マヤ文明の遺跡を訪ねる
マヤ文明について基礎的なことを学びましょう。マヤ文明とはメキシコ南部からグアテマラ、ベリーズ、エル・サルバドル全域、そしてホンジュラス、ニカラグア、コスタ・リカの一部を含む中部アメリカの古代都市文明圏をメソアメリカといいます。
このメソアメリカのなかで特に有名な文明がマヤとアステカです。
マヤはマヤ諸語を話す諸集団により広域に紀元前1500年頃から2千年以上に渡り展開された一大文明ですが、アステカはチチメカと呼ばれる諸集団の一派アステカ(メシーカ)が13世紀にメキシコ中央高地に打ち立てた王国です。
アステカは時代が新しく、16世紀にスペイン人により征服されスペイン人により多くの記録が残されたのでメソアメリカ史の中で特に有名になりました。一方マヤは征服された頃は既に最盛期を過ぎており小国が僅かに残っていただけでした。既に熱帯樹林の中に埋もれていたのです。これらの遺跡が発見されたのは19世紀になってからであります。
マヤとアステカの間には直接両者を結ぶ関係は殆どありませんが、アステカ以前のメキシコ中央高地で勢力を誇ったトルテカの文化伝統は、後古典期のマヤの地域に影響を及ぼしました。また、トルテカ以前のメキシコ中央高地に栄えたテオテイワカンや娘が現在住んでいるオアハカ谷のサポテイカとの交流もマヤ文明の発展に寄与しました。従来、メソアメリカの母なる文明といわれていたオルメカ文明の担い手はじめ多くの民族集団が、相互に影響し合いメソアメリカ全体の歴史を築いてきた。
詳しくは、早稲田大学准教授の寺崎秀一郎先生の『図説 古代マヤ文明』河出書房新社を読まれる事をお勧めします。
(メソアメリカ史 略年表) 寺崎先生による
・BC12000年~BC7000年(パレオ・インディオ期) アジアからベーリング海峡を渡って人類が移動してくる
・BC7000年~BC2000年(古期) 初期農耕が始まる トウモロコシ、マメなど栽培
・BC2000年~BC1000年(先古典期 前期) 土器使用が始まる オルメカ文明が興る
サン・ロレンソを中心として大規模な祭祀センターが建造始まるBC1500年頃
『ラ・ベンタ遺跡(メキシコ湾沿岸)』BC1000~BC400,300
BC1000年~ オルメカ文明勃興 メキシコ湾沿岸 ラ・ベンタ遺跡(La Venta)グーグルアース参照
最初に都市国家が生まれたのはメキシコ湾沿岸の平野部である。ベラクルス州南部からタバスコ州の低湿地。オルメカ文明と呼びサン・ロレンソ遺跡を中心とした時代からラ・ベンタ遺跡を中心とした時代に大いに繁栄しその影響はメキシコ中央高地からホンジュラス方面まで影響した。支配者の肖像と考えられる巨石人頭像で有名です。地図に写真が掲載されています。
『カミナルフユ遺跡(マヤ高地)』BC1500~AC1300,1500
グーグルアース参照
グアテマラ国境に近いメキシコのチアパス州の太平洋沿岸、グアテマラの太平洋沿岸の平地、現在のグアテマラ市周辺の高地は原マヤ文明の形成にとって極めて重要な地域です。マヤ低地の最古の芸術様式に繋がる浮き彫りが施された記念碑やマヤ古典期よりはるかに古い長期暦の碑文が発見されている。
『コパン遺跡(マヤ南部低地)』BC1000~AC900,1000
グーグルアース参照
コパンはホンジュラスの西端、海抜600メータのコパン谷に存在しマヤの遺跡としては最南端に位置する。マヤの南東地域の政治・経済・文化の中心として栄えた。最盛期には13キロ×3キロの地域を支配していた。最古の石碑は5世紀の中頃、そしてAC800年頃まで栄えた。
『キリグア遺跡(マヤ南部低地)』AC100~AC900
グーグルアース参照
コパンの北北西40キログアテマラ東部にあり、マヤ遺跡の中で最も高い11メータに達する石碑を持つ事で知られている。そのほかにも奇怪な動物の姿を模した祭壇などでも知られている。殆どが古典期後期(AC600~AC800)に集中して作られた。AC730年にコパンから独立した。翡翠やカカオの主生産地域であった。
『ワシャクトゥン(マヤ中部低地)』BC100~AC900
グーグルアース参照
大規模な天体観測施設が現存する事で有名である。ティカルから40キロ北に位置する都市である。8つの石を意味するそうだ。古典期前期(AC250~AC600)にティカルと抗争が起こり支配されてしまう。
『ティカル遺跡(マヤ中部低地)』BC600~AC900
グーグルアース参照
5基の神殿ピラミッドを誇る大センターです。グアテマラ市から300キロ北にありマヤの中心に位置している。BC200年からAC900年頃までの長期間マヤの中心として栄えた。30km²の広大な地域の半分は古代アメリカでもっとも高い建造物を含むセンターであった。石碑祭祀が最も発達した地域で平面的浮き彫りが殆どを占めた。石碑の中には古典期前期(AC250~AC600)にメキシコ中央高地のテオティワカンとの交流が盛んであった事を証明する遺物が存在する。戦士の像の楯にテオティワカンの雨神トラロックの面が見られる。
『ボナンパク(マヤ中部低地)』AC300~AC800
グーグルアース参照
マヤ都市間の戦闘を描いた色鮮やかな壁画で有名です。出陣前の風景、戦闘と捕虜獲得、勝利を祝う儀式の三部構成になった壁画である。
『ヤシュチラン遺跡(マヤ中部低地)』AC320~AC840,900
グーグルアース参照
メキシコとグアテマラの国境を分けるウスマシンタ川沿いにあり、その意味は「緑の石」という意味である。この川沿いでは最強の都市であった。
『パレンケ遺跡(マヤ中部低地)』AC400~AC800
グーグルアース参照
マヤ随一の優美な建造物、精緻な浮き彫りが存在する遺跡である。マヤ低地では最も西に位置する都市である。二人の女王が存在していた事が判っていある。最も繁栄したのは古典期後期(AD600~AD800)である。翡翠の仮面(パカル)王の遺体の上に置かれていたのでも有名。又、石棺の浮き彫りが宇宙船だという仮説もでて有名ですね。
『セイバル遺跡(マヤ中部低地)』BC1000~AD500, AC830~AC900
グーグルアース参照
古典期末期(AD800~900)メキシコ湾沿岸地方の影響を受けて繁栄した都市。
『ラブナー遺跡(マヤ北部低地)』AC900~AC1200
グーグルアース参照
モザイク装飾が美しい小さな都市の遺跡です。プウク様式と呼ばれる美しい建築物の立ち並ぶ小さな都市です。
『トゥルム遺跡(マヤ北部低地)』AC300~AC850
グーグルアース参照
「tulum_el_castillo.kmz」をダウンロード
今回訪問した遺跡です。カリブ海に臨む断崖に築かれた防衛施設で有名です。詳細は紀行記を参照ください。
『カバー遺跡(マヤ北部低地)』AC900~AC1200
グーグルアース参照
神の顔をあらわした美しいモザイク装飾で有名です。神殿では西向きの壁が250の長鼻の雨神チャクの顔で隙間なく覆われている。
『ウシュマル遺跡(マヤ北部低地)』AC250~AC1000
グーグルアース参照
文字資料がほとんど発見されなかった謎の遺跡である。ユカタン半島の大都市であるメりダ市の南60キロの位置にあります。今回は訪問出来ませんでした。日付の刻まれた石碑もマヤ文字の碑文も無く、歴史的な出来事を描いた壁画も存在しない謎の遺跡である。
『チチェン・イツァ(マヤ北部低地)』AC300~AC1150
グーグルアース参照
今回の紀行で訪れました、詳細は紀行文を参照してください。マヤ文化とトルテイカ文化が融合して繁栄した。
『モンテアルバン遺跡(オアハカ地方)』BC500~AC900
過去記事参照(以前に訪問経験あり) メキシコオアハカ紀行
『テオティワカン遺跡(メキシコ中央高地)』BC200~AC650
グーグルアース参照
マヤにも大きく影響したメソアメリカの交易中心地。AC150年頃までには太陽のピラミッドを完成させ人口は3万人程度まで達していた。その後も8世紀頃まで繁栄を続け最盛期には面積が20キロ四方に達し人口は20万人を超えていたという。巨大な都市は交易の中心として栄えた。
『トゥーラ遺跡(メキシコ中央高地)』AC800~AC1150
グーグルアース参照
後古典期マヤと相互に繁栄したトルテカの都市である。メキシコ中部、イダルゴ州に位置するトルテイカ族の都市である。テオテイワカンの衰退後に混乱の続くメキシコ中央高地に北方のノノアルカ、ワシュテカ、チチメカなどの民族がグループが建造した。ケツァルコアトル信仰を持つ彼らトルテカはメキシコ高地の覇者となり遠方のマヤにまで影響を与えた。今回訪問したユカタン半島のチチェン・イツァはこのトゥーラと酷似の建物がある。紀行文を参照してください。
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