トゥルム遺跡(Tulum Ruinas)紀行記
カンクンのホテルからR1のバスに乗りダウンタウン(カンクン セントロ)のバスターミナルに向かう。一人7.5ペソで乗れます。
バスターミナルからは高速バスで130キロ離れたトゥルム遺跡のあるトゥルム迄82ペソで約2時間半で行ける。
丁度朝7時のバスがでたとこで、8時のバスのチケットを購入した。何せ、英語が通じないので、これからどうなるか心配です。
やはり、トゥルム遺跡で下車せずトゥルムの町まで行ってしまった。お陰で、2キロか3キロを歩く事になり遺跡に到着した時は全身がずぶ濡れ。熱帯の灼熱の日差しの中で歩いたので疲労困憊でした。
グーグルアース参照 トゥルム遺跡
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マイフォト マヤ遺跡巡り トゥルム遺跡編
トゥルム(Tulum)遺跡はAC1200年頃から人が住んだと考えられる後古典期後期の小さな遺跡である。ヨーロッパ人が最初にマヤの都市と遭遇した場所であると考えられています。後古典期には海上交易が盛んで港湾都市として栄えたと考えられる。
カリブ海を望む断崖絶壁の上に築かれ、三方を防御壁で囲み陸側からの敵の侵入を防いだようだ。防御壁は石を積み上げ3メータから5メータの高さであり厚みは6メータもあります。この都市は最初はマヤパンの支配下にあったようだが、マヤパン1450年頃に崩壊し有名な『フレスコ画の神殿』が築かれたようです。
(セノーテの家)
セノーテについて基礎的な解説をしておきますが、ユカタン半島は石灰岩で出来た土地であり山は無く殆ど平坦な土地であり、川が有りません。降った雨は石灰岩を溶かし地下に網の目のような水路を形成しています。何らかの理由で地表が陥没した場所には丸い穴が開き井戸のような按配になるのです。これを、セノーテと呼んでいます。水源になるのですね。詳しくはチチェン・イツァー紀行でご紹介する予定です。
セノーテの家という遺跡はそのセノーテの上に建造された建物であります。
(アーチドームを知らなかった)
マヤではローマのように要石を利用したアーチ型ドームを作る技術を持ちませんでした。上方からの圧力を分散させる技術を持たない為に両側から少しずつ石板をせり出す構造ですから三角形の疑似アーチとなります。例えば城壁の門は写真のようになる訳ですね。
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