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巨大古墳の世紀 百舌鳥・古市古墳群

     巨大古墳の世紀 百舌鳥・古市古墳群メモ

  継体大王の時代を考えるのに、歴史的に前後の歴史を調べないと理解が出来ないと考えるようになりました。最近は三冊の古代史に関する本を読んだ。森浩一先生の『巨大古墳の世紀』岩波新書、直木孝次郎先生の『古代を考える 難波』吉川弘文館、鬼頭清明先生の『白村江 東アジアの動乱と日本』教育社の三冊です。

3世紀から三輪山付近で巨大な前方後円墳を築きヤマト王権が成立したと考えられる世界が何故4世紀末から5世紀にかけて河内の地(百舌鳥・古市)に巨大な前方後円墳が出現し古墳の副葬品も従来の呪術的なものから馬具を中心に金銅製・金で出来た武力威圧のような世界に激変したのでしょうか。

応神大王・仁徳大王から雄略・武烈大王に連なる王権はそして何故突然に終焉する事になったのだろうか。王統が絶え、継体大王が擁立されねばならなかったのか、謎が多いのです。

 大山古墳(伝:仁徳天皇陵)グーグルアース:

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Photo百舌鳥古墳群の盟主は巨大な大山古墳(伝、仁徳天皇陵)です、周りには陪塚が多く築かれていますが、既に存在した小さな古墳を抱き込んだ形でもあります。墳丘全長474メータ後円部径245メータ、築造には一日千人で4年が必要だそうですね。森先生の記述では今までの出土物その他、考古学の分析から5世紀末から6世紀と考えられ仁徳大王の陵とは異なるという意見です。

誉田御廟山古墳(伝:応神天皇陵)グーグルアース:

Hondayamakofun 古市古墳群の盟主は誉田山古墳です、墳丘全長では大山古墳に劣るが墳丘の体積では大山古墳を凌駕する巨大古墳です。考古学的にも大山古墳よりも時代は古いと想定されています。記紀には応神天皇の陵墓に関する記述が無いそうですが、平安時代頃からこの古墳は応神天皇陵と呼ばれていた古文書があるそうです。

(河内湖の状況)

 河内の状況は百舌鳥地域から細長く北上する上町台地で大阪湾は閉ざされ、僅かの距離で千里丘陵の細い海峡で河内湾(弥生時代には淡水化していたそうです)に連なり、巨大な河内湖が広がり、そこに大和川、淀川が注いでいた。

 奈良、大阪、京都に降る雨は全てこの河内湖に集中し洪水の被害は想像以上であったようです。難波の語源は、満潮時と干潮時に凄まじい速度で大阪湾と河内湖のくびれの海峡を潮が流れる事から、命名されたと言う。

「kondayama.kmz」をダウンロード

 しかし、仁徳天皇の時代(5世紀仁徳11年)に難波高津宮北の上町台地に東西に、人口的に掘削され河内湖の水を上町台地を横切り大阪湾に逃す大土木工事がなされたという。それが、今の大川だという。これで、河内湖の水位は低下し、湖岸は干拓され農地が広がり灌漑用の水路も沢山掘削されたという。

 仁徳天皇以降は河内はもはや、水害から免れ、豊かな広大な農地が広がったそうだ。そして、大陸との交易路として難波津は重要な場所となったようだ。仁徳天皇の時代までは現在の住吉大社のある住之江(澄んだ水)が港湾として栄えたが、大川掘削後は難波津が淀川、大和川との交通の便より栄える事になったという。そして、大和川流域の渋川あたりに拠点を築いたのが物部氏だそうです。

 住之江は大伴氏が拠点にした場所ですが、5世紀以降、難波津が大津(朝廷が定めた重要な津)として利用され、物部氏の隆盛となります。

 (弥生時代の関西)

 河内湖で関西の南北は遮断されていた、河内湖の南部と北部の地域では文化・文明が異なっていたそうだ。しかし、5世紀の大川掘削以降はそれが融和する方向になったと言う。継体大王が登場出来る基盤はそういう意味で、琵琶湖、淀川北部の山背方面の勢力も河内南部と融合出来る環境が整ったのでしょうね。

 という事は、本当の意味で関西方面が統一されたのは、5世紀以降かもしれませんね。

 (巨大古墳の意味)

 お正月の番組でピラミッドは公共事業であったという話でした。ナイルの氾濫で農業が出来ない人々を王様はピラミッド建設という公共事業で民を救ったのだ。同じように、あの百舌鳥・古市巨大古墳群も考えられないだろうか、河内は奈良、大阪、京都、滋賀の雨が河内湖に集中し幾多の氾濫に見舞われたただろうか、ナイルと同じですね。

 そんな時、ヤマトの王様は前方後円墳を築く事業を起こす事で民を救ったのではないだろうか。現在でも通じる経世済民ではないだろうか。仁徳天皇が記紀であれだけ徳のある大王だと伝えられる背景にそのような事があったのではないだろうか

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