桜井茶臼山古墳 木棺搬出
読売新聞 奈良 桜井茶臼山古墳 木棺搬出
橿原考古学研究所は10月4日、桜井茶臼山古墳の竪穴石室から高野槇で出来た木棺を搬出したという。新聞報道では、1700年前の木棺と記述されているが、今、それを調べようとしているのではないでしょうか。
60年前の発掘調査により4世紀初頭という予測があるが、今年の夏の歴博の箸墓の年代発表もあり纏向地域の古墳群の年代が従来の土器編年による年代観が古い時代にシフトする可能性が存在する。
年輪年代法と放射性炭素14法、AMS法、較正年代(高野槇の古代の炭素14測定ひずみ是正)等々や石室遺物の科学的・生物的分析から古墳の築造年代を絞り込むのではないかと予想します。
過去記事(桜井茶臼山古墳関連) 磐余と呉越文化
桜井茶臼山古墳に関する気になる記事を思い出しましたので、記録します。森浩一先生の『古代史の窓』(新潮文庫)での以下の記述です。
以下引用文『ヤマト初期の王者の古墳である、桜井茶臼山古墳に接して宗像神社がある。この神社は、平安時代の「延喜式」に記載されているだけでなく、9世紀の文献よると、建物の修理にはわざわざ宗像の金崎(かねざき)の人たちが関わる伝統があった。金崎は鐘崎とも書き、今日も漁業の盛んな土地で宗像信仰を支えた海人の根拠地である。茶臼山と名のつく古墳は全国に多く、その為上に更に地名をつけて区別している。だから桜井茶臼山とも言うし、在所の地名の外山(とび)をつけ外山茶臼山とも言う。
トビと言えば、イワレ彦(神武天皇)の東征の物語の中に、鵄(とび)とか鳥見としてでているヤマトの地名と発音が共通している。考古学でいう”初期のヤマトの王者”と記紀の伝説上の人物が何処かで結びつくのか、それとも何の関係も無いのか。気になる事だが、見通しをだすのに僕には未だ時間がかかる。』

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Comments
「崇神天皇の時代は実は政治は二重構造であった可能性がある。一番上に巫女が存在し実務は男王が取り仕切る構造である。」
卑弥呼さんには男弟がいて、姉上のお言葉をとりついでいたわけですね。御側御用人でしょうね。その弟がどういう人だったかを知りたいです。
卑弥呼さん、神武~崇神あたりまでは、三輪や鳥見の地域に、歴史の実体がパックされていて、それを腑分けし、時系列に編纂したのが記紀かと想像しました。
ところである説で(探せば出てきますが)、長男は祭祀に付き、次男が政治を行ったのが天皇・古代大王の姿だったと、昔読みました。
長男だけじゃなくて、長女にまで拡張すると、2世紀~4世紀のことがはっきりするかもしれません。
さて。
桜井茶臼山古墳に眠っていたお方はどなたでしょうか? 玉杖の類似発掘はないですかねぇ。さらに、円頂部の白木構造物はどうなりましたか。
また、情報をください(笑)
Posted by: Mu | 2009.10.30 07:45 AM