が高句麗の南下に押され都を南下させた時期であり、日本では継体天皇が河内王権に変わり新しい時代を迎えた頃にあたります。

 森浩一先生の『記紀の考古学』第18章の「越と継体・欽明王朝」に興味ある記述があります。栄山江(ヨンサンガン)の光州市の月桂洞(ウォルゲゾ)1号墳=墳丘の長さ45メータの前方後円墳、から円筒埴輪や朝顔形埴輪、石見型立物が出土し注目している。

 橿考研の小栗明彦さんの分析によれば、制作のある段階で円筒を倒立、即ち天地を逆にして更に制作を続ける「倒立技法」により制作されたものであり、日本列島では、東海と北陸とを南北に繋ぐライン上に集中しているという。日本海側では石川県小松市の矢田野(やたの)エジリ古墳やそこへ埴輪を供給した同市の二ツ梨殿様池窯址(ふたつなしとのさまいけようし)の物であると断定。

 森先生は小松が日本海により百済南部と結ぶ海のルートの一拠点ではないかと仮説をたてておられます。(小松は多分に高麗津、小松市の額見町遺跡ではオンドルを具えた住居址がある)この場所は、継体天皇の母方の祖母アナニ媛の拠点であり継体天皇の地盤のひとつである。又、東海地方は継体天皇の最初の奥さん、尾張連草香の娘である目子媛(めのこひめ)の地盤ですね。(安閑・宣化天皇を産む)

 ここからは、仮説になりますが、状況証拠から栄山江流域に突然に発生した日本独自の前方後円墳を築いた人々は継体天皇と深い関係にある人々ではないか、継体天皇の意思で起こされた政治的行動ではないかと推察できる。その理由は何だろうか、朝鮮半島南西部は古来、九州の政治勢力と深い関係が存在した、所謂、馬韓の海の民である。そこに、百済と継体天皇は連携して楔を打ったのではないかという推測です。

 筑紫の君、磐井と継体天皇の戦争は新羅・磐井連合と継体・百済連合の海のルート争奪の戦争だった可能性が類推されますね。河内王権は中国戦略として南朝を相手に活動してきたが、時代は北朝の時代に変化しており、北朝とチャネルを持たないヤマト王権は百済の力を借りて北朝とのチャネルを築こうとした可能性があります。

 百済は都を高句麗に追われ南下する、しかし、従来の馬韓・九州連合の勢力が存在し局面打開を新しい日本の政治家に求めたのではないだろうか。それが、継体天皇であると考えるとどうでしょうか。

 (継体天皇と百済の密接な関係)

 私が生まれ育ったのは枚方という場所です、正確には北河内郡大字招堤村ですね、継体さんが即位したのが樟葉宮です、隣の村ですね。枚方は淀川水系の重要な潟が存在した場所です、百済寺跡があり和邇博士の墓もあり百済と関係が深い場所です。今まで、数多く継体さんと枚方・樟葉に関する記事は書かせて頂いた。

 継体さんが樟葉から筒城宮に移されたが、そこはイワノ媛さんが拠点にされた百済の人々が多く存在した場所ですね。百済国人の怒理使臣(ヌリノミ)の拠点であり水海連(あまのむらじ)、調日佐(つきのおさ)、民首(たみのおびと)などが存在した。

 継体天皇は淀川水系から瀬戸内海航路を抑え、且つ、日本海ルートも掌握していたと考えられます。

 中国の南朝の時代が終わり、北朝の時代に激動しようとしていた時代、朝鮮半島では高句麗が勢力を伸ばし南下し百済の都を陥落させ南下を余儀なくさせ、新羅が台頭しようとしていた新しい時代に継体天皇は推挙され、従来の南朝一辺倒であった日本の政治を転換させた訳です。百済との深い関係は継体天皇が切り開き、欽明天皇から飛鳥王朝に引き続がれたのですね。

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