チチェン・イツァ遺跡紀行 戦士の神殿と列柱
戦士の神殿と列柱のご紹介です。神殿の上の真ん中にチャックモールの像が見え、その後ろの二本の柱は羽毛のある蛇、ケツァルコアトルの像であります。
チャックモールと蛇の柱はトルテカ文化の影響によるもので、それまではマヤの遺跡には存在しなかったものです。後古典期前期AC900年~AC1200年頃の建造物であります。
神殿前には戦士の姿を浮き彫りにした角柱が並んでいます。
神殿の右側に延々と円柱の柱が並んでいます。メルカード(市場)の千本柱と呼ばれています。この柱の上には古代には屋根があり王様の宮殿までつながっていたそうです。
さて、もう少し近く寄ってみましょう。
だんだんと、チャックモールの像が見えなくなります。此処まで近く来ると全くチャックモールは見えなくなりました。
それでは、戦士の柱を眺めてみましょう。
戦士は左向きに立っていますね、足元には二枚舌を出している蛇(ケツァルコアトル)が大きな口を開き中から顔が見えますね。
まさに、メキシコ中央高地の好戦的民族であるトルテカの影響を受けています。
この戦士の像の角柱が神殿の前に並んでいます。
この神殿の中にはチャックモールの神殿が埋まっているそうです。
注:ケツァルコアトルQuetzalcoatlはトルテカ語の羽毛の蛇、ククルカンKukulucanはマヤ語の羽毛の蛇を指します。
この円柱列の上には屋根があったそうです。木か草葺きの屋根と想定されます。
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Comments
土やら石やら
考古学というのはなが~く残っているものを手掛かりにする。
そういうことなのでしょうなあ。
必然、土の中に埋もれているもの、石として残っているもの、はたまた水中深く眠っているもの。
このところJoBlogの写真は冴えていますねえ。
以前のコンパクトなカメラとこんなにも一眼レフは違うのかと驚きます。
百聞は一見にしかず。
まこと一枚、一枚の写真が沢山のことを語ってくれます。
この調子で楽しませてくださいな。
Posted by: ふうてん | 2009.09.16 01:29 AM
ふうてんさん ギックリ腰は快方に向かってますか?
私は経験した事が無いので、その痛さは推測出来ません、しかし、周りの人々の証言から激痛が走り動けないといいますね。脊髄には神経が走ってるので、並の痛さではないのでしょうね。
ところで、考古学、昔は土器の形態を中心とする学問のようでしたが、近年は総合科学のようですね。出土した遺物を最新の科学技術を使い分析する。
ミステリー小説では最近、科学捜査研究所というのが注目され、犯行現場に残された遺物や痕跡から犯人を追い詰める、あれは考古学のある側面でしょうか。
しかし、マヤでは象形文字(神聖文字)や数字文字を持っていたので、石碑やレリーフに残された文字資料からも過去を復元する事が出来るのですね。
しかし、最後は人間の歴史として過去の人々の気持ちにどれだけ迫れるかは同じ祖先のDNAを持ちあわせているかが鍵となるのではないでしょうかね。
マヤ文明もスペイン人やアメリカ人の学者が独占的に研究して来ました、しかし、近年は日本人の中村先生や寺崎先生という日本人が研究に入り、マヤの過去を研究する目が違ってきてると思います。
マヤの人々の起源はベーリング海から2万年前に北米に渡ったモンゴロイドと呼ばれているので我々の祖先でもある訳ですね。私はインドネシアあたりに古代に存在したゴンドワナ大陸の海洋民が太平洋を移動して辿り着いた人々や、縄文人がアリューシャン列島の海岸から北米西海岸を航行し移住した人々も存在したと仮説を立てています。
だから、同じ祖先のDNAを持つ人々が研究しないと、心の面が判らんと思うのですがね・・・。
Posted by: jo | 2009.09.16 04:33 AM