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鴨稲荷山古墳 

 先月は埼玉県にある稲荷山古墳を訪問した。今回は近江の高島(古代の三尾)にある鴨稲荷山古墳をMuの旦那と訪問した。高島歴史民俗資料館のすぐそばに古墳があるのですね。この古墳は6世紀初めの頃ですから継体大王と時を共にした三尾の首長だったのでしょうね。

 古墳の北方角には継体大王の父である彦主人王(ひこうしおう)の古墳と想定される田中王塚(たなかおうつか)陵墓参考地があります。

 マイフォト 鴨稲荷山古墳 高島歴史民俗資料館

鴨稲荷山古墳  全長60メータの大型前方後円墳で明治35年に発見されたそうだ。横穴式石室には二上山から運ばれた凝灰岩を加工された家型石棺があり内部は朱で真赤だったそうです。
古墳出土金銅製冠 
履物 儀式用か
 豪華な副葬品に囲まれてまるで大王級の葬送ではないでしょうか。金銅冠・飾履(しょくり 儀礼用の靴)・金製耳飾・環頭太刀など豪華なものです。冠と飾履は藤ノ木古墳の石棺に収められていたものと類似しますね。又、今年夏に訪れた韓国慶州の新羅の古墳から出土した冠・飾履に似ていました。
 
王冠
 参考 慶州 新羅古墳 
 継体大王を支えた三尾の首長が埋葬されたのでしょうね。石棺をわざわざ二上山から運ぶとは驚きですね、川を使い石を二艘の船で吊るして浮力を使い運搬したのでしょうね。何故、二上山から運搬したかは謎でしょうね。
 
浮力を利用して石を運んだ
継体大王も今城塚古墳に葬られる時に石棺は九州は阿蘇の石を延々と海路で高槻まで運送したのを思い出します。
 
 継体大王のケースは筑紫の磐井の乱のあとだけに、ヤマトの王権の力を九州勢にデモンストレーションする必要があったのでしょうね。
 
打下(うちおろし)古墳出土人骨から複顔高島歴史民俗資料館には沢山の興味ある遺物が展示されてありました。2001年の11月に高島市の東南に位置する明神埼の山腹で発見された人骨と復顔された像がありました。打下(うちおろし)古墳と呼ばれ古墳時代中期だそうです。
 人骨が残るのは珍しいですね、石棺内の朱とベンガラが影響していたのでしょうか。
 継体大王はここで生まれ、父の死後は母の故郷である越前の高向(たかむこ)に移り幼少期を過ごしたと記紀は伝えています。
 (高度な陶器製造技術)
登り窯
登り窯で焼いた陶器
 (志呂志神社)
 鴨稲荷山古墳のそばに志呂志神社がありました。
 
志呂志神社 

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