三輪山と日本古代史「その1」
橿考研で1971年から纏向遺跡の発掘に尽力された石野博信先生の掲題、学生社から出版された彼の考えをご紹介します。長く纏向で地道な発掘を続けていると、考古学者というのは古代の人々の気持ちに接近する事が出来るのではないでしょうか。現代人の頭だけで考える領域は狭い、古代の雰囲気と風を現場では何故か感じる事が出来ると思います。それが、考古学と文献歴史学の差ではないだろうか。
彼が大和高田黒石10号墓を発掘している時に、ふと三輪山と二上山の美しい姿に気がついたという。日が昇る三輪山、夕日が沈む二上山の姿であります。この二つの山を直線で結ぶと線上に黒石10号墓が位置する事が判ったという。地図を見てみましょう、黒石10号墓は馬見古墳群の南群の築山古墳あたりではないだろうか。
過去記事 石上神宮と出雲
石野さんの話ではカメラマンの小川光三さんは「大和の原像」で著名でありますが、多神社から9月23日秋分の日の日の出が見事に三輪山の右手から昇る事を教えて貰ったという。多氏(おおし)というと、『古事記』を編纂した太安万呂を輩出した名門氏族であります。
三輪山から二上山に太陽が昇り沈む話は、有名でこのラインを延長すると東は長谷寺から伊勢神宮に連なり、西は日置神社に連なる聖なるライン(レイライン)として過去NHKのテレビ番組でも、京都のMuBlogの旦那さんも何回も記事にされていましたね。
(纏向の聖なる正三角形)
写真を見て頂ければ判りますが、三輪山を東に冬至の太陽のラインに石見の鏡神社、夏至のラインに神武天皇陵があり、綺麗な正三角形をしている。そして、中央に春分、秋分ライン上に多神社が存在します。角度60度でこの三角形は正三角形となりますね。
元、桜井市教育委員会の萩原儀征さんの話では纏向石塚古墳の前方部の方向に三輪山があり、三輪山祭祀を強く意識した古墳であると述べているそうです。この話はMuBlogでも何回も紹介されていり、刈谷さんの説も紹介されていましたね。
三輪山と二上山の美しい姿を長年魅せられて撮影されてるカメラマンの人は古代の人々の心に迫る真実を見つけてくれのかも知れませんね。奈良のほかもどりさんが好きなカメラマン入江泰吉さんは、大神神社の西の慶田寺の西側の三輪山の麓から見る二上山が綺麗に見えると話されているそうだ。
参考 ほかもどりさん(早春の二上山) 大美和の杜展望台からの二上山
(考古学から見た三輪山と二上山)
三輪山は出雲の神である大物主(大国主)さんを神とするが、本体は白蛇とされていますね。この蛇信仰は縄文時代まで遡るそうです。橿考研の池田源太先生の話では縄文土器のくちに蛇の頭が乗る土器が長野や新潟なのでも出土し、5~6千年前の土器のデザインとして確認されるという。カンボジアのアンコール遺跡では巨大な蛇「ナーガ」で有名ですよね。
過去記事 アンコール遺跡(ナーガ)
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Comments
Joさん
コメントするいとまもなく重厚な記事を出されますね。一応読んではいますが、なにかコメントしようとすると、次が出ているので、息切れします。
ただ、5月中、半病人みたいなものだったので、良しとしましょう(笑)。
三輪や二上や、これでもかこれでもかと記されるので、あのあたりに家でも構えて朝な夕なに青山、聖なる山を拝まないとなりません。
じっくりと、話を聞かせてください。再見、継体天皇今城塚古墳で。
Posted by: Mu | 2009.06.08 09:41 PM
Muの旦那はん 今晩わ
今まで宴会でして、先ほど帰還しました。お身体の按配は如何でしょうか。無理せずに、梅雨を乗り切りましょう。
今度の探検は今城塚古墳ですね。Muの旦那の故郷の大王ですね。継体天皇は私のライフワークですし、Muの旦那にとっても大事な大王ですよね。
今後、帰省する時は是非宜しくご案内お頼み申し上げます。人生、おもろいね。
Posted by: jo | 2009.06.08 11:30 PM