吉の会(同窓会)とあれこれ
富士通時代の恒例の同窓会が渋谷『東急イン』で開催された。この同窓会は同期の営業関係とSE関連の同期で第3市ガ尾寮に住んでいた連中が中心のようです。元々が蔵田さん、久保田さんが幹事として集まっていた仲間ですね。
今回は初めて岡本さんが参加でした、彼も第3市ガ尾寮出身で配属は関西となり大阪で活躍されていました。私は、彼に大坂の『九絵家』でクエ料理の御馳走を頂いたのが今も感謝しています。現在も大学時代からのラグビーで頑張っているようで、ゼミで一緒だった浅野さんとともにラグビー部OBとなります。
本年も名古屋から鈴木ケン坊も参加されていました、名古屋の経済も厳しいようですね。大阪の大高さんも参加で東京在住だけでなく楽しい集まりとなっています。
(3月の関西紀行予定)
・3月初旬は1週間程度関西に滞在する予定です。義父の税理士事務所が多忙となる時期であり家内が応援に行く為で、私は専門外なので役には立たないですが同行します。滞在は大阪の事務所になります。
・楽しみは、京都のMuBlogの旦那さんと奈良・マキムク紀行です。Muの旦那も楽しみにしておられる様子です。小説木幡記 古代の話
記事で三輪山セミナーの話が登場していましたので、補足しておきます。千田稔先生と和田萃先生の講演記事は以下の通りです。
千田稔先生 第4回三輪山セミナーin東京
和田萃先生 第3回三輪山セミナーin東京
千田先生のお話は古地図から邪馬台国の位置について論究されていました。詳しくは記事を読んで下さい。和田先生は三輪山と祭祀という観点から講演されていました。昔(室町時代まで)は三輪山の頂上に神坐日向神社(みわにいます ひむか じんじゃ)が存在したそうですね。
考古学の進歩により記紀や風土記やその他古文書に記載された神話と呼ばれる部分について、全て架空の話とは言えない事実が沢山掘り起こされています。実物で物をいうという考古学の姿勢が私には魅力に感じております。
例えば、弥生時代中期のイメージを大転換させた奈良県磯城郡田原本町の唐古・鍵遺跡の土器片に描かれた楼閣の絵です。当時の朝鮮半島にも存在しない中国風の楼閣が環濠集落に佇んでいたのですね。 参考 唐古・鍵遺跡
グーグルアース
まさに、魏志倭人伝に書かれた卑弥呼の楼閣とはこのようなものであったろうと想像されます。森浩一先生は『古代史の窓』でこの土器片の絵を観て以下のように語っておられました。
楼閣の事を日本の古典では高台もしくは台と呼んでいた。発音はタカドノである。記紀に収められた海幸・山幸の神話でも、ヒコホホデミノミコト(山幸彦)が異国の地としての海神の宮を訪れた時、台の美しさが目をひいたとしている。この神話には、異国へいった時の人々の驚きや港の風景がよく語られている。唐古・鍵遺跡の絵画建物は、(中略)おそらく異国(中国)を訪れた倭人が持ち帰った知識の反映であろう。
3月10日にはマキムクに連れて行って貰う予定です。楽しみですね。
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Comments
さて、茶臼山かホケノか、あるいは箸墓北部の群小初期古墳か。工事しているだけとか、埋め戻されて、なんも見えないはずだから、思い切り幻視眼を養生しておきましょう。
卑弥呼の楼閣を見た! とJoさんJoBlogに書き出したら、ちょっと心配だね(笑) お願いだから、当日桜井市に掛け合って定住派遣発掘要員にせぃ! だなんて言わないでくださいよ。
ところで、昨夜、千田、和田両先生論の末尾だけ先読みしました。ふむふむふーん。確かに。
ということです。
Posted by: Mu | 2009.02.25 05:47 PM
Muの旦那はん
おはようさんです。桜井市には推薦状お願いします。移住してもいいですよ。発掘作業は朝が早いですから、近所に住まないと無理なんですよ。
ところで、吉野ヶ里でも三内丸山でも柱跡から建物を再現していますが、明らかでない時はイメージを植え付けるような建物を再現してはいけませんね。子供たちが弥生時代はあのような建物だと思いこむからね。
千田さん、和田さんともにおもろい人でしたよ、関西人独特の話芸をお持ちでした。落語を聴いているようなセミナーでした。
Posted by: jo | 2009.02.26 07:29 AM