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桜井・茶臼山古墳とマキムク遺跡紀行(3) 箸墓古墳

 参考 MuBlog 桜井・茶臼山古墳とマキムク遺跡紀行 箸墓古墳

三輪、千寿亭にて お昼は大神神社の大鳥居の近くの169号線近くの『千寿亭』で三輪素麺の美味しい昼食を頂いた。そして、箸墓古墳を訪問した。箸墓古墳は邪馬台国にとっても、日本の国の起源についても一番重要な古墳であると誰でもが認識していると思います。同行のMuBlogのMuさんは卑弥呼の墓であると信じて疑わない御仁であります。
箸墓参拝所遠望
箸墓古墳前方部から後円部全長278メータ、高さ30メータの周濠をめぐらした巨大な前方後円墳はその美しい姿とともに三輪山の麓に鎮座しています。記紀では昼は人が作り、夜は神が作ったとその古墳の造営の模様を述べています。記紀では孝霊天皇の娘で倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)と記録され、三輪山の祭神である大物主(大国主)さんと結婚したと伝えられています。

 しかし、旦那の大物主さんは夜しか現れないので、昼間に顔を見たいと言うと櫛箱の中に小さな蛇が入っており、驚いてひっくり返り箸で大事な所を突いてしまい身罷ったと記紀は述べています。そこから箸墓の名前がでてる訳です。しかし、当時は箸は無かったと考えられており疑問が残ります。(ある説では土師ではないかというのもあります。)

 このお姫様は伝説が多く存在し、巫女であった可能性が高いのです。弟は吉備津彦で西道将軍として活躍し吉備の中山・茶臼山古墳に埋葬された話は茶臼山古墳の所で述べたと思います。当時の吉備はヤマトに匹敵する巨大な勢力だったと考えられるので、弟の権力も絶大だったでしょうね。もし、ヤマトトトヒモモソヒメが卑弥呼であったすれば、巫女に仕え政治実務を担当した弟との姿は、魏志倭人伝そのもになりますね。

 吉備との関係では箸墓古墳と相似形の1/2の大きさで作られた前方後円墳があります、それは岡山市浦間にある浦間・茶臼山古墳です。

 そうすると、崇神さんの立場が無くなり、簡単には解けない謎となります。

 巫女としての能力は、崇神天皇10年に山背の武埴安が反乱を起こす事を予知し、奥さんの吾田媛が難波からヤマトを攻める事も予見した事を記紀は記録している。本件は昔、記事を書きましたので参考にしてください。

 記紀では箸墓の主は崇神天皇の時代の孝霊天皇の娘であるヤマトトトヒモモソヒメとしております。しかし、幾ら皇女といえどもマキムクに巨大な前方後円墳を築く理由は何だったんでしょうね。大王を束ねる以上の地位の人でなければこれだけの巨大な前方後円墳は建造出来ないと思います。

 記紀は何かを隠しているとしか考えられないですね。

 現在は宮内庁が管理していますので、誰も立ち入る事は出来ません。考古学者にとっては喉から手が出る程調査したい古墳なのであります。しかし、最近の周辺の古墳や遺物の発掘から少しずつ箸墓の科学的な調査も進んでいます。

 後日、周辺古墳である勝山古墳のところで述べるつもりですが、そこで出土した木材の年輪年代法の分析から奈良文化財研究所は弥生時代を従来より100年近く古い時代にシフトするべきであると発表した。従い、箸墓は3世紀後半という微妙な卑弥呼死亡の時期である3世紀中葉に近くなりました。

 科学的な発掘と研究は日本の歴史を文献や伝承だけでなく、総合科学の力で古代の歴史を解き明かす時代になりました。そういう意味で発掘は破壊と表裏一体なのです。将来の科学の進歩で遺物から新しい事実が解明される可能性があるからですね。

 今回の箸墓とそのあとホケノ山古墳を訪ねましたが、新しい仮説が湧きあがりました。詳しくはホケノ山古墳で述べるつもりですが、明らかに箸墓古墳、ホケノ山古墳、その他古墳と認定されていないかもしれない小高い塚のようなものが尾根となり三輪山に繋がっているのです。

 私は三輪山の神の血脈が流れる聖なる尾根にホケノ山古墳も箸墓も作られたと考えています。箸墓はその尾根の最後に位置する聖なる三輪山の神の一族と考えます。マキムク地域を圧する巨大な箸墓古墳は三輪山の神と一体の聖なるランドマークであったでしょうね。

 マキムクに集合した日本列島の地域の王達はこの古墳の上で行われる祭祀主にひざまずいたのではないでしょうか。卑弥呼さんだとすれば、彼女が生きていた時代はホケノ山古墳で彼女が祭祀を行ったのではないだろうか。そして、台与(トヨ)の時代はこの箸墓でヤマト王権の祭祀は行われたと思います。

 という訳で、次回はホケノ山古墳になります。

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