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第五回 三輪山セミナー(その壱)

 承前  第五回 三輪山セミナー(予告)

 8月23日(土曜日)午後1時から5時迄上記講演会があり参加してきました。私は1回目から皆勤賞です。(笑)

 (1) 三浦佑之(みうら・すけゆき) 千葉大学教授文学部長

三浦佑之先生 講演「来訪する神 三輪山神話をめぐって」
 日本の神様は何処から来られるようです。
 (A) 三輪山型神婚神話ー大物主神
 ①イスケヨリヒメの誕生「古事記」神武
  ・神武(カムヤマトイハレビコ)さんは日向のおられる頃には既に奥さんはおられましたが、ヤマトに東征され、ふさわしい新しい奥さんが必要になった。(勝手な話)
 そして、奥さんに相応しい女性(普通ではダメ、神の子でなければならない)を見つけるのですが、それがヒメ タタラ イスケ ヨリヒメなのです。彼女の出生譚が面白い。
 -三島に住むミゾ(溝)クヒ(杭)の娘で名前がセ(神聖)ヤ(矢)ダタラヒメ(矢を建てる事が出来る姫さま)という美貌誉れ高い女性でした。三輪山の大物主の神が見惚れてしまい、赤い矢の姿に変えて彼女が川屋(水洗トイレ)で用を足しているときに川の流れに乗り近づき大事な処をブスリと刺した。
  彼女は驚いたけれど、その矢を寝床に持ち帰り傍に置いておくと、美男子になり変り結ばれてしまった。そして、生まれた女性がホトタタライススキヒメといい、又の名をヒメタタライスケヨリヒメなのです。
 
 神武さんは、土地の神である大物主が産ませた子と結婚する事が出来た訳ですね。
 ②オホタタネコの出自 古事記 崇神
 
 ・崇神さんの御世に疫病が蔓延し多くの人々が死にました。崇神さんはその理由がオオモノヌシ(大物主)が自分をないがしろにするから疫病を流行らせている、オホタタネコという者を見つけ出し、私を祀らせよ、と夢の中でお告げがありました。
 幸いに、河内の美努(みの)の村でその人を見つける事が出来た。「私は大物主の大神が、スエツミミの娘のイクタマヨリビメを妻として生んだ子、名はクシミカタ、その子イヒカタスミ、その子タケミカヅチ、その子、それが私オホタタネコですよ言う」
 やはり、オホタタネコは神の子であった訳です。
 イクタマヨリビメが大物主と結ばれる話も面白い、夜な夜な美男子が彼女の寝室に現れるのでした、そしてほどなく妊娠したそうです。娘の両親は誰の子供か詰問するが、それが夜中しか現れないので、判らないと娘が言う。
 両親のアイデイアで針に糸を付けて美男子の衣にそっと付けておいた。そうすると次の朝、その糸は娘の部屋のカギ穴を通過し、三輪山まで続いていたので、大物主さんである事が判明した。だからお腹の中の子は神の子であるという訳です。
 糸巻きに糸が三巻きだけ残っていたので、その地の名前を三輪という事になったそうです。

 ③ ヤマト トトビ(10x10)モモ(100)ソヒメと箸墓の起源 日本書記 崇神10年

  ・ヤマトトトビモモソヒメは大物主さんの妻になりました。(しかし、大物主さんは至る所に嫁さんがいたんですね、笑)

 しかし、神は夜しか来ないので、昼間は全く顔を見たことがありません。そこで彼女は、夜明けにあなた様のお姿を仰ぎ、麗しいお姿をみせて下さいと頼んだ。神は、明日の朝あなたの櫛箱に入っている、但し驚かないで欲しいと言った。

 翌朝、櫛箱を開けてみると美しい小さな蛇が入っていたのです。彼女は驚き叫び声をあげてしまいました。神は怒り、私に恥をかかせたので、そなたに恥をかかせると言い、御諸山に登っていってしまった。彼女は仰ぎ見て後悔しドスンと座り込んでしまいました。

 その時に、床に置かれた箸で陰部を突いて傷をつけ亡くなってしまいました。彼女を太市(おおいち)に葬った、そこで彼女の墓を箸墓と呼ぶ。この墓は昼は人が作り、夜は神が作りました。

 墓は、大坂山(奈良盆地西端の山)の石を運んだが、その山から墓まで人々が並び手から手に石を渡して運んだそうです。

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