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箸談義 箸と橋

もう亡くなられた考古学者さんで佐原真さんという有名な先生がおられました。彼の書かれた本は沢山読ましてもらいましたが、日本の風習について書かれた面白い部分がありましたので、メモを認めます。

 (属人器と共用器)

 彼の話では食器には共用器と銘銘器が存在し、銘銘器で誰が使うか決まったものを属人器と分類されるそうです。そして、属人器の風習を持つのは日本と韓国だけだそうです。銘銘器は漢の時代に生まれ、ローマ時代にも生まれたそうですが、その後姿を消したそうです。欧州では16~7世紀に再度、銘銘器が復活するそうですが属人器の風習は生まれなかったと述べられています。

 先生の話では魏志倭人伝に倭人は飲食は高杯(たかつき)を用いて、手づかみで食べると書かれている。日本で箸が登場したのは平城京の時代だそうです。それまでは、手で食べていたんだそうです。平城京の時代でも平城宮からは箸が出土するが平城京からは出土しない。一般庶民の生活では箸は未だ使用されていないのですね。

 ところが長岡京、平安京からは箸が出土するので、庶民に箸が広まったのは長岡京の時代からだと考古学者は考えているようです。

 都出比呂志先生の話では、西日本では2~3世紀から、東日本では3~4世紀から銘銘器の存在を考古学的に確認できるそうです。これは、一緒に食事をしたという証拠だという。銘銘器が存在する事は共食が始まった証拠であると。

 話は脱線するのですが、では三世紀の魏志倭人伝の卑弥呼の墓と比定される箸墓古墳という名前が時代に合わないという話になります。これにも色んな説があるようですが、例えば土師(はじ)墓であるという説を述べる人もおられますね。土師氏は出雲系ですが、土木工事や埴輪の制作をした職人集団です。

 私は、考古学的には証明されていないが、縄文時代から箸は存在したのではないかと考えています。ピンセットのように折り曲げて使用する箸です。古代より『はし』という言葉は、あの世とこの世を繋ぐものという思想が存在したと思います。今でも橋(はし)はあの世とこの世を繋ぐ場所という風に考える人が多いのではないでしょうか。

 民俗学的には『はし』に関する沢山の信仰や習俗に関して文献が見られます。精霊が宿るものを口にするという行為はまさに、異なる世界を橋渡しする行為である訳ですね。京都一条戻り橋もあの世とこの世を繋ぐモノなのではないですか。

 そこで、個人的は箸墓の『はし』はこの世とあの世を繋ぐ墓であるという風に人々は信仰していたのではないかと考えています。まさに、巫女さん卑弥呼はんの役割(神と人間界を繋ぐ人)ではなかったですかね。

 古来、列島に住む人々は全てに精霊が宿ると考えていましたから、個人が使用した器にも精霊が宿っていたのではないでしょうか。出棺の時に亡き人が使用していた茶碗を玄関で割る行為も、そんな気がします。

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