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桜井・茶臼山古墳とマキムク遺跡紀行(8) マキムク東田大塚山古墳

 参考 MuBlog 桜井・茶臼山古墳と纏向遺跡紀行(7) 纏向東田大塚古墳

 

マキムク東田大塚古墳今回の紀行の最後の古墳となりました、東田(ひがいだ)大塚古墳です。矢塚古墳から歩いて数分の場所にあります。この古墳も従来のマキムク形の前方後円墳と呼ばれていたのが、前方部の調査により勝山古墳と同じく前方部が長く延びた柄鏡形の前方後円墳である事が判明しました。全長120メータの巨大な古墳であります。

 

マキムク東田大塚古墳現在も後円部ははっきりと形状が認識できる状態であり、農家の方が畑とか果樹園にされているようでした。Muさんと後円部に登り形状を確かめました。

 

東田大塚古墳解説さて、数日後にMuBlogでも記録されていますが、マキムクの地に巨大な神殿跡と想定される建物の遺跡の発表がなされました。参考 産経ニュース(纏向遺跡)

 

東田大塚古墳 墳丘せっかちな人は、卑弥呼の宮殿の遺跡ではないかと色めきたっているようですね。この箸墓古墳を盟主とする箸中古墳群と石塚、勝山、矢塚、東田大塚古墳の纏向古墳群の中央に巨大な建物群が存在していたのは確かなようですね。MuBlogでその位置関係が図示されているので、便利ですので参考にしてください。
東田大塚古墳 後円部 古墳の形状で言えば桜井・茶臼山古墳とマキムク勝山古墳、マキムク東田大塚古墳は同じ部類に入ることになりましたね。石塚古墳と矢塚と箸墓はマキムク形と呼ばれる前方部が短い全長:後円部直径:前方部長さの比が3・2・1の古墳です。

 

マキムク東田大塚古墳同じ時代に異なる形状の古墳が混在するのは、私の意見では複数の列島の国の人々がマキムクに集結し宗教都市を建設した証しではないかと考えています。その頂点に推挙されたのが卑弥呼であり、宗女の台与という女王ではなかっただろうか。

 魏志倭人伝が真実を伝えているとすれば最大の国は5万戸を擁する吉備の国だったのではないでしょうか。邪馬台国が7万戸ですから並はずれた強国だったと思われます。私は東田大塚古墳と勝山古墳は吉備国の王の墓であり葬祭殿ではなかったかと推測しています。

 一方のマキムク形の石塚、矢塚はマキムクにあり吉備系ではないと思います。一方、聖なる三輪山の尾根に続く箸墓、ホケノ山古墳、未だ発掘されていない尾根筋の古墳群は三輪山の神の系譜を持つ巫女さん、女王、男王の系統ではないかと類推しています。

 邪馬台国連合に属さず卑弥呼を死に至らしめた狗奴国とは何処なんでしょうね。色んな説があるようですが、私は尾張の国か山背の国かどちらかではないか、又は尾張と山背の連合かどちらかではないかと推測しています。戦いの理由は大陸との貿易権、制海権の衝突であると思います。稲作の原動力である鉄を朝鮮半島の南部の洛東江流域から輸入していた訳ですから、死活の問題だったと思います。

 (記紀神話に卑弥呼の姿を求める)

 記紀では魏志倭人伝の邪馬台国の話も卑弥呼の話も登場しません。これが、謎なんですが、明らかに記紀を書いた時代に魏志倭人伝を読んでいたと思います。神功皇后さんの話は4世紀末の頃ですから3世紀では有りません。そうすると崇神王朝の時代とすれば以前の箸墓古墳の探訪記で触れた孝霊天皇の娘さんの倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)と弟の吉備津彦の関係が魏志倭人伝で記録された話と似ていると思います。

 邪馬台国を支えたのは吉備の国であり、実務を担当したのは弟の吉備津彦となります。そして、古代の最大の内戦と伝えられた山背の武埴安・吾田媛との戦争は邪馬台国と狗奴国との戦争であった可能性はないのでしょうか。古来、神武さんと崇神さんは同じ名前である「はつくにしらすすめらみこと」と記紀は記録しており同一人物である可能性も否定できないそうです。

 今後のマキムク(纏向遺跡)の発掘が本格的に進み、出来れば箸墓古墳の調査が許可されれば日本の国の発祥の秘密が解明されるかも知れません。それは、100年後の事かも知れませんね。

 

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