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ベトナム北部 『ドンソン文化』のメモ

 ドンソン文化とはベトナム北部ハノイ近くの紅河流域に紀元前4世紀から紀元後1世紀にかけて栄えた金属文化であります。東山文化、Dong Son Cultureと呼びます。ハノイ在住の頃に歴史博物館を訪問しましたが、その時に出会った巨大な銅鼓の数々に度肝を抜かれた記憶があります。残念ながら、その時にデジカメの電池が切れており映像が有りません。 過去記事 ベトナム歴史博物館

 銅鼓は祭りで紐で吊るして叩くのですね、片側には大きな筒を出し入れしながら音階を変えて叩くようです。参考 雲南省チワン族の銅鼓の祭り 参考 銅鼓

 銅鼓の文化文明は雲南省あたりで発生しベトナム北部からインドシナ半島を南下し、インドネシアあたりまで拡大した青銅器、鉄器文明だそうですね。

 ハノイの歴史博物館で観た瞬間にこれは棺桶ではないかと思いましたね。それ程でかいのですね。そして、蓋の部分には小さな彫像が沢山ついており、SEXしている像が沢山装飾されていました。これにも驚きでしたね。この文化のルーツは雲南省の古代の滇(てん)王国に起源があるようです。

 『石寨山(せきさいざん)古墳群と李家山古墳群』

 グーグルアース 石寨山古墳群(滇王国)

「Sekisaizan.kmz」をダウンロード

Photo

 参考記事 石寨山古墳遺跡

『史記』や『漢書』に書かれていた雲南の滇王国が発掘により明らかになりました。

一番有名なのが、『滇王の金印』ではないでしょうか。

 参考 滇王之金印

漢の武帝が下賜した金印であり、後漢の光武帝が倭の奴国の王に下賜した『漢委奴国王』の金印と酷似している。鈕が蛇である事も類似しており中国人は倭国が南方の国であると考えていたようですね。 参考 漢委奴国王印

 この遺跡で有名なのが貯貝器(ちょばいき)ですね。ハノイの歴史博物館でもドンソン文化として同じです。 参考 貯貝器 参考 貯貝器記事

貯貝器とは当時の通貨である子安貝を蓄えていた器だと考えられています。南方でしか採取できない子安貝は通過貨して利用されていたのですね。

 『李家山古墳群』

 参考文献 李家山古墳群

 石寨山古墳群の南50キロ付近に李家山古墳群があり、古代の滇王国の青銅器の遺物が発掘されています。ハノイの紅河流域のドンソン文化と類似の文化だそうです。雲南省からハノイの紅河流域にかけて青銅器を中心とする進んだ文化・文明が存在した事を遺物は語っているようです。

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明日から『赤とんぼ』夏合宿2009

 明日から信州白馬村で『赤とんぼ』夏合宿が始まります。天気は良くないようですね。

 白馬村天気予報 佐野坂ライブカメラ

 過去記事 2008年度 夏合宿

 過去記事 2007年度 夏合宿(1) 夏合宿(2) 夏合宿(3) 夏合宿(4)

 過去記事 2006年度 夏合宿

 過去記事 2005年度 夏合宿(速報版)  夏合宿 夏合宿(事件簿) 夏合宿(続事件簿)

 今まで赤とんぼメンバーは健康そのものでしたが、ここにきて身体にガタが来た人が散見されるようになりました。やはり歳なんですかね。山小屋でのんびりして、酒でも飲めば皆さん元気が戻ると思います。

 昨日、持参する電動飛行機の整備をしていたが、充電器からバッテリーに接続するコネクターが見つからない。今日も家宅大捜査するが、無ければ電動機は諦めて、エンジン機だけにする積りです。天気が悪そうなので、フライトが出来るか判りませんね。スターターの電源である車用の大きなバッテリーが駄目になった。

 近所の日曜大工センターに行き、古いバッテリーを引き取って貰い、新しいバッテリーを購入した。3年位は持つのでしょうかね。私はエンジン始動時のスタータの電源としてこの重たいでかいバッテリーを利用しているが、ニッカド電池に切り替えてもいいかもしれない。10セル程度の束を二個、20セル程度使えばスタータの電源として大丈夫だと思う。

 夏合宿は栂池スキー場で行うので、山の上、少しでも天気が崩れると全くの霧の中、五里霧中という按配になります。翼にLEDでもつけて飛ばさないと駄目でしょうね。

 明日は朝6時半頃には、わこちゃん&かっちんが迎えに来てくれる予定です。今日はこれから、荷物を作ります。

  (オリーブは慌ただしく去る)

 日本に久しぶりに帰国していたオリーブは今回は師匠と一緒の帰国だったので、忙しく名古屋を拠点に東奔西走、慌ただしく駆け巡りどうやらメキシコへの帰路についたようだ。私と家内は9月4日からカリブ海に出かける予定ですが、カンクーンで会えるか未定ですね。

 (川合君が帰国した)

 FSOL時代にアメリカのシリコンバレーに駐在で行って貰った川合君が10年振り位だろうか、遂に帰国したようだ。現地では研究所にお世話になっていました。彼は東海岸の大学で原子力を学んだ人ですが、何を間違ったか3Kの職場のソフト業界に来てしまった。

 来週末に小島先輩と新横浜の居酒屋で歓迎会をする予定です。どんなに成長したか、楽しみですね。

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エリュトゥラー海案内記

山形真理子先生の講義で登場した『エリュトゥラー海案内記』に興味が湧きました。紀元後1世紀後半にギリシャ人商人により書かれた書物であり、地中海を出発し紅海を通過し、インド洋を渡りインド西海岸南部の商業地まで航海しています。エリュトゥラーとは(ερυθρα) ギリシャ語で赤という意味であり紅海を指しているそうですね。ウイキペデイアによると、古代に於いてはエリュトゥラー海とは紅海、アラビア海、ベンガル湾、インド洋を全て含む意味で使用されていたという。

 更に、ウイキメデイアによれば、当時のローマ帝国と南インドのサータヴァーハナ朝との季節風貿易が行われており、航海者の為に書かれたとも言う。そして、山形先生の話ではこの書物の最後の方でクリュセー島という島が登場するがこれはマレー半島を指すらしい。

 一方、中国側から観ると、山形先生の話では始皇帝の時代から始まった南下政策は前漢武帝の頃に盛んに南海貿易を開始している。このあたりの事情は前回の記事『甕棺墓の仲間たち』で記事にしましたね。『漢書』地理志末尾には中国南部、インドシナ半島東北部の海岸を出て、インド東海岸の黄支国へ至る航路の記録があるという。

 それによると往路は長い間水路を航行し、10日間陸路を行き、その後再び水路を取り黄支国に達するという。陸路とはマレー半島横断のルートであろうと考えられている。復路は最初から最後まで水路であり、マラッカ海峡を通過したと考えられている。

 (ローマから漢王朝へ)

 西洋と東洋で書かれた書物により紀元前後の頃にはベンガル湾で交差したローマと中国の交易ルートが存在した事を示しておりこれを『海のシルクロード』と呼ばれています。後漢の延憙九年(166年)、漢の日南郡(現在のフエ、ベトナム中部)にやって来た大秦王安敦とはローマ皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスだと考えられておりその使者がこのルートを利用して辿りついたという。

 1988年にNHKは海のシルクロードを12回に渡り特集を放映しましたね。

 海のシルクロード(NHK)

 ローマからはエジプトのカイロからナイル川を遡上し陸路で砂漠を越え紅海にでて南下してアラビア海に出るルートだったのですね。スエズ運河が無い頃の話です。

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甕棺墓の仲間たち

 皆さんは吉野ヶ里遺跡が発表された時に気がつかれていたと思いますが、大きな甕棺(かめかん)を二個使い埋葬された光景を覚えておられると思います。そして、首のない人や銅剣の先が刺さって折れた埋葬者に驚きましたね。時代は弥生の終わりの頃、倭国大乱と中国の史書に書かれた世界ではないでしょうか。2世紀後半あたりではないかと思います。 参考 吉野ヶ里甕棺墓

 甕棺といえば、NHKで放映中の『日本と朝鮮半島2000年』で朝鮮半島西南部の栄山江(ヨンサンガン)流域の墓から甕棺の墓制が見出せると報道していましたね。そして、ベトナムは中部のカムラン湾に面するホアジェム(Hoa Diem)遺跡からも見つかっているという。チャンパ王国が成立する前のサーフィン文化と呼ばれるベトナム中部に分布する鉄器時代の文化であり、日本の弥生時代とほぼ同じ時代だそうです。(山形真理子先生の講義による)

 山形先生の説明(サーフィン文化)

 山形真理子先生の説明資料より引用します

 ホアンジエム遺跡とはベトナム中部カインホア(Khanh Hoa)省カムラン(CamRanh)市に位置する遺跡。2007年1月に実施された越日共同発掘調査で第一発掘坑から14基の甕棺墓が検出。そのうち4基の甕棺が複数遺体を含む。

  参考 グーグルアース(ホアンジェム)「hoa_diem.kmz」をダウンロード

 ホアンジェム遺跡の土器は、南シナ海を越えたフィリピン中部のマスバテ島カラナイ洞穴出土土器と酷似している。カラナイは1950年代にハワイ大学のソルハイム教授により調査された。両遺跡は直線距離で1500キロ以上離れている。ソルハイムによれば、タイ南部のサムイ島でもカラナイに酷似した土器がが発見されている。今から2000年前にボートを操って大海を横切り行き来した人々の存在を暗示する。

 参考 グーグルアース(マスバテ島)

「masbate_island.kmz」をダウンロード

 参考 グーグルアース(サムイ島)

「samui_beach.kmz」をダウンロード

Photo_2  ベトナム中部のサーフィン文化はその後、中国の漢王朝の南方進出の影響を受ける。

 この頃のベトナムの歴史はベトナム駐在時代に記事を書きました。

 参考過去記事 南越雑記帳(2) 銅鐸の話

 南越雑記帳(5) 田園風景

 jo君のハノイ暮らし(南越か越南か)

 どうやらタイ、ベトナム、フィリピンあたりから南シナ海を北上し中国長江河口から更に北上し朝鮮半島の南部から九州にかけて甕棺墓を墓制とする海洋民族が紀元前から存在していたのは事実かもしれない。

 朝鮮半島西南部の栄山江(ヨンサンガン)流域に5世紀末から6世紀に突如前方後円墳が築かれるが、其れまでは甕棺墓であった。継体大王が磐井の軍と戦った歴史は九州の筑紫の豪族と朝鮮半島西南部栄山江流域の連合軍と戦った歴史なのかもしれない。これから朝鮮半島での考古学による発掘成果に期待したいと思います。

 さて、ベトナム中部のサーフィン文化は漢王朝により象林県日南郡として統治を受ける訳ですが、その後反乱が起こり林邑(りんゆう)という国が生まれます。4世紀頃からインドの影響を受けチャンパ王国へと発展する歴史を辿る訳ですね。

 チャンパ王国と言えば、平城京の時代の遣唐使、平群広成思い出しますね。過去記事 平城遷都1300年記念 平群広成の大冒険

 そして朱印船貿易の拠点で日本町があったフエのホイアンが日本の人々には馴染みであります。

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ETV特集 日本と朝鮮半島2000年

 今夜もありますね、第四回そして日本が生まれたです。

 ETV特集 第四回『そして日本が生まれた 白村江の敗戦から律令国家へ』

 NHK教育テレビが10回シリーズで放送している番組ですね。

 過去記事 栄山江(ヨンサンガン)流域の前方後円墳

 過去記事 ETV特集 第二回予告

 過去記事 ETV特集 第一回

 先日からNHK教育テレビでは深夜に再放送をしていましたね。昨夜も深夜に起きて観てしまいました。今回は白村江の戦いから律令国家成立の過程を追います。統一帝国『唐』と朝鮮半島と日本の関係ですね。

 先年、私も白馬江を訪れ百済最後の落下岩を観ました、千人と言われる百済の女性が身を投げた場所です。その河口は白村江(はくすきえ)であり、羅唐連合と天智天皇の水軍が戦った場所です。

 百済と高句麗は滅亡し多くの亡命した人々が日本列島に移住して来ました。彼らの中には朝鮮半島に住み着いた中国人も沢山いたでしょうね。彼らの上級の人々は近江朝廷やその後の天武朝で史人として取り立てられ、急激に漢字による記録が増え始めたという。律令制度の草案作りから日本書紀、万葉集、ありとあらゆる文章が彼らの尽力で書き留められ始まるのです。

 日本書紀や律令を誰が書き記したかまで、最近の研究で判り始めているのですね。

 過去記事 日本書紀を書いたのは誰か

 日本列島が統一的な国家として成立した背景には仏教と律令が二本柱だったと思います。今夜も是非、暇な人はNHK教育テレビを観ましょう。

 (閑話休題)

 yaaさんの宮都研究の前期授業が終わっての記事が面白いですよ。

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明日が最後の授業

 今年の4月から学び始めた考古学、明日が最後の講義日となりました。今日は朝からレポート作成で右手が疲れました。日頃文章は全てパソコンなので、鉛筆で文字を多量に書くのは随分と疲れる事を発見しました。

 昨晩は一眠りした深夜に息子が帰宅し、めが覚めたので起きるとNHKの教育テレビでは『朝鮮半島と日本』の番組の再放送をしていました。今夜も1時過ぎからやりますね、興味ある人はぜひ観て下さい。今日は任那の日本府の謎ですよ。

 韓国ではあまり注目されていなかった伽耶諸国とも加羅諸国とも言いますが洛東江流域の鉄の文明を持った幾つかの国の連合諸国であります。倭国とは非常に関係が深かった国であります。ヤマト王権の4世紀、5世紀、6世紀と極めて深い関係にあり彼の地からヤマトは鉄挺を輸入していた訳ですね。

 話は変わり、来週末は白馬村です。

 今日は赤とんぼの仲間同士のメールが飛び交いましたね。空撮に取り組む人が私を入れて4人になりました。空撮をする飛行機が4機同時に飛行すれば、飛行機同士の映像が撮れそうで面白いかも知れません。

 世の中には面白い事が多いのですね。早く来週末が来ないですかね。

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日本の文化財保護法と行政を学んで

 大学で初めて4ヶ月間、文化財行政学というものを短い期間であるが講義を受けた。文化財保護法というものを学んだのも初めてであり、日本の文化財保護の現状について学んだのも初めてでした。長く文化財保護の行政に携わってこられた和田勝彦先生の講義を受け日本の経済発展による開発事業と文化財保護の両立をしてゆくのか難しい歴史であったと理解しています。

 ともかく、私が学んだメモとして先ず、文化財保護の我が国のかたちを記録します。

はじめに

 文化財保護制度と行政について半年間学びました。文化財保護法は今まで学んだ事もありませんでしたので、改めて日本という国が文化財保護に真剣に取り組んでいる事を知りました。そして、その為に行政組織が国民とともに一緒に文化財を守り通して来た歴史を学んだ。

しかし、これは日本国民が最低限守らねばならない法律ではないだろうかと思っています。古来日本の先祖様が大事に守ってきた文化財は日本国民の心の財産であると考えています。古来、神社の杜や建物やお祭りは氏子たちが大事に守り、寺は檀家衆や地元の人々の信仰により守られてきました。

 経済発展の為や戦争や天変地異により、文化財が破壊されるのも歴史ではあるが、それでも必死に守ってきて頂き残ったのは、先祖様のお陰だと感謝しています。世界中の人々に尊敬される為にも日本の伝統ある文化財を大事に守り、且つ、又世界中の新しい文化・文明に触れて新しい独自の文化・文明を将来にわたり築くのが大事であると考えています。

1.   文化財の定義

  文化財とは日本列島に住む我々の祖先が、それぞれの時代に生き、活動してきた痕跡、結果・成果である歴史的・文化的遺産である。そして、同時に、人の活動の基盤となり密接に関係してきた国土の自然環境をも含めて文化財と定義する。法律的には文化財保護法により法制上これらの文化財は保護・活用が決められています。

 法律による文化財は「人の諸活動またはその諸活動の所産およびこれらと密接な関係にある自然の事物または事象であって、芸術上、歴史上、学術上等の観点から評価して価値の高いもの」となる。

 このように広範囲に文化財を捉える考えは諸外国に比較し稀な法体制となっている。日本列島の豊かな自然とともに生き、繊細で優しく独創的な文化を築いた先祖を誇りに思い未来に向かって守り、世界に人々に伝えねばならない。

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今日は皆既日食でした

 今日はレポートの追い込みで自宅でパソコンと格闘。しかし、10時半からNHKで皆既日食の中継番組をやるというので、楽しみにしていました。インドから中国の南西部から武漢を過ぎ上海を通過し日本のトカラ列島を通過し、硫黄島に移動する皆既日食。

 上海は生憎のどしゃ降りの雨でしたが、世の中が真っ暗になるのには驚愕しましたね。残念ながらトカラの悪石島は雨となり観測はできなかったようです。硫黄島と近くの船で観測している人々は完璧に皆既日食を体験できたようでした。

 船で皆既日食になると360度水平線が夕日が沈んだような光景になるんですね、月の影が及ばない円形の状態で光が射すのでそのような現象がみれるとか。幻想的な中継でした。

 確か、日本では昭和23年に礼文島で金環日食が観測出来たそうですよね。この前の礼文島紀行の時にバスの窓から記念碑を観た記憶があります。子供の頃、ガラスにロウソクの火を当ててススを付けて日食を観測した記憶が蘇りました。あれは、確か小学生の頃だったと思う。

 皆既日食というと、アマテラスさんの天の岩戸隠れの神話と卑弥呼さんの死を思い出しますね。参考過去記事 卑弥呼と日食 だけど、248年の日食は皆既日食のベルトは北陸方面から東海地方にかけてだったと、本に書いてありましたね。マキムクは完全な皆既日食ではなかったと思う。日の巫女にとり日食は霊力が無くなったと解釈されたんだろうか。

 古来、不吉な兆候とされたのでしょうね。こんな時期に衆議院は解散です、選挙で太陽は国民ですからね。どうなるんでしょうか。

 (昨日から魚ばかり食べている)

 メキシコから一時帰省しているオリーブが北海道の田舎からドッサリと魚を貰ってきたので、冷蔵庫は魚とホタテで満杯です。ホタテはバターと醤油で殻が付いた状態でオーブンで焼き、ヒラメやホッケはそのまま焼いて食べている。平目かカレーか判らんけど、滅茶美味いのに驚いた。こんなに美味い魚は初めての経験ですね。

 沢山冷蔵庫にあるので、今晩も明日も魚を食べないといけない状態です。

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夕張メロンが届いた

 昨日、北海道の娘夫婦から長男誕生祝いのお返しで夕張メロンが二個届いた。一日放置していると、随分と黄色くなり始め昨夜から冷蔵庫で2時間程度冷やし食べ始めた。前回の夕張メロンは熟し切っていたので、糖度は高かったようで、もう少し放置していた方が甘くなりそうです。食べ頃の見極めが難しいですね、あせるとアカンようです。

 オリーブがメキシコから帰省しているが、名古屋、北海道と飛び跳ね今日は京都に出かけてゆきました。ホンマ忙しいふうてん娘ですね。

 (大学で宴会があった)

 先日、考古学研究をされている先生方と宴会がありました。私は特にメソアメリカが専門でマヤ文明の発掘に従事されている先生とエジプト考古学の先生と楽しいお話が沢山出来ました。サソリに二回刺された話や、ジャングルや砂漠での発掘が如何に過酷であるか少しは理解出来た気がしましたね。命がけの研究なんですね。

 それに中米のある国ではクーデターが起こり世銀が融資を凍結したので、発掘が中断しているようです。本当に困難なんですね。民間からの支援金が無ければ発掘の継続は困難なようです。

 ベトナム考古学の専攻の女性の先生も楽しそうでしたね。ベトナム中部のサーフィン文明とチャンパ王国の専門家のようでうが、懐かしくてベトナム考古学にも興味が湧いております。ベトナム北部の文化・文明と中部は全く異なりますので、面白いですね。

 (赤とんぼ合宿が迫る)

 来週末からは白馬にて「赤とんぼ」の夏合宿が始まる予定です。飛行機は完璧に修理されているので何時でもフライト可能な状態にしてあります。先日、蓼科の古河さんの別荘で、「赤とんぼ 結成30周年記念」のビデオを上映しましたが、好評でした。

 今年は31周年記念になりますね、何時までも元気で飛行機を飛ばせるといいと願っております。

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蓼科山登山 総括

20097tateshina_126  今年の3月末に伊豆の踊り子歩道を走破し、次回の計画を議論して来ましたが、蓼科山に決まりました。私も経験の無い日本百名山なので、是非とも挑戦したいと考えていました。

 幸い、古河さんが別荘を提供して下さり、楽な合宿となりました。おまけに車まで出して頂き岩ちゃんとともにお世話になりました。小島さんは前日から蓼科でゴルフがあり登山前日の15日の夕方に別荘で合流となりました。

 不思議な事に三人は同じ頃に利尻、礼文島を奥さんと伴に旅行していましたが、それは小島さんが勧めたからです。私は大学生活最後の夏休みに夏合宿のアルプスでの山行を終えて高校時代の友人のワンゲルの親友と利尻富士とトムラウシの縦走の思い出がありましたので、家内を一度は利尻に連れて行こうと考えていた事も重なり利尻・礼文の旅は実現しました。

 合宿前日の早朝14日に小島さんから電話があり、重鎮が逝去されたという情報が入り、合宿は延期になるかと思いましたが、色んな事情があり午後には決行が決まりました。

 蓼科の古河さんの別荘は標高が1300メータはあるのでしょうか、涼しくて18度程度ではなかったでしょうかね。自炊で過ごした爺さんばかりの三日間は充実していました。下界では我儘な古河さんも自炊の山の生活となると意外と頑張る意外な面を発見しました。人間、自然の中に入ると持って生まれた素晴らしい何かが顔を出してくるのですね。

 小島さんは昨年はキリマンジャロを登頂された山男、大学時代は山岳部で鍛えられた人ですが最近は忙しい仕事の合間に母校の大学の山岳部の新人の訓練山行に付き合うという山への回帰があるようです。岩ちゃんも、奥さんと頻繁に山登りをされているようですね。

 古河さんも週に二回はゴルフをされているようなので、体力は大丈夫なようで、問題は私だけでした。しかし、山に入ると意外と昔の思い出を身体が覚えているのか、苦にならず山を歩けます、これは意外でしたね。30年以上前から会社の同僚として知りあう人と引退後も又、別の世界で楽しめるのは幸いであると感じています。

 昨年結成30周年を迎えた職場で出来たラジコンクラブの「赤とんぼ」も、職場も私生活も全て一緒だった当時の企業生活の姿を今に伝えている証ではないだろうか。最近は、仕事は仕事、私生活は別という考えが若者の世界では当たり前の世の中です。しかし、私が経験した会社生活もまんざら捨てたものではないと思っています。

 さて、次回の合宿の日程は決まりましたが、何処に行くかは来月のミーテングで決まると思います。山と温泉と宴会の三拍子が揃わないと合宿にはなりません。

20097tateshina_132

 ともかく、無事が全て、同じ頃に悲惨なトムラウシでの事故のニュースを聞きました。

 爺さん連中に無理は禁物、安全第一で山と温泉と宴会を楽しもうではありませんか。

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蓼科山登山  下山 将軍平→天祥寺原→大河原峠

 12時正午に昼食のおにぎりを食べたので下山するすることにした。ルートは登りのルートとは別のルートで大河原峠に帰還する事とする。天祥寺原経由である。将軍平から尾根道を取らず南の谷を下山するルートで、亀甲池・双子池に通じるルートです。

女子高生300人が登ってきます ところが、丁度女子高校1年生約300名が頂上目指して登る列に遭遇し、危険な岩場の下山路ですから彼女達が登り切るまで待ちました。地元の小学生5年の集団登山組も下山途中であり、子供たちと一緒に登る女子高生にエールを送り続けました。
将軍平への下りの岩場 蓼科山下山路の将軍平までの道は全て岩場であり、切り立つ断崖を下る必要があります。危険なルートではないでしょうか、慎重に下る必要があります。
将軍平から天祥寺原への下り とにかく、石だらけの道で河原の急な坂を下る感覚です。雨の日は絶対止めた方がいいですね、危険です。浮き石が多く、足を下ろす場所と石を決めるのに慎重に時間をかけて下山が必要。将軍平13時10分に出発し天祥寺原には15時着ですから、2時間も谷を下るのに時間がかかりました。
天祥寺原分岐に全員到着 登山では圧倒的に下山の時に事故が起こります、下りは危険なのですね。慎重に下りましょう。
蓼科山と鞍部の将軍平を望む 振りかえると、あの蓼科山山頂から3時間かけて下山してきた事になりますね。石だらけの蓼科山は登りも下りも難しい山なんですね。
天祥寺原 亀甲池・双子池分岐 天祥寺原に到着です、亀甲池・双子池へのルートと分岐しますが、我々は登山口の大河原峠まで笹が生い茂る山の麓を巻いて緩やかに登ります。
亀甲池・双子池方面 亀甲池・双子池方面を振りかえり望みます。あの山の向こう側が昨日出かけた坪庭がある場所となります。
烏帽子・白根山方面を望む 大河原峠登山口に到着しました、16時15分でしたから約8時間の登山でしたね。
大河原ヒュッテと前掛山 大河原ヒュッテもそろそろ夕闇が迫る頃になりましたね。今日は最高の登山でした。

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蓼科山登山  山頂360度の大パノラマ

 将軍平から急な岩場の道を1時間かけて登ります。これが厳しい最後の登りとなりました。10時45分に蓼科山山頂に到着しました。大河原峠から2時間15分もかかってしまいましたね。

蓼科山山頂から南八ガ岳と南アルプス 南八ガ岳連峰が左に赤岳を盟主として聳えています、右の山脈は南アルプスの北岳、甲斐駒ガ岳、仙丈岳という3千メータを越える名峰が聳えていますね。
南アルプス(仙丈、甲斐駒、北岳) 南アルプス、左から鳳凰山、北岳、甲斐駒ガ岳、右端が仙丈岳と見えますね。こんなに夏場なのにクリアーなのは奇跡に近いと思いますよ。見事な眺望です。
南八ガ岳連峰 南八ガ岳連峰です、左から硫黄岳、横岳、そしてトンガリ帽子の盟主・赤岳,
そして同じく三角帽子の弥陀岳、上の平らな権現岳、編笠を被ったような編笠山と続きます。
中央アルプスの峰々 中央アルプスの峰々です、木曾駒を盟主とする中央アルプスの連峰です。宝剣岳の大カールは印象深い思い出があります。学生時代に1年先輩の石岡さん、岡本さんとテントを担いで縦走しました。その石岡さんはその後若くして亡くなられました、思い出の山ですね。
乗鞍岳から穂高・槍連山に連なる 奥穂高から槍が岳に連なる北アルプスの連峰が見えますね。北アルプスでは一番人気のある山々ではないでしょうか。
荒船・妙義・浅間山・烏帽子岳方面 荒船・妙義・浅間山・烏帽子岳と連なる山々だと思います。しかし、見事な眺望ではないですか感動を覚えます。
白根から妙高・戸隠方面を望む 白根から妙高・戸隠方面の山々ではないかと思います。
霧ケ峰方面 霧が峰方面の山々ですね。少し低い山となります。
岩ちゃんやりましたね! 岩ちゃん良かったね。
古河さん初めての百名山登頂 古河さん、小島さん見事な天気に恵まれ良かったですね。古河さん、初めての百名山登山おめでとう御座います。
360度展望が出来る 展望を楽しむ三人の爺さんたち。満面の笑みが全てを物語っていますね。
荒船山、妙義山方面 荒船山・妙義山方面の山々が連なる。
奥穂高、涸沢岳、北穂高岳 奥穂高・涸沢・北穂高が連なる。
穂高の峰々 雲がかかっているのが槍ガ岳そして右に常念岳へと連なる北アルプス。
白樺湖 後は車山 その後ろは乗鞍岳 白樺湖が眼下、後は車山、背景の山々は乗鞍岳。
南八ガ岳連峰(盟主は赤岳) 南八ガ岳連峰です、いい写真が撮れました。(自画自賛)
20097tateshina_100 蓼科山山頂の方位盤から360度のパノラマを眺める爺さん三名。
 
20097tateshina_101
 日本百名山、蓼科山に登頂成功の瞬間です。
 全員の笑顔と青空と360度の何処までも見える眺望は大満足でしたね。
 さて、次回は何処の山を登っているでしょうか。
20097tateshina_105
 小島さん、装備が凄いですね、団体装備の医薬品や非常食や水2リットル、雨具、ありとあらゆる装備を担いで貰っています。
 昨年のキリマンジャロ登頂に比べれば、比較にならないでしょうが、素晴らしい蓼科山の今日の山頂でしたね。
 岩ちゃんは携帯電話で写真撮影して奥さんに報告でしょうか。
 さあ気をつけて細心の注意で下山しましょう。

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蓼科山登山 大河原峠→将軍平ルート

 二日目、朝6時起床、7時朝食。ベーコンエッグとトースト、サラダ、昨夜炊飯したご飯でおにぎりを作る。梅干しと昆布の二種類で一人二個のおにぎり。お茶は私はペットボトル二本に入れる。

大河原峠 登山ルート  (登山ルート)
 大河原峠→将軍平→蓼科山→将軍平→天祥寺原→大河原峠という山行を計画しました。
大河原峠 さあ出発朝8時20分 朝8時20分大河原峠を出発です。登山者記入カードがありますので、登山ルートと登山者名簿を記入しましょう。
大河原峠から見る浅間山 大河原峠から眺める浅間山方面の景色です、今日も昨日と同様快晴、ピーカンで稀にみる眺望がききますね、これは期待が持てそうです。
妙高・戸隠から白馬連山か 浅間山からもう少し北に目を移すと妙高・戸隠から後立山連峰の白馬あたりの山脈まで見えるのではないですか。これは期待が持てますよ。
大河原峠と前掛山 大河原峠のヒュッテをあとにして、先ず尾根に取りつく石だらけのガレ場の急勾配の道を登ります。これが厳しい登りです、足元が不安定で石だらけなので、不安定でしかも急勾配。
尾根に直登する道はガレの急斜面 そうですね、3ピッチかけて約1時間かけて尾根筋に取りつきました。標準工程の二倍かかりましたね。爺さん4人だからしょうがないです、あくまで慎重にのんびり登山です。
尾根筋を歩く 尾根筋にでると立ち枯れの木が多く、心配になりましたね。今、何処の山でもこのような光景が見られるのではないだろうか。何か、地球環境が狂い初めているような気持になります。
蓼科山が見えました 尾根筋から見る蓼科山です。遠方から眺めると優しいぽっちゃりした山ですが、実は中身は岩だらけの厳しい山である事が判りました、見かけで判断はいけませんね。
尾根筋から見える南アルプス甲斐駒 時折、木立の間から南アルプスの仙丈岳、甲斐駒ガ岳、北岳の3千メータの山々が見れます。
尾根筋には立ち枯れの丸太が 尾根道は立ち枯れの木か伐採された丸太が敷かれた道です。これが又、歩きにくいのですね。ともかく、この山は土が無い岩だけの山ですから、登山道は最悪ですね。
もうすぐ将軍平ですよ 赤谷分岐に到着です、あと一息で将軍平に到着するはずですね。
赤岳を盟主とする南八ガ岳連峰 南八ガ岳連峰が迫ります、赤岳を盟主とする南八ガ岳の雄姿ですよ。
浅間山・白根山方面を遠望  浅間山・白根方面の山々も実にくっきりと見えるではないですか、珍しいでしょうね。
将軍平と蓼科山 将軍平の高山植物群生地です。残念ながら、この時期はあまり咲いていませんでしたね。
将軍平 蓼科荘 9時50分到着 蓼科荘に到着です。9時50分ですから大河原峠から1時間30分かかりましたね。
20097tateshina_130  無事全員が到着しました。さあ此処まで来れば、頂上まではもうすぐですよ。七合目登山口からのルートは此処で合流しますね。大河原峠ルートとどちらが簡単でしょうか、標高差は七合目ルートの方が少し厳しいのではないでしょうか。4百メータ程度の標高差と思います。
夏の客に備えた荷物がヘリで到着 山小屋の庭にはヘリから降ろされた荷物が積まれていました。

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蓼科山登山 初日

2009年7月15日早朝in 横浜 2009年7月15日早朝5時、横浜の空です。朝焼けですね、今日は中央高速で諏訪南インターに向かい、蓼科高原に向かいます、快晴のようですよ。
 四ツ谷で朝7時に待ち合わせで、古河さんの車で岩ちゃんと私は乗せて貰いました。小島さんは昨夜から既に蓼科高原に入られており、今日は朝からゴルフをされている筈です。落ち合うのは夕方に現地です。
蓼科高原の神秘的な沼 蓼科高原で出会った神秘的な沼ですね、静寂の中で鏡のように周りの自然風景を映していました。
ピラタス蓼科ロープウエイ ロープウエイで標高2237メータの坪庭まで登りましょう。売店でおにぎりを購入しました。
坪庭と強風の空 坪庭は北横岳と縞枯山に連なる尾根の鞍部にあたり、溶岩ゴロゴロの特異な景観を示しています。高山植物が群生する場所でもあるようですね。
20097tateshina_009
 (坪庭から南アルプスを望む)
 風が強く風速10メータ以上でしょうか、気温は10度以下でしょうが、風の影響で体感温度はかなり低いですね。(この写真直後に長袖やウインドブレーカを着込む)
 南アルプスです、右から仙丈岳、甲斐駒、北岳という3千メータを越える峰々が手に取るように見えますね。
 こなんなに眺望が夏に開けるのは稀有でしょうね。ラッキーでしたが、寒くて寒くて大変です。
20097tateshina_008  南アルプスと中央アルプスの峰々を堪能して下さい。20097tateshina_010

 中央アルプスの眺めですね、学生時代に2度ばかり縦走した経験があります。

宝剣岳から空木岳に連なる比較的短い山脈ではないでしょうか。

 最近はケーブルがあるそうですね、学生時代には勿論そんなものは有りませんでした。

さて、北アルプスの眺めはどうでしょうか。

20097tateshina_015  北アルプスの眺めですね、雲が密集している辺りが穂高連山ではないでしょうか、そして槍から常念岳に連なる山々が見えますね。

 北アルプスの山脈が綺麗に眺められて本当に今日はラッキーですね。明日の蓼科山登山は最高ではないだろうか。

 今日は、無理をせずに散策程度にしておきましょう。

縞枯山荘にて 縞枯山荘に立ち寄り、おにぎりを食べる事にしました。昼食ですよ。質素な昼食ですが、山ではおにぎりが美味しい。
南八ガ岳連峰 南八ガ岳の峰々です、赤岳を主峰とするトンガリ頭の山々が連なりますね。これも昔、学生時代に縦走した経験があります。
伏水湿原植生 (御泉水自然園)
 ついでに、もう一つの蓼科牧場から利用出来るゴンドラに乗り、御泉水自然園に足を伸ばしました。
ハクサンシャクナゲ 今の季節はあまり高山植物に恵まれませんが、白山シャクナゲが咲いていましたね。
バーベキューパーテイ 夜は古河さんの山荘でBBQパーテイです、炭で火をおこし焼くのは古河さん、トウモロコシ、虹マスのホイル焼き、鮭のホイル焼き、ポテトのホイル焼き、鶏肉のホイル焼き、サラダ等々で宴会です。
炭で焼く 岩ちゃんも、焼き鶏を焼くのは得意です。岩岳の山小屋で実績があります。
虹マスのホイル焼き 虹マスのホイル焼き、塩胡椒、バターで味付けしました。
鮭のホイル焼き 鮭のホイル焼きです、玉ねぎをスライスして塩胡椒、バターで焼きました。
ジョージ意外と美味いよ! 以外に美味いと評判でしたね、料理人Joの株があがりましたよ。
カウンターに酒を並べて登山検討 明日は蓼科山登山です、慎重にルートを検討する三人、私はシェフなので、台所で忙しい。さて、明日はどうなるでしょうか、夜の9時には就寝しました。意外に真面目な爺さん4人組です。(笑)

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無事、蓼科山から帰還しました

20097tateshina_101  7月15日、16日、17日と二泊三日の蓼科山登山の合宿は無事終了しました。

最高の天気に恵まれ、日本百名山の蓼科山にも無事登山する事ができました。

 初日は軽く、ケーブルで坪庭を散策したり、又、ケーブルで自然植物園を散策し、あくる日の蓼科山登山に備えました。

 蓼科山は360度の展望が出来て南八ガ岳、南アルプス、中央アルプス、北アルプス、浅間山等々の日本の名峰が手に取るように眺める事が出来ました。こんなに展望がきくのは珍しいでしょうね。

20097tateshina_081  紀行文と写真を楽しみにして下さい。蓼科山は登山道が石ばかりでガレバを登る感じで大変気を使う登山となりました。

 朝8時20分に登り始め、夕方4時10分頃に下山出来ました。

 古河さんの別荘にお世話になり夜は爺さんばかりで、自炊の楽しい宴会でした。

 20097tateshina_071

 南八ガ岳と南アルプスの仙丈、甲斐駒、北岳の3千メータ峰が見えますね。

20097tateshina_072

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チェチェンイッツア遺跡

 大学の講義でマヤ文明の講義を受けている。スペインが入植した頃にはもはやその文化・文明は輝きを失っていた。しかし、メソアメリカを理解するにはマヤ文明を知らねば理解は出来ないと考えています。

 数年前にメキシコの最南端に位置するオアハカを訪れた、その時に訪れたサポテイカ人達の輝かしい歴史を目の当たりにした。参考 過去記事 オアハカ紀行

 ミトラ遺跡からヤグール遺跡、モンテアルバン遺跡、サンタマリア・アツオンパ遺跡と娘の案内と現地のメキシコ考古庁の責任者の案内で見学したのが忘れられない。

 マヤ文明を考えるには、一度はチェチェンイッツア遺跡を是非この目で見てみたいという願望がありました。

 チェチェンイッツアー(Chichen Itza)遺跡

 という訳で、9月に英国に出かける前に、カリブ海のカンクーンを拠点にこの遺跡を見学する為に出かける事にしました。

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自由が丘 金田

20097yokohama_022  2009年七夕の宴会です。自由が丘、山口瞳さんのお店、『金田』での宴会です。

 てっちゃんと九川さんは現役で、先輩の福永さんは今日はゴルフ場から駆け付けてくれました。

 楽しい宴会、満月の七夕の宴会でした。

 何時までも、元気で酒が飲める事を祈念します。

今日は、随分と飲みましたね!

関連記事 オホーツクの哲ちゃん

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今日は七夕 棚機(たなばた)

過去記事 七夕(たなばた)と、何で言うの

過去記事 七夕の故郷 交野

 今日は七夕さんですね、竹が無い北海道ではどうするんだろうか、と、孫が通う北広島の小学校が心配ですね。竹の豊富な石清水八幡宮あたりの小学校か、私の通った招堤村の殿二小学校から贈って貰えるといいのですがね。

 枚方市駅からは、今日は京阪電車が織姫・彦星の特別列車を出しているんでしょうか、気になります。

 交野という場所は歴史が古いです、神武さんより早く物部氏の祖と言われるニギハヤヒさんが降臨された場所ですからね。

 参考過去記事 磐船神社 ニギハヤヒ降臨伝承地

 横浜では幸い今日の夜は雨が大丈夫のようです。私は、今夜、織姫に会うのではなくオホーツクの哲ちゃんや、福永先輩や、九川くんと自由が丘で宴会です。(笑)

 (東京都議選が始まる)

 静岡県知事選挙も終わり、東京都都議選挙が始まった。地下鉄西早稲田から戸山キャンパスに通う通学路に二か所候補者のポスターが掲示されていた。一見不思議に思ったのは自民党の人がいないと思われた。しかし、詳細にポスターを眺めてゆくと、自民党の都連推薦という小さな字で書かれた人がいました。

 私は神奈川県民ですから、都議会選挙の資格はありません。しかし、都税が5兆円近く入る自治体ですから日本に与える影響は絶大ですよね。さて、どうなるんでしょうね。

 情報通信網の発達とりわけ、インターネットの普及で世の中は激変しましたね。オバマさんはインターネットを使い、支持する人々とネットワークを構成し刻々と彼らと情報交換を行っている。彼が大統領になれたのも、インターネットを利用した個人献金のお陰です。通信網の発達していなかった頃に作り上げられた国の統治のやり方や、国民の意見を吸い上げる方法や何もかも、見直す時期が来ているように思う。

 道端に金をかけてポスターを貼ったり、宣伝カーで遊説したり、駅や盛り場で立会い演説を行うとか、冠婚葬祭で顔を出すとか、親の地盤を引き継ぐとか、何もかも、インターネット時代に即した国のかたちを考えたらどうだろうかと思う。

 代議員を選び、彼に自分の考えを、たくす間接民主主義から直接に国民が政治に関与できる直接民主主義が出来るインフラが出来つつあるのではないだろうか。オバマさんの登場の時に強くそんな事を考えていたが、21世紀の国のかたちの片鱗を見たように思った。

 例えば法案を作るプロセスに於いても、従来のように特殊技能を持つ官僚機構が作るのではなく、もっと違う法案の作り方が可能ではないだろうか。オバマさんはネットワークを使い支持母体が中心になり、沢山の法案の原案を作成していると聞く。巨大な官僚機構を持つ事は本当にこれからも必要なんでしょうかね。

 未知の領域に入る訳だから、トライしながら修正しながら新しい国のかたちを創造していく時代に突入している気がする。既にアメリカはその方向に踏み入れているのではないでしょうかね。国民はテレビを観る時間より、パソコンを観る時間の方が圧倒的に多くなったのは事実です。

 今やニュースもマスメデイア経由ではなくて、インターネットで個人が発信する情報の方が新しく、新鮮で面白い、しかし、信ぴょう性が乏しい欠点はあるが沢山の情報の中から何が真実かを見極めるのは個人の責任だと思うし、情報は沢山ある方が良い。

 

 

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利尻・礼文島紀行 礼文島編(2)

 参考 礼文島観光地図

 参考 マイフォト 礼文島紀行

 参考 マイフォト 礼文島花図鑑

 地図を見て頂ければ判りますが、蟹の爪の形状をした島で、北にハサミを向け先端はスコトン岬、トド島であり日本最北端となります。島の西側は断崖絶壁が続いており、道は東海岸に限られております。

 人気のある観光地は南の香深港を中心に桃岩付近の高山植物の群生地と北部の久種湖からスコトン岬にかけての高山植物群生地ではないでしょうか。ゆっくり出来る人はスコトン岬から礼文島を縦断する(約20キロ)ハイキングルートがあります、8時間コースと呼ばれていますが、8時間では無理でしょうね。常に、海に浮かぶ利尻富士を眺める事ができるそうですよ。高山植物が咲き乱れる丘の道を歩くのも気分がよいでしょうね。

 (桃岩付近、猫岩、天然記念物群生)

桃岩 私は礼文島の現地の定期観光バスを予約しておりました。『礼文Aコース』デ朝早くから午後の稚内に向かうフェリーの時間に合わせて全島を観光出来るコースです。現地の観光バスは小さなバスで桃岩の頂上までくねくねと登れます。大手のツアー会社は稚内から大型のバスで乗り入れますから、山の上まで道が狭くて登れません、足が不自由な老人には是非、現地の観光バスをお勧めします。

 

桃岩付近の野生植物(天然記念物)桃岩は香深港からバスで20分もかからずにに到着出来ます。私は前日、宿から歩いて林間コースに挑戦しましたから、桃岩は遠方から眺めていました。本当に名前の通りの桃のような岩山が聳えています、そして礼文島の固有の天然記念物の高山植物の群生地を抱えておりました。

 

猫岩(後ろ向いて座ってます)猫岩の近くの海岸まで降りると、大昔若い頃に礼文島に来られた人ならユースホステルで宿泊された方も多いと思います、今も健全に佇んでいますが、裏手には巨岩が落ちてきて危うく建物の近くで停止したんですね、その様子が伺えます。

 (レブンアツモリソウの群生地)

 

レブンアツモリソウもう時期は終わっているのですが、幸いにも数株のアツモリ草が咲いていました。少し、くたびれていましたが、見る事が出来感動しました。
 (スカイ岬)
 
20096rishirirebun_314スコトン岬に行く手前の西海岸にスカイ岬という植物群生地と美しい海岸線が見れる場所があります。岬から眺める礼文島の西海岸の断崖と遥か日本海は素晴らしい景色ですね。

 (スコトン岬)

20096rishirirebun_366日本の最北端です、目の前にトド島があり遥か樺太に連なっております。間宮林蔵はここから更に北上し樺太が島である事を発見したのですね。かの大戦で敗れマッカーサーはロシアとの協議でここで線引きを行い、日本は樺太を失いました。

 ここから、礼文島を縦断してハイキングするコースがあるようです、20キロ以上あるでしょうね、数日間滞在できるなら、是非、歩いてみたいと思います。花が咲き乱れる丘を海に浮かぶ利尻島を眺めながら歩くのは健康にも良いし、気分が爽快になると思います。

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横浜開港150年

 横浜開港150年だそうで、横浜ではイベントが4月から開催されています。

参考 横浜開港150年イベント

20097yokohama_018  フランスから船に乗って運ばれた、巨大なクモ・マシーンのラ・マシーンです。

フランスから招かれた、劇団だそうですよ。時折、蒸気をお尻とか口から勢いよく噴出していました。

 クモは昆虫ではないのですね、足が8本あるんです。知ってましたか?

 横浜、象の鼻公園のイベント会場で動いていました。これが、8本足で歩けば、ラジコンとして素晴らしいけど、クレーンで胴体は支えられているんですね。

20097yokohama_016 20097yokohama_021  今日はパスポートが切れてしまったので、新たに申請に出かけたついでに立ち寄りました。

象の鼻公園は最近出来たのですね、赤レンガの倉庫群の近くにできています。

20097yokohama_001  象の鼻とは明治の頃の埠頭ですね、意外に小さな埠頭でした。船は沖に停泊し小舟で荷物を陸揚げしたんですね。その後、大桟橋が出来たそうです。以外と最初は横浜港は小さな港で、神戸港に比較すると小規模だったのです。

20097yokohama_002 20097yokohama_003  しかし、横浜港は何時来ても何処かエキゾチックで美しい街で気に入っています。大倉山の駅から1本の電車で15分程度で到着出来ます。

20097yokohama_019  住めば都といいますよね、もう40年近く住んでしまいました。終の棲家となりそうです。

20097yokohama_004 20097yokohama_005 20097yokohama_006  赤レンガの倉庫群は今は、お洒落な店が入り、人気があるようです。

20097yokohama_009 20097yokohama_010  皆様も是非、9月末まで開港150周年イベントが開催されていますので、お出かけください。

そして、ユーミンのソーダ水の中から見えるお店『ドルフィン』で休憩されては如何でしょうか。20097yokohama_007

 海を見ていた午後20097yokohama_008

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蓼科山合宿近づく

 昨年より始まった平均年齢64~5歳の4名による山歩き合宿は今度、三回目を迎える。挑戦するは日本百名山の蓼科山であります。7月15日、16日、17日の二泊三日の予定であります。

 先日、打ち合わせの宴会があり詳細について話し合いがなされました。メンバーのうち三人は偶然に先日の利尻・礼文紀行で同じ時期に彼の地を夫婦で訪問していたのです。不思議な事もあるものですね、これで、4名とも利尻・礼文には出かけた事になります。

 学生時代には南八ケ岳に登った事がありますが、北八カ岳の蓼科山は初めての経験になります。最近は随分と山の上まで道路が出来たり、ケーブルカーもあるようで簡単に登れるようです。一応、大河原峠から山頂を目指し、滝の湯川に下山し再度、大河原峠に戻る8時間程度のコースを考えています。

 今回はベースとなるのが蓼科のこまくさ平にある別荘なので、自炊となりますね。初日は鍋で二日目はバーべキューを予定しています。日ごろ鍛えた赤とんぼ合宿の成果が発揮できるかも知れません。日頃、美味しいものばかり食べてる人が多いので、たまには粗食も健康にはいいのではないかと思います。

 さて、どうなるか爺さんばかりの山登り、結果を期待しておいて下さい。

 (娘がメキシコから帰省する予定)

 久しぶりに、娘がメキシコから7月15日の頃に帰省してくるそうだ。妹の赤ちゃんを見るのが楽しみだと言っている。メキシコはオアハカの大学で学んでいるが、夏休みだそうだ。

 私の書斎も大掃除をしないと、いけませんね。多分、赤ちゃんを見に、北海道に行くのでしょうね。忙しい娘だから、帰省すると昔の仲間に会うので東奔西走すると思います。

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文化財の保存と活用 あれこれ(2)

        文化財の保存と活用 あれこれ(2)

 1. 文化財の捉え方

       日本国民の財産である文化財には、東アジアとりわけ、歴史上関係の深い中国・韓国の文化・文明の影響を受けたものが数多く存在する。そういう意味で、国民の財産としての日本の文化財は東アジアの人々との共有の文化財でもある訳です。

       文化・文明というのは異なる文化・文明が衝突するところで新しいものが生まれると理解している。日本に存在する文化財の多くは過去も、今後も海外の異質な文化・文明と出会う事で世界的に新しいものを、我々の祖先は生み出してきた。

       日本人は新しい海外の文化・文明と遭遇すると物まねではなく、そこに新しい文化・文明を創造した事を誇りに感じています。例えば、古墳時代には中国の神仙思想を受け入れながら、新しい縄文時代から続くアニミズムの上に古神道を創造したし、漢字との遭遇からは、やまと言葉を表現できる『かな』や『カタカナ』を発明し漢字と混用する事で、日本語の独自体系を創造し、日本の素晴らしい文化・文明を創造した。

       一方、現在の時代と今後の日本の行く末を考えると経済的にも政治的にもアジアとの友好な関係を今まで以上に樹立しなければ日本の豊かな未来はない。その時に、我々の先祖が残してくれた、中国・朝鮮半島そしてアジアの諸国の文化・文明と出会い日本独自の世界に誇る文化財を作り上げた歴史はアジアの人々とのこれからの、交流に於いて重要な相互に理解し合える貴重な共通の媒介物としての役割を持つと考えている。これが、文化財の活用の一つの方向ではないでしょうか。

       そこで、私が提案したい文化財の保存と活用について幾つかをご紹介します。

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