小机城址散策記
天気が良いので近くにある小机城址でも散策してみようと、出かけた。ワールドカップが開催された国際競技場を過ぎると、鶴見川の傍にこんもりとした小高い丘がありそれが小机城址である。
グーグルアース 小机城址
グーグル写真を観て頂ければ判りますが、鶴見川が二股に分かれた場所に三角形の位置で小机城址、茅ヶ崎城址、榎下城址が存在していますね。鎌倉時代に上杉氏の管轄する城であったそうだ。鶴見川の水運と鎌倉街道の中道(なかつみち)が通過する交通の重要な場所であったそうだ。
奥州大路とも呼ばれ、鎌倉から戸塚を経由しこの辺りを通過して荏田から二子玉川を通過し渋谷にでて(田園都市線を辿るようですね)、新宿、赤羽、川口、古河、小山、宇都宮へと北上した大動脈であったそうだ。
小机城址の見取り図が写真にありますね。小高い丘の上に空掘りを二重に施した堅牢な城であったようです。
小机城の説明の看板がありましたので、参考にしてください。
16世紀には北条氏の配下の笠原氏の居城となったそうです。そう言えば大倉山梅園の近くのお寺は笠原氏の菩提を弔うお寺だったと思います。ゆかりの寺なんでしょうか。
本丸址と考えれる場所に空掘りを通過して行くところです。空掘りは意外と深いものですよ。写真をみてみましょう。
意外と深い空掘りで、土塁を築きあげていますが、北条氏の特徴的な城作りだそうです。
本丸址は現在は子供たちが野球が出来る広場となっていました。此処が本当の本丸址なのか不明だそうです、本格的な学術的な発掘がなされたのかのも、不明です。
それでは、二の丸の方に進んでみましょう。
城は至る所に空掘りと土塁が施され、二の丸に行くにも大変です。
櫓台(やぐら)ですね、城には何箇所かに櫓台が築かれており、見張りと戦闘時の攻撃の拠点になりました。
二ノ丸址ですね、今年も10月末には竹灯籠の祭りが此処で行われると思います。私は見学した事がありませんが、幽玄な素晴らしい催しだそうですよ。
二の丸広場にはお昼のお弁当でしょうか、竹を管理されている人々のものと想定される荷物が置かれていました。この城址は素晴らしい孟宗竹で覆われており、私の故郷である石清水八幡宮を思い出しました。
問題は、Tシャツで来てしまい藪蚊に追われる始末でした。長袖で来ないと蚊の餌食となりますので、御注意を。
小机城址の遠景であります。田園風景の中にこんもりとした森がありますので、直ぐに発見できると思いますね。
初秋の候となりました、稲刈りとシオカラトンボが田舎道を飛んでいました。
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