先輩の小島さんが数年前に利尻・礼文島に行かれ礼文島の高山植物の美しさを絶賛された、彼はそのあと利尻富士登山をされたが、私もぜひ一度礼文島の花を愛でたいと考えていました。利尻島は大学4年の卒業の年の夏に寝屋川高校時代からの友人と二人で登山した経験があるが、礼文は未踏でした。
40年前の利尻富士登山紀行
今回は家内と一緒なので、利尻富士登山は諦め、半日程度の観光だけにとどめ、礼文島でゆっくりと宿泊をして花を愛でる旅にしました。札幌を深夜11時に夜行バスに乗り稚内港を朝5時半に到着し、6時半の稚内発、利尻島行きフェリーに乗船した。
マイフォト 利尻・礼文島紀行 利尻島編

稚内港を離れる光景です。フェリー乗り場で朝食の弁当を購入し待合室で食べる。続々と団体の観光客が集まり始めた。赤とんぼの岩ちゃん御夫婦が稚内のホテルに宿泊されている筈で彼らは今日フェリーで礼文島に移動する筈だが、観光客が多くて見つける事は出来ませんでした。
1時間40分の行程で我々は利尻島の鴛泊港に到着です。予め稚内のフェリー乗り場で利尻島の宗谷定期観光バスのチケットを購入しておきましょう。
利尻C観光ルート 大自然利尻めぐり 8時20分発~12時50分 3900円の観光バスです。これで、午後1時過ぎの礼文島へのフェリーと接続していますので、安心です。


観光ルートは利尻島北端東にある港から島を時計まわりで一周し、最後に利尻富士5合目の展望台まで連れていってくれます。40年前は港から登り始め甘露泉水経由でテントを担ぎ野営しながら登りました。今回は、天気はいいのですが、山にはガスがかかり全く利尻富士が見えない観光となりました。

利尻東南の鬼脇という場所にある利尻島郷土資料館を訪問した。鬼がつく場所には興味が湧きますね。日本各地には地元の教育委員会がこのような郷土資料館を建設していますね。縄文文化やサハリンとの深い交易の関係が存在したのでしょうね。

利尻島のジオラマです、郷土資料館の説明では20万年前頃から火山活動が始まり、5万年前頃には1800(現在は標高1721メータ)メータクラスの今の
利尻富士が形成されたそうです。最後の噴火は8千年前だそうで、それ以降は火山活動が終息したらしい。縄文前期の頃でしょうか、三内丸山遺跡は5500年前から4000年前の遺跡ですから随分と古い時代に火山活動は終息したのだ。ガイドさんの説明では那須火山帯に属するそうですが、礼文島は全く異なる隆起による創生だそうですよ。


資料館の裏庭には利尻島を代表する高山植物の花壇があります、私のように花音痴には有りがたい、殆どすべての花に名札が付いていましたので、勉強になりました。利尻の高山植物に興味のある人はマイフォトを眺めて下さい。可憐な花々が咲き誇っていましたよ。

島の東南にあるオタトマリ沼です。この沼には本来は美しい利尻富士が姿を映すのですが、残念ガスで見えませんでした。1周しましたが、20分程度で沼を周遊できます。
ウミネコのコロニーです。現地の人々は大層、生活被害を受けているいるそうですよ。猛烈な勢いで増殖しているそうです。海産物の被害が大変だそうです。
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