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桜井茶臼山古墳 木棺搬出

 読売新聞 奈良 桜井茶臼山古墳 木棺搬出

 橿原考古学研究所は10月4日、桜井茶臼山古墳の竪穴石室から高野槇で出来た木棺を搬出したという。新聞報道では、1700年前の木棺と記述されているが、今、それを調べようとしているのではないでしょうか。

 60年前の発掘調査により4世紀初頭という予測があるが、今年の夏の歴博の箸墓の年代発表もあり纏向地域の古墳群の年代が従来の土器編年による年代観が古い時代にシフトする可能性が存在する。

 年輪年代法と放射性炭素14法、AMS法、較正年代(高野槇の古代の炭素14測定ひずみ是正)等々や石室遺物の科学的・生物的分析から古墳の築造年代を絞り込むのではないかと予想します。

 過去記事(桜井茶臼山古墳関連) 磐余と呉越文化

 桜井茶臼山古墳に関する気になる記事を思い出しましたので、記録します。森浩一先生の『古代史の窓』(新潮文庫)での以下の記述です。

 以下引用文『ヤマト初期の王者の古墳である、桜井茶臼山古墳に接して宗像神社がある。この神社は、平安時代の「延喜式」に記載されているだけでなく、9世紀の文献よると、建物の修理にはわざわざ宗像の金崎(かねざき)の人たちが関わる伝統があった。金崎は鐘崎とも書き、今日も漁業の盛んな土地で宗像信仰を支えた海人の根拠地である。茶臼山と名のつく古墳は全国に多く、その為上に更に地名をつけて区別している。だから桜井茶臼山とも言うし、在所の地名の外山(とび)をつけ外山茶臼山とも言う。

 トビと言えば、イワレ彦(神武天皇)の東征の物語の中に、鵄(とび)とか鳥見としてでているヤマトの地名と発音が共通している。考古学でいう”初期のヤマトの王者”と記紀の伝説上の人物が何処かで結びつくのか、それとも何の関係も無いのか。気になる事だが、見通しをだすのに僕には未だ時間がかかる。』

宗像神社関係 私もMuの旦那と桜井茶臼山古墳を訪問した時に二点の疑問があった。何故、外山をトビと発音するのか、地名が何故トビなのか?古墳は鳥見山の尾根を切断して建設された、聖なる鳥見とトビと関係があるのか? という疑問と何故、近くに九州の宗像神社が存在するのか?疑問でしたね。
 玄界灘の海上交通を掌握していた宗像氏が奉斎し、海人の信仰を集める宗像三女神を祭る宗像神社が何故ここにあるのか。宗像神社は全国に6117箇所もあるそうだ。
 森浩一先生は神武東征神話で語られるイワレ彦と桜井(外山)茶臼山古墳の並々ならぬ密接な関係について注目されていたと思われる。以下、私の感想であります。
 弥生時代末頃は九州の奴国や伊都国という国が明らかに中国との関係で列島では力を保持していた、考古遺物からそれが証明されている。しかし、2世紀になり中国の政情が不安定になり朝鮮半島も政情は乱れ倭国は大乱状態に突入した。吉野ヶ里遺跡を見ればそれが判る。倭国大乱は100年近く続いたとも言う。
 しかし、2世紀末から3世紀初頭に邪馬台国の卑弥呼女王が擁立され列島は治まったという。この中国の魏の歴史書が述べる事に対して記紀神話は沈黙している。卑弥呼の墓と考えられる箸墓古墳はヤマトトトビモモソヒメの墓であると述べ、崇神天皇の時代であると述べる。
 崇神天皇の時代は実は政治は二重構造であった可能性がある。一番上に巫女が存在し実務は男王が取り仕切る構造である。中国から見ると一番上が巫女さんと認識し、記紀が編纂された後の時代では実務の最高責任者の男王のみを取り上げたと考えられないか。要は記紀が編纂された頃に巫女は抹殺されたと考えると違う世界が見えてくる。
 これが、実質的に男王の時代になったのは、5世紀の河内王朝の時代ではないだろうか。前方後円墳に従来の呪術的な祭器が埋葬されるのではなく、馬具や鎧甲や戦闘用の武器が埋葬され始めた、武力中心に変化した時代からではないか。
 
 

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糸魚川ジオパーク

 2009年10月15日の読売新聞夕刊を眺めていると、『日本のジオパーク 列島形成の歴史 凝縮』という見出しに目がとまった。世界遺産は有名ですが、同じユネスコが認定している世界ジオパークは新しい制度だけにあまり知られてない。2004年に誕生したそうで、現在ではヨーロッパや中国を中心に63ヶ所認定されているそうだ。

 参考 GEOPARKとは

 ユネスコでのジオパークの定義は上記のようですね。地質的に珍しいだけではダメなようで、人々との暮らしとの関係や地域での保護や教育との幅広い地域社会のサポートが必要だそうです。

 日本では、島原半島と洞爺湖・有珠山と糸魚川の三か所が認定され、室戸、山陰海岸、南アルプス、アポイ岳が候補に立候補しているという。

 糸魚川については、もう30年来『赤とんぼラジコンクラブ』で白馬村で合宿をしているし、学生時代から山登りで出かけているので馴染みの場所だ。

 参考 糸魚川ジオパーク 参考 新潟大学糸魚川ジオパーク展

 参考 ナショナル・ジオグラフィック

Photo

 糸魚川の市街地から車で30分程度、姫川を遡ると支流の小滝川から明星山(みょうじょうさん)が聳えている。河原には翡翠(ヒスイ)の原石がごろごろと重なっているという。ヒスイ峡である。

 明星山は3億年前は熱帯にあったサンゴ礁、ヒスイは5億年前に海底が地中深く沈みこむ場所で生まれたという。

 プレート移動によりここで地上に姿を現した石灰岩の山であり翡翠も地表に顔を出した。

 糸魚川市は新潟から長野を通過し静岡へと続く糸魚川ー静岡構造線、地質の境目の北端である。此処で、西日本と東日本に分けるフォッサマグナの西の縁でもあり、地質は東西で5億年以上の差があるという。日本列島が形成された歴史が凝縮されているそうだ。

 参考過去記事 新潟地震に思う(4枚のプレートが衝突する列島)

 参考 糸魚川市 フォッサマグナミュージアム

 糸魚川市内には海底火山の断面が見られるという(海底渓谷)。白亜紀(約1億年前)の断崖が海に面する『親不知(おやしらず)』がある。糸魚川市ではこれ等を中心とする24地域の『ジオサイト』を作り、糸魚川市全体をジオパークとして整備して行くそうです。町起こしですね。

 糸魚川市には有名な縄文中期の翡翠(ヒスイ)加工工場と想定される遺跡『長者ヶ原遺跡』があり遺跡が保護されています。

 参考 縄文中期遺跡 長者ヶ原遺跡

 三内丸山遺跡で発掘されたヒスイの勾玉もこの姫川のヒスイであると鑑定された。縄文時代から弥生時代、古墳時代、等々と延々とこの姫川のヒスイは日本海ルート、フォッサマグナルート、等々を通じ日本列島各地に運ばれた。

 参考 三内丸山遺跡出土 ヒスイ勾玉を姫川ヒスイで復元する

 参考 島原半島ジオパーク

 参考 洞爺湖・有珠山ジオパーク

 参考 南アルプス ジオパーク(候補)

 参考 山陰海岸ジオパーク(候補)

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箱根旧街道(江戸古道、鎌倉古道) ハイキング目次編

 200812hakone_001 2008年12月7日~8日に爺さん4人組では初めてのハイキング(第一回)を箱根旧街道を選んだ。

 ・箱根旧街道ハイキング計画編

 ・箱根旧街道(江戸古道、鎌倉古道)無事踏破

 ・箱根旧街道(江戸古道、鎌倉古道) 旧東海道編

 ・箱根神社と芦之湯温泉

 ・箱根旧街道(鎌倉古道) 湯坂道編

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赤ちゃん通信

091025_164424 北海道の孫のクラスは学級閉鎖だそうです。インフルエンザが猛威を振るっているようです。

もう5か月になるかな~。

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磐余(いわれ)と呉越文化

 承前 桜井茶臼山古墳竪穴石室公開

 桜井茶臼山古墳に関する関心は今年になり60年ぶりに激しくなっています。大王級の古墳である事と、古墳時代初期の築造である事、ヤマト王権の誕生の場所である磐余の地である事が注目である。埋葬遺物や後円部上部に築かれた方形の祭壇も出土埴輪群も箸墓と同じグランドデザインであり初期ヤマト王権成立との関係が注目される。

 この古墳と関係が深い考古学者の森浩一先生の、『古代史の窓』(新潮文庫)では磐余の地について倭人と呉越文化との緊密な関係について記述されている。以下引用させて貰います。

 書紀にて雄略11年の出来事として、『百済の国より逃げ化来(もうけ)る者あり、自ら称名(なの)りて貴信(きしん)という』という文章がある、それに続けて『又、曰く、貴信は呉(くれ)の国の人なり』として、貴信の子孫を奈良県桜井市あたりと推定される磐余の呉の琴弾サカ手屋形麻呂(ことひきさかてのやかたまろ)らであるとしている。磐余の呉という地名にも表れているように、やはり呉の人または文化を強く受けた人たちと見てよかろう。

 雄略天皇も磐余の泊瀬朝倉宮に拠点をおかれていましたね。(母は息長氏、拠点は磐余と近江)南朝から武と記述され、『使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王』と称号を貰っている。

 これも、百済経由で南朝との交渉が続いていた証拠ですね。磐余には中国の長江下流域である呉・越との関係が深い人々が拠点を築いていたと想定されます。彼らは現在で言う総合商社のような人々で難波から大和川を遡り、大陸の商品を輸入し、磐余にある巨大な市場である海石榴市(つばいち)で商いをしていたと考えられます。所謂、華僑ですね。

 昨夜のNHK教育テレビ『日本と朝鮮半島2000年 倭寇』の番組では、対馬や壱岐、九州沿岸地域の海洋民、南朝鮮南部、西部沿岸地域の海洋民を『境界人』と呼んでいました。彼らは中国や朝鮮半島の国と倭国との商取引に従事して自由人であり時に海賊になる人々が活躍した。特に中国や朝鮮半島、倭国の政治情勢が乱れると大活躍したという。

 今回の桜井茶臼山古墳の竪穴石室では200キロを超える辰砂(硫化水銀)が使用されたと橿考研が発表しているが宇陀の地や磐余の金屋や物部氏の布留の製鉄拠点や、磐余南部の忍海(脇田)、南郷遺跡は金属生産の拠点でありました。又、伊勢街道を東に行けば松坂の丹生の里があり、ここも水銀の生産拠点だった。時代が中世に下るが室町幕府が中国に輸出した製品に水銀が重要な製品であった事を考えると古来、鉱業・金属加工の工業地帯が磐余に存在し海石榴市で商取引を行い莫大な利益をあげていたと考えられる。

 磐余の地は古代の大豪族である、阿倍(平安時代以降は安部)氏の本拠地でもあります。難波に現在も阿倍野という地名が残っていますが、大陸との貿易を担当した氏族だと考えられます。平安時代に安部清明が陰陽道で登場しますが、本貫は磐余であり中国の暦学、天文学、風水、気象学、八卦、等々の最新の学問を入手できる立場にあった。

 5世紀には磐余の西に位置する葛城氏が勃興し大陸との交易で利益と政治権力を握り最後に雄略天皇に滅ぼされる運命を辿った。要は、磐余近辺には古代ヤマト王権の重要な豪族である息長氏、阿倍氏、物部氏、葛城氏が本貫を置く重要な大和川水系を利用した大陸との交易拠点であった。

 磐余の地は昔は纏向も含んでいた、今の桜井市という広範囲であったと考えられている。森先生の同書では興味ある魏の曹操の本家と倭国との倭国大乱の収拾時期にあたる頃の考古遺物について論究されている。1977年に中国安徽省亳(はく)県の元宝坑1号墓から出土したレンガに刻まれた『倭人磚(せん)』である。

 この墓は魏の曹操の実家の墓であり、時期は170年頃であり、倭国大乱の頃である。レンガには『倭人、時をもって盟すること有りや』と読めるという。森先生は、倭国大乱の頃に倭国から多量の人間が中国の会稽あたりに移住し武力集団として活躍していたという。107年には倭国王師升(すいしょう)等が生口160人を後漢に献じ、卑弥呼も239年に生口10名を献上している。243年にも人数不明だが生口を献上している。2世紀や3世紀には中国の洛陽に行った倭人は200人規模であった。2世紀末には正史以外を含めると数千人規模の倭人が中国に進出していたという。

 後漢の時代から曹操の家は対外外交を担当する外務大臣みたいなものだった、倭国との緊密な関係は魏の時代にも引き継がれたと考えられ卑弥呼は中国の力を巧みに利用したと考える推論が成り立つのだ。発掘された文字が彫り込まれたレンガ群の中には当時の中国の紅巾の乱、五斗米道という鬼道に関する資料も発掘されている。

 2世紀の倭国大乱の頃から卑弥呼は『境界人』と連携し中国の曹操家と密接な関係を維持し、中国の東アジアに於ける覇権力を利用して倭国大乱を収束させたと考えられる。そういう事が出来る国際都市が磐余の地だったのですね。

参考過去記事 オオヤマト古墳群と古代王権 その1

参考過去記事 栄山江(ヨンサンガン)流域の前方後円墳13基

参考過去記事 古代河内の生産拠点

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スバル09 電動改造機

L_035c53abcf434ebb2cb12224ce7d2d5c4  わこちゃんの秋合宿用の新しい機体が完成したようです。

ムサシノ模型の『スバル09』を電動機に改造した機体です。

軽量化を図る為に沢山の肉抜きがされていますね。丸窓のようなものがバルサを切りぬいた痕です。

L_420721248f6422a488a1844d7f40f92ec 美しい機体に出来上がっていますね。素晴らしい出来栄えです。

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 秋合宿は11月末に何時もの白馬村で開催予定です。山は雪に覆われているでしょうね。麓は紅葉で美しいと思います。

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英国紀行 その12 (ロンドンあれこれ)

200910london2_001 200910london2_002 200910london2_003  ロンドンで宿泊していたホテルのパブの雰囲気です。レトロっぽい雰囲気がいいですね、トースターも面白いでしょ、パンを放り込むと自動的にパンは自動歩道に乗っかったように移動し焼けて出てきます。

200910london2_004 200910london2_005 200910london2_006  ホテル近くの地下鉄の駅です。毎日此処から電車に乗り移動していました。この駅には地下鉄だけでなく、一般鉄道の駅も備わっていました。

 ロンドンの地下鉄には随分と精通してしまいました。

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地下鉄の駅ですが、日本と比較すると電車は騒音が激しいですね、日本の地下鉄は静かです。トンネルが狭いのとレールの継ぎ目が音を出すようですね。200910london2_018

此処はソーホーです、歓楽街ですね、いかがわしいお店が沢山ありました。金曜日の夜は路上に男性用トイレが登場するそうですよ。

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 テームズ川のナイトクルーズです、私の誕生日でした。63歳をテームズ川の船上で迎えました。

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ナショナルギャラリーを見学した時の思い出です。200910london2_020 200910london2_021 200910london2_022 200910london2_023

パブのイメージです、落ち着いた雰囲気がいいですね。

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桜井茶臼山古墳 竪穴石室公開

20093nara_016  本日、橿原考古学研究所は桜井茶臼山古墳の竪穴石室の状況を公開したようだ。

 日経新聞 ニュース

 読売新聞ニュース

 奈良毎日新聞ニュース

 NHKニュース 動画

 桜井茶臼山古墳については、既に発掘の模様について記事を書いています。今回は、竪穴石室まで再発掘した模様を公開したようです。

 過去記事 桜井茶臼山古墳と纏向遺跡紀行

 過去記事 60年前の桜井茶臼山古墳発掘報告書

関連記事 MuBlog 桜井茶臼山古墳石室情景

 60年前の発掘調査の状況と今回の発表での目新しさはありません。60年前の発掘調査時に石室から出てくると全身が真っ赤になったと当時の発掘担当者は語っていました。既に多量の辰砂が使われていた事は判っていましたね。

 何故、又、今回60年ぶりに橿原考古学研究所が再発掘をしているのか真意が不明です。60年前と現在の違いは考古遺物に関する科学的な調査方法が格段に進歩した事が再調査の目的かも知れない。(表向きの理由は古墳の保護の為の現状調査でしょうね)

 辰砂が200キロも使用されたというのは、新しい報告だが、60年前も判っていた筈だ。私が竪穴石室の写真と映像を見て感じたのは、石室が板状の薄い石を積み重ねた構造に興味が湧きました。これは、武寧王の墓でもそうだが中国の石室構造の影響があるのではないでしょうか。中国ではレンガ(確かセンと漢字で書いた筈)を積み重ねていると思う。

 何れにせよ、辰砂1gが金1gと言われるほど希少価値のあるものを200キロも使用したというのは金を200キロ使用したのと同じ価値がある訳です。既に、橿考研では今回の発掘遺物から近代科学の総力を挙げて年代測定を行っていると想定します。(本日の金相場によれば6億円となりますよ)

 磐余(イワレ)という場所はヤマト王権誕生の重要な場所であり、その後も王権の聖地として崇拝された場所であります。丘尾切断型前方後円墳という初期の前方後円墳の形態を持つ桜井茶臼山古墳の研究はヤマト王権誕生の鍵となる可能性が目と鼻の先の箸墓古墳と同じく重要ではないだろうか。

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英国紀行 その11 (大英博物館)

200910london2_056 200910london2_057  大英博物館です、英国を去る日にナショナルギャラリーと大英博物館を訪問しました。私は三回目の訪問となります。無料で開放されているので、何時も沢山の訪問者が詰めかけていますね。

 今回は特別展として、『アステカ展』と『縄文土偶展』が開催されていました。200910london2_058

縄文土偶展は日本から国宝の縄文のビーナスを始め殆どの著名な土偶が運ばれ展示されていた。これだけ、一堂に会すると壮観でした。

 マイフォト 英国紀行 その10(大英博物館)

 マイフォトでは日本館とエジプト、古代中近東のコーナーを中心に写真を掲載しました。

 参考 大英博物館『縄文土偶展』       200910london2_674

 縄文土偶には自由な気風とダイナミックな美しさがあり4千年前や5千年前に創造されたとは思えない芸術性の高いものだと思います。

 以前、メキシコのオアハカの美術館を訪問した時にも感動した土偶がありました。

 参考過去記事 オアハカ文化博物館

Cimg0138 残念ながら、土偶展は撮影禁止でしたので、写真はありません。大英博物館は基本的には撮影可能なので、その積もりで撮影しようとするとダメという事でした。私はその理由がよく判りません、世界の文化遺産だと考えるなら当然ながら撮影は可能にすべきだと考えます。フランスでも私と同じ考えだと思いますよ、私のブログの写真データベースには沢山のフランスの名画が収蔵されています。撮影禁止は文化後進国の象徴ではないだろうか。
The Gayer-Anderson Catところで、この猫、『The Gayer-Anderson Cat(ガイアーアンダーソンの猫)』という古代エジプトの猫だそうですが、美しいですね。200910london2_680
 古代のイラン、イラク方面では文化が栄えペルシャ帝国の頃などは素晴らしい文化が花開いた。
 今、中東では新興国のアメリカが覇権を握っているが、チグリス・ユーフラテスには古代に於いて素晴らしい文化・文明が世界に先駆け華と輝いた歴史を持つ。
 大英博物館は何度出かけても見るものが多く、考えさせられる事が多い。

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英国紀行 その10 (ストーンヘンジ 後篇)

200910london2_658  承前 ストーンヘンジ 前篇

 ストーンヘンジ概要については前回の記事で記録しました。

 日本の北海道や東北、関東に同じ時代に同じようなグランドデザインで構築された遺構が存在した事は実に興味深い事であります。

 偶然に同行した日本考古学者さんが腰を据えて必死にスケッチをされている姿は多分、私と同じ気持ちではなかったでしょうか。

200910london2_571

  個人的な感想になりますが、昨年8月にノルウエー北部の北緯73度、北極圏ですが「アルタの岩絵」を見学に出かけた時に抱いた謎が今回と関係が深いと思っています。

 過去記事 アルタの岩絵

過去記事 フランス&ノルウェー紀行

 紀元前4200年頃から紀元前500年まで岩絵を描き続けた民族が突然姿を消した。このストーンヘンジを築いた民族が姿を消したのと同じような時間帯なのですね。

バイキング船そのものでは? (アルタの岩絵の一部です 過去2008年8月写真集より)200910london2_597
紀元前4千年頃にスカンジナビア半島の海岸を船を操り航行していた漁労・狩猟・航海民が岩絵を残しましたが、彼らは目と鼻の先のブリテン島に渡ったと考えるのが素直な考えではないでしょうか。
 問題はこの民族ですが、私は北極圏に広く存在したエスキモーの先祖(モンゴリアン)ではないかと思います。彼らはアメリカ大陸にも渡った人々ではないでしょうか。
200910london2_611_2 これからの研究でこれらの謎は解かれる信じています。
さて、飛行機が飛んでいますが、実はこの辺りで第二次世界大戦の時に連合国空軍は終結し、ノルマンデイー上陸の訓練をしたそうです。軍の飛行場があるんですね、日本で言えば昔の霞ヶ浦みたいなもんでしょう。
200910london2_571_2 丁度、ストーンヘンジを訪問した時に大英博物館では『縄文土偶展』が開催されており、私も見学しました。日本からは『縄文のビーナス』を始め、『仮面土偶』や多くの国宝や重要文化財の土偶が終結していました。
200910london2_058 縄文土偶が作られた頃、英国やスカンジナビア半島でも同じような文化を持った人々が暮らしていたのだ。

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英国紀行 その9(オールド・セーレム Old Sarum)

Photo  ストーンヘンジとソールズベリーの街の中間位置にオールド・セーレムという遺跡があります。

グーグルアース オールド・セーレム

「old_sarum.kmz」をダウンロード

 この遺跡は5000年前にはストーンヘンジと同じような環状列石の遺構が存在したそうです。しかし、その後、色んな民族が侵入し砦を築き城としたそうです。

 中世の11世紀には巨大な砦と現在ソールズベリーに存在するソールズベリー大聖堂の原型が建造され、一大都市の中心として都を築いた。

200910london2_626  マイフォト 英国紀行 その9(オールド・セーレム)

遺跡へは近くのバス停から牧場を抜けて歩いて行けます。この地方では牧場を抜けて歩くのは普通ですが、入る時、出る時はちゃんと鍵を元に戻して開けっ放しは禁物です。

 マイフォトで現在の遺跡の状態を確認してください。

200910london2_635

 此処に、11世紀には現在のソールズベリー大聖堂のような教会が建造されていました。城と一体となっていたのですね。

 しかし、5千年前のストーンヘンジ遺跡は完全に破壊されてしまいましたね、跡形もありません。日本でも、中世に箸墓古墳を代表に沢山の古墳の上に砦が築かれました、同じです。

 文明とは過去の文化文明を破壊して進んできたのですね。文化遺産を守るというのは難しい。

200910london2_655   眼下にソールズベリー大聖堂が見えますね。

5千年前からこの場所では人々が人種を越えて営々と生活を守ってきた場所なんですね。

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英国紀行 その8(ストーンヘンジ 前篇)

200910london2_599  ストーンヘンジ紀行です。ロンドンのWaterloo駅から汽車に乗りソールズベリー駅迄の日帰りの往復切符を購入し乗車、1時間半程度でソールズベリー駅に到着します。

 日帰り往復切符が安いですよ、必ずそう言って購入して下さい。汽車が入るトラック番号は電光掲示板に10分前頃に表示されます。

 ソールズベリー駅に到着すると駅の前にストーンヘンジとオールド・セーレム遺跡を周遊するバスが待ち構えていますので、17.5ポンドでチケットを購入し乗車しましょう。200910london2_562

 偶然に大英博物館で開催中の縄文土偶展に来ておられた日本の考古学者さんと一緒になりました。

 グーグルアース ストーンヘンジ

「Stonehenge.kmz」をダウンロード

グーグルアースで遺跡の状況を見る事が出来ますね。参考にしてください。(予めグーグルアースをインストールしてクリック必要です。)

 マイフォト 英国紀行 その8(ストーンヘンジ)

200910london2_575 入場すると、日本語で解説してくれる機材を貸してくれるので、遺跡の東北地点のヒールストーンから反時計回りで遺跡を回ります。場所の番号を入力すると解説が聴けます。

 今から5千年前頃からケルト人が入植する前の時代に住んでいた謎の民族が2千年に渡り建造し続けた遺跡だそうです。紀元前3千年前から紀元前1千年頃まで居住していた人々の遺跡ですね。

200910london2_586 最初の頃は木で建造物を構築していたようです。紀元前2600年頃から巨大な石を使用した環状列石が構築されるようになったそうだ。

 1個5トンもある石を立て、上部には梁の巨石を載せ円環状にサークルを描く。その中には馬蹄形をした建造物が存在する、二重の円環構造である。

 そして周囲は堀が掘削されマウンドを築いている。所々に太陽の運行と関係が深いと考えられる位置に石が置かれている。

200910london2_591  これはヒールストーンと呼ばれ、夏至の時に太陽が昇る方角を示している。また、この方向には一直線にAvon川まで石が並べられていたそうだ。

多分、巨石ブルーストーンを修羅のようなもので運んだ道ではないだろうか。

 このブルーストーンは此処から200キロも離れたプレセリの丘(Preseli Hills)から海を船で運び、Avon川を遡上して運んで来たものです。

グーグルアース プレセリの丘(Preseli Hills)

「preseli_hills.kmz」をダウンロード  この遺跡を2千年に渡り築いた民族は航海術に長けていたいたと考えられ、西ウエールズ地方からこのソールズベリーに移動して来たのではないだろうか。    Photo 200910london2_587

この石造建造物を周囲には堀が巡らされ土塁を築いていたが今もその名残りが残る。

この遺跡に興味があったのは、全く同じ時代に日本でも同じ考えで建造されたと考える遺跡が存在するからなのです。

 (大湯遺跡に代表される環状列石遺跡)

 グーグルアース 大湯遺跡

「Ooyuiseki.kmz」をダウンロード 秋田県の北東端、青森県境に近い場所に大湯遺跡という今から4500年から4000年前の縄文時代の後期前半の環状列石遺跡が隣り合って二か所存在します。万座の環状列石遺跡と野中堂の遺跡です。

 参考文献 大湯のストーンサークル

 松木武彦さんの『列島創世記 一』(小学館)を読むと以下のような説明である。真ん中に直径16メータの小さな石組の環があり、その外に直径48メータの大きな石組の環が存在する。そしてその外側には直径72メータの掘立柱建物の環が存在し、更にその外側には直径96メータの竪穴住居の環が同心円の状態で存在する。

 北海道では周堤墓と呼ばれる遺跡が石狩川下流に存在し時期は3500年前の頃で、千歳市のキウス(木臼)2号周堤墓が有名だ。関東では環状盛土と呼ばれる同じような遺跡が貝塚の発展形として存在し、栃木県小山市の寺野東遺跡の環状盛土は外径165メータを誇る。

 埋葬を伴う中心広場を環状石組みで飾り、その周りを若干の住居や穴倉などが巡る円環のグランドデザインは遥か地球を離れた英国に於いて構築されたのがストーンヘンジではないだろうか。(joの勝手な意見)

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安達太良山縦走紀行(その6) 目次編

200910adatara_236  2009年10月12日~13日に挙行した安達太良山縦走は無事に終わりました。写真は新幹線福島駅周辺から遠望する安達太良連山の美しい姿。

 天気に恵まれ素晴らしい紅葉の安達太良山を楽しめました。

最後に、福島駅の近くの美味しい蕎麦屋さんで今回の合宿の打ち上げ会となりました。

200910adatara_235  (安達太良山系 縦走紀行)

安達太良山を計画する

安達太良山縦走紀行(その1) 薬師岳より安達太良山を目指す

安達太良山縦走紀行(その2)安達太良山より鉄山を目指す

安達太良山縦走紀行(その3)鉄山より箕輪山を登り鬼面山を目指す

安達太良山縦走紀行(その4)鬼面山より旧土湯峠を経由、野地温泉へ

安達太良山縦走紀行(その5)ブナの森散策

 (登頂した山、4座の思い出)

200910adatara_244 安達太良山登頂

200910adatara_250  安達太良山登頂

200910adatara_251 安達太良山登頂

Continue reading "安達太良山縦走紀行(その6) 目次編"

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安達太良山縦走紀行(その5) ブナの森

200910adatara_227  10月13日早朝に野地温泉、新野地温泉近くのブナの原生林を散策した。何故か強い感動を受けたがその理由は不明だ。

 マイフォト 安達太良山縦走(5) ブナの森を歩く

 このブナの大木は上下対称のように思う、天と地を繋いでいるようだ。地上に出ている枝と同じだけ地中にも枝をのばしているように思う。

200910adatara_219  この力強い根を見て下さい。縦横無尽に地中に延びている。

 ブナの森の土は1gあたり雨が降ると0.4gの水を貯えと言う。二週間経過しても11%の水を蓄えたままだという、驚異の保水力を持つそうだ。

 夏には酸素を多量に放出した葉は秋に枯れ、地上に落下し腐葉土を形成する。そして、多くの生き物を育てる役目をするのだ。

 ブナはクリやシイやコナラなども含むドングリの実やクリの実を実らせ多くの動物を養ってきた。

 7000年前に気候変動で世界的な縄文海進が起こり海面が上昇したが、その時に人間を救ったのはドングりでしたね。

 参考過去記事 縄文時代の関東 その5 植物とのかかわり

 参考過去記事 縄文時代ん関東 その6 西のドングリpitと東の水場アク抜き施設

建築材料としてのヒノキやスギも大事だがブナの森は安全保障の面でも重要である事を再認識した。

200910adatara_212  旧土湯峠から朝日に輝く紅葉の鬼面山の美しい風景だ。前日の夕方に見た景色とは異なりますね。

200910adatara_209 紅葉の東吾妻山(1974メータ)と手前の高山(1804メータ)の勇姿です。

素晴らしい眺めですね。

200910adatara_177 新野地温泉と鬼面山、箕輪山の朝の風景です。200910adatara_178

 ブナの森を散策する。200910adatara_206   

 見事な紅葉ともお別れです。

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安達太良山縦走紀行(その4) 鬼面山→旧土湯峠→野地温泉

200910adatara_160  さあ最後の下りです、旧土湯峠は目と鼻の先、峠から野地温泉までは10分程度の距離です。

 鬼面山の下りは楽な道です、あの箕輪山の下りは最悪でしたね。

早く温泉に入りビールを飲みたいです。

マイフォト 安達太良山縦走(4) 鬼面山→旧土湯峠→野地温泉

200910adatara_161 奥が新野地温泉、手前が野地温泉です。

200910adatara_163 旧土湯峠から縦走路を振り返る、左は鬼面山右は箕輪山ですね。

200910adatara_164 新野地温泉分岐です。ここからは10分程度で野地温泉に下れます。

200910adatara_166 ぶなの森を通過します、紅葉真っただ中。森林浴です。

200910adatara_169  ぶなの森です、夕方の4時は過ぎましたね、黄昏迫る森の道。

200910adatara_171 遂に野地温泉ホテルに到着しました。

温泉に入りビールを飲もう。

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安達太良山縦走紀行(その3) 鉄山→箕輪山→鬼面山

200910adatara_115  鉄山避難小屋から眺める箕輪山です。安達太良連山の最高峰1718メータです。

 山と言うのは不思議で幾ら最高峰でも箕輪山は盟主になれないのですね。人々が住む里から眺めてその姿で決められてしまいます。

 安達太良山、箕輪山、鬼面山の名前の由来はインターネットを調べるとその伝説を掲載されている記事があり、参考までに紹介します。安達太良伝説

200910adatara_130  今回は、鉄山から箕輪山を登り、又、尾根を下り鬼面山を登る行程です。約1時間40分の厳しい行程になります。

Photo グーグルで概略ルートの写真を掲載しました。

マイフォト 安達太良山縦走(その3) 鉄山→箕輪山→鬼面山

このコースの風景は最高です、登山客も激減し僅かな本格的に安達太良連峰を楽しむ人としか遭遇しません。

マイフォトにてこの美しい安達太良連峰の景色を楽しいで下さい。

200910adatara_132 箕輪山から眺める磐悌山の美しい風景です。最高ですね。

 この磐悌山との間に広がる平野が猪苗代ですが、そこに沼尻という温泉地があります。私の従兄は中ノ沢温泉で昔からの温泉旅館を継ぎ、経営しています。

 従い、中学性の頃から兄貴と二人で学校の休み、特に冬休みには関西から従兄の温泉に来ていました。

 ハッピを着て湯治客にお膳を運んだり雪深い温泉で楽しんでいました。懐かしい記憶が蘇ります。

200910adatara_137

 吾妻連峰が見えてきましたよ。西吾妻から東吾妻にかけての美しい連峰です。眼下に見えるのは旧土湯峠ですね。

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安達太良山縦走紀行(その2) 安達太良山→鉄山

200910adatara_060  安達太良山から牛ノ背尾根、矢筈森、馬ノ背尾根を北上し、鉄山に縦走です。

さて、今回の全体の安達太良山系の縦走イメージをグーグルアースでご紹介します。

Photo  奥岳温泉の富士急ホテル近くからゴンドラ「あだたらエクスプレス」に乗り、薬師岳まで一気に上ります。

 薬師岳から安達太良山を登り、尾根筋を北に向かい縦走します。鉄山、箕輪山、鬼面山を越え旧土湯峠から野地温泉に下るルートです。Photo_2

グーグルアース

安達太良山

「Mt.Adatara.kmz」をダウンロード

 マイフォト 安達太良縦走紀行(その2) 安達太良山→鉄山

是非マイフォトで安達太良山から鉄山までの縦走路の風景を楽しんで下さい。

200910adatara_066

 真白なすり鉢状のくぼ地は沼ノ平です、有毒ガスが噴出するので危険ですね、以前、写真左の尾根の沼尻へのルートで事故が起こりました。

 遥か彼方に裏磐悌の秋元湖が見えますね。その更に奥に桧原湖がうっすらと見えます。

荒涼たる尾根歩きとなり、強い風と寒さに悩まされた縦走路でした。

200910adatara_099

西の方角に会津磐悌山が見えて来ました。

200910adatara_106  鉄山頂上です。天気が良くなりました、快晴です。安達太良山から約50分の距離ではないでしょうか。

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伊豆の踊り子歩道 完全走破記録

 20094amagigoe_008 爺さん4人組の登山の挑戦記録 第2回合宿 2009年4月1日~2日

  ・明日から伊豆の踊り子ハイキング

 ・伊豆の踊り子歩道 完全走破しました

 ・伊豆の踊り子歩道 完全走破(1)三島→修善寺→浄蓮の滝

 ・伊豆の踊り子歩道 完全走破(2)浄蓮の滝→天城山隧道

 ・伊豆の踊り子歩道 完全走破(3)桜と桃の競演

 ・伊豆の踊り子歩道 完全走破(4)旧天城山隧道→七滝温泉

 ・伊豆の踊り子歩道 完全走破(5)七滝温泉→湯ガ野温泉

 ・伊豆の踊り子歩道 番外編 滝と桜と桃と

 ・伊豆の踊り子歩道 番外編 河津駅→熱海打ち上げ会

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赤ちゃん通信

091013_100354  4カ月 ミルクを飲まなくなりました

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蓼科山登山記録

20097tateshina_101  爺さん4人組第3回合宿 蓼科山登山記録です。2009年7月15日~17日の記録。

 ・明日から蓼科です

 ・無事蓼科登山から帰還

 ・蓼科山登山 初日

 ・蓼科山登山 大河原峠→将軍平ルート

 ・蓼科山登山 山頂360度パノラマ

 ・蓼科山登山 下山 将軍平→天祥寺原→大河原峠ルート

 ・蓼科山登山 総括する

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安達太良山縦走紀行(その1) 薬師岳より安達太良を目指す

200910adatara_056  爺さん4人組による登山は第四回目となりました。今回は安達太良山縦走です、深田久弥さんの「日本百名山」であり、知恵子抄でも有名ですね。

 全行程8キロ少し、5時間行程計画での挑戦でした。

 東京駅発東北新幹線6時4分発の『やまびこ41号』に乗車し、郡山駅下車7時23分。東北本線に乗り換え7時35分発、二本松駅下車8時です。

200910adatara_007  二本松駅からは岳温泉行きのバスが出ています、最初はバスに乗る計画でしたが、岳温泉から又、ゴンドラ「安達太良エクスプレス」の駅まではシャトルバスに乗り換える必要もあり、時間の問題と経済的な観点より4名だとタクシーの方がいいという結論で5300円でタクシーを選択した。

 選択はベストでした、10月12日は連休最後の日、沢山の登山客が車で押し寄せ、駐車場は満杯、ゴンドラ始発8時30分に合わせて長蛇の列でした。

200910adatara_016  さあ、先ずはゴンドラに乗り10分で薬師岳1340メータに到着です。9時には薬師岳に到着しました。

 目指すは安達太良山1699メータの頂上です、そして矢筈森→鉄山→安達太良連峰最高峰、箕輪山(1718メータ)→鬼面山→旧土湯峠→野地温泉への縦走の開始です。

 ゴンドラは一人片道900円ですが、タクシーで一人100円割引を貰ったので800円でした。200910adatara_024

 マイフォト 安達太良山縦走 薬師岳→安達太良山頂上へ

 マイフォトでは登山行程の説明をしました、御参考にしてください、素晴らしい紅葉の安達太良登山を楽しめると思います。

 標高1340メータの薬師岳からは紅葉が素晴らし風景が展開しています。

登山道から二本松の街並みや遠方には福島市の街並みが展望できます。

200910adatara_034  もうすぐ安達太良山頂上ですね。薬師岳から4ピッチ程度で到着でした。1時間半程度ですね。

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英国紀行 その7(オックスフォード Oxford)

200910london2_468 大学の街、オックスフォードの紀行となります。写真は、雅子さんが通われたベイリオルカレッジです。(1988年~90年)

 秋篠宮さまはセントジョンズカレッジ、皇太子さまはマートンカレッジと皇族の方々は伝統的にオックスフォード大学に留学されています。

 グーグルアース オックスフォード地図

「Oxford.kmz」をダウンロード

 マイフォト オックスフォード(Oxford)写真集

 写真集を観て頂ければ、オックスフォードを歩いた気分になると思います。

200910london2_476  写真は「ため息橋」と呼ばれている校舎を繋ぐ渡り廊下です。名前の由来は16世紀にヴェネツィアに架けられた橋ににているからだそうです。

200910london2_496_2  オックスフォードで一番有名なラドクリフ カメラ(Radcliffe Camera)という建物で図書閲覧室です。ボドリアン図書館から本を借りて此処で読むのですね。

 カメラと言うのは(Chamber Room)の短縮形なんですね。

200910london2_506 皇太子さまが通われたパブです。「The Bear」という名前ですね。

 卒業するとネクタイに名前を書いて記念に置いてゆく風習があるそうですが、皇太子さまがそうされたか確認していません。

200910london2_502 マートンカレッジです、皇太子さまが通われた大学です。1983年から1985年の期間ですから、私が米国駐在時代の出来事なんですね。

 イギリス出張の時にオックスフォードに立ち寄り、パブを訪れれば皇太子さまにお会い出来たかも知れませんね。

現在、皇太子さまと雅子妃は同じ場所で留学したこのオックスフォードの場所を語り合っておられるかも知れませんね。

200910london2_511 多くの英国首相を輩出したクライストチャーチです。名門中の名門カレッジであります。

 最近はここの学寮の食堂が映画「ハリーポッター」の場面となりました。学校内の庭も映画で観た様な気がしますね。

200910london2_520

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安達太良山への山行は明後日

 承前 安達太良山縦走計画

 安達太良山縦走の決行日が明後日に迫った。朝8時4分東京発『やまびこ41号』に乗り、郡山駅着7時23分。東北本線に乗り換え、7時35分発で二本松駅着8時予定。岳温泉行きバスに乗り換え、8時43分発のバスで岳温泉9時8分を予定している。

 安達太良高原スキー場の富士急ホテル隣のゴンドラ山麓駅からゴンドラに乗り、薬師岳(標高1350メータ)まで約10分で登る予定。そこから、安達太良山を目指し登山を始め、土湯峠まで稜線を歩く予定です。安達太良山山頂→鉄山避難小屋→箕輪山→鬼面山→野地温泉のルートです。野地温泉には夕方4時過ぎには到着予定。

 安達太良山の気候

 日中でも高度2千メータでは2度ですね。寒気団が南下しているので、東北はすっぽりと包まれているようだ。風があると体感温度は氷点下になりそうです。さぞかし、紅葉は綺麗だろうな~と予想しています。

 野地温泉に一泊し宴会して帰京する予定です。メンバーは何時もの爺さん4人組です。

 野地温泉ホテル

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英国紀行 コッツウォルズその6(バーフォード Burford)

200910london2_423 コッツウォルズ(Cotswold)地方の旅が続きます、前回はボートン オン ザ ウオーター(Bourton-on-the-Water)を紹介しましたが今回はバーフォード(Burford)という眺めの良い街の訪問です。

グーグルアース バーフォード

「Burford.kmz」をダウンロード

中世の頃から羊毛で栄えた街ですね、蜂蜜色のライムストーンという石を使用して建造された古い家が立ち並びます。

200910london2_428  街の高台まで歩き、ベンチに腰かけてサンドウイッチの昼食をとりながら、ぼんやりと遠方に見える牧羊の丘を眺めていました。

 マイフォト バーフォード(Burford)写真集

是非、写真集を眺めて静かなバーフォードの街を堪能して下さい。

200910london2_436

年寄りがカフェテラスで憩いの一時ですね、花が飾られ美しい英国の田舎の風景です。

200910london2_441 バーフォード教会です。

200910london2_450

立派な教会です。コッツウォルズ地区では中世の頃から牧羊と高品質なウール製品を生産し、ヨーロッパに輸出したいう。富が蓄積されたのですね。

200910london2_465

素晴らしいステンドグラスです。

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英国紀行 コッツウォルズ ボートン オン ザ ウオーターその5(Cotswold Motoring Museum)

200910london2_362 コッツウォルズ地方のボートン オン ザ ウオーターにはクラシックカーの博物館がありました。

流石に英国の田舎、羊毛で大金持ちになった人々が沢山住んでいたのですね。

 私は門外漢ですが、白洲二郎がワインデイング ロードを駆け巡っていた頃を懐かしく思い起こしていました。

マイフォト 英国クラシックカー博物館写真集

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200910london2_396 200910london2_394

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赤ちゃん通信

091007_184639  4カ月検診も済みました。

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英国紀行 その4(コッツウォルズ ボートン オン ザ ウオーター)

 ロンドンから西北200キロの田舎町、コッツウォルズ地方への旅のご紹介です。コッツウォルズ地方は東京都程度の広さの18世紀、19世紀に高級な羊毛で栄えた田舎町です。産業革命以降は鉄道も通過しない為に近代化を免れ、美しい町並みが今も保存されています。

200910london2_265  グーグルアース Cotswolds Bourton-on-the-Water

「bourton-on-the-water.kmz」をダウンロード

Photo

コッツウォルズ地方の地図です

 ロンドンからバスで西北200キロ、約2時間程度の距離にあります。

 マイフォト コッツウォルズ ボートン オン ザ ウオーター

 写真集を観て頂ければ美しい18世紀、19世紀の英国の美しい田舎町の風景を堪能できると思います。

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200910london2_354

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『掲示板』 オアハカマヒカ 日墨交流400周年記念展

 10月16日 オープニングレセプション速報 写真集

  来日中のMisayoは明日22日にメキシコに帰国します。皆さま、御支援有難う御座いました。

 承前 日墨交流400周年記念展 オアハカマヒカ展覧会案内

  関連案内掲示 武蔵野美術大学掲示板案内

 既に御案内致しました展覧会ですが、10月16日(金)から28日(水)の期間、午前11時から19時(最終日は17時まで)、日曜は休館日です。

 オープニングレセプションが10月16日(金)午後6時より8時まで開催されますのでご案内致します。

 ・ギャラリートーク(午後6時~6時20分)

   筒井みさよ(アーテイスト)×内田あぐり(武蔵野美大 日本画学科教授)

 ・オープニングレセプション

   オアハカアートセンター館長 オマール・ファビアン氏 

   日本画家            内田あぐり氏

  ・出展者一覧

   出展者

 ・協力 

   サンアグスティンアートセンター 

   武蔵野美術大学

 ・後援

   メキシコ大使館

 。場所 

   MAKII MASARU FINE ARTS

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英国紀行 その3(ケンジントン宮殿)

200910london2_194  グーグルアース ケンジントン宮殿

「kensington_palace.kmz」をダウンロードPhoto

 地下鉄に乗り、High Street Kensington駅で下車しましょう。

 ロンドンの地下鉄は初乗りが700円程度するので、1日券か数日使用できる券を買いましょう。

 私は1日券と三日使用できる券を二回に渡り買いました。一日に一往復すれば元が取れますので、必ず1日券か数日使用できる券を買いましょう。地下鉄はロンドン滞在中に20回以上は乗りました。

200910london2_197 200910london2_195  この宮殿はダイアナさんが住んでいた事で有名だそうですね。

 まるで、ダイアナ記念館のようになっていました。

ダイアナさんの衣装に興味ある人には必見の場所でしょうね。

マイフォト ケンジントン宮殿(ダイアナ記念館)

 写真集を参考にしてください。

200910london2_259  宮殿の部屋から見る庭園は素晴らしいです、多分に庭園は二階の王の部屋から眺めると最高になるように設計されていたのではないかと思いました。

 英国の庭園は有名だそうですが、何処から眺めるかが重要なんでしょうね。やはり、宮殿の部屋から眺めないと判らないのではないでしょうか。

 衣装については門外漢ですが、印象に残ったのは「おはりこさん」の薄暗い部屋でした。生地を傷めない為に、おはりこさん達は薄暗い部屋で一生仕事をしたそうです。ですから、目を傷めたり体調を崩したりし、可愛そうな現状だったそうです、そんな話を聞くときらびやかな貴族の衣装には恨みがこもっているようで、複雑な気持ちでした。

200910london2_300  昔、温室だった場所でアフターヌーンテイが楽しめます、是非、ケンジントン宮殿を訪問された時はお立ち寄りください。

200910london2_304 こんな可愛いいリスや、200910london2_316

白鳥たちや、200910london2_317

これ、鴨にしてはでかい鳥とかが沢山池にはいました。

200910london2_322

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顧問OB会

200910shinbashi 久しぶりに新宿の某会社の顧問をしていた皆さんで宴会となりました。

 場所は何時もと同じ新橋の『魚喰呑人樂』で七輪の上で魚を焼きながら、もうもうと煙をかぶり楽しい宴会となりました。

 いい歳して、皆さん元気でした。次回は、師走に忘年会となりました。

 ゴルフ組は沼津方面で来月開催です。

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赤ちゃん通信

091005_081107 4カ月になりました。

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英国紀行 その2(ウエストミンスター宮殿 バッキンガム宮殿)

200910london2_138  ウエストミンスター宮殿とビッグベンです。

 グーグルアース 英国国会議事堂

「big_ben.kmz」をダウンロードPhoto_2

 議会制民主主義のお手本、英国議事堂(ウエストミンスター宮殿)とビッグベンです。

 テムズ川に面して建っています。大きな時計塔は有名なビッグベンと呼ばれています。

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対岸にはロンドン・アイ(London Eye)という観覧車が最近では人気のようです。

 ここから、ビッグ ベンを眺めるのが最高だそうですね。

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200910london2_153 200910london2_155 200910london2_156 200910london2_157 200910london2_158

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英国紀行 その1(倫敦塔、タワーブリッジ)

Photo  グーグルアース 倫敦塔・タワーブリッジ

「tower_bridge.kmz」をダウンロード

 ロンドンの市内観光では先ず目玉が倫敦塔とタワーブリッジではないでしょうか。

 夏目漱石がロンドンに留学したのは1900年10月から二年間でした、彼が倫敦塔を見学した時には既にタワーブリッジは1894年に完成しているので、彼は当時の最先端の技術で完成したはね橋を観ている筈です。

200910london2_118 これはTower Brigdeですね、はね橋です、グーグルアースで観て頂ければロンドン中心地にテームズ川を遡上するとここが入口となる重要な場所です。

 少し上流のシテイには有名なロンドンブリッジが存在します。例の歌で有名な♪ロンドン橋落ちた~で子供でも知ってますね。

 このタワーブリッジの根本にはロンドンの要塞である、倫敦塔が存在します。

200910london2_116 ロンドンを攻めるには先ずテームズ川を遡上します、この場所で敵と戦うのですね。ロンドン橋はバイキングの支配下にあった時に1014年にこの橋を崩壊させ、バイキングの船が立ち往生し戦争に勝利した記憶が童謡になったそうです。

 200910london2_113

 倫敦塔です、漱石さんは英国の歴史は全てここにあると言っておられますね。幾多の王位継承を巡り殺された人々がいたか、そしてその後、監獄や処刑場としてここでは政治犯や多くの人々が殺された。

 現在ここには、英国王のシンボルである王笏に530カラットのアフリカの星が展示されている。

 1905年に南アフリカのカリナン鉱山で発見された巨大なダイヤの原石がエドワード七世に献上されたという。この原石から九つの大きなダイヤモンドと96個の小さなダイヤが切りだされ、その一番大きいダイヤが王笏に埋め込まれ、その他のダイヤも王室の王冠に埋め込まれたという。

200910london2_115

 世界の七つの海を支配した国である、当時の面影は「偉大なアフリカの星」に象徴されているのではないだろうか。

 今でも、シテイは世界の金融の中心地として金融を支配しているのだ。

 よくこんな国が、日英同盟なんど結んでくれたものですね。バルチック艦隊と互角に戦えた日露戦争の背景に英国の情報と無煙石炭が存在した事を司馬さんは「坂の上の雲」で書かれていました。

200910london2_121

 この場所のテームズ川には第二次世界大戦で活躍した軽巡洋艦であるベルファスト号が繋留されています、見学できるそうですね。時間が無かったので、残念ながら見学できませんでした。

 今でも、この倫敦塔要塞と戦艦はロンドンを守っているという象徴なんでしょうか。

 最終日に、テームズ川のデイナークルーズで夜間この場所を航行しましたが、素晴らしい光景でした忘れがたい思い出となりました。

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英国から無事に帰国しました。

200910london_078  昨夜深夜に無事ロンドンから帰国しました。幸い天気に恵まれ最高の旅となりました。

 朝と夕方は寒くなりますが、日中は暖かくて過ごしやすい英国での旅となりました。

久しぶりのロンドンの訪問となりました、現役時代には何度か訪問し、英国ICLの人々とかBBC放送の人々と仕事をした事がありました。

 今回は家内と一緒の気楽な旅となりました。

200910london_079  ロンドンの中心地であるピカデリー付近の写真です、真っ赤な二階建てのバスが走り一目でロンドンの景色と判りますね。

 今回の旅はHISさんの安いツアーに申し込み現地で幾つかのツアーに参加しました。

誕生日はフォーマルなデイナークルーズで夜のテームズ川を遊覧し素晴らしい夜景と音楽と豪華な食事で過ごせました。

 今回の旅のハイライトはロンドンから西に200キロ離れた、ストーンヘンジの訪問でした。

200910london_567  5000年前のストーンサークルの訪問です。早朝にホテルをでてウオータールーの駅まで地下鉄で行き、ソールズベリー行きの往復チケットを買い出かけました。

 現地ではバスを利用して出かけました、バスでは偶然に埼玉から一人で来られた考古学で有名な青木義脩さんにお会い出来ました。

 現在、大英博物館で日本の縄文土偶の展示会をされているそうで、国宝の縄文のビーナスも仮面土偶も殆ど有名な縄文土偶が展示されている話を聞きました。勿論、その後、見に行きました。200910london_566_2

 この遺跡については詳細な報告をする予定ですが、紀元前8千年頃の柱穴が発見されており、その後紀元前4千年頃から環状列石が建造始まったという。

 当時は森で囲まれていたようで、遠方から船で5トンもあるブルーストーンが海を越えエイボン川を遡り修羅で運ばれて来た。

 丘の上に立ち並ぶ巨石建造物は今は当時の半分以下の石しか残っていない。悠久の歴史がここに残されている。青木翁は座り込み、巨石遺跡のスケッチをされていたのが印象的でした。

 200910london_333 200910london_334  

 家内が行きたいと言う小さな田舎町であるコッツウォルズとオックスフォードのツアーに参加した。フランスのブルゴーニュに似た静かな田舎町で石で建てられたお家が立ち並ぶ風情ある風景でした。

 産業革命以前には栄えた町だそうだが、石炭も出ないし鉄道も通過しない町が幸いし中世の街並みが残った。

 ふうてん老人が好きそうな自動車博物館があったので、お土産に写真でも思い入館し沢山のクラシックカーの写真を撮影した。流石にモータサイクルの国、英国である、田舎を馬鹿には出来ません、後日の楽しみにして下さい。

200910london_520 この写真は何処かで見覚えですね、ハリーポッターの映画で登場する寮の食事の場面です。オックスフォード大学のクライストチャーチの学寮の食堂です。

 映画制作ではオックスフォード大学の学食を参考にしたそうです。

オックスフォード大学と言う名の大学は存在しない事を御存知ですか、皇太子さんが出られたマートンカレッジや雅子さんがでられたベイリオルカレッジや、秋篠宮さんがでたセントジョンズカレッジ等々の総称なんですね。

200910london_530 クライストチャーチカレッジは最大で今まで15人の首相を輩出しているそうです。

 「不思議な国のアリス」作者のルイス・キャロルはここの教授でしたね、アインシュタインもここです。

 近くの『The Bear』という古い歴史のあるパブは皇太子さまが行きつけのバーだったそうですよ。

 卒業記念のネクタイにサインして置いてあるかも知れませんね。

注: 全ての写真は二回クリックすると最大の画面になります

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