縄文時代の関東 その5 植物とのかかわり
縄文時代にどんな植物を食していたのか考古学分野で証拠を押えるのは困難だという。柔らかい組織の為に残らないそうですね。僅かに残るのは堅果類の植物であるという。代表はドングリとかトチの実ですね、特に東日本はトチの実を食しているのが特徴だそうです。
デンプン山という言葉があるらしい、近年でも日本海側の朝日連峰の山麓から青森県にかけての山村では、クリ、ブナ、ドングリ、トチ等の堅果類、ワラビ、クズ等の根茎類、オオウバユリ、ユリ等の球根類を利用して多量のデンプンを得ていたそうです。これらの里山をデンプン山と言うそうですよ。
参考文献 とちもちの作り方 トチを食する迄にはタンニンだけでなくサポニンを含むそうなので、大変な工程が必要なんですね。ポイントは虫だしと、数日間乾燥させる事と、川の水に数日間さらす事と灰でアクを抜く作業ですね。随分と勉強になりました。タケノコ料理どころではありませんね。ついでに、どんぐりはどうだろうか。
参考文献 どんぐりを食べよう この人は結局、生食でも可能なタンニンの少ないシイの実だけが何とか食べれたようですね。(笑)クヌギはもともと食するのは難しいようで、ナラ類、カシ類でないと駄目なようですよ。
オホーツクの友人のてっちゃんの子供の頃(昭和20年代)の話では馬鈴薯からのデンプンを利用した色んな料理の話を聞いた事がありましたね。馬鈴薯は南米の作物だから明治以降の近代の話だ。それ以前は堅果類・根茎類・球根類の植物からデンプンを得ていたのですね。
新潟県奥三面(おくみおもて)では戦後までクリが主食に近かったそうだ。29軒の世帯に対して集落の周辺に10町歩もクリ林があったという。参考文献 三面遺跡群 奥三面歴史交流館 今はダムに沈んでしまった貴重な歴史資料なんですね。旧石器時代から綿綿と続いた村落が消えてしまったのだ。残念ですね。
シダミ酒(ドングリ酒)という言葉があるそうだ。デンプンがあれば出来る酒だそうですよ。コナラの事をシダミと呼ぶそうなので、コナラのドングリから製造した酒の事になりますね。私が馴染みであるのは猿酒ですよね、猿が木の幹の窪みに貯め込んだドングリが発酵して出来た酒です。多分、縄文時代から人間は偶然に見つけたか、知識を得て、ドングリから酒を製造していたんでしょうね。
(野山を焼き払う慣習)
根茎類にはでんぷんが多量に含まれているので、縄文時代から食されていたのではないかと考えられている。ワラビ、クズ、カタクリ、ジネンジョ が対象となりますね。これらは有毒物質を含まないので、潰して水にさらせば底にデンプンが沈殿する。
高橋先生の本によれば、長野県木曾では昭和27~8年頃でもワラビ根堀りが広く行われており、平均一戸あたり5斗俵で20俵近くのワラビ粉を採取していたという。私の子供の頃の話ですね、ワラビ餅はそういえば関西方面でも子供の頃に食べていましたね。大好きでした。
ところで、ワラビ根やクズが山が焼き払われた直後に生育する植物だそうです。だから、意識的に野山を焼き払いワラビやクズの根のでんぷんを取得する農耕に近い行為をしていたと考えられるのですね。遷移を利用した半栽培的な、栽培にあと一歩という所まで縄文時代には進んでいたと考えられます。
山焼きの習俗は虫を殺すだけでなく、縄文時代からの根茎類の生育の為に繰り返されていた農耕行為であった可能性がありますね。
(彼岸花を食糧にしていた話)
ヒガンバナ(彼岸花)も縄文晩期に稲作とともに大陸から伝播した稲作の裏作として伝わったという話があります。ともに長江流域が原産地であり、四国では田圃の畔に彼岸花を植える風習があり食品に加工された可能性があると考えられています。
アルカロイド系の猛毒(リコリン)を含む成分を持つので、組織を潰し、水にさらし、毒を抜く作業工程を経て食糧にしていた可能性があるそうです。縄文時代からアク抜き技術には優れた知識が日本列島の人々には貯えられていたんですね。
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