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第六回 三輪山セミナー そのⅡ(山折哲雄翁講演録)

 承前 第六回 三輪山セミナー そのⅠ(山折哲雄翁講演録)

 日本の神(以降はカミと表記)は世界に類を見ない特徴があると山折翁は述べる、その特徴は4項目に渡り説明できるそうだ。

 (1) カミは見えない存在である

  記紀神話で語られる日本のカミは姿が見えないのが特徴である。これは、世界の神々の中でも珍しい特徴だそうだ。古代ギリシャ、ローマの多神教の世界でも例えば、ゼウスは老人の姿、アポロンは青年の姿、キューピットは子供の姿をして現れる。インドのヒンドゥー教でもヴィシュヌ神では4つの武器を持つ男性の姿ですし、シヴァ神も牛に乗り破壊の神として激しい男性の姿で登場する。

 中国の道教においても同じであり、日本のカミだけが、お姿を見せないのが特徴だという。

 (2) 神々の記号化

  日本のカミはお名前で呼ばれるより、記号化されて呼ばれるようになるそうだ。例えば、伊勢神宮でも内宮、外宮と呼ばれ、春日大社も五柱のカミを祭っているが、記号化されて一殿、二殿、参殿・・・と呼ばれる。稲荷さんも上社、中社、下社と呼ばれ、又、一の宮、二の宮、等々とも呼ばれる。

 (3) 場所の名前がついている

 日本のカミは必ず土地の名前がついている。出雲に座すカミ=出雲大社、常陸に座すカミ=鹿島神宮、三諸に座すカミ=大神神社といった按配である。土地には必ずカミが存在するという考え方である。日本人は家を建てたり、工場を建設する時に必ず地鎮祭をやりますね。土地にはカミが居られ、許しを得るのです、海外に出かけてもその土地で建物を建てる時は日本企業は必ず地鎮祭を行う。

 (4) 分割されても無限化可能である

 日本のカミは分割されても決してパワーが衰えない不思議な存在である。例えば、八幡信仰であるが、宇佐神宮から京都の石清水八幡宮に勧請されそして、鎌倉の鶴岡八幡宮とどんどん分割されても一向に八幡さんのパワーは衰えないのだ。伊勢神宮も熊野神社も日本各地に分霊され存在している。

 キリスト教にしてもユダヤ教にしてもイスラム教にしてもヒンドゥー教にしても神々の世界は我々とはかけ離れた隔絶された世界として描かれるが、日本のカミは身近なこの世の延長上に描かれている。そして、人間が死ぬと誰でもカミになるという思想が存在しているのが特徴である。

 老人を大事にする思想は、もうすぐカミの世界が近い人であるという考えがあるから大事にされるという思想があり、素晴らしいと考えている。

 『Jo君の感想』

 山折翁が未だに解けない不思議な事として、記紀神話では何故、不幸なカミを描かねばならなかったのかという疑問です。日本列島を創生されたイザナキ、イザナミのカミの最後の不幸な別れ方である。男神のイザナキは天上界に帰還するが、妻のイザナミは地上で墳墓を築かれ埋葬される。熊野に埋葬されたと、言われている、夫婦の別れだ。

参考過去記事 日本神話と淡路島

 もう一つ、三輪山のカミと結ばれたヤマトトビモモソヒメの不幸な出来事である。カミとの約束を守れず死に、箸墓古墳に埋葬されたモモソヒメの話です。日本のカミの中で男カミは天上界に帰るが女性カミは地上で埋葬されるという不思議な破局の話ですね。

 さて、この山折翁の疑問は私もこれから長い時間をかけて考えて行きたいと思いました。

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