栄山江(ヨンサンガン)流域の前方後円墳13基
承前 韓国の遺跡発掘情報 感想
以前の朴天秀氏の関連記事で、韓国に於ける前方後円墳に関して、以下、韓国南西部について記録メモをとりましたね。
・霊岩郡(ヨンアム)チャラボン古墳、咸平(ハムピョン)郡、新徳(シンドク)古墳も前方後円墳である事が判明し発掘された。
そして、光州市(クワンジュ)、明花洞(ミョンホワドン)古墳、月桂洞(ウオルゲドン)古墳も前方後円墳として発掘。
韓半島南部の前方後円墳は栄山江(ヨンサンガン)流域を中心に13基も発掘された。
今回のNHKの番組『日本と朝鮮半島2000年 第二回』に於いてもこの韓半島南西部の栄山江(ヨンサンガン)流域の13基の5世紀から6世紀の前方後円墳に触れていました。
どうも楽浪郡・馬韓・弁韓・辰韓時代から楽浪郡が滅び高句麗・百済・新羅の三国時代に朝鮮半島の政治地図が塗り替わった考えられる常識に誤りがあるのかも知れませんね。洛東江流域の伽耶・加羅諸国と百済の国に統一されたとされた、半島南西部の栄山江流域を中心とする地域から半島南部の地域は馬韓のまま残存していた可能性があるのではないか、5世紀、6世紀でも古代馬韓の人々が倭と連携して残存していた可能性があるという仮説です。
栄山江流域の前方後円墳の被葬者は誰かという疑問に対して、現在、韓国・日本の古代史研究者、考古学研究者は発掘成果を元に研究が始まっている。北九州の甕棺と同じような墓制が発掘されていたり、この地域の独特の土器類、例えば鳥足紋土器が九州や列島からも出土する事実から栄山江流域の残存馬韓集団は倭と深い関係を持ちながら百済や伽耶や高句麗と対峙していた可能性がでてきました。
この辺りの土器の研究や列島との考古遺物からの研究は進み始めたようです。参考までに白井克也先生の論文を紹介しておきます。
先生の論文で以下記述されている内容は実に興味深いと驚いています。以下、白井克也先生論文から引用:
現在の全羅南道・栄山江流域は、原三国時代には馬韓の領域であったが、4世紀以降は百済の領域となったと考えられてきた。近年、この地域の墓制や遺物の独自性を評価し、全羅南道地域の百済への服属を5世紀末ごろと捉え、それ以前は成人甕棺葬などを特徴とする独自の勢力が存在したと考えられるようになってきた。原三国時代の馬韓の流れを汲むもの、あるいは『宋書』にいう「慕韓」に比定されることもある〔東1995〕。それらは北方から百済に圧迫されて領域を南に狭めつつも、5世紀末ごろまでは独自の古墳文化(大型成人甕棺など)を維持していた。前方後円形の古墳〔岡内(編)1996〕や埴輪類似の円筒形土器〔小栗1997〕が存在するほか、栄山江式石室が九州の横穴式石室に類似すること〔林永珍1997:50-51〕、この地域の陶質土器が須恵器の器形に影響を与えていることなど、日本との関わりは深い。栄山江流域の土器についても、百済土器ではなく独自の土器文化として捉えられる。独自の項目を立てるゆえんである。(日本出土の朝鮮半島土器 (3)馬韓土器ー両耳付壺・鋸歯文土器・有孔広口小壺・鳥足文叩き土器 より引用)
4世紀の頃に高句麗が南下を始め特に広開土王の頃には高句麗が国土を拡大し南朝鮮半島の国々に侵攻が始まった。倭国は洛東江流域の鉄資源を守る為に幾度となく、かの地の人々から要請されて出兵し高句麗と戦ったのは史実だと思う。広開土王碑文はその歴史事実を記録されたものでしょうね。
百済が出来たのは高句麗と同じ扶余民族であり、在来の土着の馬韓の人々ではない。南朝鮮半島西部の北部は百済となっつたのでしょうが、5世紀の頃はまだ栄山江流域は百済の主権が及んでいなかったのかも知れない。馬韓末裔達は倭と深い関係を結び生き延びた可能性がありますね。
河内王朝最後の武列大王から、継体大王、安閑・宣化大王、欽明大王にかけての記紀は朝鮮半島の政治情勢ばかりが目立つ記述でありますね。如何に、倭国は激動する朝鮮半島と中国の政治変動に巻き込まれていたかが判ります。大伴金村が任那4県を百済の要求で割譲したという記紀の記述の背景は何だったんでしょうか。上多利(おこしたり)・下多利(あろしたり)・娑陀(さだ)・牟ろの4県は朝鮮半島南西部の地域と想定されていますね。
私の生まれ育った枚方市には蹉だ(さだ)という地名が残っていますね。現在は蹉だ神社があり菅原道真ゆかりの神社となっていますが、元々が『さだ』と呼ばれており歴史が古いと思います。牟ろという名前も地名で摂播5泊で有名な室津(朝鮮通信使が宿泊する場所)として今も地名が残っているのではないだろうか。
倭の五王が宋よりより受爵した中で済・武は『使持節、都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍、倭王』という国で慕韓というのが栄山江流域の朝鮮半島西南部の地域ではなかったでしょうか。今後の、50%しか未だ発掘されていない、栄山江流域の前方後円墳の発掘成果と日韓両国の研究者たちの考古学遺物による両国の古代史解明に期待します。
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Comments
先日、KBSWORLDの歴史追跡という番組で放送されました。
新事実ですので、ぜひお知らせしたいと思います。
Posted by: 歴史追跡:栄山江アパート型複合古墳のミステリー | 2009.09.01 01:33 PM
関連記事のご紹介ありがとう
どうも、朝鮮半島西南部の栄山江(ヨンサンガン)流域の前方後円墳の発掘は古代の九州筑紫地域の勢力や、ヤマト王権との関係について重要になりますね。
欽明天皇の時代に大伴金村が百済に任那4県割譲をしたという記紀の記述があるが、この栄山江流域の国々だった可能性がありますね。
これから、科学的な考古学の調査により、日韓の考古学者や歴史学者がお互いに相手を尊重して研究して欲しいとおもいます。
Posted by: jo | 2009.09.01 11:40 PM