« 日本神話と淡路島 (その1)国生み神話編 | Main | 天使の歌声 Libera(リベラ) »

日本神話と淡路島 (その2)女神の系譜

 承前 日本神話と淡路島 (その1)国生み神話編

 承前 淡路島に弥生中期の巨大鉄器の工房跡

 淡路島の弥生時代からヤマト王権が奈良盆地、河内地方に成立する時代背景を探る旅をしています。記紀や旧事紀や風土記や考古学の成果を踏まえて旅をしていますが、先導役は森先生の『記紀の考古学』や『日本神話の考古学』を参考にしています。

 『淡路島は古代神聖な場所だった』

 瀬戸内海の最大の島である淡路島は古代の天皇家に於いて神聖な場所とされていたのではないかと、森先生が『日本神話の考古学』で述べておられます。主な根拠は日本書紀の記述にある二か所に注目しています。

 ・国土創生神であるイザナキの終焉の地が淡路島と記述されている。

 ・履中天皇5年の記事として、天皇が淡路島に狩りに出かけた時に、河内の馬飼部(うまかいべ)の鯨面(顔の入れ墨)の傷が未だ癒えていなかったので、この島のイザナキの神が神官の口を借りて『血の臭きに堪えず』と文句を言ったという記事があるそうです。

 ・考古学の方面では、これだけ大陸との航路で要になる場所であるのに、前方後円墳が存在しないのは不思議である。恐れ多い場所として、崇められていた場所ではなかったか。

 そこで疑問が湧きますね、何故それならイザナキの古墳が存在しないのかという疑問です。森先生は日本神話の不思議な事実として男神には墓が無いという面白い話を語られております。

 『日本神話では女神のみが墓がある』

 降臨される前の高天原におられる神々は勿論地上に墓が無いのは理解できますが、降臨された以降の神々であれば、何処かに墓がありそうなんですが、女神にしか葬送儀礼の記述と墓の記述はなく男神は、お隠れになるという記述しかない。

 男性の私としては寂しい限りですが、どうやら倭人という海洋民族の風習はそのようだそうです。ちなみにイザナミ(国土創生女神)さんは、紀の記述では豪華な葬送儀礼の記述と熊野の有馬村に埋葬されたと記録され、記では出雲国と伯耆国との境の比婆の山に葬ったと記録されている。

 確かに魏志倭人伝でも女王卑弥呼の墓と葬送について巨大な墓を造ったという記述がありますが、記紀にお於いても大物主さんやスサノオさんの墓の記録が無い。男神というのは風のような存在だったんでしょうかね。

 『篤姫に思う』

 昨年の大河ドラマ『篤姫』を楽しませて貰いましたが、あの気骨のある男勝りの姿は薩摩の女の歴史を感じていました。古代で言えば、彼女は薩摩半島生まれ、吾田隼人の娘となりますね。神武天皇の故郷である日向の地となります。(古代は宮崎県と薩摩半島、大隅半島を日向と呼ばれていた。ニニギの命さんは霧島の高千穂に降臨し吾田の地に拠点をおかれた。)

 隼人の娘は軍団を率いて戦う戦士であったと言われています。記紀には隼人の女性が頭となって戦う場面が沢山記録されていますね。神武さんが熊野から吉野に入った時に神武さんを助けたのは、隼人の吉野連の井光女(いひかめ)さんでした。女性の支配者だったのですね。景行天皇の時は九州遠征で、碩田(おおきた=大分県)国での速津媛、八女県(やめのあがた)での八女津媛、周防の婆麼(さば=防府市)の神夏礎(かむなつそ)媛が首長として活躍した。

 崇神天皇と山背のタケハニヤスとの古代最大の内戦ではタケハニヤスの奥さんの吾田隼人の吾田媛が軍団を率いて河内から奈良盆地に攻め入ろうとして、崇神軍の吉備津彦と戦った記録がありましたね。

 どうやら、崇神天皇までの神々と天皇さまは、南方系の色彩と海の民の習俗に囲まれているようですね。宗像神も三名の女神ですからね。それが、どうやら崇神さんあたりから、確実には5世紀の河内王朝あたりからは朝鮮半島の騎馬民族の習俗が目立つようになりますね。

 島津斉彬さんは篤姫に吾田の媛という古代の思いを込めて、当時の最大の権力機構に挑んだのかもしれませんね。歴史を知らないと、斉彬さんの深慮遠謀は理解出来ない。

 

|

« 日本神話と淡路島 (その1)国生み神話編 | Main | 天使の歌声 Libera(リベラ) »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



« 日本神話と淡路島 (その1)国生み神話編 | Main | 天使の歌声 Libera(リベラ) »