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桜井茶臼山古墳 竪穴石室公開

20093nara_016  本日、橿原考古学研究所は桜井茶臼山古墳の竪穴石室の状況を公開したようだ。

 日経新聞 ニュース

 読売新聞ニュース

 奈良毎日新聞ニュース

 NHKニュース 動画

 桜井茶臼山古墳については、既に発掘の模様について記事を書いています。今回は、竪穴石室まで再発掘した模様を公開したようです。

 過去記事 桜井茶臼山古墳と纏向遺跡紀行

 過去記事 60年前の桜井茶臼山古墳発掘報告書

関連記事 MuBlog 桜井茶臼山古墳石室情景

 60年前の発掘調査の状況と今回の発表での目新しさはありません。60年前の発掘調査時に石室から出てくると全身が真っ赤になったと当時の発掘担当者は語っていました。既に多量の辰砂が使われていた事は判っていましたね。

 何故、又、今回60年ぶりに橿原考古学研究所が再発掘をしているのか真意が不明です。60年前と現在の違いは考古遺物に関する科学的な調査方法が格段に進歩した事が再調査の目的かも知れない。(表向きの理由は古墳の保護の為の現状調査でしょうね)

 辰砂が200キロも使用されたというのは、新しい報告だが、60年前も判っていた筈だ。私が竪穴石室の写真と映像を見て感じたのは、石室が板状の薄い石を積み重ねた構造に興味が湧きました。これは、武寧王の墓でもそうだが中国の石室構造の影響があるのではないでしょうか。中国ではレンガ(確かセンと漢字で書いた筈)を積み重ねていると思う。

 何れにせよ、辰砂1gが金1gと言われるほど希少価値のあるものを200キロも使用したというのは金を200キロ使用したのと同じ価値がある訳です。既に、橿考研では今回の発掘遺物から近代科学の総力を挙げて年代測定を行っていると想定します。(本日の金相場によれば6億円となりますよ)

 磐余(イワレ)という場所はヤマト王権誕生の重要な場所であり、その後も王権の聖地として崇拝された場所であります。丘尾切断型前方後円墳という初期の前方後円墳の形態を持つ桜井茶臼山古墳の研究はヤマト王権誕生の鍵となる可能性が目と鼻の先の箸墓古墳と同じく重要ではないだろうか。

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Comments

Joさん
 いつも鉄について、するどいご意見をお持ちなので、今回は水銀、辰砂についての採掘と精錬というか、水銀朱の取り出しについて、おもしろいご意見を聞かせてください。

 水銀は、武器にはなりにくい鉱物ですが、一体何に使うのが主流だったんでしょうか。各地に丹生神社があるのは、各地で採掘したんでしょうね。一体、何のために。
 水銀朱だけが目的だったんでしょうか。
 分かりにくいです。

Posted by: Mu→Jo | 2009.10.23 03:20 PM

Muさん お久しぶり

 一緒に桜井茶臼山古墳の後円部の急な斜面を登りましたね、発掘中の人々と遭遇するという楽しい事件でした。

 水銀との出会いは子供の頃、熱が出た時に体温を測る体温計でしたね。温まると膨張するんですね、妙な白銀に光る物体でした。常温では液体という奇妙な鉱物ですよね。

 中国では古代に於いて不老不死の薬と考えられたようですよ。神仙思想ではこの水銀を使用した可能性が高いそうです。桜井茶臼山古墳から伊勢街道を行くと伊勢松坂近郊には江戸時代でも有名な「おしろい」の有名な場所があるそうです。

 伊勢の『おしろい』は原料は水銀ですね、丹生という場所があり水銀の鉱山で有名でした。弘法大師さんのスポンサー(私費留学の費用を持つ)は高野山の丹生の親玉でした。

 奈良時代、大仏さんの金メッキにも50トンの水銀と9トンの金が使用され、金を水銀に溶かし大仏の表面に塗りそれを火の熱で水銀を蒸発させ金メッキをする方法でした。

 以前にも記事に書きましたが、その工事でどれだけの人が水銀の蒸気を吸い、水銀中毒になったか判りません。公害の原点だったかもしれませんね。

 硫化水銀(HgS)は赤い色をしており防腐作用があるので、古代では中国や東南アジア、日本、メソアメリカでもお墓では使用されていたと思います。

Posted by: jo | 2009.10.23 05:29 PM

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