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古墳出現の炭素14年代(日本考古学協会研究発表会) 感想

 承前 箸墓古墳築造時期は卑弥呼の死亡時期と同じ

 

 531日(日曜日)早稲田大学15号館3階にて日本考古学協会主催の研究発表会がありました。

  参考 日本考古学協会研究発表会アジェンダ

  私は前日に朝日新聞朝刊にセンセーショナルな記事が掲載された、箸墓古墳築造時期が西暦240年から260年であるという歴博(国立歴史民俗博物館)の研究グループの発表に衝撃を受けており是非とも、歴史的瞬間に立ち会いたいとの思いで研究発表会を聞きに出かけた。

  当日の午後は突然に夕立ちのような豪雨が降り始め、地下鉄西早稲田の駅から早稲田キャンパスの北門に着くまでに、傘はさしているが関係なくビショビショに濡れてしまった。

  (発表会)

  午後420分から45分ですから25分という短い時間しか有りません。

 発表者は春成秀爾・小林謙一さんでした。

  http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/ichiran/harunari.html

  http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/ichiran/kobayashi.html

 研究メンバーはこの二人以外に

坂本 稔・今村峯雄・尾嵜大真・藤尾慎一郎・西本豊弘という研究メンバー

で構成されている。

http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/ichiran/sakamoto.html

http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/ichiran/imamura.html

http://kaken.nii.ac.jp/en/r/20399265

http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/ichiran/fujio.html

http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/ichiran/nishimoto.html

論文の主旨が『古墳出現の炭素14年代』だからでしょうか、論文執筆のメンバーに箸墓・纏向古墳群を扱うにしては橿考研や奈文研や関西の考古学の伝統大学関係者が名前を連ねていないのが奇異に感じた。

勿論、今回の調査で必要な原資料の提供や協力は関西の研究者がされた事が論文にも記載され、説明でもされていた。

 詳細なメモは別途、論文を読んで記録する事にしますが、当日の発表の

 概観についてメモを記録します。

     炭素14年代測定を補正する較正年代は日本産の樹木の遺体から紀元前240年から

紀元後395まで基礎データは確保している。日本固有の較正年代曲線を確保した。

     箸墓、纏向石塚古墳、纏向矢塚古墳、纏向東田大塚古墳の年代測定が考古学的に

可能な遺物資料を関係研究機関より提供を受け測定を実施した。

     測定対象資料は89点を使用しそのうち72点は纏向遺跡に関係する資料である。

     纏向遺跡に於ける従来の土器形態による分類体系と今回の炭素14年代測定結果

に齟齬が無いかも確認した。

     結論は箸墓は西暦240年から260年の期間に建造されたと結論に達した。

  魏志倭人伝の記述が正しいとすれば、西暦247年に死亡し大きな塚を作った

  という記述の邪馬台国の女王 卑弥呼の墓は箸墓であると考えられる。

概略以上のような報告だったと思います。AMS法による炭素14年代測定と年輪年代法による樹木遺体の炭素14測定で較正年代曲線で補正した年代測定の確度が正しいとすれば今回の発表は明治から続いた邪馬台国問題や卑弥呼の陵墓の論争に終止符を打つ画期的発表になる。

しかし、私の印象ではこれから学会に於いて多くの研究者を巻き込み、検証作業が始まるという印象を受けた。歴史的発表にも関わらず、彼らに与えられた発表時間は25分である。質問時間も数名が質問できただけである。

これから、本格的な批判と論争が始まると思いますね。

子供の頃から憧れていた邪馬台国の女王卑弥呼さんが三輪山の麓の秀麗な

巨大前方後円墳に落ち着くのが個人的には安堵を覚えました。

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