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近江 残された謎(今後の課題 その2)

200811kyoto  本日は快晴、真白な富士がバルコニーから眺める事が出来ます。布団を干すには絶好の好天。衣干すちょう 天の香具山です。

さて、近江の深まる謎の続きでしたね。

 『淡海(おうみ)の海、夕浪千鳥(ゆうなみ ちどり)、汝(な)が鳴けば、情(こころ)もしのに、古(いにしえ)思ほゆ』 柿本人麻呂

壬申の乱の20年後あたりで人麻呂が荒廃した大津の宮を眺め鎮魂の気持ちで歌った歌のようです。

 『甲山古墳の謎』

 琵琶湖の南東部分に野洲川が流れている。家内の実家がこの野洲川と琵琶湖を見下ろす高台に別荘を持っているので、何回か家族で宿泊していた。実はこの野洲川流域は古代より栄えた場所のようです。東京国立博物館で度肝を抜かされたのは、巨大な1メータを超える日本最大の銅鐸の展示でした。

 この銅鐸は野洲で発掘されたものです。沢山の銅鐸が野洲一帯で発掘されている事は皆様も御承知の通りです。参考 東京国立博物館 銅鐸

弥生時代から野洲近辺には栄えた文化文明が存在したようですね。ところで、野洲町立歴史民俗資料館の近くに大岩山古墳群というのがあるようです。そこに6世紀前半の築造と考えられる甲山古墳が存在します。

 参考 大岩山古墳群記事サイト

 『滋賀県の歴史』によりますと、甲山(かぶとやま)古墳の石室は畿内の大王クラスの規模であるという。

  墳丘は40メートル近い円墳で、石室は西に開口する全長約14メートル、奥壁を背にして右側に袖をもつ片袖式石室である。玄室長は約6.9メータ、同幅約3メータ、同高約3.3メータ、この石室規模は石舞台古墳や牧野古墳(ばくやこふん)、京都太秦の蛇塚古墳に次ぐものだ。豪華な副葬品の出土品で著名な藤ノ木古墳をしのぐ全国でも十指はいる規模を持つ。巨大な石棺は熊本県宇土半島産の阿蘇溶結凝灰岩で作られている。

 発掘時の写真を眺めていると、版築工法で土の層が縞模様になっており中国の技術の影響を観ることができます。6世紀前半というと継体大王の時代であります、継体大王の墳墓は高槻の今城塚古墳と言われているが、彼の石棺も九州は阿蘇の凝灰岩を運んできた石材なのです。

 継体大王時代の最大の政治危機は九州の筑紫の君磐井の反乱でした。朝鮮半島ではヤマトの鉄の供給元である加羅の国々が新羅により侵攻を受け、東国の毛野君が6万の兵を率いて奪還に向かおうとした。(新羅とすれば大伴金村が加羅の4国を百済の支配下に入る事を許した事情が影響していると思います)

 磐井は新羅と連携し毛野君の軍勢が朝鮮半島に上陸する事を阻止する兵を筑紫で挙げたのだ。最終的には物部麁鹿火(あらかい)が磐井を制圧する。

 ヤマト王権(継体王権)にとり九州を制圧した事は大きな政治的事件であったと考えられます。大陸との交易路を完全に制圧した事になった。継体大王の石棺も継体大王の縁故者と考えられる琵琶湖沿岸の野洲の首長の石棺もわざわざ九州から石材を遥か瀬戸内海を航行し運ばせたのだ。

 鴨稲荷山古墳の埋葬者も継体大王と同じ時期の人物であり、後援者と考えられます。かれの場合は二上山から石棺の石材を運ばせたのでしたね。

 当時の政治状況は実に朝鮮半島、中国王朝を見据えたグローバルな環境だったのは意外だと思いませんか。国際情勢と経済を支配出来る集団が政権を握れたのですね。

 

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近江 残された謎(今後の課題 その1)

 先日、宇治にて義母の一周忌法要がありました。義母の故郷は滋賀県蒲生郡老蘇(おいそ)という如何にも古代史ファンにとり魅力的な田舎なのです。随分昔の話だが、20年位前の寒い冬の季節だった、義妹が下鴨か上鴨神社で結婚式を挙げるので京都に帰省していたが、結婚式前夜に義母の御母堂が亡くなり葬儀に参列した。

 義父は裸足に白い衣を着て頭に真白な三角はじまきをして棺桶を担ぐ、提灯を掲げ坊さん先導で田圃の畦道の野辺の送りの葬送儀礼を目の当たりにした。棺桶に綱をかけ墓抗に吊り下げて入れてゆく。古代の葬送儀礼を現代でも脈々と続いてる事に驚愕した記憶がある。

 義母の蒲生郡の縁者のお話では、『滋賀県にはお城の跡が千か所以上あるのよ』とおっしやった。又、四国の義父の故郷である四国は香川県から来られている坊さんは『滋賀県は人口の割にお寺が日本で一番あるんです、だから寺あたりの檀家数は最低です』とおっしやる。

研究熱心なJo君は横浜に帰ってから図書館で『滋賀県の歴史 山川出版』を借りて熟読し始めました。読み始めると滋賀県というのは実に歴史的に重要な場所であったかが少しずつ判り始めたのです。継体大王の話も天智天皇の遷都も壬申の乱も藤原仲麻呂の乱も義経の瀬田の突入の話も信長安土城建造の話も、滋賀県の日本列島における位置的重要性が原因なんですね。

 『滋賀県の歴史』によりますと江戸時代多くの藩や幕府関係の連中が近江(滋賀県)に直轄領を有していたんですね。

 「諸藩の封地各所に犬牙(けんが)し、30有余藩の多きに至り、其地旧藩府きかの采邑(さいゆう)幾千百十なるを知らす」(滋賀県治概略 明治14年)

 例えば、高島郡今津町は加賀の金沢藩領、湖東・湖南には大和郡山藩領、山城は淀藩領、河内の狭山藩領、武蔵の川越藩領と等々、複雑に錯綜していたそうだ。

 [交易の十字路]

 Photo 近江(近つ淡海)の国は巨大な琵琶湖の海運動脈を持ち、日本海と瀬田川(宇治川)経由で京都・大阪に通じ瀬戸内海に航路が開ける。又、陸路では湖北から北国街道が日本海を北上し、米原(坂田郡、息長氏の拠点)から関が原を経由し東国に通じる。古代には東海道、東山道、北陸道が存在し鈴鹿・不破・愛発(あらち)の三関が設けられた要衝である。

 近江は物流とともに情報も一番収集しやすい場所だったのでしょうね。江戸時代千個以上の藩とか幕府関係の所領があれば、お寺も各所領に存在したのでしょう、だから四国の坊さんが言うように人口比日本で一番仰山の寺が存在した事が納得できますね。同時に、城の数が千を超える話も妥当性があるかもしれません。

 さて、謎が深まった話をしなければなりません。

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2008年 Jo君事件簿(5月編)

  熊野古道を歩きました。大阪梅田発のツアーバスでの日帰りでした。

 『熊野古道紀行』

 ・熊野古道 中辺路

 ・熊野古道 中辺路紀行(1)

 ・熊野古道 中辺路紀行(2)

 ・熊野古道 中辺路紀行(3/3)

 ・熊野古道 番外編

 ・八咫烏(ヤタガラス)あれこれ

 葵祭りも見学しました

 『葵祭り2008年』

 ・葵祭り2008年 下鴨神社

 Mu&Jo弥次喜多紀行が始まりましたね。聖武天皇彷徨の史蹟探検の旅です。

 『紫香楽宮・恭仁京紀行』

 ・紫香楽宮・恭仁京紀行(1)

 ・紫香楽宮・恭仁京紀行(2)

 ・紫香楽宮・恭仁京紀行(3)

 京都吉田山を訪問しました

 ・茂庵(もあん)と錦鱗館 吉田山界隈

 大阪 道頓堀の太郎ともお別れ

 ・道頓堀 くいだおれ太郎

 古代史よもやま話編

 ・人間国宝 弥生の謎に挑む

 ・伽耶諸国地図 伽耶諸国を考える(1)

 ・伽耶諸国地図 伽耶諸国を考える(2)

 ・北河内と南山背の古代

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近江 Mu&Jo 弥次喜多紀行(湖西の道)

 風雪梅安一家のふうてん老人は最近、武蔵野に隠居され、なかなか京都方面には足を運ばれない。そこで、昨年末からはMu&Joの二人で古代史探訪の旅にでる事になった。第一回目の紀行は昨年12月に太秦の元糺の杜探訪紀行でした。

  元糺の杜探訪紀行

第二回目の紀行は本年1月に同じく太秦の蛇塚古墳の探訪紀行でした。

  蛇塚古墳 探訪紀行

第三回目は5月に紫香楽宮・恭仁京紀行となりました。  

 紫香楽宮・恭仁京紀行(1)

 紫香楽宮・恭仁京紀行(2)

第四回目の紀行は継体大王の史蹟を巡る旅という事で湖西の道となった。

 近江 白鬚神社『1』

 近江 白鬚神社『2』

 近江 鴨稲荷山古墳

 京都宇治の御蔵山に朝9時にMuの旦那が愛車で来て頂いた。車には本日の探訪する史跡の調査資料がコピーされてちゃんとファイルされている。流石に大学教授ですね、本日の講義の準備万端である。

 車内には、お茶のペットボトル、おやつのチョコレートと何故か何時も『するめ』があります。そして何より嬉しいのは車内で喫煙できる事なんですね。いたれり、つくせりであります。そして、一路湖西の道を目指した。

200811kyoto_198  ここはオランダではありません、食事をとるために立ち寄った湖西の道の駅 『しんあさひ風車村』です。何故オランダ風の風車村なのか判らないけど、比良山の吹き下ろしが有名だからでしょうかね。

 豪華にステーキの昼食を頂きパワーをつけました。ここらあたりが、爺さんぽくないところですね。

200811kyoto_202  電動飛行機ならば十分飛ばせる事ができそうな場所でした。又、田圃道ではエンジン機を離陸できそうな場所が沢山ありましたね。何を調査しているのか、今日は継体大王の史蹟探検でしたが、ついついラジコン方面に頭が行きます。

 Muさんの生まれは越前の国、継体大王のお母さん振姫の故郷であります。継体大王も幼少の頃は高島三尾別業で両親と暮らしていたが、早く父を失い母と越前に帰国したそうです。だから、越前育ちという事になるでしょうか。

 私は北河内郡大字招堤村生まれ、隣村が樟葉で継体大王が即位した場所です。筒城宮も近くです。子供の頃から継体大王に関しては馴染みであった訳ですね。という訳で、Mu&Joが継体大王に興味があるのは、お判りいただけたと思います。

200811kyoto_247  旅の最後は琵琶湖の眺望がきくホテルでゆったりとビールを頂いた。第四回目となるMu&Joの弥次喜多紀行は成果大で終了した。

 さて、年末の第五回目はどうなるでしょうか、御期待下さい。

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白鬚神社 『2』

 白鬚神社の祭神が猿田彦という紹介を前回の記事で書きました。猿田彦という神さまは記紀によれば天孫降臨の時に道案内をした神だという。日向の高千穂に案内し自らは伊勢で活躍したという。人相が面白く、背が7尺、鼻が8咫(あた)、目が八咫鏡のようにホオズキのように輝いていたという。

 咫という単位が記紀では登場しますが、中国と日本では異なるようですね。中国では円周を示す単位のようで八咫鏡というと円周が8咫で径が2尺という事らしいです。日本の咫は手を広げたとき親指と中指の長さを咫と言うそうです。

 考えてみると英語でも歩幅を距離の単位にしているし、肘の長さを単位にしたり身の回りのもので単位を考えるのは自然ですよね。ともあれ、猿田彦の身体的特徴は異様ではないですかね。天狗の容貌に似ていますね。

 重要なのは、天孫族の道案内をしたという記述ではないでしょうか。古代のハイウエイは海ですから、船を操る航海専門集団の親玉と考え依頼主に応じて航海をした人ではないでしょうか。海人族と考えるのが自然ではないでしょうか。

 しかし、異様な容姿を記述した理由は何故なのか謎として残ります。ひょっとすると胡人ではないかと推測したくなりますね、シルクロードの交易で活躍した胡人が当時の中国の植民地であった楽浪郡、帯方郡まで交易のルートを広げていた可能性があったのではないかと空想してしまいます。彼らは中国王朝とのパイプを握っていた可能性がありますね。現代風に言うと商権と考えると判り易いかもしれません。

 白鬚神社のすぐ北の琵琶湖西岸が高島(古代の三尾)で継体大王の父の本拠地ですから、この神社と無関係ではないと推測できます。日本書紀では継体大王は近江国高島郡三尾別業(なりどころ)即ち、別荘で育ったという。別荘というと本拠地は何処かが問題になります。

 そこで、有力な説は当時琵琶湖東岸で海人族で有力な息長氏(おきなが)が本拠ではないか。近江国坂田郡が本拠ですが、いずれ又現地を調査したいと思います。

 河内王朝を開いた応神大王のお母さんがオキナガタラシヒメですし、その後もヤマト王権の大王の皇后としてオキナガ氏は姫を送り込んでいる。大陸との交易では活躍した海人族です。継体大王が応神大王5世の孫と記紀が書いたのは、何らかのオキナガ氏との関係があるからかもしれない。

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鴨稲荷山古墳 

 先月は埼玉県にある稲荷山古墳を訪問した。今回は近江の高島(古代の三尾)にある鴨稲荷山古墳をMuの旦那と訪問した。高島歴史民俗資料館のすぐそばに古墳があるのですね。この古墳は6世紀初めの頃ですから継体大王と時を共にした三尾の首長だったのでしょうね。

 古墳の北方角には継体大王の父である彦主人王(ひこうしおう)の古墳と想定される田中王塚(たなかおうつか)陵墓参考地があります。

 マイフォト 鴨稲荷山古墳 高島歴史民俗資料館

鴨稲荷山古墳  全長60メータの大型前方後円墳で明治35年に発見されたそうだ。横穴式石室には二上山から運ばれた凝灰岩を加工された家型石棺があり内部は朱で真赤だったそうです。
古墳出土金銅製冠 
履物 儀式用か
 豪華な副葬品に囲まれてまるで大王級の葬送ではないでしょうか。金銅冠・飾履(しょくり 儀礼用の靴)・金製耳飾・環頭太刀など豪華なものです。冠と飾履は藤ノ木古墳の石棺に収められていたものと類似しますね。又、今年夏に訪れた韓国慶州の新羅の古墳から出土した冠・飾履に似ていました。
 
王冠
 参考 慶州 新羅古墳 
 継体大王を支えた三尾の首長が埋葬されたのでしょうね。石棺をわざわざ二上山から運ぶとは驚きですね、川を使い石を二艘の船で吊るして浮力を使い運搬したのでしょうね。何故、二上山から運搬したかは謎でしょうね。
 
浮力を利用して石を運んだ
継体大王も今城塚古墳に葬られる時に石棺は九州は阿蘇の石を延々と海路で高槻まで運送したのを思い出します。
 
 継体大王のケースは筑紫の磐井の乱のあとだけに、ヤマトの王権の力を九州勢にデモンストレーションする必要があったのでしょうね。
 
打下(うちおろし)古墳出土人骨から複顔高島歴史民俗資料館には沢山の興味ある遺物が展示されてありました。2001年の11月に高島市の東南に位置する明神埼の山腹で発見された人骨と復顔された像がありました。打下(うちおろし)古墳と呼ばれ古墳時代中期だそうです。
 人骨が残るのは珍しいですね、石棺内の朱とベンガラが影響していたのでしょうか。
 継体大王はここで生まれ、父の死後は母の故郷である越前の高向(たかむこ)に移り幼少期を過ごしたと記紀は伝えています。
 (高度な陶器製造技術)
登り窯
登り窯で焼いた陶器
 (志呂志神社)
 鴨稲荷山古墳のそばに志呂志神社がありました。
 
志呂志神社 

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白鬚神社『1』

 京都在住でMuBlogを主幹されているMu翁さんの案内で湖西の道を探訪した。

 既に詳細な記事が掲載されていますので、参考にしてください。

 ・MuBlog Jo翁との遺跡巡り 湖西の白髭神社と高島市

 ・MuBlog 白髭神社と鴨稲荷山古墳:近江の継体天皇(0)

 ・マイフォト 近江 白鬚神社

 

湖中大鳥居 この写真を見れば厳島神社を想起される方が多いと思います。
 JoBlog 厳島神社 安芸の宮島 今年の二月に訪問していましたね。鳥居が遥拝するシンボルだとすると船からこの鳥居越しに白鬚神社を拝んだ事になります。岸に立つ我々からは多分、鳥居越しに淡海に登る朝日を拝む事になるでしょうか。
 
白鬚神社 本殿 本殿をみて頂ければ不思議ですよね、鰹木・千木が存在しない事に気がつきますね。厳島神社もそうでしたね。『松尾大社と宗像神社と厳島神社の三社は特別な造りをしています。所謂、松尾造り(両流れ造り)という非常に珍しい建築様式』と記事に書いた覚えがあります。
 松尾大社は秦氏の故郷である太秦にある秦氏と関係が深い神様であり元糺の森の近くで、糺の森の上賀茂、下賀茂神社と縁が深いです。この高島にも松尾神社は存在しているし、鴨川や鴨とつく地名が仰山あり不思議です。
 
高島 まるで京都のスモール版 高島の地図がここにありますが、鴨川があり写真から外れていますが、左下に松尾神社があります。まるで、小京都ではありませんか。
 この場所に来たかったのは、継体大王の父の故郷を見てみたいという思いと、司馬遼太郎さんの『街道をゆく 湖西の道』の現場を是非見学したいという思いからでした。司馬さんも書いておられましたが、白鬚神社とは新羅神社であろうと述べておられます。
 確かに広辞苑で白鬚を検索すると、白鬚明神は猿田彦神といい、また、新羅の神というと記述されております。
 新羅と言えばこの場所から北に行けば敦賀です。新羅の皇子の『ツヌガアラシト』上陸したと言われる場所に辿り着きますね。敦賀の語源になった伝説の皇子です。記紀によれば秦氏は応神天皇の頃に1万数千人の特殊技能を持った人々を引き連れて朝鮮半島から渡来した氏族、弓月君であると記録されている。
 新羅と古代日本との関係を考えると航路を考えると日本海ルートが有力になります。出雲、但馬、若狭湾、能登半島が交易の地点と想像されます。そして、琵琶湖の淡海と川のルートを使い大陸との交易に従事した人々が拠点を築いたと私は考えています。
さて、祭神が猿田彦ですが、これも謎の多い神様だと思います。この件については次回に考えてみたいと思います。
(追伸)
 Ysさんのコメントに応えて、彼が先日撮影された富士山の空撮写真をご紹介します。白鬚神社とは関係ありません。(笑)
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京都 東福寺 紅葉便り

 一週間京都に帰省しておりました。偶然ですが、遠方の河内松原まで通夜にでかけたり、改葬とか一周忌とか仏事が多く繁忙を極めた一週間でした。急に京都も寒くなり下着を二枚重ね着したり、大変でした。

 忙中閑有りで、京都駅近くの禅宗、臨済宗の総本山である東福寺の紅葉を鑑賞に出かけました。この季節、京都は何処も観光客で満員ですが、やはり東福寺も多くの観光客が詰めかけていました。

 マイフォト 紅葉 東福寺

モミジの空 通天橋の紅葉は京都では有名です。
通天橋 真赤な紅葉が素晴らしいです。
炎の空 炎の空という感じがしますね。
通天橋 紅葉模様 通天橋から見下ろす渓谷の紅葉です。
開山堂 庭園 開山堂庭園です。
通天橋を見上げる 通天橋を見上げます。
渓谷の紅葉 渓谷の紅葉です。
通天橋 紅葉模様 通天橋の紅葉です。
生麩まんじゅう 生麩まんじゅうを買う観光客
退耕庵 小野小町縁の寺 小野小町縁の寺

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2008年 Jo君事件簿(4月編)

 Jo君2008年の事件簿4月編です。

 ・ 鶴見川 桜満開 動画集 鶴見川堤防の桜模様です。蘇州寒山寺の桜もいいですが、地元の桜もいいですね。

 ・ 地頭力って御存知ですか 新しい発想、知的好奇心、現状を根本から変える発想が大事なんですね。

 ・ 韓国周遊 五都巡り計画 水原(ス ウオン)、扶余(プヨ)、慶州(キョン ジュ)、丹陽(タ ニャン)、ソウルの韓国古都巡り歴史の旅です。

 ・ まさき&まゆ の音楽会 鶯谷のライブハウスでの音楽会でした。

 ・ 大先輩 辻さんを囲む会 若い頃大変お世話になった会社の先輩です。地元が京都という事でもお世話になりました。

 ・ 桜も終わる 太王四神記 高句麗、中興の祖 広開土王の韓国ドラマが始まりました。随分と楽しませて貰いました。

 ・ Jo君のおフランス紀行(2001年記録) 初めてのフランス紀行。

   同上 (その2)

   同上 (その3)

 ・ 韓国から帰国しました 韓国古代史 歴史の旅からの帰国報告です。

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2008年 Jo君事件簿(3月編)

 2008年 Jo君事件簿の3月版です。

 ・ 雛祭りの夜 銀座  同期の桜 4名での宴会。何時もの新橋『魚喰呑人樂』にて七輪にて魚を焼いて宴会。酔いを醒ますのは、銀座を歩くのが良い。

 ・ Eco時代に道路か海運か 日本の国土は道路輸送に向いているのか、疑問です。山岳が80%を占める国土ではせいぜい鉄道ではないだろうか。周りが海の島国ではやはり海運を見直す時代が来るかもしれない。

 ・ オバマ御縁 地域興し オバマさん、大統領ですよ。日本の小浜から鯖街道が連想し、遂に膳氏と聖徳太子さんまで、話が飛んでしまった。

 ・ 2008年 冬合宿無事終了 豪雪と吹雪に襲われた白馬村でしたが、無事合宿は終了した。

白馬 雪田模様 ・ 竹田鎮三郎画伯の絵が届く メキシコ在住45年の竹田画伯の絵が届いた。
 ・ メキシコの民話と絵本 同じく、竹田画伯とたまこさんの絵本について。
 ・ 漢詩の世界 高校生の頃に憧れた漢詩の世界、蘇州への旅が迫り心は既に寒山寺にあり。
 ・ テレビ番組 宇宙船・地球探検  グーグルという会社の話でした。地球環境に関する話は誰でも気になる話ですね。
 ・ 古代華僑の活躍  出雲にお住まいの方のブログの紹介です。興味が湧きますね。
 ・ 冷たい雨 三ッ沢球場 サッカー観戦でしたね。
 ・ 今 何故 『坂の上の雲』か 昨夜もNHKが撮影のセットを紹介していました。何かと曲がり角の日本、司馬さんが描いた、明治の人々の魂の軌跡は重要。
 ・ 鹿島神宮に関するメモ そして、遂に先ずは稲荷山古墳を訪れた。さきたま古墳群探訪記 稲荷山古墳
 ・ 無錫、蘇州、上海の旅 帰国 憧れの蘇州の寒山寺を訪問できました、感激の旅でした。
 (関連記事)
 ・ 蘇州料理
 ・ 上海は今

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2008年 Jo君事件簿(2月編)

 Jo君の事件簿2008年版 2月編です。

 (2月)

 ・ 冬の北海道紀行 その1 娘の家族が北海道に住んでいる。冬の旭山動物園を見学、ペンギンの行進を見学出来た。

 ・ 冬の旭山動物園 ペンギンの行進 ブログの容量が7ギガを越えたので、動画はYouTubeに引っ越す予定です。画質は落ちますが、しょうがないですね。

 ・ 札幌雪まつり 準備状況 初めて札幌の雪まつりの雪像を見学しました。

 ・ 札幌時計台とテレビ塔 明治以降の蝦夷地開拓の歴史を勉強できました。

 ・ 冬の藻岩山 スキー発祥の地だそうです、展望が素晴らしい。

 ・ 蘇我稲目と渡来美女 ロマンが湧きますね。韓国美人が飛鳥で注目を浴びていたんですね。

 ・ 大倉山梅林 2008年花通信(2) 未だ2分咲きの模様を伝えました。

 ・ 山陰山陽の旅 予定 最大の期待は石見銀山でした。

 ・ 崇礼門大火 これは韓国いや東アジアの人々にとり悲しい出来事でした。

 ・ 津和野 雪景色 初めて津和野を訪問しました。学生時代から若者に人気の場所でしたが、最近は訪れる人が少ないのでしょうか。残念ですね~~、いい所なんですが。

 ・ 松下村塾 維新胎動の場所 西洋の植民地支配が忍び寄る時期、若者は国を何とか救う為に立ちあがった場所です。

 ・ 萩焼と城下町 桂小五郎と祇園の芸者 幾松とのロマンを感じる事が出来ました。

 ・ 秋吉台より錦帯橋へ 吉川氏の本拠地、美しいフォルムの錦帯橋を堪能しました。

 ・ 名古屋のケン坊 快挙 入社時ともに苦労した同期のケン坊が受賞した。今は名古屋で八幡ねじのオーナー社長さんです。

 ・ 老後の趣味 油絵を描く 富士通時代に大変お世話になった吉原さんの個展を訪問しました。本当にいい趣味ですね。

 ・ 厳島神社 安芸の宮島 古来、瀬戸内航路の要だった場所。清盛の時代を偲ぶ事が出来ました。素晴らしい芸術の神社です。

 ・ 世界遺産 石見銀山 博多の貿易商の神屋寿禎(かみやじゅてい)という人物に思いを馳せる事ができました。夜本当に山は光ったのだろうか?

 ・ 広島焼きと鉄の話 ヤマト王権と鉄の話ですが、広島焼きとは関係がありません。

 ・ 大倉山梅林 満開です 2008年は2月26日満開だったようです。さて、2009年はどうか?

 ・ ヒロシマ 日本人は勿論、世界中の人々に訪れて欲しい場所です。民族の記憶の場所です、二度と戦争はやってはいけない。

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2008年 Jo君事件簿(1月編)

 2008年ももうすぐ終わりです、8年間続いたアメリカのブッシュ政権も今年一杯で終り、新たな民主党のオバマ政権に交代する。日本は訳がわからん政権の混迷にある。10月には100年に一度というアメリカ発、金融パニックが起こった。暗闇とわずかな光を求める年明けとなりましたね。

 世間には申し訳ないが、私は今年も随分と海外、国内と旅行をした。海外では中国に二回、フランス、ノルウエー、韓国歴史の旅、カナダ、アメリカと旅をしました。この一年を振り返ります。

 (1月)

 ・ 蛇塚古墳探訪記 MuBlogの旦那に京都は太秦にある蛇塚古墳に連れていってもらった。強大な権力を持った豪族、秦氏の解明はまだなされていない。ライフワークになるかもしれない。

 ・ 纒向遺跡中枢解明へ 3世紀のヤマト王権誕生の地とされ、邪馬台国のロマンを秘めた遺跡の本格的な発掘が始まるのです。

 ・ 日本神話と長江文明 昨年から仕事の関係で三回も長江流域に出張しています。古代において日本とどのような関係が存在したのか、興味が尽きません。

 ・ 満中陰法要無事終了 義母の49日法要で帰省した。

 ・ 古代日本での華僑の活躍 岡田英弘(おかだ ひろひろ)という東洋史の先生が書かれた本に興味を覚えた。

 ・ プンスナイ遺跡にて水の祭壇跡 安田喜憲先生がカンボジアで発掘された水の祭祀跡の発掘記事。日本の飛鳥の遺跡との関係が注目される。

 ・ 前方後円墳論考 ”前方後円 不老願う 壺か”辰巳和弘先生の説

 ・ 2008年1月赤とんぼ千葉飛行会 寒いさ中に千葉にて飛行会が開催された。

 ・ 同上 動画編

 ・ 紀元前3~4世紀の朝鮮半島 日本に何故稲作が伝播したのか?鍵は中国と朝鮮半島にあるのではないでしょうか。

 ・ 毒入り餃子事件

 これで、1月は終わりです。次回は2月ですね。

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カナダ紀行 目次編 東部&ロッキー

 2008年10月5日から13日の9日間の旅でした。天気に恵まれた素晴らしい旅でした。今回は25年前に訪れた場所の再訪のセンチメンタル・ジョーニーとなりました。

 カナダ紀行から無事帰国しました

 (東部編)

 カナダ紀行 モントリオール

 カナダ紀行 世界遺産都市 ケベックシテイ

 カナダ紀行 ローレンシャン高原

 カナダ紀行 サウザンド・アイランズ・クルーズ

 カナダ紀行 霧の乙女号

 カナダ紀行 風の洞窟とブライダルベール

 カナダ紀行 ナイアガラ遊園地

 (西部編)

 カナダ紀行 カルガリー・カナナスキス

 カナダ紀行 レイク・ルイーズへの道

 カナダ紀行 アイスフィールド・パークウエイ北上する

 カナダ紀行 アサバスカ氷河

 カナダ紀行 ボウ・レイク(Bow Lake)

 カナダ紀行 ランドレ山(Mt.Rundle)

  

ポンチョを着て完全装備今回の旅はJTBの旅物語 『彩 カナダ』に参加しての楽しい旅行となりました。添乗員の美人の若い娘さんである、小泉さん、お世話になりましたね。そして一緒に旅をした皆さまに御礼申し上げます。 

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カナダ紀行 ランドレ山(Mt.Rundle)

 アイスフィールド・パークウェイを南下しバンフ(Banff)に近い場所に到着しました。峠で眼下にVermillion湖があり、目の前に特徴のある山が現れます。ランドレ山(Mt.Rundle)です、カナデアン・ロッキーの絵ハガキには必ず登場します。

 グーグルアース ランドレ山ビューポイント

「view_mtrundle.kmz」をダウンロード

 マイフォト カナダ紀行 ランドレ山(Mt.Rundle)

ランドレ山(Mt.Rundle) ランドレ山の美しい景色です
ランドレ山(Mt.Rundle) 不思議なかたちの山です
ランドレ山(Mt.Rundle) 森と湖と山と空
ボー川とバンフ国立公園 ビデオ撮影する人
記念写真 記念撮影
ランドレ山(Mt.Rundle) ベストショット 素晴らしい
バンフ(Banff)の月 バンフの街角の月
  (25年前の景色)
Img_0102 ランドレ山
Img_0037 バンフに近づくカナダ鉄道車窓
Img_0040 バンフ国立公園 車窓
Img_0105 バンフの街にて

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カナダ紀行 ボウ・レイク(Bow Lake)

 カナダ紀行も終盤になりました。アサバスカ氷河からアイスフィールド・パークウェイを南下しクロウフット氷河の手前にボウ・レイク(ボウ湖)があり観光しました。標高1800メータ程度にある氷河湖です。ボウ氷河から流れる水で、バンフ方面まで流れるボウ川の源流になります。

 グーグルアース ボウ・レイク(Bow Lake)

「bow_lake.kmz」をダウンロード

 マイフォト カナダ紀行 ボウ・レイク

ボウ・レイク(Bow Lake) エメラルドグリーンの氷河湖です
ボウ・レイク(Bow Lake) 神々の住む場所のようです
ボウ氷河と夕日 夕日が傾いて来ました ボウ氷河が見えます
ボウ・レイク(Bow Lake) 寒いです
ボウ氷河 ボウ氷河です
ボウ・レイク(Bow Lake) 感動的な山々
ボウ・レイク(Bow Lake) レストハウスがありました
  (25年前の写真)
Img_0094 25年前のボウ・レイク
Img_0099 ボウ・レイクの思い出
Img_0093 アイスフィールド・パークウェイ
Img_0090 同上
  天空の神々の湖という印象を受けました。
  (追伸)
ボウ・レイク(Bow Lake) 空を観て下さい、雲が水平でしょ。冷たい北極の気団が遥か上空にあるのが理由かも知れません。

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2008年 『赤とんぼ』30周年 秋合宿(その3)

 今回の合宿の最大イベントであるヘリによる幟(ノボリ)の吊り下げに関して記録します。各自が2枚の色紙に文字を描き、それを張り合わせ岩ちゃんのヘリで吊り下げるというイベントです。

 

なんか保育園みたいわこちゃんが、用意した色とりどりの色紙に山小屋管理人が指示する言葉を各自分担して書き込むのです。出来上がりを確認するので、山小屋の窓にセロテープで貼りました。まるで、保育園みたいでしたね。

 翌日、白馬の佐野坂の田圃道で全員で記念写真を撮影後に色紙を両面テープで、繋ぎ合わせてノボリにしました。そして紐でラジコンヘリの脚に結びつけるのです。

 

皆でヘリの修理開始その準備でヘリが調整で飛行すると時に事故が起きました。あるサーボのホーンが壊れました。ヘリが飛べなくてはこのイベントは中止です、赤とんぼの皆さんが部品を持ちより岩ちゃんのヘリの修復に努めました。

 

成功しないとイベント出来ない何としても、イベントを成功させたいという気持ちが一丸となり遂にヘリの修復が出来ました、素晴らしいですね。プロジェクトとは、こういいうものなのでしょうね。

 

浮いた 風強し皆が固唾を呑む中、ヘリのローターが回転を始め強い風にも関わらず、浮上を始めました。慎重に岩ちゃんは操縦しています、徐々にヘリはノボリを吊り下げて上がり始めました、遂に全体のノボリが白馬村の田圃の上空に舞い上がり拍手の渦となりました。

 

最高 大成功!
紅葉が美しい感動の場面でしたね。

 

着陸後 ノボリがローターで粉々最後に、着陸後にノボリが風に煽られローター巻き込まれ粉々となりました。これも、赤とんぼらしい最後ではなかったでしょうか。

 

山小屋からの風景30周という記念すべき合宿でしたが、これからも変わらず4カ月間隔で白馬村、岩岳の『ちんぐるま』で合宿が続くと思います。素晴らしい秋の思い出が又、増えました。

 

『ちんぐるま』 秋
 
山小屋の前の温泉山小屋の『ちんぐるま』には感謝です。次回の冬合宿も宜しくお願いします。
  最後に、白馬村の人々に感謝です、30年間合宿の度に、色んな場所でお世話になりました、そして美味しい食材を頂き、田圃で、夏のスキー場で飛行機を飛ばさせて貰いました。沢山の楽しい思い出を有難うございました。

 

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2008年 『赤とんぼ』30周年 秋合宿(その2)

 今回のフライトを記録しておきます。

離陸です 山小屋管理人は25年前のプレーリ機を今回も飛ばしました。
新機種です これで4チャンネル わこちゃんの可愛いい機体です。残念ながら、今回は風が強いので飛行させませんでした。
わこちゃん 電動機美しい この機体は残念ながら墜落大破となる。
派手にやりましたね! 顔で笑い心で泣く。
岩ちゃんの自作 『カタナ』 岩ちゃんは『カタナ』をフルパワーで、かっ飛ばしました。
強風でも飛ばします 清さんは電動『プレーリ』は快調にとびましたね。随分と腕をあげました。が
オテンバEP 大破! 『オテンバ娘』が快調に飛んでいたのですが、背面飛行で墜落大破。
フムフム ラジコン親父も魔がさしたのか、完璧な演技のあとに墜落大破。
調子は良さそうです 三浦先輩も今回は墜落が無く、恙無く電動機を飛ばしました。
お馴染み、カッチンのセダクション かっちんは『セダクション』、何時も格好よく素晴らしい飛行でした。
joさんのオーラム・スポーツ Jo君は今回、空撮機体の部品忘れで『オーラムスポーツ』だけ飛行。
Ysさん 空撮に飛びます Ysさんは空撮用の機体2機を飛ばされました。素晴らしい映像でしたね。
 初日は昼過ぎに雨となり撤収、土曜日も風が強く電動機は困難でした。エンジン機は風に強いので、飛ばしましたが寒さに勝てず、午後は早々と、温泉に行き宴会となりました。
  
 

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2008年 『赤とんぼ』30周年 秋合宿(その1)

 合宿は11月7日(金曜日)から9日(日曜日)の期間、何時もの白馬村の『ちんぐるま』で開催されました。参加者は10名で、最近の常連の皆様でした。今回は30周年記念という記念すべき合宿となりました。

 マイフォト 2008年 赤とんぼ秋合宿(その1)

 空撮静止画映像  Ysさん撮影写真(白馬村佐野坂上空からの映像) 081108の写真集が白馬村の映像です。

白馬佐野坂 秋景色 今回は、わこちゃんが飛行機に搭載する電池を自宅に忘れるし、Jo君も空撮用の大型の飛行機の主翼を支えるアルミパイプ一式を自宅に忘れ、飛ばす事が出来ないというハプニングがありました。
白馬佐野坂 秋景色 初日金曜日は、天気は不安定で曇りで且つ風が強く、時折雨がふり気温が体感温度、零度の状態でした。早めに切り上げ午後2時過ぎには、山小屋で宴会が始ま
清ちゃん 富士川のクラブで頑張るりました。料理はおでんと、三浦さんのイタリア帰りのカルボナーラ。そして、わこちゃんがツマミを作ってくれました。

 

そば神 新そば三浦さんからは、イタリアワインの差し入れがあり、又、夜には白馬の花屋さ
祝30周年 心の手紙んから、お祝の花束が突然届きました。わこちゃんの、奥さんが送ってくれたようです。有難うございました。

 (空撮について)

Ysさんの空撮用デジカメ Ysさんがモータグライダー二機にて、動画と静止画の映像を撮影して下さいました。デジカメのスイッチをサーボモータで制御する方式です。一台は正面から、もう一台は
機体正面から撮影胴体横から撮影する方式でした。

 Ysさんのホームページに静止画が掲載されていますので、御参考にしてください。白馬村の佐野坂の上空からの映像です。

1108a 1108d DSCF5004DSCF5006 DSCF5009 DSCF5027 赤いジャンパー姿の人物はJo君ですよ! 拡大してみてね。

 楽しいですね~~。Ysさんの撮影は素晴らしいです。30年間一度も見たこと無い白馬佐野坂の上空からの眺めでした。

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赤とんぼ 2008秋合宿 無事終了

 記念すべき赤とんぼ30周年記念、秋合宿が無事終わりました。金曜日から日曜日まで白馬村、岩岳の『ちんぐるま』にて開催されました。

 200811akatonbo_029 今回は初日の金曜日は少し天気が悪く、曇りのち小雨がばらつく模様となりフライトは早めに終わり、午後2時から大宴会となりました。今回は参加10名ですね。

 わこちゃんは、電動機でしたが、肝心のリチューム・ポリマー電池を自宅に忘れ清ちゃんに、借りるという事態や、Jo君も空撮用の飛行機の主翼のステー材、アルミパイプ群を自宅にお忘れ飛行出来ないという不始末でした。

200811akatonbo_023 200811akatonbo_028  初日の夜には、わこちゃんの奥様から赤とんぼ30周年記念のお祝いの花束が、白馬の花屋さんから届けられという嬉しいハプニングがありました。玉ミミからも祝電のメールが届きました、有難うございました。

 初日の夜は、皆で色紙に記念の文字を一人二枚書き、山小屋の窓ガラスに貼ったり、手に持って記念写真を撮影したり、つなぎ合わせて、岩ちゃんのヘリで吊り下げたりしてイベントを楽しみました。

 200811akatonbo_096 残念ながら参加できなかった人々もおられましたが、これから毎年記念会をするそうです。来年は31周年記念の大会が開催されますので、是非御参加下さい。

 ともかく、30年間赤とんぼが続き、合宿が出来るのは、ひとえに白馬村の岩岳の山小屋『ちんぐるま』の存在と山小屋管理人がおられたからだと思います。本当に、長い間ありがとう御座いました。

200811akatonbo_136  残り何年になるか判りませんが、一日も長く赤とんぼが続く事を祈ります。

 200811akatonbo_154 尚、合宿報告は後日させていただきます。

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カナダ紀行 アサバスカ氷河

 カナダ紀行のハイライトはアサバスカ氷河です。小豆島の二倍の規模を持つ北半球で最大の氷河で覆われたコロンビア大氷原から流れ出る氷河の一つであるアサバスカ氷河を雪上車で登りアイスフォールにお場所まで歩いてゆける、魅力ある旅です。

 グーグルアース アサバスカ氷河

「athabascaGL.kmz」をダウンロード

 25年前に家族で訪問して以来氷河がどうなったか興味がありました。アサバスカ氷河は全長6キロ幅1キロ、深さ300メータの巨大な氷河です。氷河は続々とコロンビア大氷原から送り出されて来ます。そして氷瀑(アイスフォール)となりアサバスカ氷河に注いでいます。

 マイフォト カナダ紀行 アサバスカ氷河

コロンビア大氷原から流れ出る氷河 アサバスカ氷河です
アサバスカ氷河 Mt.アサバスカ、Mt.アンドロメダに囲まれる
ドーム氷河と古代の森 ドーム氷河と古代の森
雪上車 雪上車に乗り氷河を登ります
25年前も写真を撮りました でかいタイヤの前にて
ここから氷河を登るのです 雪上車で氷河を登る
昔の雪上車 これでは氷を痛める 昔の雪上車
アイスフォール(氷瀑)とコロンビア大氷原 アイスフォール
  (25年前のアサバスカ氷河)
Img_0070 駐車場からアサバスカ氷河
Img_0069 アイスフォールの前にて
Img_0078 雪上車の前にて
Img_0077 子供たちは小さかった

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2008年 上野音楽会

 承前 2007年 秋 上野音楽会

     2006年 秋 上野音楽会

今年も楽しい、秋の上野音楽会がありました。今回は二回に分けて開催されるそうです。今日はその第一部の音楽会でした。

 マイフォト 2008年 秋 上野音楽会

 今回の食事は近くのレストランに頼まれたようでした。美味しい料理でした。差し入れのマユさんの筋肉の肉じゃがはとても美味しい料理でしたよ。

上野公園オブジェ 上野の新しいオブジェです。上野の森ではフェルメールの絵画や大琳派展が開催されていました。また、国立西洋美術館が今度世界遺産の登録リストに乗るそうです。
上野公園 こんな可愛いいバスが かわいいバスが走っていました
カジ~~隣は誰~~? カジ~~
おしどり夫婦 森御夫婦さん
大べレラン頑張る 83歳の大先輩
セッションが始まります セッションが始まりました
マユさん独演 マユさん今回も聞かせましたね
若きイケメン独奏 イケメン君も登場
プロデユーサ頑張る パパも絶好調 & プロデユーサ大忙し
皆さん 今日は落語をやります カジ~ ボーカル
アトムは今日もいたずら アトムも元気
今日もお世話になりました ケンタ&アトム お世話になりました 楽しかったよ~~!!

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さきたま古墳群探訪記 稲荷山古墳

 突然に思い立ち、休日の早朝に家を飛び出し『さきたま古墳群 稲荷山古墳』見学の旅にでた。以前から興味のある古墳群であり、特に稲荷山古墳から出土した鉄剣銘には遥か河内王朝とこの関東の豪族が強い関係にあった物証として有名である。

 鉄剣に刻まれた115文字の中で埋葬された豪族の先祖は代々杖刀人首(じょうとう じんしゅ=ヤマト王権の親衛隊長)であって、自分はワカタケル大王の親衛隊長をしていたと記述されている。刻まれたのは辛亥の年(471年)の事である。

 既に崇神大王の時代から景行大王のヤマトの時代にヤマトタケルは関東に遠征しています。河内王朝の時代には完全に関東をヤマト王権は支配していたという物証です。特に、発掘された画文帯環状乳神獣鏡(がもんたいかんじょうにゅうしんじゅうきょう 国宝)は倭の五王が南朝から下賜されたものと想定されている。 参考文献

 Kitakantoumusashi グーグルアースで稲荷山古墳を含むさきたま古墳群を探りましょう。

グーグルアース 稲荷山古墳

「inariyakofun.kmz」をダウンロード

 写真を観ますと利根川を挟んで北には毛野氏(けぬうじ)の毛野国(現在の群馬県、栃木県)が存在し太田天神山古墳(毛氏首長墓)と対峙していますね。ヤマト王権の親衛隊長はこの利根川を挟み対峙としていたのですね。さきたま古墳群は武蔵の国の北限の守りとして重要な役割だったのでしょうね。

 当時の利根川は現在のように鹿島神宮の方面には流れていない、全て江戸湾に流れ込んでいた。江戸幕府は江戸の洪水を防ぐために水路を掘削し利根川を東に移動させ江戸に流れ込む水量を減らしたという。

元々が鬼怒川(毛野川)流域の稲作平野に拠点を築いたのが毛野氏である。未だヤマトに服属しない蝦夷も多く抱えた国であったそうだ。毛野氏の領国はその後分割され上毛野国と下毛野国と別れる。上野国と下野国であり毛州と呼ばれた。

 資料館では安閑大王(継体大王の長男)の時に武蔵国造の笠原直使主が国造の地位を巡り南武蔵国の小杵(おぎ)と内紛を引き起こし、小杵が上毛国の小熊と通じたのでヤマトは小杵を戦争で打ち破ったという記述が日本書紀にありこの稲荷山古墳との関係が深いと述べる。

 マイフォト さきたま古墳群 稲荷山古墳

 参考 さきたま史跡の博物館

 問題はこの『さきたま古墳群』は5世紀末に突然に出現する事です。従前からここに拠点があった訳ではない。この古墳の主は武蔵の国の従前の豪族なのか、それともヤマトが派遣した将軍であったのか未だ結論は出ていないそうです。

 一番毛の国、利根川に近い場所にあるのが稲荷山古墳です、これが一番古い。その後円部の頂上に立つと360度の眺望が開け、遥か利根川北の毛の国の太田天神山古墳を眺める事が出来そうだ。

 現在は8基であるが、昔は30基を越える古墳が存在したようだ。二重の周濠で巡る必要が何処にあったのだろうか。石田三成が忍城を水攻めする時に丸墓山古墳に砦を築いたというが、まさに古墳は城ではなかっただろうか。

 古墳にヤマト王権から配布された、中国王朝(南朝)から頂いた鏡を埋め、大義の元に毛野国と対峙したのではないだろうか。

 関東をヤマトが制圧するプロセスは出雲をヤマトが吉備と共に制圧した時から開始されたのではないだろうか。その頃には既に、出雲が進出していた武蔵の国と毛野国が存在していたと私は類推します。毛野国は未だ、出雲の勢力が制圧していなかったのではないでしょうか。

 武蔵野国の古社を調べると殆どが、祭神がスサノオであります。即ち、出雲なのですね。本国が滅んでも、関東の出雲勢力はヤマトの言う事は聞かなかったでしょうね。そこでヤマトの将軍はヤマトタケルを始め遠征した。

 私の類推では、出雲も手をつけなかった北方の脅威は毛野国だったと思います。利根川水系では稲荷山古墳あたりにヤマトの拠点を築く。そして、一方では鬼怒川(毛野川)水系が大陸に出る動脈である霞ヶ浦の出口である鹿島神宮と、対岸に香取神宮あたりにヤマト王権は、軍事拠点を置いたとみています。毛野国の封じ込め作戦ではないだろうか。

 今度は鹿島神宮と香取神宮を訪問して調べたいと考えています。

 

丸墓山古墳 北側から桜の木を仰ぐ 丸墓山古墳
稲荷山古墳 前方部 稲荷山古墳
礫槨北側よりみる 鉄剣出土 礫槨
稲荷山古墳より将軍山古墳を観る 将軍山古墳
二子山古墳 周濠 二子山古墳
孤高のサギ 鷺
ニワトリはこの梯子を登れるか? 夜は鶏を屋根裏で寝かせる
藁から縄を突くろ機械 北河内の農家にもありました 縄を作る機械
我が家にもあった五右衛門風呂 子供の頃の風呂はこれでした

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カナダ紀行 アイスフィールド・パークウェイ北上する

 レイクルイーズをあとにして、一路、アイスフィールド・パークウェイ高速道路をジャスパーに向けて走りました。このハイウエイはロッキー山脈を観光するには最高のルートであります。太古の昔、海底であった土地が太平洋プレートの圧力で隆起し南北に走る巨大なロッキー山脈が形成された。

 そのひだというか谷間を南北に走るのがアイスフィールド・パークウェイです。幾多の氷河湖と左右にに連なる氷河を抱えたロッキーの山々は圧巻です。25年前もここをレンタカーで走行した。ほとんど記憶には無いが、数枚の写真は残っている。

 Lake_louise_to_ice_field グーグルの写真を観て頂ければよくわかりますね。

それでは、グーグルアースでレイクルイーズから興味ある人はこのパークウェイを北上して下さい。途中に多くの写真が掲載されています。四季の模様が判ります。

 グーグルアース レイクルイーズ起点から北上

「shatou_lake.kmz」をダウンロード

 そして巨大なアイスフィールド(アサバスカ氷河)まで辿ってください

 グーグルアース アサバスカ氷河

「athabascaGL.kmz」をダウンロード

 それでは、私の写真集を眺めながらこのアイスフィールド・パークウェイの旅をお楽しみください。

 マイフォト カナダ紀行 アイスフィールド・パークウェイ北上

クローフット氷河とボー湖 クローフット氷河とボー湖(カラスの足跡氷河)
アイスフィールド・パークウェイ 同上です 湖も美しい
クローフット氷河とボー湖 同上です
200810canada_880 ボー川(Bow River)
クロッシング休憩所の山々  クロッシング休憩所から観る山々
クロッシング休憩所 同上
真中に5頭のマウンテイン・ゴート マウンテイン・ゴートが五頭
クマ対策 ゴミ箱です クマ対策のごみ箱 良くできています
 
  (25年前のパークウエイ)
Img_0094 ボー湖
Img_0102 絵葉書には出る有名な景色
Img_0090 アイスフィールド・パークウエイ
Img_0101 同上

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