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伊豆の踊り子歩道 完全走破(1) 三島→修善寺→浄蓮の滝

 4月1日朝6時半起床。外は雨、最悪のケースですね。雨具を詰め防寒用の衣服も詰めてリュックを大きなビニール袋で包む。傘をさし新横浜駅目指し7時過ぎに歩き始める。新横でおにぎりを買いホームで7時46分のこだま号を待つ。小島さんが現れ、6号車に乗り込むと岩ちゃん、古河さんが東京から乗り込んでこられていた。

 雨だからどうするか、考えていたが、三島に近くなると天気は快晴ではないか。三島8時20分到着、伊豆箱根鉄道のホームに向かい8時31分発の電車で修善寺に向かった。途中の駅で韮山駅を通過する。頼朝が流刑の地だった蛭カが小島は確か韮山ではなかっただろうか。当時は伊豆は流刑の地だったんですね。遥か京都からは離れた陸の孤島だったんでしょうか。

 韮山は江戸時代に反射炉も建設されて有名な場所ですよね。反射炉というと鍋島藩を思い出しますし、薩摩も作りましたね。そんな事を考えていると修善寺に9時08分に到着しました。確か浄蓮の滝に行くバスは9時10分なので急いで切符を購入してバスに乗り込みました。

 

浄蓮の滝9時43分にバスは浄蓮の滝に到着です。先ずは石川さゆりの「天城越え」の歌詞で有名な滝の見物です。しかし、何ですね、イチローさんが感激して記録の壁を越える決意と天城越えが重なるのはおもろいです。2008年からイチローのテーマ曲としてシアトルの球場で曲が流れるとは、石川さゆりさんも驚いたでしょうね。
浄蓮の滝 記念写真 この曲の歌詞は凄まじいですよね、天城越えとはそんなに大変だったんですね。伊豆半島を南北に寸断する天城連山は明治38年に天城山隧道が完成するまで人々の南北の行き来を遮断する地形だったんですね。所謂、天城越え、下田のハリスも吉田松陰もこの天城越えをしたんです。

 (浄蓮の滝)

浄蓮の滝 昔は近くに浄蓮寺という寺があったそうで、そこから名前が来てるそうです。高さ25メータの大きな滝で狩野川上流の本谷川にかかる滝だという。石川さゆりさんの「天城越え」の歌碑がありました、前で記念撮影です。
滝見茶屋 わさびが名物 茶店の周りには、わさび田が広がり沢山の、わさびを販売していましたね。水が綺麗でないと育たない、わさび、子供の頃に関西では東京土産というと「わさび漬け」だった記憶があります。丸い桶に入って包装紙にはわさびの絵が描いてる印象です。子供としては、又か~~、残念という印象が残っています。

 

わさび田この生わさびというのが、アメリカ駐在中に手に入らないものの一つでした。わさび(山葵)は日本原産の植物なんですね、どうりで海外で手に入らない訳です。江戸時
茶店とわさび田代後期に江戸でお寿司を食べるファーストフードが流行し、わさびの需要が激増したそうです。
踊り子歩道起点 記念写真 さて、伊豆の踊り子歩道は全長20キロ程度でしょうか、浄蓮の滝から天城山隧道を抜け七滝温泉を経由し最後は湯ガ野温泉の福田屋さん(川端康成が執筆した温泉宿)に至るハイキングコースを呼びます。

 反対のコースでもいいのでしょうが、我々は浄蓮の滝からスタートする事に決めました。

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