冬の北陸紀行 白川郷
飛騨高山をあとにして、バスで北上し合掌造りで有名な白川郷を目指しました。雪に埋もれた静寂の白川郷の風景はどんなに素晴らしいでしょうね。
でもこの数十年間で経験もしなかった異変が白川郷に起きていました。屋根に雪が無いのです。地球温暖化の影響ではないかと思いますが、明らかに地球は異変を起こしているのです。諏訪湖も木崎湖も氷結しないのは異常です。急激に気象変動が起きているのですね。
マイフォト 冬の北陸紀行 白川郷
参考 世界遺産 白川郷合掌集落
参考 白川郷 ライブ映像
庄川流域の狭い谷は農地が少なく、養蚕と煙硝製造で栄えたそうです。養蚕の為にスペースが必要となり大家族制と合掌造りが進化したそうです。しかし、両産業とも日本では難しくなり維持できない状況が続いたという。
今は世界遺産に登録され多くの観光客が集まる観光立国となり何時までも、江戸時代から続く美しい自然と集落の光景を維持できるようになりました。本当に良かったと思います。
冬の北陸紀行 飛騨高山
冬の北陸紀行のご紹介です。先ずは飛騨高山の高山陣屋を中心に古い街並みが残る風情をお楽しみください。高山陣屋は全国に唯一現存する郡代・代官所の史蹟です。元は戦国時代から江戸時代まで支配していた金森氏の邸宅跡でもあります。
マイフォト 冬の北陸紀行 飛騨高山
吉の会(同窓会)とあれこれ
富士通時代の恒例の同窓会が渋谷『東急イン』で開催された。この同窓会は同期の営業関係とSE関連の同期で第3市ガ尾寮に住んでいた連中が中心のようです。元々が蔵田さん、久保田さんが幹事として集まっていた仲間ですね。
今回は初めて岡本さんが参加でした、彼も第3市ガ尾寮出身で配属は関西となり大阪で活躍されていました。私は、彼に大坂の『九絵家』でクエ料理の御馳走を頂いたのが今も感謝しています。現在も大学時代からのラグビーで頑張っているようで、ゼミで一緒だった浅野さんとともにラグビー部OBとなります。
本年も名古屋から鈴木ケン坊も参加されていました、名古屋の経済も厳しいようですね。大阪の大高さんも参加で東京在住だけでなく楽しい集まりとなっています。
(3月の関西紀行予定)
・3月初旬は1週間程度関西に滞在する予定です。義父の税理士事務所が多忙となる時期であり家内が応援に行く為で、私は専門外なので役には立たないですが同行します。滞在は大阪の事務所になります。
・楽しみは、京都のMuBlogの旦那さんと奈良・マキムク紀行です。Muの旦那も楽しみにしておられる様子です。小説木幡記 古代の話
記事で三輪山セミナーの話が登場していましたので、補足しておきます。千田稔先生と和田萃先生の講演記事は以下の通りです。
千田稔先生 第4回三輪山セミナーin東京
和田萃先生 第3回三輪山セミナーin東京
千田先生のお話は古地図から邪馬台国の位置について論究されていました。詳しくは記事を読んで下さい。和田先生は三輪山と祭祀という観点から講演されていました。昔(室町時代まで)は三輪山の頂上に神坐日向神社(みわにいます ひむか じんじゃ)が存在したそうですね。
考古学の進歩により記紀や風土記やその他古文書に記載された神話と呼ばれる部分について、全て架空の話とは言えない事実が沢山掘り起こされています。実物で物をいうという考古学の姿勢が私には魅力に感じております。
例えば、弥生時代中期のイメージを大転換させた奈良県磯城郡田原本町の唐古・鍵遺跡の土器片に描かれた楼閣の絵です。当時の朝鮮半島にも存在しない中国風の楼閣が環濠集落に佇んでいたのですね。 参考 唐古・鍵遺跡
グーグルアース
まさに、魏志倭人伝に書かれた卑弥呼の楼閣とはこのようなものであったろうと想像されます。森浩一先生は『古代史の窓』でこの土器片の絵を観て以下のように語っておられました。
楼閣の事を日本の古典では高台もしくは台と呼んでいた。発音はタカドノである。記紀に収められた海幸・山幸の神話でも、ヒコホホデミノミコト(山幸彦)が異国の地としての海神の宮を訪れた時、台の美しさが目をひいたとしている。この神話には、異国へいった時の人々の驚きや港の風景がよく語られている。唐古・鍵遺跡の絵画建物は、(中略)おそらく異国(中国)を訪れた倭人が持ち帰った知識の反映であろう。
3月10日にはマキムクに連れて行って貰う予定です。楽しみですね。
2009年 赤とんぼ冬合宿
恒例の赤とんぼ冬合宿が2月20日(金)~22日(日)の期間、白馬村『ちんぐるま』にて開催されました。初日は天気が荒れ、風が強く雪も降り氷点下の雪上での飛行となる。夜間には豪雪が降り、土曜の朝は早朝から除雪車の騒音で目が覚める二日目でした。
二日目には、お昼に、かっちん&わこちゃんが白馬駅に到着し、午後は全員参加でのフライトとなる。午後2時過ぎに、千葉のよっちゃんは用事があり電車で帰還となりました。
最大のハイライトは夜に、かっちんが作成してくれた『赤とんぼ 30周年記念記録映画』のDVDの上映会でした。昨年の『30周年記念秋合宿』の映像と30年前の映像を組み合わせ見事な映画として出来上がっていました、20分の作品となっています。全員にかっちんからDVDが記念品として配られました。
私は風邪気味でしたが、初日から頑張り氷点下の雪田で『ドリフター』を、よっちゃんの助けで組み立て飛行させました。フロートを装着しての飛行も一応離陸に成功しましたが、ビデオカメラを搭載しての飛行には不安定すぎるので、フロートを外し、車輪に切り替え470グラムのビデオカメラを搭載して二回飛行させました。
残念ながら、エンジンのノイズが映像に入り映像としては成功ではありませんでした。今後は振動防止とノイズ対策が必要になります。しかし、翼長が2メータを越える大型の飛行機の組み立てを厳冬期に行うのは過酷でした。季節の良い時に又、挑戦したいと思います。
Ysさんの飛行機、わこちゃんの飛行機、清ちゃんの飛行機も無事飛行し、大きな事故もなく無事終了となりました。スキーも金曜日の夜に降った豪雪で新雪の上で滑れたのが素晴らしい思い出になったと思います。
マイフォト 『2009年度 赤とんぼ冬合宿記録』
明日から 『赤とんぼ』冬合宿
雪の東尋坊・永平寺・一乗谷朝倉氏遺跡から自宅に戻り、風邪をひいてしまい、二日間寝込んでしまいました。滅多に風邪は引かないのですが、いけませんね。
明日から白馬村での赤とんぼ冬合宿です、何とかしないといけませんね。山小屋管理人さんからの報告では、明日午後から雨模様だそうです。
どうやら、明日は早めに山小屋に引き上げて、私は静養しようと思います。宴会で酒を飲み過ぎると、何処かの国の財務大臣みたいになりそうです。
しかし、日本の政治も経済もメチャメチャの様相ですね。一度、ガラガラポンをした方が元気と希望が生まれるかもしれません。こんな大事な時に、腹の底でどんな謀略を考えているか判らん外国と交渉するのは危険ですね。
さて、今から新橋にでかけ旧友と再会です。
冬の北陸旅行 高山・白川郷・東尋坊・永平寺・一乗谷朝倉遺跡
昨夜、北陸の旅から帰りました。今回は阪急さんのツアーに参加しての旅で気楽な団体旅行でした。東京から新幹線で上田駅で下車しバスに乗り換え760キロのバス旅行でした。
(全行程)
・上田駅→松本経由→新島々経由→野麦峠越え→飛騨高山(見学)
・飛騨高山→白川郷(見学)
・白川郷→金沢経由→芦原温泉(泊)
・芦原温泉→東尋坊(見学)→一乗谷朝倉遺跡(見学)→永平寺(見学)
・永平寺→金沢経由→富山経由(九頭龍川)→姫川経由→妙高高原経由→上田
江戸時代の雰囲気が残る、匠の故郷です。私は初めての訪問でしたが、信長の時代から江戸時代まで国主であった金森氏に興味が湧きました。今は江戸時代に幕府の直轄領になり代官所が置かれた金森氏の旧屋敷は見事なものでその栄華が偲ばれます。
幕府が金森氏の飛騨高山を乗っ取る原因は金・銀を始めとする鉱山にあったと思います。金森氏は出羽の国の小さな領地に改易になるが、鉱山技術と金属加工の特殊集団を抱えて高山を豊にしたと思われます。
金森氏は近江の国の野洲郡金森村出自でありますから、朝鮮半島からのハイテク移住者が多く存在した場所であり、詳しくルーツを調べると面白いかも知れません。今度、家内の親戚の宴会の機会に蒲生郡小森村の小森さんに歴史を訊いてみようと思います。
この季節に雪が無いのは近年には経験が無い異常気象だと現地の人はいいます。残念ながら雪に埋没した白川郷の景色は見ることが出来ませんでしたね。
しかし、のんびりと展望台から徒歩で山を下り、村の中を歩きました。素晴らしい合掌造りのお家が並んでいました。数週間前に横浜の三渓園で合掌造りの建物は見学していましたし、昔、友人の「またいらないモノ買っちやったよ」の親戚が渋谷で移築してレストランをされていたので、少し馴染みはありました。
サスペンスドラマでお馴染みの場所。凄まじい風と雹が吹きすさび、数分間で引き揚げました。学生時代にゼミ旅行で来た事がありますが、柱状節理の岩の海岸では世界の三本の指に入るそうですよ。北朝鮮の金剛山とノルウエーの海岸と東尋坊だそうです。
明日から白川郷・永平寺への旅
明日は朝5時に家を出て、白川郷・永平寺方面に旅に出ます。今日の横浜は初夏の気候です、昨晩は春一番でした。温暖化が、かなり早い速度で押し寄せているんと違いますか。不気味ですね。
(赤とんぼ冬合宿迫る)
今日、わこちゃんがカッチンと二人の冬合宿用の飛行機を我が家に持って来た。彼らは仕事が忙しく来週末の金曜日は仕事があり二日目の土曜日から参加の為に事前に私が、山小屋に三浦さんの車で運ぶ為です。
わこちゃんの、Rascal(ラスカル)機です。ペットボトルの底を二枚張り合わせて車輪とし、雪上用に改造したようです。しかし、私の予想ではこれでは雪の中に沈む。今回もダメでしょうね。プロペラの前にあるのは、先ほど学童の子供たちが家内に、手作りのバレンタインチョコを持って来たものです。我が家では、これだけです。(淋しい)
かっちんのスカイローバー雪上仕様です。素晴らしい橇(ソリ)が自作されていますね。完璧ではないでしょうか。流石ですね、太鼓判ではないだろうか。家内の話では、『このソリを外して、お父さんの飛行機に付けたら飛ぶのと違うか?』という、関西人は厭ですね~~。
お見苦しい映像です。Jo君の空撮用の『ザ ドリフター』機です。雑な工事で適当にフロートを装着させています。フロートの先端部分にはゴムで常に飛行中もフロートの先端の角度をつける為に引っ張ってます。(笑)ペットボトルには満タンの水を入れていますが、これはビデオカメラを搭載する時には外し、400グラムの重さを調節する為です。
フラミンゴ機にフロートを装着した映像です。昨年は離陸出来ませんでしたね。今年はフロートの下部に滑り易くワックスでも塗ろうかいな~~と、考えています。プロペラには新聞紙を被せ、エンジンを雑巾でくるんでいるのは移動中にオイル漏れや、プロペラの先端で他の飛行機を傷つけない為の配慮ですよ。
という準備状況であります。
七世紀 半島緊迫下 巨塔ブーム
2月13日、読売新聞朝刊の文化欄にて七世紀の日本・百済・新羅では半島緊迫下で巨大な九重塔建設ブームが起こったという記事が掲載されました。高さは90メータを越える高さであったという。現在はいずれも消失しています。
半島が緊迫とは、六世紀末に中国では巨大な統一王朝、隋が勃興し七世紀初頭から高句麗攻撃が始まったのです。その隋も頑強な高句麗の防戦に遭遇し、王朝は崩壊し628年には唐王朝が成立する。その唐も644年から高句麗を攻撃し始めたのは御存知の通りです。
朝鮮半島と日本列島はこの中国の唐王朝の軍事拡大に存亡の危機が生まれたのです。日本では唐が高句麗を攻撃始めた翌年645年に大化の改新が勃発し、今までの豪族連合の国から中央集権国家を目指して歩みはじめたのでした。
(九層木造塔の建造)
・639年 百済では弥勒寺で建造。新聞記事では先月、弥勒寺跡から石塔の心礎から舎利容器と金板が出土。金板の銘文から事実が確認された。
・645年 新羅 皇龍寺にて九重塔が建設された。(伽藍規模は東洋最大と呼ばれた)
・日本では百済の弥勒寺九重塔が完成した年に日本初の国営寺院・百済大寺(くだらおおでら)創建の詔が出た。これが、奈良県桜井市に存在する吉備池廃寺遺跡だと最新の発掘成果で決まったようです。
国威発揚と国家の威信を示すのが目的だったのではと、韓国国立扶余文化財研究所の金洛中(キムナクチュン)学芸室長が述べていると記事は紹介していました。
・参考Web記事 皇龍寺跡(慶州)
・参考Web記事 慶州博物館
・参考Web記事 吉備池廃寺
先年、百済の扶余、新羅の慶州の古代史跡を巡る旅をしましたが、残念ながら弥勒寺跡も皇龍寺跡も訪問しませんでした。
日本には書紀によれば、577年(敏達天皇6年)に百済王が造寺工、造仏工を日本に献上したと記述されているそうだ。日本固有の掘立柱工法から礎石の上に柱を建てる建築技術が伝わったのでしょうね。
(閑話休題)
ところで、当時は弥勒信仰が朝鮮半島では隆盛だったのですね。太秦の秦氏の拠点である蜂岡寺、現在は広隆寺にも当時の朝鮮半島で制作された弥勒菩薩さんが安置されていますね。太子さんが秦河勝に授けた国宝第一号の仏像です。
広隆寺と皇龍寺、秦氏と新羅の関係と何か関係があるんでしょうか。
過去記事 韓国紀行(9) 落涙 落花岩・百済
過去記事 韓国紀行(3) 慶州石窟庵・仏国寺
今日この頃
先日は谷中、千駄木、根岸と歩き明治の文豪の史蹟を訪ねる散歩をした。明治の空気を感じながら、歩いたのは有意義でした。それにひきかえ、今の日本は閉塞感が漂いどうもいけませんね。
『公民権法とMaarten Luther King』
昨夜はNHKで差別と闘うキング牧師の番組を組んでいましたね。多くの人々が『We shall overcome』を歌ってデモ行進をするのが印象的でした。本当に懐かしい映像でした。私もJoan Baezのこの歌は懐かしい青春でした。
YouTube Joan Baez 『We shall overcome』
公民権法もベトナム戦争もこの歌が人々を支えたのではないでしょうか。歌というものは本当に力があると思います。
『昭和40年代の大学紛争』
私は卒業した昭和44年、そうですね40年前に学生運動の頂点に達した頃、私の大学も卒業式は出来ませんでした、本館が学生により封鎖されていたのです。この時も素晴らしい歌が生まれました。
YouYube 『遠い世界に』五つの赤い風船、山本潤子、南こうせつ
この歌は昭和44年に生まれた曲ですね。時代を切り開くのは若者であるという、強いメッセージがありました。この曲を作った親父の歌を聴きましょう。
YouTube 『遠い世界に』 西岡たかし&その他
ところで、関係ないですが来週末から赤トンボ冬合宿、我々のテーマソングは『あの素晴らしい愛をもう一度』なんです。
YouTube 『あの素晴らしい愛をもう一度』
この危機的な政治情勢の日本を打開する若者の歌が登場する事を願っています。
根津・千駄木 明治の文学史跡散策記(2)
前回の続編です。
マイフォト 根津・谷中界隈 文学散歩(2)
根津・千駄木 明治の文学史跡散策記(1)
先日、根津・千駄木界隈の明治の文豪史跡を巡る旅が企画され、参加させて貰いました。昔の職場の仲間、清水さんがツアー全てを企画され、先輩、後輩も参加し4名での散策紀行となりました。二回にわたり紀行記をアップします。
歩いた順番に、写真集は構成されていますのでマイフォトをひめくりながら、お楽しみください。
マイフォト 根津・千駄木 明治の文学史跡散策
JR山の手線、田端駅南口に朝11時半に集合し歩き始めました。お昼は権現裏門坂にある夢境庵という素敵な蕎麦屋でした。少し、野菜の天麩羅で熱燗をやり、又歩き始め夕方には銭湯に入り、打ち上げの宴会を谷中の『五十蔵(いすくら)』で行い解散となりました。宴会からは、もう一人後輩が参加となりました。
迷走する政治 何とかしないと・・・・
アメリカは金融資本や軍事関連産業が暴走し、遂に黒人大統領を戴いた。彼が予備選挙に勝てたのは、新しいインターネットでの草の根集金システムだ。日本では許されていない、公職選挙法ではダメな筈ですが、新しい時代に合わせて日本も転換すべきではないだろうか。オバマには30ドル以上インターネットで寄付し彼を支える支援グループが千二百万人いる。
彼は毎日彼の支援グループにYouTubeを使い動画でメッセージを伝えている。アメリカは病んでいる、全国民の収入の半分はたったの四百人の金持ちが独占している異常な国になってしまっている。オバマの挑戦はどうなるか判らないけど、国民は彼にアメリカの出直しを期待しているのだ。
日本は明治以降の制度が腐敗してしまっている、もっと悪いかもしれない。渡りで三億円も稼ぐ官僚を許す社会になっている。首相が召集しても会議に参加しない官僚が許されるメチャメチャの社会だ。人事院の総裁の問題です。官僚は誠実に国会で決まった事を遂行する実務機関な筈だ。
三重大学の山中先生のブログを読んでいると、中国の秦の時代の墓の発掘で当時の官僚の墓の様子が写真で掲載されていた。埋葬された人骨の周りに抱くように秦の律(刑法)が書かれた竹簡が出土したという。金を抱いて死ぬのは海賊だけにして欲しい。
先日、先輩と宴会をしていたが、彼は日本の政治家も大臣になる時はアメリカと同じく衆議員、参議院の資格を返上し、背水の陣で行政機関の責任者になるべきではないかという。首相もそうです、責任をはっきりすべきかもしれませんね。企業でも役員になる時は従業員の資格をはく奪されますからね。
官僚も企業人も年金が貰える65歳までは安心して力を発揮し、働ける社会は出来ないものでしょうか。出来ない筈はないと思いますが・・・。
ソマリアの海賊対策で自衛隊が行くという、考えてみると何故彼らが海賊をしないといけないのか、彼らの国をメチャメチャにしたのは誰だといいたいです。彼らの国をちゃんと復興させる事が海賊を無くす近道ではないのでしょうか。欧米の尻拭いばかりさせられて、ホンマ頭にこないのだろうか。正々堂々とその事を言う勇気ある政治家はいなのだろうか。
海賊なんて、もともと日本人のお家芸だったのと違いますかね。倭寇と呼ばれ東アジアでは恐れられたのは日本人の先祖ですよね。海賊なんかしなくても、普通の生活が出来るソマリアの国になるお手伝いをするのが日本の役割と違いますか。
オバマさんは真正面から正論で会話をすれば、判る人だと思います。彼の父は今もアフリカに住んでいるのです。そして、オバマさんのミドルネームはイスラムのフセインという名前なんですからね。
日本の憲法は素晴らしい、国際紛争を解決する手段として武力は使用しないと言っている。徹底的にこの精神で国際関係にはブレずに政治家は対応して欲しいです。武力は憎しみの連鎖を起こすだけだ。
天使の歌声 Libera(リベラ)
ロンドンのLibera(リベラ)の子供たちが今、日本に来ているようですね。新しいアルバムのリリースのプロモーションでしょうか。透き通るようなソプラノは素晴らしいですね、心を癒してくれますね。
最新の歌のプロモーションビデオを観る事が出来ますよ。元々はロンドンの少年聖歌隊が母体だったようですが、少年達の声は美しいハーモニーを醸しています。そういえば、彼らの歌はNHKが以前放送した特別番組『氷壁』の主題曲として、採用されていましたね。
学生時代に井上靖さんの「氷壁」は山登りをしてる若者なら誰でも読んだ小説でした。実際に谷川岳で起こったザイル切断事故を井上靖さんは小説にした。舞台は上高地の穂高に設定し今でも徳沢園の小屋に行けば小説の面影を偲ぶ事が出来ます。一昨年前の6月に上高地を訪れ、徳沢園から横尾まで歩きました。懐かしいです。
過去記事目次 上高地逍遥記 目次編
リベラの歌もう一曲をご紹介します
リベラ I have a dream
山や大草原で歌う歌というと、ヨーロッパアルプスのヨーデルとモンゴルのホーミーではないでしょうか。
ホーミー 6種類の発声法
一昨年前に念願のモンゴルへの旅が出来ました。パオで二泊出来たのは貴重な体験でした。モンゴル馬に乗り草原を歩くことができましたが、何処からかホーミーが聞こえてくるような気分でした。
日本神話と淡路島 (その2)女神の系譜
淡路島の弥生時代からヤマト王権が奈良盆地、河内地方に成立する時代背景を探る旅をしています。記紀や旧事紀や風土記や考古学の成果を踏まえて旅をしていますが、先導役は森先生の『記紀の考古学』や『日本神話の考古学』を参考にしています。
『淡路島は古代神聖な場所だった』
瀬戸内海の最大の島である淡路島は古代の天皇家に於いて神聖な場所とされていたのではないかと、森先生が『日本神話の考古学』で述べておられます。主な根拠は日本書紀の記述にある二か所に注目しています。
・国土創生神であるイザナキの終焉の地が淡路島と記述されている。
・履中天皇5年の記事として、天皇が淡路島に狩りに出かけた時に、河内の馬飼部(うまかいべ)の鯨面(顔の入れ墨)の傷が未だ癒えていなかったので、この島のイザナキの神が神官の口を借りて『血の臭きに堪えず』と文句を言ったという記事があるそうです。
・考古学の方面では、これだけ大陸との航路で要になる場所であるのに、前方後円墳が存在しないのは不思議である。恐れ多い場所として、崇められていた場所ではなかったか。
そこで疑問が湧きますね、何故それならイザナキの古墳が存在しないのかという疑問です。森先生は日本神話の不思議な事実として男神には墓が無いという面白い話を語られております。
『日本神話では女神のみが墓がある』
降臨される前の高天原におられる神々は勿論地上に墓が無いのは理解できますが、降臨された以降の神々であれば、何処かに墓がありそうなんですが、女神にしか葬送儀礼の記述と墓の記述はなく男神は、お隠れになるという記述しかない。
男性の私としては寂しい限りですが、どうやら倭人という海洋民族の風習はそのようだそうです。ちなみにイザナミ(国土創生女神)さんは、紀の記述では豪華な葬送儀礼の記述と熊野の有馬村に埋葬されたと記録され、記では出雲国と伯耆国との境の比婆の山に葬ったと記録されている。
確かに魏志倭人伝でも女王卑弥呼の墓と葬送について巨大な墓を造ったという記述がありますが、記紀にお於いても大物主さんやスサノオさんの墓の記録が無い。男神というのは風のような存在だったんでしょうかね。
『篤姫に思う』
昨年の大河ドラマ『篤姫』を楽しませて貰いましたが、あの気骨のある男勝りの姿は薩摩の女の歴史を感じていました。古代で言えば、彼女は薩摩半島生まれ、吾田隼人の娘となりますね。神武天皇の故郷である日向の地となります。(古代は宮崎県と薩摩半島、大隅半島を日向と呼ばれていた。ニニギの命さんは霧島の高千穂に降臨し吾田の地に拠点をおかれた。)
隼人の娘は軍団を率いて戦う戦士であったと言われています。記紀には隼人の女性が頭となって戦う場面が沢山記録されていますね。神武さんが熊野から吉野に入った時に神武さんを助けたのは、隼人の吉野連の井光女(いひかめ)さんでした。女性の支配者だったのですね。景行天皇の時は九州遠征で、碩田(おおきた=大分県)国での速津媛、八女県(やめのあがた)での八女津媛、周防の婆麼(さば=防府市)の神夏礎(かむなつそ)媛が首長として活躍した。
崇神天皇と山背のタケハニヤスとの古代最大の内戦ではタケハニヤスの奥さんの吾田隼人の吾田媛が軍団を率いて河内から奈良盆地に攻め入ろうとして、崇神軍の吉備津彦と戦った記録がありましたね。
どうやら、崇神天皇までの神々と天皇さまは、南方系の色彩と海の民の習俗に囲まれているようですね。宗像神も三名の女神ですからね。それが、どうやら崇神さんあたりから、確実には5世紀の河内王朝あたりからは朝鮮半島の騎馬民族の習俗が目立つようになりますね。
島津斉彬さんは篤姫に吾田の媛という古代の思いを込めて、当時の最大の権力機構に挑んだのかもしれませんね。歴史を知らないと、斉彬さんの深慮遠謀は理解出来ない。
立春ですね
昨日は節分でしたね、皆様は豆撒き、恵方巻きガブリはやられましたか。当方は両方とも行事は無しでした。子供がおれば豆まきもおもろいですが、爺さん婆さんと毎夜深夜にしか帰宅し、早朝に仕事場に出かける息子の家庭では、張り合いがありませんね。
そうそう、息子と言えば最近ヤマハの電子ピアノを買いよりましたね、かなりでかい電子ピアノで驚きました。音楽が好きなんですね、ま~趣味があるというのは結構な事です。
『2月の遊びの予定』
明日は恒例の4馬鹿同期の宴会です。新橋の魚屋で魚を七輪の上で焼き酒を飲むという、何時ものワンパターン宴会です。日曜日は、江戸魔界探検のハイキング会が予定されています。谷中を中心に何処を歩きまわるのか判りません。登山のベテラン爺さんもご一緒なので、遭難する事は無いと思います。(笑)
来週末は1泊で白川郷、飛騨高山方面に旅に出ます。三渓園で合掌造りは見学したところですが、本場の白川郷訪問は楽しみです。雪に埋もれた静寂の雪国はきっと素晴らしいでしょうね。
20日からは恒例、赤トンボ冬合宿で信州白馬村岩岳の山小屋に出かけます。飛行機の準備は全く出来ていません。今回は横浜組のわこちゃん、かっちんが仕事の関係で一日遅れて参加する予定です。わこちゃん、かっちんの飛行機を私が三浦さんの所まで運搬し、三浦さんと私の二人で磐岳を目指す計画です。今年の冬の白馬村の雪の状態は如何なもんでせうか。
本日、朝4月4日の札幌行き飛行機を予約した。一番安い飛行機はスカイマークです、朝9時半から予約できる、一番早い便が安いのだ。朝6時半の便8800円だから安い。今回は引っ越しの手伝いですね。土地を買い北欧建築でスエーデンハウスとかいう建築で建造したらしい。確かに、北海道は本土と随分と自然環境が異なるから北欧の技術の方が合理的かもしれない。
娘に、北海道で飛行機を飛ばしたいので、ラジコン飛行機を置かせてくれないかと相談したが、却下された。油で汚されたくないらしい。もっともな話だ。(笑)
『6月の礼文島に行けるか』
6月の礼文島は素晴らしいという話だ。小島先輩の話では今までこんな美しい光景は初めて観たという電話を2年前に受けた事がありました。余程感動したのでしょうね、現地から携帯電話で連絡があった程です。花が一面に咲き誇り、洋上には利尻富士が浮かんでいる光景だそうだ。露天風呂に浸かりながら、夕焼けの利尻富士を眺めるのは最高らしい。
という訳で、6月上旬はかなり長い期間北海道に滞在する予定なので、礼文島の宿が予約出来れば訪れてみるかも知れない。ついでに、利尻島に渡り利尻富士に登るのも悪くはなさそうです。大学4年生の時に高校時代からの友人と二人で利尻富士に登ったのは、遥か40年前のセピアの思い出だ。
日本神話と淡路島 (その1)国生み神話編
淡路島北西部の瀬戸内海に面した黒谷・五斗長地区の垣内遺跡で巨大な弥生中期の鉄器工房跡が発掘されたニュースを伝えました。1世紀から3世紀の期間といいますと魏志倭人伝の卑弥呼が死亡248年(3世紀中葉)ですから、邪馬台国の時代と想定されますね。そして、三輪山の麓のマキムク地域で前方後円墳が建造され始まる時期です。
淡路島については、元来重要な日本神話が存在したのを忘れていました。記紀神話の国生み神話です。
『記紀の国生み神話』
イザナキ(伊邪那岐)とイザナミ(伊邪那美)が最初の夫婦として登場する。彼らは先ず、まぐわいの場所であるオノコロ島を作ります。「塩をコロコロとかき混ぜると、矛からしたたり落ちた塩を積もり島が出来た」とあります。これは、森浩一先生の日本神話の考古学では製塩の様子を描いていると言います。
藻塩焼きの状況であるといいます、鉄釜で塩を煮詰めて製塩をする訳ですね。そして、矛を使用しているので九州を中心とする銅矛文化圏の人々ではないかと推測されます。(近畿は銅鐸文化圏)先生の話では、宮城県の塩竃神社の末社に御釜神社があり、古い鉄釜を使用して藻塩神事が今でも行われているという。
そこで、夫婦はまぐわいをして、オノコロ島で『洲国』を生むわけです。そこで、注目なのは最初に生んだ洲が淡路洲なんですね。そして2番目にオオヤマト豊秋津洲を生むのです。学生時代からこの神話が不思議でした。ヤマト王権の成立の話をするなら先ず、オオヤマト豊秋津洲が真っ先の筈ですよね。
ちなみに、その後の大八島国は③伊予二名洲(いよふたなのしま)=四国島だと思う。④筑紫洲(つくしのしま)=九州島、⑤双子の億岐洲(おきのしま)と佐渡洲(さどのしま)=島根県の隠岐諸島と新潟県の佐渡島、⑥越洲(こしのしま)=古代は広大で、石川、富山、新潟、山形、秋田南部⑦大洲(おおしま)=山口県の周防大島、⑧吉備子洲(きびのこしま)=岡山県の児島となります。
海上交通の拠点ばかりですね。古代に船で移動していた民から見れば、今は本州は一つとか陸続きだと判っている場所は越洲なんて呼びませんよね。けど、海洋の民から見れば船が到着した場所は皆、洲なんですね。洲という事は海洋に注ぐ大きな河口という事ではないでしょうか。
ところで、古事記では大八島の中にイキとツシマが入り、更にオキとサドも別々に扱っているので、越洲が消え、吉備児島と大島は大八島の後で二神が生んだという設定です。何故、古事記には越洲の記録が無いのかは、重要だそうですね。森先生の説では古事記には継体大王の出自について記述が無く、日本書紀では継体大王(ヲホド)の出自に関して詳しく記述したので、彼の故郷である越洲を重要視したと述べる。
しかし、吉備国や出雲について記述が無いのは疑問が湧きますね、何故なんでしょうか今後の課題です。先代旧事本紀も読んでみましたが、陰陽本紀(めをのもとつふみ)に書かれています。不思議な記述がありますので、御紹介します。先ず淡路州を産生みて胞(えな)と為す。意(みこころ)に快(よろこ)びざる所なり。故(かれ)、淡路州(あわじのしま)と曰ふ。即ち、吾恥(あはづ)と謂ふなり。
②伊予二名州(いよのふたなのしま)、③筑紫州(つくしのしま)、④壱岐州(いきのしま)、⑤対馬州(つしまのしま)、⑥隠岐州(おきのしま)、⑦佐渡州(さどのしま)、そして最後に⑧大日本豊秋津州(おほやまととよあきづしま)を生む。
先代旧事本紀にも古事記同様に、越の記述が有りません。勿論、出雲については無視されていますね。継体大王の出自の越は無視され、王朝として認めていないのでしょうか。武烈大王で皇統が断絶した事を知っていたのではないだろうか。ところで、先代旧事本紀では何故、淡路州の事を喜んでいないのでしょうか。これも、新たな謎ですね。物部氏の祖先とは異なる氏族が淡路島に関係していたのでしょうか。
今回の発掘で判明した事は1世紀から3世紀という弥生中期の頃に淡路島に巨大な鉄製品加工工場が建設されていたという事実です。邪馬台国の卑弥呼が死んだのが西暦248年でしたよね、3世紀中葉です。朝鮮半島の洛東江流域の加羅(伽耶)諸国から沢山の鉄挺(鉄の延板)を船に積載し金属加工技術者も船に載せ、淡路島に工場を建設したのは誰かという事です。
巨大消費地が近くに存在したと考えるのが順当です、吉備の国、摂津の国、難波の国、ヤマトの国となりますね。勿論、河内湖経由で山城の国もあったかもしれない。鉄製品で重要なのは武器だけでなく、農耕用具、土木作業用具が重要です。川の流れを変え、灌漑を行い豊かな稲作が出来る土地を開拓した原動力だったでしょうね。
NHKドラマ 浪花の華
最近NHKのドラマ『浪花の華』を興味を持って楽しんでいます。緒方供庵が適塾を始めるあたりの文化文政の時代の大坂を描いています。適塾はその後、福沢諭吉や大村益次郎、橋本左内等々の逸材を輩出し大阪大学の医学部の母体となった事は皆さん良く御存知だと思います。
参考 NHKドラマ『浪花の華』
ドラマとしては、男装の麗人の左近とが織りなすスリルある娯楽番組となっています。この麗人、左近は大阪の商人を守る闇の武力集団である在天別流(ざいてんべつりゅう)の親玉の妹という設定で異国人を祖に持つ人である点が興味あります。
江戸時代というと、関東の人々はサムライが天下を支配していたと考えておられるが、大阪ではサムライは千人程度しか存在せず、自治都市に近い自由な活気ある商業都市でした。それが維新後も続いた訳です。緒方供庵という蘭学医の海外の文化文明への窓を通して大坂という世界を描こうとしています。
在天別流については、事実かどうか知りませんが、多分、大阪(難波)には古代から大陸の人々が多く移住し活躍していたと想定されます。商人の世界を守る軍団が存在していても不思議ではありません。公家さんや寺社が自分の経済を守る為に色んな闇の組織が存在したとしても、不思議ではないし中世の頃から考えられます。
秀吉暗殺に関わった石川五右衛門も丹後の古代から続く大陸との貿易に関係した異国の人々の利益を守る闇の組織であった可能性が最近、指摘されていますね。古代から大陸や朝鮮半島からは多くの貿易に関わる人々が来日し、土着化して組織を形成していたと思います。彼らは、自由な貿易を阻止する権力に対して闇で戦っていたと思います。
先日登場した英国人と中国人の混血の麗人が京都の有名な公家さんの妾さんになっている場面がありましたが、多分に古代から続く大陸、朝鮮半島から来られた美人を嫁さんにする関西方面の権力者の一端を伺い知れました。
参考過去記事 蘇我稲目と渡来美女
脱線しますが、日本女性のプライドの為に逆のケースについても記録しておきます。記紀によりますと、新羅の皇子のツヌガアラシトという人は、嫁さんは日本から来た人でした。彼女は皇子が厭になり日本に逃げて来ます。それを追いかけて瀬戸内海から難波に到着しますが、確か住吉の神に阻止され最後は若狭湾(敦賀)の方に逃げ現地の女性と再婚したという、おもろい話があります。
浪華、浪花、難波と呼ばれる土地は古代から大陸との貿易で栄えた都市国家です。稲作で土地に縛られた農耕民とは違う、自由な国際的な価値観が存在した場所だったのですね。ドラマは緒方供庵の目を通してそんな浪華の世界を楽しく描こうとしていると思います。これからも、見逃せない番組です。


















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