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ブルゴーニュ 朝市点描

 ブルゴーニュの田舎での朝市を楽しみました。今日でフランスともお別れです、夜の便にて日本に帰ります。そこで、最後のブルゴーニュの思い出に朝市に連れて貰いました。新鮮な野菜とかチーズ等の食材を購入し、美味しい地元のパン屋さんでパンを購入。

 そして、朝市に面するレストランに持ち込み飲み物だけを注文する。これが、地元の人々が暮らしてる姿です。近所の仲間達とビールやワインを飲みながら休日を楽しむ田舎の生活です。

 マイフォト ブルゴーニュ 朝市点描

ブルゴーニュ 朝市風景 朝市の風景です
キノコも売ってます キノコもあります
鶏の丸焼き 鶏の丸焼き
パン屋の看板 パン屋さん
巨大なシュークリームもどき でや!シュークリームもどき
パリ行き列車を待つ家族 さようならブルゴーニュの田舎町
ブルゴーニュ車窓 パリに向かう車窓にて

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昨夜の新横浜はゲリラ豪雨

 昨夕5時頃に自宅をでて、近くのスーパーに買い物にでかけたが、空を見てビックリ!今まで経験した事が無い巨大な入道雲(積乱雲)が湧きあがって移動している。数秒で、風景が変化する程入道雲の姿が変貌する。こんな事は今まで経験した事が無かった。

 急いで、買い物を済ませ自宅に帰り、カメラをぶら下げ記録をとる為に自転車で外にでたが、もう、先ほど見た恐ろしい入道雲は何処かに消え去っていた。学生時代にアルプスの山々を歩いていたが、その時の雲とは異なる恐ろしさがありました。

 仕方ないので、自転車でブラリと鶴見川の土手を走る事にした。買物の時に見た入道雲はすでに存在しないが、一応、2008年夏の思い出に鶴見川の空を撮影する事にしました。

 マイフォト 2008年8月29日夕方 鶴見川土手にて空を眺む

2008/8/29 新横浜夕暮れ積乱雲 この日は夜になると遂に、ゲリラ豪雨となった。凄まじい雷が轟き叩きつけるような雨。息子が心配になりメールを入れると品川から新幹線に乗ったが新横浜で停止したという。JR東海のホームページを直ぐに検索し新幹線の運行状況をチェックすると8時59分に運航を停止してるという。
 
2008/8/29 新横浜夕暮れ積乱雲
 集中豪雨の警報が神奈川県にでたのと、雨量が50ミリを超えたので停止したのでしょうか。都市部の下水処理は40ミリから50ミリで設計されているそうだ。だから、集中豪雨が来ると道路は冠水してしまう。アスファルトは水を吸収できないからね。
2008/8/29 新横浜夕暮れ積乱雲
 雷がひどくなり、テレビ以外のパソコン二台と重要な電子機器のプラグは抜くことにした。最近は雷による誘導電流の為に赤トンボの千葉のラジコン親父さんも被害を受けたと聞いていたので、万全を尽くす事にした。誘導電流は電話線や、電線から雷の影響で高圧を受けるそうだ。
 (子供の頃の入道雲)
 
 北河内の田舎で生活していた頃は、夏になると必ず昼過ぎには入道雲がでた。姿がすぐに変化するので、見ているのが楽しみでした。空が俄かに暗くなり始めると遠方から雨が降り出すのが判る。ほんの10メータ先の距離まで雨が押し寄せてくるのが判る。
 突然に頭上から雨がふるような事は無かった。夕立ちは意外と親切なもんやな~~と、子供ながらに親しみを持っていた印象です。しかし、今年の夕立ちは突然にバケツを引っくり返すように不意打ちを食らわす卑怯者になっている。これは、ベトナムで経験したスコールではないだろうか。

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第五回 三輪山セミナー(その参)

 講演 「山辺ー上ッ道と古代の都・墳墓の風景」 水野正好

 

水野正好先生

今回のセミナーの最後は、大阪弁まるだしの吉本芸人も顔負けの話術を持つ水野正好御大でした。邪馬台国奈良説の巨頭です。先生は奈良大学の学長も経験され今は大阪府文化財センターの理事長とか日本文化財科学学会長とか色々とご活躍です。

 彼が育てた後輩が全国で発掘作業に関わり大きな成果を挙げているのも皆様承知の事であります。満員の聴講者を前に熱の入る、笑いが絶えない見事な講演でした。関西人は本当に話が上手ですね、学ぶところが多いですね。

  18頁の資料を配られ真面目に卑弥呼の宮殿が存在した場所から崇神大王、垂仁大王の宮殿の存在場所をご説明された。全て上ッ道の線上に存在するのが特徴ですね。この上ッ道は幅が12メータもあり南北一直線の大きな道であったそうです。

 ちなみに山辺の道は上ッ道の東側にありますが、これも幅12メータの南北に一直線の幹線道路であったそうです。我々が、現代で歩く山辺道はくねくねしてますが、これは観光用に作られた道だそうですよ。

 水野正好先生の卑弥呼の宮殿については、すでに友人のMuBlogの筆者が掲載済みであります。

  卑弥呼の宮殿 日本・歴史・古代 神々と天皇の宮都をさぐる

  MuBlog掲載 水野正好先生の推定、卑弥呼宮殿地図

 何故この場所を水野先生が推定されたかは、地名が大きいようです。ヤマト国、ヤマト郷、があればそこがヤマトの発祥の地である筈であると。この推定地は確かに大倭(おおやまと)神社が存在する場所で上ッ道が南北に朱雀大路の如く走り西に卑弥呼の楼閣が存在したと予言する。上ッ道を挟んで東に弟が政務する官庁街が存在したという。

 先生の推測では卑弥呼の館は中国の礼制建築に従った巨大な楼閣を備えた建物であると想定されています。決して吉野ヶ里で復元されたような、ちゃちな楼閣では無いと説明されていました。

 さて、この上ッ道を南に下ると崇神大王のシキミズガキ宮、垂仁大王のマキムクタマキ宮、そして箸墓古墳を貫くのです。

  MuBlog参考 崇神大王シキミズガキ宮推定地

 地図で判るように、南東から流れる初瀬川と北東から流れる巻向川に挟まれたデルタ地域であります。まさに水垣の場所ではないでしょうか。ここが都として繁栄したのは、初瀬川水運を利用して物資が運ばれ、ツバイ(海石榴市)はここらあたりの地名として古くは存在したと説明された。(現在は桜井市金屋)

 この場所から真東に行き山辺の道にぶっつかります、茅原という場所がありますが、そこはヤマトトド(ト)ヒモモソヒメの祭場であったと説明。更に東に行くと三輪山の頂に達します。

 さて、崇神大王の瑞垣の宮から上ッ道を北に行けば箸墓古墳に到達し、更に北に行くと景行大王のマキムクヒシロの宮が存在した。

更に北に上ッ道を行くと垂仁大王のマキムクタマキの宮になります。東には珠城山が存在していますので、このあたりと推定された。

 先生の説によればまさに、卑弥呼からヤマト王権が確立した崇神王朝はこの上ッ道を朱雀大路として繁栄した場所であったという事になります。上ッ道と山辺の道を産業道路として巨大な古墳群が建設されました、この道路の役割は重要であったと力説されていた。

 同時に、出雲族の勢力は強大であったと推測できます、出雲の神の三輪山の西に宮殿を構え出雲の国の荒神谷遺跡、加茂岩倉遺跡から発掘された膨大な青銅器と銅鐸群は出雲族がヤマトの王権を支える強大な力を持っていたと推定される。

 まさに、中国、朝鮮半島との交易を支配しサプライチェーンの拠点として出雲の港は利用されていたのでしょうね。事実、発掘された銅剣、銅矛の鉛は中国で産出されたものである事がその後の研究でわかったそうです。

 学者は普通は今まで判った事実しか述べない人が多い、しかし、水野先生は大胆な仮説をたて、後世の発掘に期待をかける人ではないでしょうか。

 つい最近、Mublogでも紹介されていましたが、箸墓古墳の周濠が巨大なものであった事が発掘の結果判明したそうですね。まだまだ、これからも奈良は古代史ファンにとり目が離せない場所であるようです。

(追伸)

 MuBlogにおける 卑弥呼の宮殿説

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第五回 三輪山セミナー(その弐)

 (B) ワニをめぐる伝承

 ① 語臣猪麻呂(かたりのおみいまろ)とワニ 出雲国風土記

 ・出雲の意宇郡安来郷に語り部の猪麻呂という人がいましたが、彼の娘が海岸で遊んでいると、和邇(わに=サメ)に遭遇し食い殺されてしまった。父は亡骸を海岸に設置し嘆き悲しんだ。「天つ神千五百万(ちほよろづ)の柱、国つ神千五百万の柱、並びにこの出雲に鎮座なさる三百九十九の社(やしろ)の神々、また、海神(わたつみ)たちの、大神は荒魂(あらみたま)は力をだして、猪麻呂に味方し娘を殺したワニを殺させて下さい。

 すると、百匹あまりのワニが一匹のワニを囲み猪麻呂のいる場所近くまで引き連れてきた。そして猪麻呂はそのワニを殺しお腹から娘の向こう脛を取り出した。

 ② タマヒメとワニ 出雲国風土記

 ・仁多(にた)郡の恋山(したひやま)には、ワニが阿伊(あい)の村に鎮座されている女神の玉日女(たまひめ)の命(みこと)に恋い慕って上ってきた、しかし女神は石で川を塞き止めたので、会えずに恋い慕った。その為にそこを恋山(したひやま)と言う。

 ③ ヨタヒメとワニ 肥前国風土記

 ・佐嘉(さか)郡に佐嘉川(現在の佐賀市の嘉瀬川のこと)という川があり、上流には石神(いしがみ)があり名前は世田姫(よたひめ)がおられた。海の神(ワニ)は海の魚を沢山ひきつれて川を遡り彼女に会いに来て、二三日逗留し又、海に帰った。

 (JO感想) ワニは海の神であるようですね、海岸ではワニを神として頂く集団が沢山存在したようです。ワニと言えば因幡の白兎の話が有名ですよね、何れにせよワニは海を生活の場としていた海洋民族のシンボルだったようです。このワニとその後のヤマト王権が生まれたあとの和邇氏(王仁氏)との関係が興味のあるところです。

藤野カヨ ソプラノ歌手

 ミニリサイタル 「万葉の悲恋 高市皇子、三輪山に歌う」

藤野カヨさんです。彼女は万葉集の歌に曲をつけ綺麗なソプラノ独唱をされる有名なおかたです。

 今回は額田王と大海人皇子との有名な相聞歌と二人の間に生まれ天智天皇の息子の大友皇子の妃となった十市皇女(とうちのひめみこ)と天武の長男の高市皇子との悲恋の歌を披露された。

 茜さす 紫野行き標野行き 野守は見ずや 君が袖振る (額田王)

 紫の におへる妹を 憎くあらば 人妻故に 我れ恋いめやも (大海人皇子)

 三諸の神の神杉(かむすび) 夢(いめ)のみに見えつつ 共に い寝ぬ夜ぞ多き

 (高市皇子)

 神山(みわやま)の山辺まそ木綿短木綿(ゆうみじかゆう)かくのみ故に 長くと思いき(高市皇子)

 山吹の 立ち装(よそ)いたる 山清水 汲みにゆかめど 道の知らなく(高市皇子)

 (JO感想) 十市皇女(とうちのひめみこ)は波乱の人生をおくり悲劇に遭遇した女性ではないでしょうか。万葉一という歌人で美人で頭の良い額田王(ぬかたのおおきみ)と天武天皇の間の子供として生まれ、天智天皇の息子で近江朝を継いだ大友皇子の奥さんとなり葛野王を産む。

 しかし、壬申の乱にて父とは敵となりご主人の大友皇子は父に殺されるわけです。(彼女が父である天武天皇に情報を送ったという説もあるそうですが)

 そして、戦乱のさなかに天武軍の総大将である人望、知力、勇気ともに備えた高市皇子に救い出されるのですね。二人は、本来恋仲であったという説もありますし、その後夫婦であったという説もあるくらい中が良かったそうです。

 しかし、天武の奥さん、権謀術数の後の持統天皇はこの二人が一緒になる事は万が一男の子でも生まれると、草壁皇子の地位が脅かされる訳ですね。何としても阻止する動きをしたのではないでしょうか。

 天武7年に未亡人に関わらず、突然に泊瀬倉梯宮の斎宮という未婚の女性にしか任されない職に就かされたのです。これは誰の陰謀か判りませんが、高市皇子との仲を裂く策略です。赴任日の朝、突然に彼女は死んでしまいます。

 天武天皇と高市皇子の悲しみは、いか程であったのか、暗殺なのか、自殺なのか、歴史は沈黙しています。

 上記の挽歌はこの悲しみで生まれた、高市皇子の歌であります。

 

 

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第五回 三輪山セミナー(その壱)

 承前  第五回 三輪山セミナー(予告)

 8月23日(土曜日)午後1時から5時迄上記講演会があり参加してきました。私は1回目から皆勤賞です。(笑)

 (1) 三浦佑之(みうら・すけゆき) 千葉大学教授文学部長

三浦佑之先生 講演「来訪する神 三輪山神話をめぐって」
 日本の神様は何処から来られるようです。
 (A) 三輪山型神婚神話ー大物主神
 ①イスケヨリヒメの誕生「古事記」神武
  ・神武(カムヤマトイハレビコ)さんは日向のおられる頃には既に奥さんはおられましたが、ヤマトに東征され、ふさわしい新しい奥さんが必要になった。(勝手な話)
 そして、奥さんに相応しい女性(普通ではダメ、神の子でなければならない)を見つけるのですが、それがヒメ タタラ イスケ ヨリヒメなのです。彼女の出生譚が面白い。
 -三島に住むミゾ(溝)クヒ(杭)の娘で名前がセ(神聖)ヤ(矢)ダタラヒメ(矢を建てる事が出来る姫さま)という美貌誉れ高い女性でした。三輪山の大物主の神が見惚れてしまい、赤い矢の姿に変えて彼女が川屋(水洗トイレ)で用を足しているときに川の流れに乗り近づき大事な処をブスリと刺した。
  彼女は驚いたけれど、その矢を寝床に持ち帰り傍に置いておくと、美男子になり変り結ばれてしまった。そして、生まれた女性がホトタタライススキヒメといい、又の名をヒメタタライスケヨリヒメなのです。
 
 神武さんは、土地の神である大物主が産ませた子と結婚する事が出来た訳ですね。
 ②オホタタネコの出自 古事記 崇神
 
 ・崇神さんの御世に疫病が蔓延し多くの人々が死にました。崇神さんはその理由がオオモノヌシ(大物主)が自分をないがしろにするから疫病を流行らせている、オホタタネコという者を見つけ出し、私を祀らせよ、と夢の中でお告げがありました。
 幸いに、河内の美努(みの)の村でその人を見つける事が出来た。「私は大物主の大神が、スエツミミの娘のイクタマヨリビメを妻として生んだ子、名はクシミカタ、その子イヒカタスミ、その子タケミカヅチ、その子、それが私オホタタネコですよ言う」
 やはり、オホタタネコは神の子であった訳です。
 イクタマヨリビメが大物主と結ばれる話も面白い、夜な夜な美男子が彼女の寝室に現れるのでした、そしてほどなく妊娠したそうです。娘の両親は誰の子供か詰問するが、それが夜中しか現れないので、判らないと娘が言う。
 両親のアイデイアで針に糸を付けて美男子の衣にそっと付けておいた。そうすると次の朝、その糸は娘の部屋のカギ穴を通過し、三輪山まで続いていたので、大物主さんである事が判明した。だからお腹の中の子は神の子であるという訳です。
 糸巻きに糸が三巻きだけ残っていたので、その地の名前を三輪という事になったそうです。

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ヴェズレー マドレーヌ聖堂(世界遺産)

 ブルゴーニュのヴェズレー(Vezelay)という場所に有名なサント・マドレーヌ聖堂が存在します。小高い丘の上に聳える教会です。数年前に一度、娘に連れて貰いましたが、今回は二回目の訪問でした。

  過去記事 夢の美術館

  過去記事 巡礼の旅について

 この教会は歴史が古いのです。ダビンチ・コードで有名になりましたが、キリストの奥様と言われるマグダナのマリアが聖堂の地下に埋葬されているという伝説を持っています。最新の科学で分析をすると時代が合わないという事でこの伝説は立証されませんでした。

 今でも、聖堂地下の墳墓を見学できます。しかし、キリスト教徒にとりこの場所は聖地というのが脈々と伝えられており、十字軍が蜂起したのもこの場所だったそうです。異教徒のイスラム討伐の遠征軍はこの場所から出発したのです。

 中世ではペスト、黒死病、がヨーロッパに蔓延し人々は救いを求めて遥か千キロ離れた北部スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラまで巡礼の旅が始まった。

 日本では四国の八十八か所札所巡りが有名ですが、国を越えて人々の信仰は同じなのではないでしょうか。日本では、もし行き倒れた時は杖が墓標となるそうですが、同じくこちらでも杖にホタテガイのマークを付けて巡礼します。

 今回、教会を訪問した時は丁度ミサの最中でした、美しい讃美歌が聞こえ素晴らしい心が洗われる時を経験させてもらいました。教会裏の庭からは360度のブルゴーニュの田舎の風景を眺める事ができます。

 ぜひ、一度、フランスを訪問される機会があればヴェズレーまで、足を延ばされては如何でしょうか。

 マイフォト ヴェズレー(サント・マドレーヌ聖堂)世界遺産

 参考資料 ヴェズレーご紹介(英文)

ヴェズレーの丘とマドレーヌ聖堂 丘の上に聳えるサント・マドレーヌ聖堂(世界遺産)
サント・マドレーヌ聖堂 マドレーヌ聖堂
聖堂裏 聖堂裏
聖堂裏の展望台から ヴェズレーの丘からの眺め
ミサが行われています ミサが行われていた(賛美歌が聞こえます)
サンテイアゴ・デ・コンポステーラ起点 サンテイアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 マーク
マドレーヌ聖堂の参道 マドレーヌ聖堂参道

 

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フランス ブルゴーニュ紀行

 7月14日オスロからフランクフルト経由でパリに戻りました。パリからはバスで何時も馴染みのガル・デ・リヨン駅に到着。もう夜の9時過ぎです、ブルゴーニュに向かうにはもうこの駅から電車が出ていないので、近くの駅まで行き夜10時過ぎの電車に乗る。

 夜11時30分ころにブルゴーニュの「Gare De Joigny」の駅に到着した。そこから車で1時間程度走ると古い村に到着、ここで二泊する事になりました。

 古い中世のままのような、村であり私が生まれ育った北河内の田舎と同じくのんびりとした、花が多く、沢山の鳥が歌う楽園のようでした。フランスは都会もいいけど、田舎の方が本当のフランスを理解できるのではないでしょうか。

 マイフォト フランス ブルゴーニュの田舎

ガル・デ・リヨン駅 ガル・デ・リヨン駅風景
早朝の森の散歩 早朝の森の散歩
乳牛です 乳牛さんたち
お前見慣れぬ顔だな おはようさん
麦畑 麦畑
田舎の教会 田舎の教会
ビラが似合う風景 フランスらしい風景
ポピーとミツバチ ポピーとミツバチ
麦畑の丘 麦畑の丘

 

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2008年 北京五輪終わる

 昨夜、新横浜では国際競技場では深夜までサザンのコンサートの光が雨の中夜空を焦がしていた。そして、テレビでは北京での五輪閉幕式の映像を流していた。

 新幹線では大雨で熱海、小田原間が不通となり新大阪で夜の7時頃に乗り込んだ人が朝の4時頃に新横浜に到着でした。静岡、神奈川では大雨でしたね。

 (北京五輪も終わる)

 数々のドラマを生んだ北京五輪も終わった。世界中から注目を浴びた中国はテロの惨事に遭遇せず、胸をなでおろしているのでしょうね。開会式、閉会式を観てると中国人の古来からの客のもてなしかたの仰々しさが少しおかしく覚えた。演出は大袈裟で私の好みではありませんでしたね。けど、一生懸命である熱意は伝わりました。

 男子マラソンでは日本で高校生時代から仙台育英高校に留学し、その後トヨタ自動車九州で森下広一監督に育てられたケニヤのワンジル選手が優勝した。日本人記者のインタビューには日本語で話をしていた。インターネットでは76位と最下位で競技を終えた佐藤選手に対して北京の会場では彼を讃える大声援とウエーブが起こったという。

 このような感動的な場面は会場でしか味わえないのでしょうね、テレビでは全く報道されないし映像も無い。北京の人々は過酷なマラソンを最後まで走りぬいた一人の走者を讃えた気持は嬉しいし、感動する。

 多くの感動的な場面をテレビから受け取れた、一番の感動は女子ソフトボール、マイナーな競技なんでしょうがあのハングリーさは凄まじいものを感じたし、女子サッカーも素晴らしかった。5大会連続でメダルを獲得した女三四郎、谷亮子さんの柔道はふがいない男子柔道と対照的でしたね。

 2大会連続で百、二百と金メダルの北島康介選手は北京では「蛙王」と称賛され、彼の中国に配慮した発言から好感を持たれていたんでしょうね。閉会式には旗手として呼び戻されていたのは印象的です。選手村の料理が美味いと、今までの会場で一番だという発言を中国メデイアは逃さない。(まさか、マクドナルドではないのでしょうね)

 日本が東京オリンピックを契機に高度経済成長の道を突き進んだように、中国は世界第二位の経済大国への道を実現するのは明らかだと思う。と同時に、資源をめぐるプーチン覇権主義国家と周辺諸国とのキナ臭い武力衝突は未来への不安材料です。

 日本丸はこれから何処へ行くのか、衆議院選挙で国論が熱く語られるのを期待しています。私は、戦後60年の歩んだ道とは違う道を模索するのが賢明ではないのかと個人的には考えています。

 

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フィヨルドツアー ノルウエーから学ぶ

 今日の読売新聞朝刊によれば、日本の1人当たり名目GDPはOECDの加盟国の中で、1993年の2位をピークに下落傾向が続き、2006年には18位まで落ち込んでいると報じた。

 (2006年度1人当たりの名目GDPの順位)

 1位 ルクセンブルク 2位 ノルウエー 3位 アイスランド 4位 アイルランド 

 5位 スイス 6位 デンマーク 7位 米国 8位 スエーデン 9位 オランダ

 10位 フィンランド 11位 英国 13位 カナダ 16位 フランス 17位 ドイツ

 18位 日本 19位 イタリア

 何とバイキングの故郷であるノルウエーは2位、デンマークは6位 フィンランドは10位である。ノルウエーの経済は北海大陸棚から産出する石油と天然ガスが大きく石油は輸出の3割を占める。また水産養殖物については世界魚類輸出量の1/3を占め国家が統制している。戦略的である。

 ノルウエー旅行に来る前は国土の殆どがフィヨルドで耕地は無く、漁業で生活してる貧しい国だと考えていた。しかし、現実は遥かに日本を引き離した豊かな国である事に驚きを隠せない。病院は無料、大学まで無料で行ける、高福祉国家という話は聞いていたが、いつの間にか遥かに日本を追い抜いた豊かな国を作りあげていた。

 確かに、人口は480万人、スエーデンで900万人、デンマークで540万人と人口は少ないので国力という意味では大した事は無いが、問題は人々の豊かな暮らしのバロメータである一人当たりの豊かさがより大事だとは思いませんか。

 昔は日本とノルウエーは捕鯨で競っていた国同士でしたね。しかも、デンマーク王室の一族として国王を戴いている。日本の皇室ともよしみは深いようです。参考資料 平成17年の天皇皇后陛下のノルウエー訪問

 日本の民族資本の石油会社である私の大学の大先輩が創業した出光石油さんはオスロのムンク美術館に対しても随分と協力をされている。北海大陸棚の石油採掘に関係が深いからです。

 先日のテレビ番組でノルウエーの鯖漁に関して国家の戦略的な政策が優れているか、素人の私にでも判る説明がありました。漁船1艘あたりの水揚げ本数が制限されているのと鯖の大きさに制限があり大きな鯖しか漁獲できない仕組みがあるそうだ。だから、でかい鯖しか漁師は捕獲しないから付加価値が高く高価な値段で日本に売れるという。

 日本は漁業時期に制限はあるが、決められた期間になるだけ多くの鯖を獲得しようと漁師は活動するので小さな鯖まで捕獲してしまうという。だから、値段は安い鯖しか獲得出来ない。この当たり前の事が出来ていないのは政策の間違いではないだろうか。

 デンマーク、ノルウエー、スエーデンのデンマーク系王室の国々は今だに通貨としてユーロには加盟していない。クローネを使用している、これも戦略ではないだろうか。

 日本は益々、少子化が進み働ける人口が低下している、今までと同じ国家経済戦略を採用していてはみるみるうちに先進国から脱落する可能性が高いと思う。その危機感は海外にでて自分の目で確認しなければ実感が湧かないと思うが、若者は海外に目を向けているのだろうか。

 選択の道は二つしかないと思う。

 一つは今まで通りの世界第二位の総生産力を維持する方法の道を選ぶならば、海外の労働力を輸入し移住させる米国、英国、フランス、スペイン等々と同じ道を選ぶ道。

 もうひとつの選択肢は総生産力での経済大国の道を捨て、北欧のバイキングの国々のように産業を再度集中選択し国民一人の生産力で世界一を目指す道である。この選択肢は知恵を絞り構造改革を大胆にやらねば実現が困難であり難しい選択肢だが、日本人には向いているように思う。

 日本の製造業は中国を始め、東南アジアに工場を移転し安い労働力をベースにこの10年間は過ごして来た。そして何とか世界第二位の総生産力(GDP)を確保して生きてきた訳です。その結果日本国内は製造技術力では空洞化を招いている。第三次産業ばかりが肥大化しているのが実情ではないだろうか。

 日本の将来として人口に見合う国力でよくて、しかし国民一人当たりの生産力では世界第一のような国は実現できないのでしょうか。

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フィヨルドツアー ヴイーゲラン公園(フログナー公園)

 オスロでは最後の訪問地となりました、ノルウエーの誇る彫刻家グスタ・ヴイーゲラン(1869~1943)の彫刻を集めたヴイーゲラン公園(フログナー公園)です。

人間の誕生から死ぬまでの世界が彫刻されているが、多くの群像の迫力には圧倒されます。彼は一切の彫刻の説明をしなかったそうです。そして、彫刻群をこの場所から動かしてはならないというのが、彼の遺言だそうです。

 殆どの彫刻群は収録ししましたので、皆様がどう感じれられるか楽しんで下さい。

 マイフォト フィヨルドツアー ヴイーゲラン公園(フログナー公園)

シンメトリカルな構図 公園並木道
青春の群像 青春の群像
薔薇園 バラと噴水
噴水の周りにも彫刻が連続 ヴイーゲランの噴水
モノリッテン 人間の塔 モノリッテン(人間の塔)
天球儀と人間の環 天球儀と人間の環
男女二組の環 人間の環
ヴイーゲランの代表作 「おこりんぼう」 代表作「おこりんぼう」

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フィヨルドツアー コン・ティキ博物館

 トール・ヘイエルダール(19142002)というバイキングの末裔であるノルウエーの著名な行動的な学者がいました。民族学、海洋学、人類学、実験考古学の草分けの人です。彼は、エジプトの巨石文明が大西洋を渡り南米のインカ文明や更に、太平洋を渡りイースター島のモアイの巨石文明をつくりあげたと仮説をたてた。

 彼の凄いところは、仮説を実証する為に古代の船を建造し自ら乗り込み冒険の航海にでた事ではないでしょうか。南米のバルサの木で筏を作り帆を張り「コン・ティキ号」とインカの神の名前を頂き100日を越える冒険航海にでた。流石に、バイキングの血が騒ぐのでしょうね。

 彼は、葦の船を建造し「ラー号」と太陽神の名前を頂き1969年にアフリカはモロッコから南米を目指し大西洋の航海にでたのだ。翌年の2度目には成功した。又、1977年にはメソポタミア文明のシュメール型の葦船「チグリス号」を建造しインド洋の実験航海に挑戦した。

 日本人も「ラー号」、「チグリス号」にはクルーとして参加し当時は随分と話題になったと思います。その後、テレビ局も参加した実験航海はブームとなり邪馬台国への道として朝鮮半島から九州への実験航海(NHK)とか、最近では継体大王の石棺を熊本から大阪まで運搬する実験航海とか行われている。

 まさに、実験考古学の草分けは、バイキングの末裔であるトール・ヘイエルダール氏の功績ではないでしょうか。

 マイフォト フィヨルドツアー コン・ティキ博物館

 
モロッコから大西洋を渡った葦船ラー号 葦船「ラー号」
インド洋航海 葦船「チグリス」 葦船「チグリス号」
こんな筏で太平洋を航海した バルサ材筏船「コン・ティキ号」
飛鳥の石像と似てない? 飛鳥の石像に似てます
捕鯨銃と海 捕鯨の国 ノルウエー

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フィヨルドツアー スタバンゲルからオスロへ

 リースフィヨルドのトレッキングの拠点であり、昔のバイキングの故郷であるスタバンゲルを去りオスロに向かいます。スタバンゲルには二泊しました。三人部屋を借り切り隣の三人部屋とはシャワールーム、トイレは共同でした。ダイニング、キッチンは共同で設備が完備していますので、料理はそこで作り食べる事が可能です。

 (ユースでの出来事)

 隣の部屋には巨漢のノルウエー人3人が宿泊していました、工事現場で働く人々でしょうね。二日目は土曜日でしたので、夜は彼らは大騒ぎです、部屋でウオッカの瓶を何本も並べて酒盛が始まりました。夜の11時を過ぎにタバコを吸いに部屋を出ると彼らに捕まり、部屋に連れ込まれた。

 丸太棒のような腕に捕まり、手に手にウオッカの瓶を持ち、まるでバイキングの戦士のようです。少しだけ、相手をして彼らに隣の部屋では女性2名が寝てるので、静かにしろと説教をして部屋に戻った。それから暫くして、彼らは何処かに出かけたが、深夜に次々とトイレに駆け込みゲロを吐いてる有様。

 ホンマ、彼らは日頃はいい人なんですが、酒を飲むとメチャメチャになる習性がありますね。昔、ドイツ人を半年間世話した経験があるが、彼らも夜酒を飲むと陽気になり歌を歌うわ、暴れるわ、ホンマ苦労した経験があります。

 さて、楽しかったスタバンゲルでのトレッキングも終わり、一路、空路にてオスロに戻る事になりました。

 マイフォト フィヨルドツアー スタバンゲルからオスロへ

スタバンゲル ユース近くのバンガロー 宿泊したユース近くのキャンピング場の風景です。
オスロへの航路 オスロに向かう飛行機から眺めたノルウエーの大地です。
オスロ市内行き13時8分 オスロ空港駅の風景です。
オスロ市内へ向かう 田園風景 オスロ空港からオスロ市内に向かう車窓です。
トラム 市電です トラム(市電)です、これには大変お世話になりました。

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フィヨルドツアー リーセフィヨルド・トレッキング

 ノルウエー紀行最大の山場がこのリーセフィヨルド・トレッキングでした。スタバンゲルのユースホステルを朝早く出立し、7時18分のバスでスタバンゲルの港まで15分程度。港のスーパーで昼飯の材料を購入したが、ビールは朝8時からしか売らない。法律だそうだ。

 港の観光案内所でリーセフィヨルド・トレッキングの為にタウ(Tau)までのフェリー往復とタウから登山口であるPreikestalhytta(プレーケストール・ヒュッテ)までの往復バスのクーポンを購入する。ヒュッテと港はバスが通じているが、時間が限られているし本数もないので、このクーポンを購入しておかないと帰りが大変です。

 

Preikestolen トレッキング
登山ルートです

フェリーは8時に出発し8時30分にはタウの港に到着。そこで、バスが待っているので、約30分かけて登山口であるプレーケストール・ヒュッテに9時10分に到着した。さて、高低差330メータ、往復距離7.4キロのPreikestolen(プレーケストール)トレッキングの始まりです。所要時間の見積もりは約5時間の予定です。

 マイフォト フィヨルドツアー リーセフィヨルド・トレッキング写真集

伝統家屋は屋根に土と草登山口プレーケストール・ヒュッテ

 

遥かタウの港とフィヨルド登り始めて1時間タウの港遠望
天空の沼にて天空の池
岩の広場神々の庭
ケルンケルンとリーセフィヨルド
preikestolenのpulpit rockは近いpulpit rockへの道

 

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フィヨルドツアー ベルゲンからスタバンゲルへ

 ハンザ同盟で栄えたベルゲンを去り、高速フェリー艇で4時間30分をかけてノルウエーのフィヨルドを駆け抜け南160キロにあるスタバンゲルの港を目指す事にした。フィヨルドの海は瀬戸内海の海と同じく波が有りません。穏やかな海であります。違いは島が無い事でしょうか、そして日本海の空のようなどんより雲で覆われています。

 スタバンゲルでは二泊する予定であり、今回のノルウエー紀行の最大の目的であるリーセフィヨルドのトレッキングが待っているのです。4時間以上の船旅ですが、デッキの上は強風にさらされています。イスに座りタバコを吸いながらフィヨルドの美しい風景を満喫しました。

 マイフォト フィヨルドツアー ベルゲンからスタバンゲルへの船旅

高速で航行するフェリーフィヨルドに架かる橋と航跡
巨大な吊り橋フィヨルドに架かる巨大橋
子供を抱く父親デッキで子供を抱く父親
フィヨルドと雲とフィヨルドと八雲立つ風景
アーチの橋をくぐるアーチの橋をくぐる
夕闇迫るフィヨルド夕闇迫るフィヨルド

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フィヨルドツアー 古都ベルゲン

 

リューベック都市とベルゲン都市

ノルウエー第二の都市ベルゲン。バイキングの時代からノルウエーの中心の港湾都市として栄えハンザ同盟の時代にも4大主要都市として栄えた。ハンザ同盟は13世紀から18世紀までバルト海沿岸地域の貿易を独占し北ヨーロッパの経済を支配した都市連合です。

 

ハンブルグ都市とブレーメン都市
ハンザ同盟都市群

リューベック、ハンブルク、ブレーメン、ベルゲンの4都市が中核となった。この4都市を中心に200百の都市が連盟した、ロンドンもその一つです。バイキング時代の北ゲルマン民族(モンゴリアンとの混血)が欧州の海を支配したように、ハンザ同盟は北ゲルマン民族が中心となり欧州の海を支配したのだ。

 マイフォト フィヨルドツアー 古都ベルゲン

宿泊したホステル

 ベルゲンでは8人部屋の二段ベッドの窮屈な山小屋のようなユースホステルに宿泊した。そこで、ポーランドから来たご夫婦と親しくお話が出来た。旦那はポーランドでビジネスマン、奥様は現在スウエーデンの大学で研究者をされているバックパッカーでした。

 彼らはスウエーデン北部からノルウエーの北部に入りトレッキングを楽しみながら、ベルゲンまで南下されてきたようだ。途中の素晴らしかった場所を自慢の一眼レフのカメラと地図で説明をしてくださいました。随分と参考になる出会いでした。

また、もう一人は韓国人の学生さんで、今はイリノイ大学の大学院で勉強してる若者でした。ホステルではこのような、人との出会いがあるのが楽しみなんでしょうね、しかも安いのがいいです。料理は自炊場で自炊可能で皆さんスーパーで購入した材料で料理をされていました。

 一晩中、明日からのホステル予約をインターネットで探している年寄りの台湾人女性も目につきました。シャワールームは共同で幾つかあり、トイレも共同です。山小屋と思えばいいのではないでしょうか。皆さんバックパッカーと呼ばれる人々なのです。

 

機雷とハンザ同盟商館

我々は思い切ってノルウエーでは初めて夕食を港のレストランで食べました。美味しい海鮮料理があると考えたからです。ノルウエーの物価は高くとても外食ができるような状況ではありません。日本はとても安いと思いますね。

世界遺産ブリッゲン(倉庫群)
ブリッゲン(世界遺産)地区の建物

古代のバイキング時代からハンザ同盟の時代と常に交易で栄えた港町ベルゲン、その歴史をかんじさせてくれる街を堪能しました。

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フィヨルドツアー グドヴァンゲンからベルゲンへ

 フィヨルドの2時間の遊覧の終点はグドヴァンゲン(Gudvangen)です。名前の由来は土俗信仰の神々(gud)を祀る古い社にまつわるそうです。ここからナーロイ渓谷の絶壁のような急坂をバスで登りベルゲン鉄道のヴォス(Voss)駅まで1時間10分の行程です。

グドヴアンゲンからヴォスへのバス道グドヴァンゲンからヴオスまでのルート(バス)
 ヴォス(Voss)からはベルゲン鉄道で100キロ、一路ベルゲン(Bergen)向かいます。ベルゲンはノルウエー第二の都市です、13世紀から18世紀まで活躍したハンザ同盟の主要な都市として皆様もご存じと思います。
ヴォスからベルゲンまでの鉄道
 このバスの旅と鉄道の旅の模様を写真集に収録しました。参考にしてください。
グドヴアンゲン シエル滝
素晴らしい滝ではないですか
ナーロイ渓谷ナーロイ渓谷の景色
残雪の山と北欧の森雪を抱く山と北欧の森
ヴァング教会ヴァング教会
VOSS駅ヴォス駅
子供に三輪車を教える親車窓から、子供に自転車を教える親の風景
ベルゲン駅到着ベルゲン駅に到着

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フィヨルドツアー フロムからグドヴアンゲンへ

 地理を中学、高校で選んだ人は必ずご存じのソグネフィヨルドのご紹介です。ソグネフィヨルドは全長204キロの[フィヨルドの王者]です、支流は幾つもあります、今回はフロムからアウルランフィヨルドを20キロ航行しそして、ナーロイフィヨルド20キロを航行します。

フロムからグドヴアンゲン

 ソグネフィヨルドは世界遺産に登録され過去2~300万年間に幾度か訪れた氷河期に氷河に削り取られて出来ました。現地での案内書によると、「元々、フィヨルドは山の小さな裂け目にすぎなかったのですが、雪と氷の重みで裂け目が長く深くなり、しまいに外海にまで達したものです」だ、そうです。

 マイフォト ソグネフィヨルド フェリーの旅(フロムからグドヴアンゲルへ)

 フロムからグドヴアンゲルまでの船上からの眺めは写真集を参考にしてください。

カモメ至近距離至近処理からのカモメの写真です。
すれ違うフェリーすれ違うフェリーの写真です。
迫力のカモメ編隊飛行迫力あるカモメの編隊飛行です。
標高1660メータの山々標高1660メータの山々です。
豪快な滝豪快な滝の風景です。
フィヨルドの小さな村落フィヨルドの小さな村落
 暇なときに写真を観て下さい、世界遺産ソグネフィヨルドの船上からの景色が堪能できると思います。

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北京五輪が始まる

 遂に北京五輪が始まりましたね。開会式のセレモニー凄いマスゲームに驚きました。あのようなマスゲームが出来るのは北朝鮮と中国しか存在しないでしょうね。ピアノを中心に四角の大地とそれを取り巻く人々が作る、天を表す同心円のマスゲームの凄い正確性、驚きでしたね。随分と練習をしたのでしょう。

 中国が発明したもの、文字、紙、筆、活版印刷、羅針盤、そんな歴史的に現在の近代文明を支えている発明品を自慢していましたね。確かに、中国は西洋文明が開化する前に随分と重要な発明や文化的な偉業を成し遂げたと思います。日本の近代があるのも、中国のおかげでしょうね。

 しかし、何処か国威発揚の雰囲気が感じられましたが、私だけの印象でしょうか。世界の首脳を一列に並べさせ国家元首が挨拶を受ける風景がテレビで流れましたが、あれ、昔の中国の册封(さくほう)儀礼に似ていませんか。中国の権威を示すような映像でしたね。覇権主義の表れのように感じました。

 又、北京の開会式場に雨が降らないように近くの雨雲にロケットを1200発も打ち込み触媒を撒いて雨をふらし会場上空に雨雲が行かないようにしたそうですね。こういう事は自然を人間が支配するというイデオロギーなんだろうか、疑問ですね。世界でこのような事をする国はあるんでしょうか、怖くなりました。

 そういえば、昔誰かから聞いた話を思い出しました。黄河は北に向かい迂回して又南に南下する場所があるそうで、雪解けの春には上流の南の地域の黄河は氷が融けて水が流れ途中の北に迂回する黄河の川は未だ氷っている場所がある。すると、洪水が起こるので軍が飛行機から爆薬を川に落とし氷を破壊し水が流れるようにすると言う。

 スケールが違うのですね。過酷な自然環境なんだろうか。自然と、雨雲も始末する考えが出てくるんでしょうね。

 日本のサッカーが負けました

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 実は北京五輪が始まった土曜日の夜、チケットがあったので息子と二人で新横浜国際競技場までチャリを飛ばし、ガンバ大阪と横浜マリノスの試合を見学に出かけた。

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 ガンバの7番の遠藤選手を見つめながら、確か彼は五輪代表のオーバーエイジ枠で呼ばれた筈ではなかったのだろうか。ガンバは流れるような美しいサッカーをする、基点は遠藤選手である。ゲームメーカだと思う。

 

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日本の五輪のサッカーは昔からオーバーエイジを使わない伝統なんでしょうかね。和を大事にする国民性から異分子を嫌がる習性があるのかも知れない。けど、ブラジルはロナウジーニョが入るそうではないですかね。

 北島選手連覇

 先ほど、100メータ平泳ぎで北島選手は世界新記録をだし連覇を飾った。有言実行の男ですね、流石だと思います。素晴らしい、若者も日本にはいるんですね将来が明るい。

 

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フィヨルドツアー フロム鉄道

ミュルダール駅

 思いがけずにフロムで宿泊する事になりましたが、翌日はミュルダール駅とフロム駅の往復をする事になりました。標高2メータのフロム駅から標高867メータのミュルダール駅の往復です。片道1時間ですから、フロム駅の始発電車8時30分に乗れば、フロムに10時30分に帰着できるはずです。

 フロム鉄道の昨夜の関係者に相談し、ミュルダールからフロムまでの片道のパスしか持たないわれわれですが、好意により往復させて貰えるようになりました、ホント優しい鉄道員さんたちですね。

 ノルウエーでは一番に人気のあるのが、このフロム鉄道だそうです、ベルゲン鉄道の支線ですが、北欧では一番急な斜面を登り降りします、20年間の難工事のすえに1944年に完成したという。トンネルは20箇所もありトンネルの総延長は6キロに及ぶという。うち、18箇所は手掘りだったそうだ。エンジニアリングの傑作と言われている。

 マイフォト フィヨルドツアー フロム鉄道の旅

 フロム駅を朝の8時30分に出発し50分をかけてミュルダール駅まで登ります。氷河が削った谷を登ります。

有名なフロム教会
フロム村と木造教会

 最初に目にするのは1668年に完成した木造教会です、フロムの谷にひっそりと佇んでおります、有名な教会だそうだ。フロム川の傍にフロム村のシンボルとして今も健在であります。フロムという名前は険しい山々に囲まれた草原の意味だそうです。

迫力ある滝

 氷河が削ったU字谷の崖には無数の滝が落下しています。豪快に瀑布になるものや、白糸の滝のようなものとか、様々な滝に遭遇出来ます。私たちは行きは左側の席に陣取り左を観察、帰りは右側を観察するようにしました。

ずぶ濡れの妖精

 ミュルダール駅近くにショス滝(Kjosfossen)という巨大な滝をまじかに眺める駅があります。1951年に発電所が建設されフロム鉄道の電力もこの発電所から供給されているそうです。フロム鉄道の名物としてここで数分間停車し、アトラクションがあるのです。

 ミュルダールに行く時は始発電車だったからかアトラクションはありませんでした、しかし帰路ではアトラクションを観ることができた。青い服を着た若い女性が妖精として滝の下に登場し綺麗なソプラノで歌を歌うのです。ビデオでも録画しましたので、後日掲載できると思います。

 さて、地質的な解説になりますが、フロム渓谷はアウルランフィヨルドの延長だそうで、ショス滝の絶壁の谷で終わる典型的な西ノルウエー型フィヨルドだそうです。元は氷河により作られたU字型の谷間であり、その後の氷河の流れや氷の侵食の痕も残っている。

ミュルダール駅

これらの景色はマイフォトで200枚程度掲載しました、暇なときに眺めて頂ければ、フロムからミュルダールの往復の旅の雰囲気を味わえると思います。

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フィヨルドツアー フロム風景

 ベルゲン鉄道の事故にて思いがけず、泊まる予定もないフロムに宿泊する事になりました。鉄道会社の計らいで、無料で高級なホテルに宿泊する事になりました。旅というのは何時もハプニングがつきものですね。それが、旅の醍醐味かもしれない。

 

静寂の中に鳥の声

 フロムはフロム鉄道の終点であり、且つ、フィヨルドの船旅の起点でもあります。Gudvangen(グドバンゲン)に向かうフェリーがでています。我々もこの船に乗りグドバンゲンに行く予定です。途中のミュルダールからフロムへのフロム鉄道をバイパスしてしまいましたので、フロムからミュルダールの鉄道は往復する予定です。

 氷河に削られ、モレーンというかU字谷になった場所がフロムであります。鉄道の駅とフィヨルドの港がありホテルも点在している風光明媚な場所です。

 マイフォト フロム風景(美しいフィヨルドの港と駅がある場所)

 

朝7時40分のフロム駅

フロム鉄道の人々は実に親切でした、途方に暮れた親子三人が泊まる場所を用意し、無料で宿泊させてくれました。朝食も無料でしたね、ノルウエー特産の鯖とタラを食べました。

鏡のような海

 早朝のフロムの風景は実に美しいです、鳥が鳴き静かなフィユルドの海が迫り静寂な世界でした。

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フィヨルドツアー オスロからフロムへ

 7月9日朝9時55分の飛行機で北緯70度のアルタ空港を発ち、12時頃にオスロに到着した。今日の予定は夕方4時過ぎにオスロ駅からベルゲン鉄道に乗り一路、ミュルダール(MYRDAL)に向かう予定である。フィヨルドツアーの開始である。

 アルタに行く前にオスロ駅にて事前にフィヨルドツアーのクーポンを購入してありました。

Oslo_al_flam1 我々が選んだルートはまず、オスロからベルゲン鉄道にてミュルダールに行きそこで一泊する。次の日はミュルダールからフロム鉄道にてフロムに向い、フロムからはフェリーにてフィヨルド見学を楽しみながら船でグドバンゲン(GUDVANGEN)に向い、そこからバスでボス(VOSS)に向いボスからは鉄道でベルゲンに向いベルゲンで泊。

この工程のパスを購入しておいた。あとは、ベルゲンからフェリーでスタバンゲルへ行くが現地で購入する予定です。

 美術館と歴史博物館を見学

 時間があるので、オスロ美術館と歴史博物館を見学する事にした。美術館にはムンクの自画像を始め多くのムンクの絵と印象派のモネ、ゴッホの絵が展示されていました。歴史博物館では北極圏の民族の歴史と風俗が展示されていました。アイヌも紹介されていたのには驚きましたね。

 先史時代のノルウエー北部に岩絵を残した人々とイヌイットとの関係には興味が湧きました。彼らはモンゴリアンの可能性が高い訳です。

 さて、オスロからミュルダールに向けて汽車の旅です。スーパーで購入したビールの缶を開けてのんびり鉄道の旅がスタートしたのです。

 が!ミュルダールの1時間半と迫るAL(アル)という駅で突然汽車は停止してしまいました。夜の8時頃です。どうやら、パワーサプライに問題が発生し汽車はこれ以上進まないとの話。やむなく、汽車を降り鉄道会社の人に相談するとミュルダールにはバスで行けないという。バスの道は無く、鉄道でしかゆけない場所だそうだ。

 鉄道会社の指示でチャーターされた特別バスでとにかくフロム(FLAM)に2時間かけて連れて行くという。他の人々は用意された沢山のバスで何処かに消えて行った。三グループ程度がフロム行きのバスに乗せられ搬送される事になった。

 今晩は既に日本からミュルダールのホテル(安いユースホステル)を予約してある、最初からトラブル発生なのだ。しかし、このチャーターされたバスの景色が抜群でありました。2時間に渡るフロムへの旅は夜の10時に到着するまで、白夜のような明るさで山紫水明の氷河湖と万年雪の山々の景色に恵まれた。

 マイフォト ベルゲン鉄道のアル(AL)駅からフロム鉄道のフロム駅まで

素晴らしい風景だ
感動的瞬間

 家内と娘は2時間のバスでは寝ていたようですが、私は途中から景色の美しさにカメラ撮影を行いました。氷河が削って出来た無数の氷河湖とモレーンと雪を抱く山々の景色は夜の9時10時というのに明るく、幻想的な風景でした。これは、棚ぼたでしたね。

娘が鉄道関係者と交渉

 夜の10時過ぎにフロム駅に到着し、さて、我々はフロム鉄道で今夜の宿泊地であるミュルダールに向かう積りでした。しかし、フロム鉄道の関係者は既に今日の列車は終了しているという。話が違うので娘が鉄道員と交渉し罪のない我々をどうするのか?迫った。

 

ホテル フロム鉄道から無料で

結果は、彼らが今晩我々が宿泊予定のユースに電話し、鉄道会社の責任でキャンセルし、今夜はフロム駅そばの高級ホテルに無料で宿泊して下さいとの話になった。棚ぼたですね、娘は大いに喜ぶ。明日は、フロム鉄道を往復すれば良いのだ。

 色々とアクシデントはあるものですね、我々以外の人々はどうしたんでしょうね、我々が交渉してる間に姿がありませんでした。

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アルタでの白夜

 子供の頃から一度は北欧の白夜というものを経験してみたいと思っていた。北緯70度のアルタにて実現しました。夕食のあとホテルの自転車を借りて、娘が偵察してくれた山を目指してでかけた。家内はこちらの自転車に乗れないというので、私の自転車に乗せて出かけた。気温は5度でした。寒いのね。

白夜のアルタの海

 山の登山口で自転車を停車させ、娘と三人で山を登り始めた。陽が随分と傾いて夕日であるが沈まないのだ。眼下にアルタの海と街が見える。所々に池塘(ちとう)が広がり湿地帯では花が咲いている。尾瀬とか北アルプスの雲の平のような湿原が広がる。

お花畑 池塘(ちとう)

 道に迷い、地図もないので適当な場所で引き返した。深夜零時を過ぎても街は明るいのだ、多分一晩中明るいのでしょうね。という事は、冬は一日中闇であるという事ですよね。夏はいいけど、冬は過すのが不便ではないだろうか。

 マイフォト アルタでの白夜とトレッキング

 アルタの町のスーパーでビールを仕入れに出かけた、ホテルから歩いて近くにありました。ノルウエーでは日曜日はアルコールを買えない、又、朝8時以降でないと販売してくれない。不便な国である。

ワッフルを作る

 ホテルでは、ワッフルが自由に無料で自分で作る事が出来る。最初は娘が作り、次に私が二人前を作った。そういえば、昨年、メキシコに出かけた時にテキサスのヒューストンのホテルでも同じように、朝食は無料でワッフルを作った事を思い出した。

ホテルでくつろぐjo

 7月8日の早朝の便(7時20分発)でオスロを離れ、その日にアルタ博物館と岩絵を見学し翌日には朝の9時55分発の飛行機でオスロに戻るスケジュールでした。たった、一晩の北緯70度の経験でしたが、印象深い一晩となりました。

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世界遺産 アルタの岩絵

 ノルウエー北部、オスロから飛行機で2時間飛ぶと北緯70度地点にアルタという場所があります。この近辺には世界遺産に指定された先史時代の岩絵が海岸近くの岩に描かれています。砂岩に手に持った石を打ちつけ穿った絵です。

 

船で漁労する人々

Rock Art of Altaと呼ばれています。5千近くの絵が残されているそうですね。発見されたのは、博物館の説明では1972年の秋だそうです。今から6千年前、紀元前4200年から紀元前500年頃までの長期間に描かれたものです。日本では三内丸山遺跡が5,500年前から4000年前の遺跡ですからほぼ同じ時代でしょうか。

 マイフォト 世界遺産 アルタ岩絵(Rock Art of Alta)

岩絵が描かれた海岸の岩は、12000年位昔に氷河期が終わり海面が上昇するとともに、陸地も隆起し始めたそうです。今まで地表を覆い尽くしていた氷河が無くなり、陸地は重しが無くなった状態になり隆起しはじめたそうです。ですから波に表面を削られ鏡のようになった岩に絵を穿つと年々、陸地は上昇し標高が高い場所の岩絵が一番古い時代に描かれた事になります。

 人々は漁労、狩猟の民族であったようです、この地点からは定住の住居群が発掘されていないので、何かの記念日か祭りをする為に集合し岩絵を残したと考えられています。

 今は、岩に穿たれた窪みに赤褐色の色を彩色し岩絵を判り易く見せていますが、当時はどうだったか判りません。描かれているのは、トナカイ、ヘラジカ、熊、鳥、船、魚、クジラなどですね。

博物館のパンフの説明では、シャーマンが存在した儀式の様子が多く描かれているといいます。ともあれ、マイフォトを眺めていただいて、自分なりに解釈されればいいと思います。誰もその当時生きていた人はいないのですからね。(笑)

 随分と海岸線の岩肌を歩き3時間程度は過ごしたでしょうか、眺めもいいし、是非ノルウエーに行かれる機会があれば、飛行機でアルタまで足を延ばされてはいかがでしょうか。

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豪雨の中の宴会

 昨日の東京は局地的なスコールに襲われた。死者まででる騒ぎとなった。ベトナムで経験したまさに、スコールである。突然にバケツをひっくり返したような雨と雷に襲われ、道路が川のようになり危険となる。

 日本が亜熱帯化しはじめた徴候かもしれない。都市はアスファルトで覆われ、大地が水を吸いこめない。江戸時代の多くの河川は道路に変貌しているので、局地的豪雨には対処できないのだ。

 そんな中、恵比寿で宴会が開催された。場所は何時ものベトナム料理の「We」で6時からである。私は幹事なので、5時には到着しワインを飲み始めた。しばらくして、千葉から大岩さんが到着、ビールを飲み始める。そして、本日の主役の古河さんが到着、白ワインを飲み始める。

 三浦さんは地図を片手に何とか辿りつかれた。哲ちゃんは、仕事が忙しく遅れるとの連絡が入る。富士川の遥か彼方から清ちゃんが到着、赤とんぼメンバーが揃う。

 今回、赤とんぼの昔からの応援団の野城さんが、中国西部の西安(昔の長安)から駆けつけてくれた。今は現地の会社の董事長をしている多忙の身である。相変わらず、笑顔で現れた。

 哲ちゃんを入れて、合計7名で5千円飲み放題のコースで宴会を開始し、5時から飲んでいた分は別勘定として貰った。これは、安く仕上げることが出来そうだ、幹事の腕を発揮できそうですね。

 宴会の目的は古河さんの引退御苦労さん会である。

 解散後、古河さんを野城さんと一緒に見送りをしてると、もう一軒行こうという話になり、新橋の馴染のお店で2次会となった。

 異常気象の中の宴会も無事終了し、楽しい思い出が又、出来ました。

20087iwatake_074

てっちゃん御免!顔が半分でした。

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オスロ市庁舎とアルタへ

 マイフォト オスロ市庁舎とアルタへの道

オスロ市庁舎壁画
 民族博物館とバイキング博物館の帰りに市庁舎に立ち寄った。この市庁舎は毎年12月10日に開催されるノーベル平和賞の授賞式が行われる場所だそうです。佐藤栄作氏が昔に受賞しましたね。何故、ノーベル平和賞だけがノルウエーで行われるか不明だそうです。

オスロ市庁舎壁画ムンクの絵

 市庁舎には多くのノルウエーの画家の絵や壁画が飾られています。ノルウエーの歴史は古い、次回のアルタ紀行で御紹介しますが、北緯70度の北極圏の海岸の岩に膨大な岩絵を残した6000年前の民族から始まります。日本では青森の三内丸山遺跡を残した縄文の人々と同じ時代です。彼らがどのような民族であったかは不明ですが、私はモンゴロイドではないかと考えています。

 その後、デンマーク地方にいた北ゲルマンの民族が北上し現在のスエーデン、ノルウエー地方に進出します。ゲルマン大移動には参加しなかったゲルマンです。彼らはその後デンマークを中心に8世紀頃からバイキングとして中世のヨーロッパを荒らしまわります。彼らは自由な航海民であり、貿易を求め、君主を抱かず中世ヨーロッパのキリスト教、教会支配の世界ではありませんでした。

 このバイキングは11世紀頃まで続きますが、以前御紹介した通りモンゴロイドとの混血であった可能性が高いそうです。

20087paris_norways2_349  その後、ハンザ同盟に参加し大いに「干し鱈(タラ)」を貿易品として富を蓄積してゆきます。当時のノルウエーのベルゲンのハンザ同盟の彼らの旗は「タラ」なんですね、笑ってしまいました。後日ベルゲンの紀行で詳細は御紹介します。仕事仲間の福永先輩は秋にハンザ同盟の研究の為に渡欧される予定ですので、彼の土産話も楽しみです。

 その後のノルウエーの歴史はデンマークの支配下に入ります、ナポレオンに破れたデンマークはノルウエーをスウエーデンの一部として割譲し、1905に最終的にノルウエーはスウエーデンから独立しました。

 

北緯70度を目指す

オスロから6000年前から2000年前頃の期間、岩絵を刻んだ北緯70度のアルタを目指して飛行機で2時間、飛ぶことにしました。謎の民族の足跡を巡る旅はスタートしました。飛行機からは、ノルウエーのフィヨルドと草木が生えない荒涼たる大地が続くだけでした。

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2008年 夏合宿 追加写真集

 承前 赤とんぼ2008年夏合宿

 赤とんぼ2008年夏合宿の写真が新たに届きました。恒平さんは今回から新たに、写真に挑戦するそうです。デビュー作品をマイフォトに収録しました、是非ご覧下さい。初心者なのに鋭い感覚だと思います。

  恒平さん 写真集 2008年赤とんぼ夏合宿

 Ysも写真を写真集に収録されましたので、御紹介致します。最大に拡大すれば写真の素晴らしさに感動します。写真の一番下をクリックして右にドラッグすれば写真が動きます。

  Ysさん  写真集 2008年赤とんぼ夏合宿

 ビデオについては、かっちんどのがそのうち整備されると思います。

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無錫で台風に遭遇

 7月28日から8月2日まで中国は長江デルタ地帯である無錫、蘇州、上海をウロウロしてきました。しかし、羽田から上海の虹橋空港まで2時間半で飛んで行けるので便利。国内旅行の感覚です。

 今回は無錫で台風に遭遇し一晩中強い風と雨が吹きすさんでいました。初日から蘇州で歓迎宴会があり、仲間の二人は白酒(パイチュ)を三本も飲み目茶目茶になりました。一人はホテルに帰るのもやっと、夜中にトイレのタンクを破壊し、廊下中水浸しという事故。

 一人は、アパートに何とか運転手に連れて帰ってもらい、部屋中でゲロをして玄関のドアを開けっ放しで、夜中に警察が駆けつけるという騒ぎ。もう一人は、同じくホテルのトイレの水が止まらない、部屋中水浸し。冷静で無事であったのは私一人という按配。

 中国は現在経済優先の国、埃だらけ、緑は植えているが花が無い。道路にゴミを捨てるし公衆道徳がまだまだですね。そこらじゅうで大声で喧嘩してるし、ホンマ、元気な国です。元気を貰える国ですね。若者は中国に行くべしと思う。年寄りには厳しい国と感じる。

 ま、無事帰国できましたが、今週からオリンピックが始まりますね。北京は身動き出来ない厳戒態勢ですから、ビジネスマンは上海に避難してるそうですよ。

 今日は、やっと自分の布団で寝れます、良かったです。20087iwatake_069 20087iwatake_070

無錫のホテルで桃を販売していました。美味しそうですね、けど、日本の桃の方が甘いという人もおられました。

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