三渓園 写真によるご紹介(1) 大池編
横浜には三渓園という素晴らしい名勝地があるんですね。40年近く横浜近くに住んでおりながら初めて訪問しました。
参考 鋭理庵さんのブログ
明治の財界人は金儲けだけでなく、社会への奉仕という哲学が存在したのは素晴らしい。当時の最大の輸出品であった生糸で原三渓(富太郎)は財をなし、横浜に17.5万m²の土地を購入し庭園の構築と京都、鎌倉から歴史的建造物を移築した。そして、芸術家を招聘し彼らに日本の素晴らしい芸術作品に触れさせ、且つサロンを提供し未来の芸術家を育成した。
当時4円程度で生活できたそうですが、彼は一人あたり毎月100円を提供し芸術家の育成に尽力したという。そして、庭園は一般庶民に公開したという。政治家としても活躍したそうですね、以前、テレビで彼の特集番組を観て感動した事がありました。
『庭園(外苑)のご紹介』
来客感謝 80万アクセス
開局が2004年3月で早くも5年目になろうとしています。niftyの当時の社長の古河さんに勧められ始めたJoBlogですが、京都のMuBlogに励まされ、ふうてん老人にも励まされ、その後、奈良のほかもどりさんや、道産子のてっちゃんのブログに育まれてここまで来ました。その後も何人かの素晴らしいブロッガーに助けられ継続する事が出来ました。
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どうも私のブログは大阪のクエ料理屋さんのホームページみたいですね。別に提携してる訳でもありません。やはり、男性諸氏にとりY染色体の話は身につまされる話題のようですね。山歩きも人気のようですね、これから頑張ってメタボ解消に頑張ります。
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相変わらず九絵家さんが一番です、ホンマお歳暮が届きませんかね。(笑)ところで、潜水艦型空母に人気があるようですね。過去記事 潜水艦型空母
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千葉・静岡には赤とんぼの仲間がいます、京都はMuの旦那と親戚が愛知は不明、多分昔の会社の仲間、埼玉はYsさん、北海道は娘夫婦と関係者ばかりで支えられてる事が判りますね。
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日本語だけのブログですが、英語でも少しアクセスがあるようです。中国、韓国、ドイツと僅かですがアクセスがあり驚いています。
古代史関係も書いていますが、殆ど人気が無いようです。というか、感心のある人が少ないという事でしょうね。ちゃんと学校で日本史を必須課目で教えて欲しいです。
2009年 大倉山梅園梅通信
今年は梅の咲が早く感じます。近所の庭の梅も早くも咲いているんです。暖冬なんでしょうか、地球温暖化が進んでいるんでしょうか。と、いう訳で大倉山梅園の梅模様をお知らせします。
今日は仕事の帰りに、夕方4時頃に渋谷から特急に乗り腰かけてしまったのが運の尽き、寝てしまい気が付くと横浜駅でした。直ぐに引き返し大倉山駅で下車し、直ぐに大倉山梅園のある大倉山に登った。
マイフォト 大倉山梅園2009年1月26日の模様
記紀の考古学 古代最大の戦争(タケハニヤス戦争)
日本書紀、古事記や先代旧事本紀に書かれた日本列島の歴史は専門家の歴史学者や考古学者により、どこまでが本当の話なのか、虚なのか学問領域で日々研究されている。私のような素人、日曜歴史考古趣味の親父としては、神話として残された話は全くの虚構、創作とは思えない、その背景に何か伝えたい事実が存在したと考えています。
考古学者の森浩一先生が残された書物、『記紀の考古学』については以前、記事を書きました。最近は同じ先生の『日本神話の考古学』を読んでおります。神話として残された話に何か考古学的な物証が存在しないか、森先生は私の興味に応えてくれる書物を残しておられます。まだまだ、これからの研究に委ねる分野が多いようですが、本当に面白い内容で満たされていました。
今日は、その中で以前にも記事にしました、そして私の生まれ育った土地の近所で起こった古代の事件ですから、再度メモを残したいと思い記事を書きます。それは、三輪王朝を築いた崇神大王(ミマキイリヒコ=ハツクニシラススメラミコト)の最大の危機で且つ、古代最大の内戦だったと言われる山背に拠点を持つタケハニヤス(武埴安彦)との戦争です。
『記紀の考古学』に沿ってグーグルの写真を参考にしながら眺めてみましょう。
グーグルアース 木津川流域
最近の考古学、歴史学の世界では第10代天皇とされる崇神天皇からが実態のあるヤマト王権の始まりであると言われている。将来は神武天皇の時代まで考古学、歴史学が実態を究明できるかも知れない、けど、今は残念ながら崇神さんからと言われている。
崇神さんが三輪山近郊に王権を開き領土拡大を図ったと記紀は述べる。そこで、四道将軍を任命し北陸、東海、西道、丹波制圧に将軍を侵攻させたと記紀は述べる。北陸道に派遣されたのが、大彦(大毘古)である。彼が、京阪奈丘陵(当時は和珥坂と呼ばれた)に差し掛かると、童女が不思議な歌を歌っていた。
注:実は実家のお墓が伝:王仁博士の墓の向かいにあるんですね。和珥坂です。
『ミマキイリヒコ(崇神大王)よ、自分の命を殺そうと 時を窺っているのもしらず 姫遊びをしている』という童謡であった。この童謡の意味を解いたのが、ヤマトトトヒモモソヒメ(箸墓古墳の主とも伝承あり)であり、山背のタケハニヤスが謀反を起こそうとしていると解釈した。理由はタケハニヤスの奥さんの吾田媛(アタヒメ)が大和に来て香具山の土を採取し呪をかけたという。
大彦と和珥氏の遠祖であるヒコクニブク(彦国茸)は崇神大王軍として京阪奈丘陵を越え(ワニ坂)木津川のタケハニヤスの拠点を攻撃した。タケハニヤスの奥さんである吾田媛は軍を率いて大坂で崇神軍の将軍である吉備津彦と戦った。
吾田媛は名前から吾田隼人、神武天皇の故郷でありニニギノミコト、コノハナサクヤヒメの故郷である薩摩半島の吾田隼人の後裔である。奈良朝以前の日向とは宮崎県から鹿児島県を含んでいたそうで、薩摩半島は吾田隼人、大隅半島は大隅(大住)隼人の拠点であったそうだ。
実はタケハニヤスの拠点の木津川の上流、椿井大塚山古墳・平尾城山古墳・涌出宮の対岸の現在の京田辺の北側、木津川左岸は隼人の人々が拠点とする場所だったそうです。現在でも、大住という地名が残存すると森浩一先生は述べています。
話は飛ぶが、崇神天皇の子供でイクメイリヒコ(垂仁天皇)の妃の一人がこの京田辺の大筒木垂根王(おおつつきのたりね)の娘、カグヤ姫(迦具夜比売)なんですね。日本最古の小説である『竹取物語』は南方の説話であり隼人が持って来たと云われています。彼らは竹細工が得意ですし、近くの石清水八幡宮の竹はエジソンが電球に使用したほど、竹では有名な場所なんですね。
又又、脱線しますが20年前に仕事で『東アジアの民話』のアニメーション番組をテレビでやろうと燃えていた時代がありました、取材で台湾からフィリピン(ルソン島)迄取材に行った経験がありました。フィリピンでは確かに『竹取物語』の原型が存在していました。これは、確かな事であり薩摩半島に伝わったと考えて不思議はありません。
そうそう、山背のタケハニヤスとオオヒコとの戦いでしたね。戦場は木津川の上流から南下し最後は継体天皇が即位した樟葉で崇神軍が勝利を収めたそうです。最後の決戦場は樟葉だったそうですね。
木津川は死体が累々と浮かんでいたそうです。崇神軍の大彦とタケハニヤスは共に父は8代天皇である孝元天皇の異母兄弟でした。
崇神天皇の時代は未だ、南山背から山背はヤマト王権の統治領域ではなく異国であった訳ですね。
最後に、京田辺周辺から北西領域は隼人の拠点と述べました、そして『竹取物語』の故郷と述べました、今でも奈良の二月堂のお水取りで使用する大松明の竹はわざわざ、この京田辺から運ぶのですよ。確か、その儀式の模様は、ほかもどりさんのブログ『それから』で記事にされていたと思います。
自由が丘での新年会
昨夜は自由が丘の『金田』にて新年会が開催された。幹事はバンコクで元気な同期の哲ちゃん。6名が集まったが、中国ビジネスのエキスパートの儘田さんはゴルフで不参加でした。又、斉藤Vuさんもホーチミンの会社が今はテト(旧正月)で休みだけど、仕事の追い込み中で夜の10時までは通信連絡の為に参加できなかった。
斉藤Vuさんが参加すれば、又、宇宙の話を聴けたのに残念でした。彼は専門が宇宙物理でベトナムから日本に留学し東大で博士号を取得した。しかし、ベトナム戦争で国が消滅し日本人女性と結婚し日本の国籍を取得されたのです。
昨夜の長老は大島さん、長く教育の分野と海外で活躍するSEの部隊を率いて来られた人です。独立後もIT関連の人材育成、海外との連携に関係する仕事を幅広く手掛けておられます。生まれは、秩父の名家です、世も世ならば秩父の大島城の城主さんだったでしょうね。
1年先輩の佐藤チューさんは、1時間程度遅れて参加されました。昔はスペイン、フィンランドで活躍された先輩です。今は現役でフィリピンとのビジネスをやられているそうです。数年前、チュー先輩とVuさんと私で翻訳の仕事を、ご一緒させて貰いました。
同じく1年先輩の福永さん、私の思い出は40年前のKDDさんの超高信頼システム開発のメンバーとして活躍された頃の姿です。昨年12月まで私も一緒に或る会社の顧問をしていました。顧問会議のあと夕方からビールを飲みにゆき、古代史や世界史の話をするのが楽しみでした。
後輩の祇園の置屋の息子も参加されました。数年前までソウルに駐在しておられ、今は国内の会社で働いておられます。製造業専門のSEさんでした、私が文京にいる頃一緒によく飲みに行きましたね。故人になった藤城さんも何時も一緒でした。
新年会は盛り上がり、解散となりましたが、皆さんを自由が丘駅近くで見送り哲ちゃんと二人で二次会へと足が向かいました。私は最近、酒に弱くなったのか二次会の場所では『お茶』をすすっておりましたね。(笑)
我々の仲間の集まりも段々と一期一会になると考えて会うことにしています。先日も上野の音楽会でご一緒させて貰っていた58歳の男性の訃報をけんた&アトムパパから聞きました。大学時代のバンドリーダだったそうです。
参考ブログ てっちゃんの記事
(故郷の中学校の同窓会)
中学時代のクラスメートから、同窓会をするという通知が来た。どうやら、我々が学んだ学び舎が取り壊され、新しく建て直されるので最後に学び舎に感謝の儀式をしようという呼びかけでした。私が中学1年生の時に枚方市立第三中学校が新設され、牧野駅近くに出来ました。2年生から私は一中には通わず、三中に通い始めましたので、二期生という事になります。
3月末に開催されるそうなので、楽しみです。
淡路島に弥生中期の巨大鉄器工房跡
本日朝刊では1世紀から3世紀頃と考えられる巨大な鉄器鍛冶工房跡が淡路島の黒谷・五斗長地区の垣内遺跡で発掘されたと報道がありました。
神戸新聞報道 県内最古の鉄器工房か
産経ニュース 国内最大規模の鉄器工房跡
同上 工房跡写真
毎日新聞 同上報道
さて場所は何処でしょうか
グーグルアース 淡路市 黒谷・五斗長地区 垣内遺跡
グーグルアースで遺跡を探しました。淡路島北西部の山奥なんですね。勿論、湾から川を遡り輸送ルートは確保されていました。製鉄には多量の木材が必要ですから山奥になるんですね。
今回の鍛冶遺跡の発見はどういう意味があるんでしょうね。従来は近畿地域には1世紀から3世紀の時代に製鉄、鍛冶遺跡が少なく邪馬台国九州説が有利と言われていました。北部九州から製鉄・鍛冶は始まったのは事実でしょうが、どの程度の速度で東に伝播したかが問題でした。
今回の淡路島に巨大な鍛冶の遺跡が発見されたのは、邪馬台国前夜には既に近畿圏に大規模な鉄の加工工場が存在した事になります。写真にある鉄の板は鉄挺(てつてい)と呼ばれ、朝鮮半島の洛東江流域の加羅(伽耶)の国々から運ばれて来たと私は予想しています。
魏志倭人伝でも倭が伽耶(加羅)の国々から鉄を輸入していると書かれています。多分、今後、出土した鉄の成分分析から何処で製造された鉄か判明すると思います。
三輪山周辺で巨大な前方後円墳が建造始まる前夜の遺跡ですから、邪馬台国と関係が深い遺跡である可能性がありますね。これからの、研究が楽しみです。朝鮮半島もしくは中国の鉄挺(鉄の延板)が淡路島北部に運ばれていた事実は近畿圏の王権が既に瀬戸内海航路を確保していた事を証明しているとも考えられます。
しかし、何故、淡路島なのか面白いと思います。明石海峡はヤマトと瀬戸内海航路の関所のような場所ですよね。武力を持つ航海民(海人族)が製鉄集団を抱えて工場を自分達の拠点に建設したと考えも成り立つと思います。
オバマさんの力の源泉
アメリカの民主主義がオバマさんの勝利で新しい時代に突入したのと強く感じた。彼は予備選からインターネットのSNSを利用し小口の献金を全米から集めた。確か640億円程度を集めたと聞いている。barackobama.comを覗いてみると30ドルから献金が可能でSNSに入る事が可能だ。
1200万人の草の根(GrassRoots)の彼のサポータがこれからの法案作成時の国民の意見を吸い上げる機構となっている。彼は直接国民とコミュニケーションを取るチャネルを保持しているのだ。インターネットという便利なコミュニケーションインフラが成立した近代国家では今回のオバマ選挙手法は新しい民主主義の時代を提言していないだろうか。
通信手段が未発達の時代に成立した現在の政治家と国民の関係、官僚機構と国民の関係、法案の制作プロセス手法、法案の提案プロセス手法、等々が根底からもっと国民の意見を吸い上げ,議論出来る上等なシステムを構築出来るのではないか?それを、オバマさんは切り開くパイオニアになる可能性があると感じる。
オバマさんの1200万人の草の根サポータが彼の原動力であり、彼のネットワークが破壊されない限り議会や抵抗勢力と闘えると考えています。ブッシュ政権はどちらかというと力の政権でした、そして石油仲間や金持ちに優遇の政権で、市場開放を世界中に強要しアメリカ資本主義を押し付けた。国際会計基準もその一つですね、会社は株主の為にあるという考えを支える仕組みを強要した。
しかし、オバマの支持母体は一人30ドルを献金する草の根の仲間達ですね。貧乏人の視点から国家のありようを見る政権が期待される。大きく振り子は振れるのではないだろうか。日本も旧来の終身雇用制度や安心して給料は安いけど安心して働ける世界に戻る事が出来る具体的な国際基準をオバマさんに提言すればいいと思う。
日本もオバマさんが駆使したインターネットを上手に利用する手法を法律で認めるべきではないだろうか。barackobama.comはアメリカ市民権を持つ人間か、永住権を持たないと参加出来ないので私は参加出来ないけれど、便利なツールを使いより国民の意見を採用できる政治の仕組みを日本でも考えて欲しい。
特に、高額の住民税を払わされている地域の政治に対してはもっと意見や提言や条例作成等々に参加出来る仕組みを考えるべきではないでしょうか。
しかし、1200万人の会員を抱えるオバマさんのSNSは巨大な通信会社であり、政府のような気がしますね。
もはや、日本の政治も官僚機構も賞味期限が切れましたね、新しいインターネットを利用した国民の意見を吸い上げる、草の根政治民主主義を建設出来ないのだろうか。
バラク・オバマ大統領就任
昨日は夕方の食事後、サッカーの試合を観て直ぐに寝てしまった。息子が深夜に帰宅し目が覚めた。1時近い時間なので、丁度ワシントンからの大統領就任の中継を観ることが出来た。午前1時10分頃からNHKテレビでは中継を始めた。
歴代の大統領、ブッシュの親父、カーターさん、クリントンさん夫婦で参加していた。世界中の首脳を呼ぶのかと思いきや、誰も呼ばないという。各国大使だけが招待されているそうだ。きっと理由があるんでしょうね、それも歴史です。
200万人がワシントンに集結したという、普通は5~60万人が住むワシントンに4倍の人々が集まった。軍、警察、等々を入れるともっと沢山の人々が大統領就任式に参加したのだ。
グーグルアース アメリカ合衆国議会議事堂
オバマさんはリンカーン大統領を崇拝しているそうで、宣誓の時の聖書もリンカーンが使用した聖書を使用したそうです。随分と緊張しているように見えました。
スピーチは20分程度でした、私も注意深く同時通訳で聴いていました。今アメリカは戦争状態にあり、泥沼のようなイラク、アフガニスタンでの戦線が展開している。経済は100年に一度という危機的状況にあり、まさにドン底で彼は大統領に就任した訳です。彼は簡単にはこの苦境を乗り越える事は出来ないと宣言した。
国民一人一人が未来に向かって責任を全うし勤勉で頑張って欲しいと国民に投げかけている。建国以来、幾多の難局に直面したが、アメリカは乗り越えて来た、明るい未来は必ずあるので頑張ろう。世界の国々と連携して苦境を乗り越えようと、外交方針の転換を述べた。
60年前にはオバマさんの父親はレストランで差別を受けた、その息子が今大統領になった、それが出来る国だと締めくくったのが印象的でしたね。
昨日は昼間、日本の国会中継をテレビで観ていた、違いが有りますね。日本の政治家は私は何をやると言う。オバマさんは、やるのは国民だという。国民に支えられているから政治家は働けるという根本的な所が、少し違うように感じた。
しかし、ヒラリーさんのアップの映像を観て驚きましたね、顔が皺だらけで70歳80歳以上のような風貌になっています。どうしたんでしょうか。何があったのでしょうか。オバマさんと闘っている時はそんな印象と映像は有りませんでした。噂されている、過去の中国からの献金が問題になっているんでしょうか。
1620年に清教徒102名を乗せたメイフラワー号がボストンのプリマスに到着してアメリカは建国の道へと進みました。関が原の戦いが1600年ですから江戸幕府が始まった頃にアメリカは移住が本格的に始まった歴史の浅い国なのです。
さて、アメリカがどうチェンジ出来るか、日本はどうチェンジ出来るか、日本の政治も国のかたちも、思いきったチェンジが必要だと思います。やるのは、国民ですよね。
劣化するY染色体
昨夜NHK特集『女と男』の番組を観ていて本当に衝撃を受けた。Y染色体が長い人類の歴史の過程で劣化してボロボロ、しかも精子が弱くなっているという。劣化というのは、長い人類の歴史でひたすらコピーしいる間に突然変異とかコピー時にある部分が抜けるとか、そういう事があるらしい。
女性は父のX染色体と母のX染色体をコピーされるが、X染色体は二個あるので、欠損があると修復してコピーが出来るという。しかし、男が生まれる時は父のY染色体しかないので、修復も欠損部分を補修も出来ないという。哺乳類が胎生を選んだ瞬間からそうらしい。
ヒトの精子が弱くなっているのは、一夫一婦制で精子間の競争が無くなり強い精子を残すメカニズムが働かない環境を作ってしまったからだという。乱婚の猿の精子と比較すると確かにまるで、元気が無い。(笑)デンマーク、フィンランドの現状が報告されていたが、人類はこれから大丈夫かな~~と、危機感を感じた。
番組に登場した学者さんは、あと500万年以内にY染色体は消滅すると予言していました。人類の滅亡ですね。今から、元気な精子を冷凍保存しておかねば人類の滅亡から逃れる事が出来ないのだろうか。
しかし、確かに映像で見るY染色体はX染色体に比較して小さく頼りない染色体になっていますね。格納する遺伝子情報もXに比較して極端に少なくなってしまっている。哀れな姿に驚きました。
ウラルアルタイの遊牧民の伝統である男系の後継ぎの方法、日本の天皇家の伝統もそうですが、正確純粋に遺伝子を伝える方法としては男系というのは意味があったのですね。
さて、人類はこれからどんな道を選んでゆくんでしょうか。
副都論について
最近は遷都論が下火ですね、一時期は遷都論が賑やかでした。東京への一極集中でいいのだろうか、新幹線や飛行機、道路族のお陰で高速道路が整備され、益々東京への集中がされている世界でも稀有な国家の状態ではないでしょうか。
関西は疲弊しています、否、地方は経済的にもあらゆる面で疲弊しているのが現状ではないでしょうか。それに対して特効薬は無い。横浜という東京圏に住んでいる人間からは東京の繁栄の元で生きている訳ですから、言う事にあまり重みは無いと思いますが、少し考えてみたいと思います。
(副都という考えを御存知ですか)
江戸時代の繁栄は政治の江戸に対して、大阪の天下の台所という二極が存在しましたね。江戸が武士の世界とすれば、大阪は商人の世界でした。日本中の米や生活物資は大阪に集積され消費地である、江戸に送られた。日本は二極の文化が存在し、且つ地方でも豊かな文化が築かれたと思います。
多様性というのは、国家が危機に遭遇した時に生き延びる重要な道なのではないだろうか。企業でも東大生だけを採用していては、危機的状況に遭遇すると脆いと経営学では学びました。水滸伝で言う、梁山泊の世界が一番企業を強くし、危機的状況を乗り越える力があると学びました。
今の日本は、東京に全てが集中し過ぎている、地下鉄を見れば穴だらけ、これから今の経済状態を維持していなければ、メンテが出来ないローマが滅んだと同じ道を歩みそうに思えます。東京が将来、鄙な地になればこれらのインフラはどうなるんでしょうか。
川という川を埋め立て、道路とし海抜幾許かの土地なのに、危険な場所にインフラを築き過ぎたような気がします。地球温暖化で海面が上昇し、縄文海進がおこればどうするんだろうか。殆どの東京は海の下になる筈だ。縄文時代の海岸線を観たことがありますか。
私の心配は地球温暖化で海水が膨張し、海面が上昇し皇居も海の中に沈むことを心配しています。東京は地球温暖化に一番危険な場所にあると思います。最近のゲリラ豪雨で東京は水の恐怖に怯えました、当たり前です、昔の水路は殆ど道路で埋め立てたからです。勿論、道路の地下とか緊急時に水を溜める工夫はあるが、自然の前では無理ではないでしょうか。
本論から外れてしまいましたね、最近、直木孝次郎さん編集の『古代を考える 難波』を熟読しています。内容が学問過ぎて専門家向けの書物ですから、素人の私には難しいと思います。しかし、難波を副都とした聖武天皇の戦略には少し考えさせられました。
ハドソン川の奇跡
今日は朝からニューヨークの飛行機事故に関する報道で驚きを伝えていた。ラ・ガーデイア空港から離陸した旅客機がハドソン川に着水し、全員無事だという報道でした。
ラ・ガーデイア国際空港 グーグルアース
「la_guardia_airport.kmz」をダウンロード
ニューヨークに日本から出かけると、メインはJFK空港ですが、国内便としてはラ・ガーデイア空港がマンハッタンに便利なので、私も昔は良く利用しました。午後3時26分に飛行機は離陸し、数分後にバード・ストライクに遭遇し両翼のエンジンが停止し、左エンジンより出火したという。高度千メータ程度という。
午後3時29分程度でしょうか。空港に引き返すべく左旋回をハドソン川上空のジョージワシントン・ブリッジあたりで行う。ラ・ガーデイアへの帰還は無理と判断し緊急着陸空港の指示を機長はする。マンハッタン島西のニュージャージーの空港を管制塔はするが、交信は途絶える。
機長はハドソン川に不時着する道を選んだようですね。午後3時33分、離陸して7分後に飛行機はハドソン川に不時着した。高度千メータで動力を失った旅客機を無事ハドソン川に不時着させたのだ。しかも、両主翼は無事であった、これで飛行機の沈没は回避され、全員無事救助されたという。
ラジコン飛行機の経験から言いますと、狭い川に動力の無い飛行機を着陸させるのはとても難しいと思います、又、胴体着陸で水の上に着陸するのは鉄板の上に着陸するのと同じで凄まじい衝撃があります。よく機体の姿勢を保ち水平に着陸できたと感心しますね。
多分、着水時の機速は500キロ程度と思います、失速ギリギリ、エルロンもラダーも打てば失速する状態での着陸だったと思います。姿勢修正舵を打てば、そこで墜落する不安定な状態なのですね。見事であったと思います。
両主翼にはジェット燃料が多量に詰まっていますので、飛行機は沈まないのですね。これが、片方の翼でも破損すれば、機体は傾き脱出は困難だったでしょうね。本当に良かったです。
ハドソン川を挟み、マンハッタン島とニュージャージーは河底をトンネルで結ばれいます、汽車も車も地下トンネルで結ばれているのです。ですから、橋に衝突する危険はありませんでしたね。
しかし、離陸途中のエンジントラブルは一番危険な事故です。ラジコン生活で今まで幾多の飛行機を失ったか判りません。旅客機は戦闘機と異なり機敏動作が出来ません、本当に奇跡のような事故であったと思いました。
遠来の客
昨夕には来客があり御宿泊となりました。料理人のJo君は腕によりをかけて晩餐会の準備をした。午後には八百屋さんに行き、新鮮な野菜を仕入れ野菜中心の食を用意する事にした。
きんぴら牛蒡:得意な料理なので、ふんだんに日本酒を使用して水は一切使用しないで作る。煮しめ:里芋、人参、しいたけ、南京を日高昆布と鰹出汁と酒、みりん、醤油、砂糖で煮る。胡瓜とわかめの酢の物:胡瓜三本に琉球の深層水から作られた琉塩を擦り込み薄く切り、10分程度放置し水を抜く。わかめと和えてポン酢を絡ませる。
メインは海鮮水炊き:海老、タラ、鮭等々と野菜を沢山入れて昆布で沸騰させ、ポン酢と擦り大根で食べる。日本酒の熱燗、ワイン、ビールと酒も準備。
朝食:アジの開きの焼き物、味噌汁、小松菜のお浸し、焼き鮭、卵焼き、納豆、トーストに夏ミカンから自家製造されたマーマレード(客人が持参)。ドリップコーヒー。
昨夜は随分と楽しい宴会となり、息子も一斉退社日で早く自宅に戻って来たので4人で楽しい宴会となった。客人の生まれ育ちが石見地方なので、出雲、日本海の話が中心で面白い話を沢山聞く事が出来た。
(白村江の敗戦の意味)
最近、鬼頭清明先生の『白村江 東アジアの動乱と日本』を読んで、色々と考えさせられる事が多かった。当時の東アジアの政治情勢が生き生きと描かれており、ヤマト王権の立場がよく理解する事が出来た。そして、百済から亡命された多くの人々のお陰で日本の律令制度が確立してゆけた訳です。
百済の王族である、余自信、鬼室福信の一族の鬼室集斯らは男女七百余人の百済の人々と共に669年、近江国蒲生郡に居住、そして蒲生郡の東北、神崎郡にも四百人程の百済人が665年に居住している。
彼らはヤマト王権の官僚として採用され、官僚機構の強化に尽力を尽くしたと言われ浄御原令や大宝律令の作成に尽力されたという。万葉集や日本書紀、古事記が記録として残った背景にはこのような朝鮮半島からの亡命者の知識人の尽力があったから出来たのでしょうね。
日本最古の獣骨祭祀跡
産経ニュース 千葉取掛西貝塚 日本最古の獣骨祭祀跡
読売ニュース 獣骨を使った最古の遺跡
参考Web 関東の縄文貝塚から縄文の暮らしを考える
グーグルアース 千葉取掛西貝塚遺跡
「Torikakenishikaizuka.kmz」をダウンロード
グーグルアース 加曾利貝塚遺跡
本日朝刊に千葉県船橋市の取掛西貝塚遺跡に関する記事が掲載されていました。1万年前の縄文早期の遺跡だそうですが、イノシシの頭蓋骨10数体分見つかり、獣骨を使った儀式を示す日本最古の例と見られるそうです。
大森貝塚がモースにより発見されてから、昔は貝塚はゴミ捨て場という考えが定着していたそうですが、最近は貝の加工工場跡であるとか、祭祀場ではないかと議論されているようですね。祭祀場の論が最近の主流なんでしょうか。
私も2年前に縄文時代、石器時代の遺跡の発掘作業に従事した経験がありますが貝塚は貴重な遺跡なんですね。日本の土壌は酸性ですから、骨は溶けてしまうのです。しかし、貝殻の中に人骨、獣骨が存在するとアルカリ性の為に溶けないで残る可能性があるんですね。ですから、貴重だそうです。
イノシシの頭を並べてどのような祭祀をしていたんでしょうか。それとも、イノシシの頭を被り踊りを踊りパワーを貰うような祭祀だったのでしょうか。当時のフィルムが存在しないので、判りませんね。(笑)江戸時代まで、名前に獣の名前をつけ力、霊力を貰う風習は残りましたね。例えば、蘇我馬子、入鹿とか、坂本竜馬・・・・。
遺跡の発掘で面白いのは、獣を取る『落とし穴』ですね。石器時代から獣を取るのに落とし穴を発明していたんですね。その場所だけ土の色とか層が違うので直ぐに判明するんです。穴の下には『さかもぎ』を立てて落ちたら刺さるようにしていたんではないでしょうか。
巨大古墳の世紀 百舌鳥・古市古墳群
巨大古墳の世紀 百舌鳥・古市古墳群メモ
継体大王の時代を考えるのに、歴史的に前後の歴史を調べないと理解が出来ないと考えるようになりました。最近は三冊の古代史に関する本を読んだ。森浩一先生の『巨大古墳の世紀』岩波新書、直木孝次郎先生の『古代を考える 難波』吉川弘文館、鬼頭清明先生の『白村江 東アジアの動乱と日本』教育社の三冊です。
3世紀から三輪山付近で巨大な前方後円墳を築きヤマト王権が成立したと考えられる世界が何故4世紀末から5世紀にかけて河内の地(百舌鳥・古市)に巨大な前方後円墳が出現し古墳の副葬品も従来の呪術的なものから馬具を中心に金銅製・金で出来た武力威圧のような世界に激変したのでしょうか。
応神大王・仁徳大王から雄略・武烈大王に連なる王権はそして何故突然に終焉する事になったのだろうか。王統が絶え、継体大王が擁立されねばならなかったのか、謎が多いのです。
大山古墳(伝:仁徳天皇陵)グーグルアース:
百舌鳥古墳群の盟主は巨大な大山古墳(伝、仁徳天皇陵)です、周りには陪塚が多く築かれていますが、既に存在した小さな古墳を抱き込んだ形でもあります。墳丘全長474メータ後円部径245メータ、築造には一日千人で4年が必要だそうですね。森先生の記述では今までの出土物その他、考古学の分析から5世紀末から6世紀と考えられ仁徳大王の陵とは異なるという意見です。
誉田御廟山古墳(伝:応神天皇陵)グーグルアース:
古市古墳群の盟主は誉田山古墳です、墳丘全長では大山古墳に劣るが墳丘の体積では大山古墳を凌駕する巨大古墳です。考古学的にも大山古墳よりも時代は古いと想定されています。記紀には応神天皇の陵墓に関する記述が無いそうですが、平安時代頃からこの古墳は応神天皇陵と呼ばれていた古文書があるそうです。
(河内湖の状況)
河内の状況は百舌鳥地域から細長く北上する上町台地で大阪湾は閉ざされ、僅かの距離で千里丘陵の細い海峡で河内湾(弥生時代には淡水化していたそうです)に連なり、巨大な河内湖が広がり、そこに大和川、淀川が注いでいた。
奈良、大阪、京都に降る雨は全てこの河内湖に集中し洪水の被害は想像以上であったようです。難波の語源は、満潮時と干潮時に凄まじい速度で大阪湾と河内湖のくびれの海峡を潮が流れる事から、命名されたと言う。
大本山成田山 新勝寺
鹿島・香取神宮参詣の前に、成田を経由しますので、成田山 新勝寺にも初詣をしました。私は初めての経験でした。私が学生時代まで過ごした関西時代には京阪電車で香里園駅で下車し、成田山 明王院にはよくでかけました。その本山なんですね。
水郷の町 佐原(さわら)
水上交通の要衡である佐原(さわら)を訪問しました。香取神宮から鹿島神宮に行くには佐原地区を通過します。
昔は随分と栄えた町のようですね。沢山の酒蔵が並び米と酒を船に積み込み江戸に運んだそうです。古代からの海運の伝統は続いていたのですね。町は丁度、京都の伏見に似ている様子でした。 参考 MuBlog伏見港界隈
今はもう2軒程度の酒蔵しか残っていないそうです。江戸時代に有名な伊能忠敬さんは、佐原の有名な蔵元の旦那だったのですね。今も、町の誇りだそうです。
江戸時代の古い町並みが保存されていますので、観光客が沢山押し寄せるようです。私も酒蔵によせてもらい、昼間から日本酒をふるまって貰いました。
佐原と言うと、もう故人ですが、有名な考古学者の佐原真(さはらまこと)先生を思い出しますね。彼は大阪府出身ですから、佐原(さわら)とは関係ないようです。
香取神宮と鹿島神宮のお膝元の佐原の酒を考えると、昔から奈良の三輪神社、京都の松尾神社も酒の神様です、神社と酒は関係が深いようですね。稲作の技術を伝えてくれた大陸系の人々が同時に、酒造りを教えてくれたのでしょうね。
霞ヶ浦と言えば、戦前は沢山の戦闘機乗りの人々が『赤とんぼ』の練習機で飛んでいたのでしょうね。二枚翼の美しい飛行機です、ラジコンの経験ではエルロンを打つと、コロコロと飛行機が回転しますから、飛行性能は抜群だったのでしょうね。
香取神宮 参拝記
利根川、鰐川を挟んで鹿島神宮の対岸に香取神宮が鎮座されています。
マイフォト 香取神宮 参拝写真集
鹿島神宮 参拝記
2009年1月8日、念願の鹿島神宮に参拝する事が出来ました。常陸の国一ノ宮です。昔は神宮と言えば、伊勢神宮と鹿島・香取神宮の三社しか存在しなかったそうです。
マイフォト 鹿島神宮 参拝記念写真集
承前 鹿島神宮メモ
承前 阿武山古墳
承前 古代武蔵の国 稲荷山古
承前 さきたま古墳群探訪記
鹿島の杜は度肝を抜かれる原始林です。巨木が鬱蒼と茂り弥生時代、縄文時代の森の面影を残しているのです。鎮守の森ですね、塩竈神社で経験した鎮守の森も少し似ているようです。
鹿島神宮を去る頃にはすっかり夕闇が迫ってきました。感動の旅でした。
明日は念願の鹿島・香取神宮
承前 鹿島神宮メモ
承前 阿武山古墳
承前 古代武蔵の国 稲荷山古墳
承前 さきたま古墳群探訪記
遂に、明日早朝から常陸(日立)の国の鹿島神宮、香取神宮に初詣となります。未だ一度も訪れた事がありませんが、私の書斎では何回も思いを巡らせた場所であります。
出雲を制圧したヤマトのタケミカズチは出雲の神さんを諏訪神社に閉じ込め、最後の仕事は蝦夷の毛野(鬼怒)を鬼怒川上流に閉じ込める重要なヤマトの駐屯地として鹿島を選んだ。鬼怒川、利根川の河口を制圧する事で毛野(鬼怒)の蝦夷を監視したのでしょうね。
武蔵の国はすでにヤマトの配下に5世紀ではなっていましたね、さきたま古墳群の探訪で利根川を挟んで稲荷山古墳その他沢山の古墳群が睨みを北方にきかしていました。
大化の改新では中臣鎌足がこの鹿島神宮出身であると言われています。そして、鎌足とその子孫は春日山の和邇氏を追い出し、鹿島神宮から神さんを招聘し、春日大社を建設しました。
日本史に於いて、鹿島(甕島)は重要な場所なんですね、一度は確かめておきたいと考えていました。
磐船神社 ニギハヤヒ(物部氏祖)降臨伝承地
承前 七夕の故郷 交野
承前 王仁博士とかぐや姫伝説
参考 MuBlog 磐船神社
2008年12月30日暮も押し迫る日に伝王仁博士の墓がある近くの長尾の両親、兄の墓の墓参を済ませ、バスにて枚方駅を目指し、百済寺跡を通過し、懐かしい枚方駅で昼食をとった。午後1時半を経過しておりお腹がペコペコでした。
枚方駅から私市行きの京阪電車に乗り、終点の私市駅で下車タクシーを呼び磐船神社を目指した。子供の頃に私も家内もよくハイキングやキャンプで来た場所です。
マイフォト 磐船神社 ニギハヤヒ降臨伝承地
2009年 正月 京都宇治にて
正月3日、新幹線米原駅通過あたりの伊吹山の雪景色です。見事な姿ではありませんか。新幹線でこれ程綺麗な伊吹山を観たのは初めてでした。
正月早々気分爽快な気持ちですね。
宇治のおうちの庭には沢山の鳥が飛んで来ます。御蔵山は宇治陵とかお寺もあり未だに随分と木々が多い理由でしょうか、沢山の鳥と種類も豊富です。私は全く鳥の知識がありませんが、眺めているだけで楽しいです。
亡くなった義母は晩年に、庭に来る鳥達を楽しみにして眺めているのが一番の楽しみだったようです。
隣が修道院の森が広がっているのも、鳥さん達が沢山来てくれる要因かもしれません。
(経済の事について)
少し、硬い話になります。正月に宇治にて殆どテレビもインターネットも使用していませんでしたが、経済に関する座談会がテレビで放映されていました。色んな人々が登場し建設的な意見もでていましたが、企業経営者の立場から意見を言う人が呼ばれていなくて、残念でしたね。
経営者が馬鹿だとか、先を見る目が無いとか、ひどい言われようでしたが、少し企業側に立ち意見を述べます。そもそも、小泉さんの時代頃から国際会計基準という名のアメリカ会計基準を日本や欧州は押しつけられたのが、元凶にあるような気がします。
4半期単位で経営者は会社の損益結果を問われるし、固定資産に対しても持ち株価値に対しても時価で決算をしなければなりません。昔の簿価制度がいいとは思わないけれど、経営者には短期的な利益の追及が強く求められる仕組みになってしまっているのです。
昔は株主が安定していましたので、利益を出すよりも安定した長期的経営が可能だったと思います。今日明日の利益よりも拡大再生産の為の投資や研究開発投資が出来て利益をなるだけ出さないような経営が可能でした。
経営者には自分の努力範囲を超えた、持ち株の変動や固定資産の変動や、為替相場の変動による経営の悪化は厳しい条件ではないでしょうか。では、何故アメリカはこのような株主重視の会計基準を押しつけてきたのでしょうね。そこが、一番重要な議論のポイントであると考えています。
アメリカは製造業に於いてどんどん海外に工場を展開し、安い労働力で製品を開発し貿易収支を赤字にし、それを資本収支でカバーする金融立国主義に転換した戦略に世界を巻き込んだ事に原因があると思います。
オバマさんに期待するのは、アメリカを正常な昔の正常な製造業、農業中心の国家に戻す事ではないでしょうかね。それが、出来る国だと思います。
短期資本の国際移動は私の学生時代から問題でした。当時はオイルマネーが暴れまわる時代でアメリカのドルが金とのリンクを切らざるを得ない状況に追い込んだ時代でした。ドルと金とのリンクが切れた瞬間から世界の国々は綱渡りのような為替相場に影響される経済運営を余儀なくされました。
さて、硬い話はこれぐらいで、暗い時代にはより明るく物事を考え前向きにやりましょう。
六地蔵のスーパーで買い物をする主人を待つワンちゃんです。可愛いいのでついつい、挨拶をしてしまいました。
ワンちゃんも今年は良い年でありますように。頑張ってください。
清水寺 2009年元旦模様
2009年元旦は宇治で迎えました。息子と家内と義父の三人でお正月となりました。年末に作成した煮しめと雑煮を食べ美味しい熱燗で新年を迎えた。
息子が横浜に帰るので、家内と三寧坂にある義母の墓参りをして、清水さんに参詣する事になりました。
マイフォト 清水寺 2009年元旦模様
2008年 ワンゲル同期忘年会記録
2008年12月30日、大阪の料亭『八幸』にて大学時代のワンゲル同期の仲間が集い忘年会が開催された。
幹事は道下さんで、もう40年近く12月30日に開催されているようです。私は卒業して東京に就職してしまい、今までは殆ど参加出来ていませんでした。昨年からは現役を離れているので、参加出来るようになりました。
今年も昨年と同じ場所、同じメンバーとなりました。この店は『ふぐ』が名物なんですね。今年も河豚のコースとなりました。皆さん、ひれ酒とワインで昔話に花が咲き懐かしい山行の想い出話しで盛り上がりました。
今年も、陶芸家の古波蔵さんが全員に干支の縁起物を自作し配って頂けるというので、私は義妹のお店で少し置かせて貰おうと少し多めに制作をお願いしていました。
可愛いい、牛さんを沢山持参して頂き、皆さんに配ったあと数十個頂きました。そのうち、6個程度横浜に持ち帰りました。
毎年、干支の縁起物を作って頂き有り難いと感謝しています。
今年は、八十川さんから、是非皆さんで彼が住む、城埼温泉と、こうのとりを観光に来て下さいとの招待がありました。
九州、四国、富山、千葉、東京、新潟、等々と離れ離れになった同期が集まれるのは困難ですが、何時かは全員と会う事が出来ると信じて健康を維持したいと思います。
今年の年末には又、是非お会いしましょう。
残念ながら、今回は京都に帰る必要があり二次会で本岡さんのお家に行けませんでした。申し訳有りませんでした、ポンちゃん。
今年も全員が、良い年でありますように。
明けましておめでとうございます
年末から京都に帰省しておりご無沙汰致しました。元日の清水さんの写真です。年末には私の実家の墓参を済ませ、元旦には三寧坂で家内の実家の墓参を済ませ、近くの清水さんに息子と家内の三人ででかけました。
昨年は北京五輪があり世の中は好景気の様相だったのが、一転し100年に一度という恐慌に近い不景気の嵐に襲われましたね。今年は、思いきった清水さんの舞台から飛び降りる意気込みでチェンジが必要ですね。
年末にはニギハヤヒ(饒速日尊)さんが降臨したという、磐船神社を訪れ厳しい岩の洞窟くぐりを体験してきました。夕方の4時頃でうす暗く、洞窟の中は殆ど何も見えないような按配でした。
既にMuBlogでは紹介されていますが、私も家内も幼少の頃には何回も訪れた場所です。しかし、天の川のトンネル掘削が行われ、川の流れが変わり今は磐船神社の岩の洞窟には水が殆ど流れていないので、インデージョーンズ並の探検が体験出来ます。
息子と家内と三人で岩窟巡りの挑戦をしました。この模様は後日写真を交えて詳細な報告をしたいと思います。
子供の頃は私市(きさいち)ハイキングでキャンプにも出かけた場所でした。しかし、この神社は神武天皇よりも早く天孫族として十種の神宝を持ってニギハヤヒさんはこの地、タケルガ峰に降臨されたのです。物部氏の原点になるのですが、後日記事を書きたいと思います。
本日、京都より横浜に戻りましたが、新幹線から美しい富士を拝む事が出来ました。昼頃でしたので、既に雲が頂きには、たなびいていましたね。
年末には、頑張って、おせち料理を作り、82歳で一人暮らしの義父には賑やかなお正月を迎えてもらい、喜んでもらいました。















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