卑弥呼考
この頃、皆既日食ツアーというのが話題です。7月22日にトカラ・奄美大島・中国のベルト地帯で観測できるという。行かれる人はハブに気をつけましょう。皆既日食というと、古代史ファンにはアマテラスさんの岩戸隠れの神話や卑弥呼さんの死亡の事件を思い出します。昔、東大の教授で国立天文台の斉藤国治という著名な天文学者がおられたようで、彼が『古代天文』『星の古記録』『飛鳥時代の天文学』等々古代の歴史と天文学の関わりについて多くの書物を残されたようです。
一度、じっくり暇なときに図書館で読んでみたいと思います。問題は247年3月24日と248年9月5日の皆既日食であります。卑弥呼はんが死亡した時期であります。これは偶然なのか、卑弥呼の霊力が衰えた結果殺されたのか、歴史の謎として残されています。
話は脱線するが、昨夜、昔Townsのアプリケーションやその後パソコンのコンテンツを開発していた仲間の落合さん、奥野さん、松元さん、松本よっしーさん等々と宴会がありました。当時、北海道のダットジャパンの竹田さんがTownsで天文シュミレーションのソフト『Hyper Planet』を制作して下さいましたね。今でも、販売されているようですよ。
自分が生まれた日時と場所を指定すれば、プラネタリウムのように星座の動きをシュミレーションしてくれます。学校での教材としても優れたソフトだったと思いますね。ふうてん老人とも一緒に竹田さんと札幌で飲みましたね。夢がありました。
ところで、卑弥呼はんのお話です。最近、歴博のグループの炭素14測定での箸墓が240年から260年という研究結果の発表で世間は騒がしいです。今日は日本書紀でこの墓に埋葬されたというヤマトトトビモモソヒメ(倭迹迹日百襲媛命)という妙な名前の巫女さんについての謎であります。
この名前については色んな説がありますが、第五回三輪山セミナーで講演された千葉大学の三浦佑之さんは、トトビ(10×10)モモ(100)と解釈されていましたね。ソ(襲)はこれでいいんでしょうかね。訳が判らんので、広辞苑で百を引いてみると、数の名。10の10倍と書いてあり、多くのもの、種々のものとあります。古代より10の十倍で100という言い方をしていた可能性がありますね。
ソは襲と考えると古代の大隅国贈於郡、大隅隼人となります。熊襲とは、球磨(肥後国球磨郡)の人々と襲(大隅隼人)を合わせて熊襲と呼んでいたと思います。とすれば、多くの大隅隼人の部族を束ねた襲の、お姫さんとなりますね。天孫族になるのではないでしょうか、高千穂に降臨した神武さんのルーツに連なるお姫さんとなります。
そこで、日本書紀では崇神天皇の時代の国内最大の内戦と呼ばれた崇神と山背の武埴安(たけはにやす)&吾田媛(あたひめ)との戦争事件です。
参考過去記事 木津川流域 隠された王朝
参考過去記事 桜井茶臼山古墳と纏向遺跡紀行(3)箸墓古墳
吾田隼人(阿多)とは薩摩半島南西部に住む隼人であり、海幸彦の母のコノハナサクヤヒメは吾田隼人の女神として祀られている。この最大の内戦を予知したのは巫女のヤマトトトビモモソヒメであり崇神軍勝利に導いたと紀は記録する。これは邪馬台国と狗奴国との戦争を語っているのではないかと、考えられますね。
考古学的に考えると山背の木津川流域にある3世紀の椿井大塚山古墳からは32面の三角縁神獣鏡が出土していますね。歴博の炭素14年代測定グループに是非、この古墳の築造年代を鑑定して欲しいと思います。現在の常識では3世紀末という考えですが、中葉および前期になれば武埴安の墓である可能性が高まります。
卑弥呼さんはMuBlogのMu説では日の巫女という考えでありますが、日向(ひむか)の巫女さんと呼ばれていた可能性もありますね。お互い当時に生きていた訳ではないので、真実は闇の中です。しかし、卑弥呼はんを高霊(大伽耶)の王の娘とか鹿児島の娘さんとか言いたい放題でしまいに怒られますね。
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