桜井・茶臼山古墳とマキムク遺跡紀行(4) ホケノ山古墳
参考 MuBlog 桜井・茶臼山古墳とマキムク紀行 ホケノ山古墳
箸墓から三輪山方向に進むと、こんもりとした森があります、国津神社です。その少し三輪山側にはホケノ山古墳があります。




同時に、葺き石を古墳には敷設したので、磐座信仰とも関係が深いと論じています。
最近私はこの説にとても感心があります。前方後円墳は壺の形をした死生観を具体的に示しているのではないかという考えです。壺形宇宙観ですね。桜井・茶臼山古墳でもお墓の近くに壺が埋納されていました、そして底が穿ってありました。
前方後円墳の始まりと思われるホケノ山古墳の埋葬方式により益々この考えが強くなりました。卑弥呼の世界観はこのようなものではなかったでしょうか。中国人は特に秦の始皇帝は中国の東の海に浮かぶ蓬莱山の世界を夢にみた。その東の海に浮かぶのが日本であり邪馬台国の前方後円墳ではないでしょうか。
話は飛びますが、聖徳太子さんが旧来の豪族連合の日本の体制から中央集権国家である中国のような強固な国に変えようとした時に、国際的に通用する仏教を導入し改革をやろうとしましたね。私は、卑弥呼は極めて国際的な感覚に優れた巫女さんではなかったかと思います。中国の神仙思想をうまく取り入れた政治家ではなかったでしょうか。
マキムクには魏の国や、公孫氏の楽浪郡や句邪韓国や中国系の華僑商人等々が、駐在していたと思います。彼らは水を満々と蓄えた周濠に浮かぶ前方後円墳を眺めると蓬莱山であると認識したと思います。ベトナムのハノイに在住していた頃、お寺には池に浮かぶ蓬莱山を必ず観る事ができました、道教と仏教が混在しているのです。
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