ツツェン・イツァー遺跡紀行 私の感想
今回のユカタン半島のマヤ遺跡訪問と、数年前にメキシコ南部のオアハカの遺跡群を訪問した経験を踏まえた感想を述べたいと思います。
(死者の日と日本のお盆の風習)
数年前にオアハカを訪問し、丁度その頃は「死者の日」に出くわしました。先祖の人々がこの世に帰還なさる日であり、各家庭では祭壇を設け祭りを行います。
死者の日 祭壇制作風景
死者の日 関連過去記事
死者の日 オアハカの風景写真
私が感じたのは死者の住む世界とこの世が近い存在である事に日本の古い死生観と似ていると感じた事でした。勿論、オアハカはスペインの侵入以降、カソリックの影響を受けハロウインの影響も受けているが、死者が生きてる人々と身近な所に存在し、年に一度見回りに来られるという考えは日本列島から東南アジアの黒潮の一帯に存在する死生観ではないだろうか。
オアハカの竹田画泊の自宅では日本人のご夫婦がごく自然に日本のお盆のお祭りのように「死者の日」の祭壇を準備され、地元の少数民族の人々が自宅に来られ祭壇の作成に協力されてる姿を観て、日本とメキシコの古代から続く死生観に違いは殆ど存在しないという感想を持ちました。
紀元前に1万年以上続いたという日本列島の縄文文化とメソアメリカの文化を繋ぐ決定的な絆はこの死生観にあるように思います。今後、考古学や文化人類学の研究によりこの不思議なリンクを解明してくれる日が来る事を期待しています。
(天文学と石像文化)
マヤの優れた天文学の背景には何があっつたのかという疑問です。農耕を始めると何時種を播けばいいのか、何時刈り取りをすればよいのか、カレンダーが必要になる。その為には天文学が必要になりますね。しかし、全く天文学と無縁の人々には天体観測すら出来なかったと思う。何故、マヤの人々は高度な天文学を発展させる事が出来たのだろうか。
私の仮説はメソアメリカの人々の先祖は優れた航海民であったからではないかというのが昔から持ち続けている仮説です。ジャワあたりにいた航海民は部族間紛争や自然災害により船で新天地を目指した。南太平洋のフィジー、タヒチ、ガラパゴス、イースター島、北太平洋のハワイ等々には彼らが航海をして辿りついたのだ。イースター島はもうアメリカ大陸の西海岸は目と鼻の先ではないですか。
黒潮に乗った人々は日本列島に到着し縄文人を形成したのではないでしょうか。これらを古代の太平洋航海民とでも呼べばいいのではないでしょうか。太平洋の島々では長老が若い衆に航海の方法を教えるといいますね。以前、テレビの番組でも観た事があります、彼らは星を頼りに航行し天体観測には優れた知識を持つといいます。
次に石文化についてですが、ポリネシアのサバイイ島には巨大なストーン・ピラミッドが存在しますし、太平洋の島々には巨石文化の遺物が現存している、最大はイースター島のモアイ像でしょうね。日本でも、ストーンサークルが東北を中心に現存しています。
マヤの石造りの文化の背景には、彼らの記憶の遠い過去に石文化が存在した事を窺い知る事が出来るではないでしょうか。
(身体的特徴)
スペイン人が植民地化する以前のメソアメリカの人々は極端に背が低いのが特徴ですね。インドシナ半島やマレー半島、フィリピン諸島といった南方系の人々は背が低いのが特徴です。145センチから150センチ程度ではないでしょうか。以前、オアハカの遺跡を訪問する時に道に迷い、現地のタクシーの運転手の世話になりましたが、彼は完璧な縄文人の格好でした。毛深く、彫が深く、目が大きく、背が低いのです。
日本人は弥生以降、朝鮮半島経由で北方モンゴリアンの血が西日本を中心に入り、背が高くなり面長の目が細い人々が急増した歴史を持ちますが、縄文時代の人々はマヤのような身体的特徴を持つ人々だったと思います。
勿論、北米大陸には1万数千年前からベーリング海の氷上を渡り南下したモンゴリアンが存在し太平洋岸と大西洋岸を南下した人々は存在した。メキシコ湾に早く花が開いたオルメカ文明はアフリカの影響を受けた人々かも知れない。参考資料 オルメカ巨石人頭
近いうちには、DNA分析やmtDNA(ミトコンドリア)分析により彼らのルーツが科学的に辿れる日が来ると思います。
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