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立山雄山に登る小学生

 先日、テレビ番組で富山の小学生が卒業記念に同学年生徒全員で三日間をかけて歩いて立山に登る番組が放送されていました。日頃からリュックを学校に持ち込み、身の周りの道具を詰めて重い荷物を作り6年生は階段を上り下りし、又、学校の周辺を歩きトレーニングをして、来るべき立山登山に備える生活が映りだされていました。

 面白いと感じたのは、先生が決めた4人ひと組で日頃の授業時間からも一緒に生活し、チームとして登山をするパーテイを訓練していました。4人で、特別の訓練を自発的にするとか、彼らで決めさせていました。登山という過酷な環境に挑戦するには、人間同士の信頼関係が一番大事になります。標高3千3メータの雄山に挑戦するのですから、並大抵では有りません。

 強風とガスと寒さに耐えて、岩にしがみつきながら最後に雄山を目指した姿には感動しました。先生方は一歩間違えると事故と紙一重の挑戦を指導されている姿は素晴らしいと感動した。これは、伝統の力だと思いました。多分、昔からこの小学校では卒業記念に立山登山をする伝統が築かれていたのでしょうね。

 突然に来年から立山登山を6年生全員でやろうと企画しても絶対許可されない行事ではないでしょうか。映像を見ていると、自宅に帰っても子供たちがトレーニングするのを母親が見守っていました。私たち親も、小学校の卒業記念に立山に登ったと誇らしく語る姿がそこに有りました。

 苦しい、体力の限界に近い登山を通じてパーテイの仲間同士が支え合う、人の優しさを引き出す事や色んな身体で限界を仲間と伴に乗り越える何かを獲得するのではないだろうか。高校野球の決勝9回2アウトから見せた、あの凄まじい団結のパワーは記憶に新しいと思います。余程、日頃から訓練しない限り発揮は出来ない、精神力の凄さを目の当たりにしましたね。

 富山の人々にとり、立山は恵みをもたらす崇高な聖なる神様が住む場所なんでしょうね。富山湾の豊富な魚、特に私も大好きな『ホタルイカ』も立山が無ければ、恵みを受けられないのです。人々の信仰の山に卒業記念に挑戦するのも伝統の背景にこの人々の信仰があるからだと思いました。

 先月、蓼科山に登りましたが、地元の佐久の小学校の生徒が同じく学校行事で登っていました。日本各地の田舎の小学校では地元の山に登る行事を伝統として保持しているのですね。素晴らしいと思いましたね。日本の教育現場も決して捨てたものではないと誇らしく思いました。

 jo君の北河内の招堤村の殿二小学校では厳冬期に山を囲んで兎狩りをする行事が恒例の伝統行事でした。家内は枚方の禁野車塚古墳、百済寺跡近くに住んでいたそうですが、同じく兎狩りの行事をしたそうです。団結して生徒達で山裾から輪を作り棒を手に頂上を目指して山を登ってゆくのです。追い詰めた先に網を猟師さんが張っておいて待ち伏せし、時に鉄砲で猟師さんが撃ちました。

 危険な行事ですが、これも伝統なんですね、今は兎がいなくなり山も宅地化が進みこの行事の維持は出来ないと思います。可愛いい兎を殺すなんて、しかも翌日の昼に皆で兎汁を飲むなんて、環境保護団体からクレームが来るかも知れませんね。しかし、これが文化財、無形文化財ではないだろうか。

 古来、交野が原では牧が広がっていました。肩野物部氏の拠点であり、その後も百済系統の渡来人が大陸の文化文明を持ち込み、百済寺を建立し、河内馬飼荒籠は継体天皇の時代に樟葉の津で即位させる歴史の舞台となった場所であります。淀川水系を利用した大陸との交易の拠点でしたね。

 瀬戸内海の小学校では遠泳を記念行事としてやる所もあるのではないでしょうか。学生時代に淡路島の近くの沼島で我々ワンゲル部員は遠泳をトレーニングとしてやった記憶がありますね。今回銅メダルを槍投げで獲得した人は確か、愛媛の島で育った人でしたね。子供の頃から海で身体を鍛えたと想像しています。

 日本各地の初等教育の現場では土地独自の文化に支えられた伝統行事と伝統教育が息づいているのでしょうね。いいものを観させて貰いました。

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