鴨稲荷山古墳
先月は埼玉県にある稲荷山古墳を訪問した。今回は近江の高島(古代の三尾)にある鴨稲荷山古墳をMuの旦那と訪問した。高島歴史民俗資料館のすぐそばに古墳があるのですね。この古墳は6世紀初めの頃ですから継体大王と時を共にした三尾の首長だったのでしょうね。
古墳の北方角には継体大王の父である彦主人王(ひこうしおう)の古墳と想定される田中王塚(たなかおうつか)陵墓参考地があります。
マイフォト 鴨稲荷山古墳 高島歴史民俗資料館
豪華な副葬品に囲まれてまるで大王級の葬送ではないでしょうか。金銅冠・飾履(しょくり 儀礼用の靴)・金製耳飾・環頭太刀など豪華なものです。冠と飾履は藤ノ木古墳の石棺に収められていたものと類似しますね。又、今年夏に訪れた韓国慶州の新羅の古墳から出土した冠・飾履に似ていました。
参考 慶州 新羅古墳
継体大王を支えた三尾の首長が埋葬されたのでしょうね。石棺をわざわざ二上山から運ぶとは驚きですね、川を使い石を二艘の船で吊るして浮力を使い運搬したのでしょうね。何故、二上山から運搬したかは謎でしょうね。
参考 大王のひつぎ実験航海
継体大王のケースは筑紫の磐井の乱のあとだけに、ヤマトの王権の力を九州勢にデモンストレーションする必要があったのでしょうね。
人骨が残るのは珍しいですね、石棺内の朱とベンガラが影響していたのでしょうか。
継体大王はここで生まれ、父の死後は母の故郷である越前の高向(たかむこ)に移り幼少期を過ごしたと記紀は伝えています。
(高度な陶器製造技術)
(志呂志神社)
鴨稲荷山古墳のそばに志呂志神社がありました。
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