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桜井・茶臼山古墳とマキムク遺跡紀行(4) ホケノ山古墳

 参考 MuBlog 桜井・茶臼山古墳とマキムク紀行 ホケノ山古墳

箸墓から三輪山方向に進むと、こんもりとした森があります、国津神社です。その少し三輪山側にはホケノ山古墳があります。

ホケノ山古墳解説(1)
ホケノ山古墳解説(2) ホケノ山古墳の解説板での説明です。日本では最も古い部類に属する前方後円墳だそうですね、3世紀後半と記述されているが、例の勝山古墳の木片の年輪年代法からいうともっと古い時代である可能性もありますね。3世紀前半である可能性もある訳です。
 
ホケノ山前方部この古墳は三輪山から続く尾根を切断して作られた丘尾切断型、前方後円墳であります。この古墳からは画文帯神獣鏡、内行花文鏡が出土したという伝説があるようで、あまりよく判っていない古墳だそうです。いずれにせよ、卑弥呼の時代ではないでしょうか。
 鏡は当時の朝鮮半島の楽浪郡を支配していた公孫氏か魏か呉の鏡である可能性が高いと思います。
 
 当時の日本列島の人々は中国の鏡を好んだようですね。一番有名なのが三角縁神獣鏡であります。しかし、この鏡は中国からは出土しないので、中国の鏡職人が日本列島で制作したのではないかという説が最近はよく聞かれます。いずれにせよ、神獣鏡は神仙の世界を描いた鏡であり、当時の宗教を考える上で重要です。
 卑弥呼の鬼道と魏志倭人伝に書かれた内容は未だ解明されていないが、明らかに神仙思想と日本列島の縄文時代、弥生時代から伝わるアニミズムではないでしょうか。鬼道というと、中国では後漢末に猛威を振るった五斗米道(ごとべいどう)を思い出しますね鬼道と呼ばれた宗教集団であります。
前方部東斜面検出埋葬施設
木棺と壺さて、古墳のくびれの部分、多分、造出しと呼ばれる場所に木棺と二個の壺が展示されていました。写真を見て下さい。古墳が出来てその後、葺き石を外し木棺を埋葬したようですね。注目するのは壺です。
 
木棺と大型壺と小さな壺底を穿った壺を木棺と一緒に埋葬するのは重要な宗教的な意味があるのではないでしょうか。以前に記事として辰巳先生の説を紹介しましたね。黄泉の国の考古学
 氏は前方後円墳について、”壺形の宇宙”説を述べています。始皇帝の時代、蓬莱・方丈・えい州という仙人が棲むといわれる三神山の思想がありました。この三神山は三壺山とも呼ばれそれぞれ、蓬壺・方壺・えい壺と呼ばれた。壺のような形をしていたからだそうです。不死の理想世界は東海に浮かぶ壺形の山であると。

同時に、葺き石を古墳には敷設したので、磐座信仰とも関係が深いと論じています。

 最近私はこの説にとても感心があります。前方後円墳は壺の形をした死生観を具体的に示しているのではないかという考えです。壺形宇宙観ですね。桜井・茶臼山古墳でもお墓の近くに壺が埋納されていました、そして底が穿ってありました。

 前方後円墳の始まりと思われるホケノ山古墳の埋葬方式により益々この考えが強くなりました。卑弥呼の世界観はこのようなものではなかったでしょうか。中国人は特に秦の始皇帝は中国の東の海に浮かぶ蓬莱山の世界を夢にみた。その東の海に浮かぶのが日本であり邪馬台国の前方後円墳ではないでしょうか。

 話は飛びますが、聖徳太子さんが旧来の豪族連合の日本の体制から中央集権国家である中国のような強固な国に変えようとした時に、国際的に通用する仏教を導入し改革をやろうとしましたね。私は、卑弥呼は極めて国際的な感覚に優れた巫女さんではなかったかと思います。中国の神仙思想をうまく取り入れた政治家ではなかったでしょうか。

 マキムクには魏の国や、公孫氏の楽浪郡や句邪韓国や中国系の華僑商人等々が、駐在していたと思います。彼らは水を満々と蓄えた周濠に浮かぶ前方後円墳を眺めると蓬莱山であると認識したと思います。ベトナムのハノイに在住していた頃、お寺には池に浮かぶ蓬莱山を必ず観る事ができました、道教と仏教が混在しているのです。

眼前に箸墓古墳 
ホケノ山古墳後円部より三輪山
ホケノ山古墳に立ち尾根筋が続く三輪山を眺め、目前の尾根の終端にある巨大な箸墓古墳を眺めると、日本古来の三輪山信仰と今来の大陸の神仙思想が融合した世界がここで展開されていたのではないかと思いました。
 (追伸)
 底を穿っ壺の件ですが、是非専門家の意見を調べたいと思います。私は死者の魂がこの世とあの世の行き来できるように考えたのではないだろうかと考えています。前方後円墳の形状が柄鏡形とか撥(バチ)形とか色々あるのは、埋葬する集団が考える壺の形が影響しているのではないかと考えています。

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