ベルリンの壁崩壊 20周年
ベルリンの壁が崩壊したのは1989年11月9日だった。もう20年も経過したんですね。壁崩壊後に生まれたドイツの若者も20歳だ。ソ連がゴルバチョフの時代でしたね、懐かしい。
4年前に家族4名でドイツのゲーテ街道を辿る旅をした。2005年の夏でした。目的は大学時代に理想の大学自治の伝統を持つと信じていた、アルトハイデルベルグの大学の街を訪ねる事と学生時代に憧れた哲学の世界、ゲーテの故郷を旅する事だった。
過去記事 ドイツ紀行(ゲーテ街道を行く) 目次編
どうも紀行文を調べてもベルリンの壁博物館の記事が登場しないし、写真も抜けている。唯一、こんな写真の記事が掲載していた。壁をよじ登る猿を銃口が狙っている絵だ。
4年前の旧東ドイツの地域を歩いて、旧西側の地域に比較すると随分と経済的に遅れている印象を持っていた。やはり、今も未だ旧東ドイツ側の地域は経済的に苦しいと聞く。
ベルリンの壁崩壊後、東ドイツの地域の人々は豊な未来が到来すると夢を見た、しかし、現実はそう簡単ではないようだ。あと20年、30年程度は必要なのかも知れない。
目を東アジアに向ければ未だに民族が統一されていない国が朝鮮半島に存在する。21世紀中に統一が出来るのだろうか。あのイムジン河を歌った加藤和彦も統一の姿を見ること無く自ら命を絶った。
日本だってかの大戦で敗戦の結果、分割統治される可能性だって存在したのだ。戦争というのは本当に民族を引き裂く過酷な結果をもたらす、二度と戦争には関わりたくないと思う。日本列島に存在する米国の基地問題や北方領土の問題は政治の最大の課題として残っている。
(神保町 ミロンガ )
先日、仕事の関係で神保町で夕方人と会う機会があり、昔懐かしい『ミロンガ』を指定した。久しぶりに歩くと、昔の古本屋さんが姿を消している、時代の流れなんだろうか。しかし、『サボール』も『ミロンガ』も健在だった。
喫煙席のコーナに座ると、隣のテーブルには70歳過ぎの人が三名食事をしていた。学生時代の話をしているようだ。『ミロンガ』はふうてん老人に教えて頂いた昔懐かしいカフェだ。彼が、高校生の時代に神保町を訪れた時から存在していたという話を聴いた。
参考過去記事 『神保町 ミロンガ』
ビールを飲んでいると、約束の時間になり若い二人が到着した。
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