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赤とんぼ 2008夏合宿

 赤とんぼ夏合宿は7月25日から27日の間開催され、無事終了しました。金曜日朝6時20分にわこちゃんとかっちんが迎えに来てくれた。わこちゃんのおベンツで東名を走り1時間少しで富士川の清ちゃんの家に到着。一度は清ちゃんのハイブリッド車に横浜組と清ちゃんの荷物を搭載するが、無理と判断、三島から到着する管理人の車で行くことに決める。

 5名と9機の飛行機と荷物を管理人の車に詰め込み、一路、信州白馬村の岩岳を目指した。

これでは、無理だ
 岩ちゃんは、新車のスカイラインGTで登場、Ysさんと、よっちゃんはYsのキャラバンで登場、三浦さんはいつものホンダの高級車で登場で、全員無事到着しました。

 マイフォト 2008年度赤トンボ夏合宿

 今回の夏合宿のテーマは空撮です。先ず最初にわこちゃんのデジカメをよっつちゃんの空撮用の大型4サイクルエンジン機に搭載し撮影する。しかし、震動が激しく撮影映像は失敗だった。

 

翼長2メータ空中撮影仕様機

次に、わこちゃんの空撮用に開発新設計されたモータグライダーにわこちゃんのデジカメを搭載しビデオモードにて撮影する事にした。

 しかし! 墜落大破!

暑い疲れた墜落した・・・

 

デジカメも壊れてしまった。落ち込む、わこちゃん。

 が!よっちゃん機登場!

 joの大事なビデオカメラを4サイクルの大型機に搭載し空撮に挑むことにした。空撮よりビデオカメラを心配するjo.

joのビデオカメラを抱いた空撮機

  700グラムのビデオカメラ(ペットボトル二本分)をお腹に抱いたラジコン機は豪音と白い排気ガスを吹きながら離陸滑走、栂池の尾根の上空に舞い上がった。無事離陸成功である、あとはビデオカメラが無事に撮影してくれていればよい。

 フルハイパワーで何とか飛行出来てる飛行機である、撮影方向を意識しながら操縦するよっちゃん、カメラが気になるjo君であった。そして遂に、最大の難関である着陸である。草むらに着陸させるしか方法は無い、飛行機は限度ギリギリの加重に耐えて低速侵入してくる。

 ここで、一番怖いのは失速墜落である。墜落すれば、私の高価なビデオカメラは木端微塵となる。

 祈りのかいがあり、無事飛行機とビデオカメラは回収された。直後に撮影されているかどうかチェックする時のワクワク感は久しぶりの味わいである。見事な撮影でありました。夜、映写会を行い空撮の成功に乾杯した。

 天気にも恵まれ、楽しい夏合宿となりました。残念ながら、わこちゃんの空撮特別機とデジカメは墜落により、壊れましたが、よっちゃんの特別機は成功を収めました。次回の秋合宿には又、一段と進化した空撮用の飛行機が登場するでしょう。岩ちゃんのヘリコプターからの撮影も期待できるかもしれない。

 

空撮大成功に乾杯!

ベランダで酒を飲むのも楽しいひと時でありました。山小屋管理人と赤とんぼ皆様に感謝したいと思います。

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オスロ バイキング船博物館

 バイキング(Viking)とは、日本の広辞苑によると「8世紀後半から11世紀前半にかけて、スカンジナビア及びデンマークから海洋を渡ってヨーロッパ各地に侵寇した北ゲルマン族」とあります。

バイキング活動領域

 Wikipediaには興味ある解説がありましたので、引用します。

ヴァイキングは元々通商・貿易を業としていた民族である。そのためヴァイキングは、中世のヨーロッパが未だ暗黒時代とされる頃から、東アジア・中東を中心とした異民族・異人種との交流を行い、航海術だけではなく、地理的な知識・工業的な技術・軍事的な技術も周辺のヨーロッパ諸国を凌駕するようになった。その結果、富を求め近隣諸国を侵略していった、とされるものである。

  • 上記の説を補強する研究として、ヴァイキングの拠点の一つであるゴットランド島の墓の発掘調査が知られている。ゴッドランド島の700年頃の貴族の墓を発掘調査し、その埋葬者の人骨のDNA分析の結果、埋葬されていた人骨11体のうち、完全なコーカソイド系とされた人骨が4体、6体はコーカソイドとモンゴロイドとの混血とされ、1体は完全な東アジア系のモンゴロイドと判定された。

この結果は、ヴァイキング、あるいはスカンジナビア系諸民族のモンゴロイド起源説を証明するものなのか、あるいは単なる通商関係の結果として、モンゴロイド系の一族がゴットランド島の一貴族として君臨していただけなのか、いずれをも証明する段階にはいたっていないが、少なくとも通商を通じた異民族・異人種との交流が、当時のヨーロッパに対するヴァイキングの工業的・軍事的優位を築いた一因となったのは間違いないと考えられている。 参考 

「Gotland.kmz」をダウンロード(グーグルアース)

   マイフォト バイキング船博物館(オスロ)

バイキング船 ロングシップ

 8世紀から11世紀にかけてヨーロッパに大きな脅威を与えたバイキング(Viking)の歴史はどうやら抹殺されたようですね。教会を中心に農耕で暮らしていた人々を野蛮な海賊が襲撃したというイメージが我々にあります。事実は異なるのではないだろうか。

 今回ノルウエーの北緯70度の地点にアルタ(Alta)という岩絵で有名な場所を訪問しましたが、いまから6千年前に住んでいた人々の痕跡です。彼らはいかなる民族であったのか随分と興味のある事実であります。

 デンマークとスウエーデン、ノルウエーの国は極めて関係の深い国です。文化的にも民俗的にも同じではないだろうか。彼らは暗黒の中世ヨーロッパに於いて、自由に動き回るバイキングとして異なるイデオロギーを持った世界を形成していたと考えられます。

 しかも、彼らがモンゴロイドの混血であったという事実は到底ヨーロッパの人々には受け入れられない事実なんでしょうね。しかもバイキングのあと、13世紀にはモンゴルがヨーロッパまで版図を広げてくる訳です。

 スウエーデンとノルウエーの国境近くの北部には豊富な鉄鉱石が採掘されます、今でもい鋼では日本と覇権を争う地域であります。バイキングは優れた鋼により交易により知識と技術を集積し活躍したのでしょうね。

 我々はバイキングというとバイキング料理しか知りませんが、これは和製英語ですから海外では通用しません。けど、自由で平等で皆で同じ食事を食べる考えは当時のバイキングの社会構造とイデオロギーに通じるのかも知れませんね。

 我々の先祖である縄文人が海洋民族であった事を考えるとどこか、バイキングに親しみを感じるのは私だけではないのではと思います。

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オスロ ムンク美術館

 7月6日深夜にパリからオスロに飛行機で移動した。生憎昨夜は雨でずぶ濡れで4人部屋のユースホステルに辿り着く。

 7月7日今日一日はオスロ見学の日なので、オスロパスを購入しトラム(市電)、バス、フェリー、美術館、博物館、全てフリーパスで乗れて、入館も可能である。先ずは、小雨の中ムンク美術館に向かった。

 マイフォト ムンク美術館

 エドヴァルド・ムンクEdvard Munch)はノルウエーの人であり、ノルウエーが誇る画家であり、紙幣にも彼が登場するほどです。

 日本でも彼の絵は展示された事もありますので、皆様馴染かと思います。何といっても「叫び」は有名ですよね。パロデイで流用される事も多いようですが、インパクトが凄いと思います。

 彼は波乱の人生だったようですね、彼女とのピストル暴発事件で指を無くしたそうです。そして、生涯独身で過ごしたようですが、精神を病んだそうです。

 ノルウエーに来て思うのは、冬は長く暗く部屋に閉じこもる生活が多いのではないでしょうか、そして夏でもジメジメして天気は急変するしあまり陽気にはなれないような気候です。おまけに、欧州の家は壁で支える構造ですから窓が無い、どうしても暗くなりますよね。

 ところで、2004年の8月に強盗が美術館に入り「叫び」「マドンナ」が強奪されました。作品は回収されたそうですが、修復が必要で日本の出光さんが資金を出し、協力されたそうです。出光さんはノルウエーで石油を採掘されているんでしょうか。

 折しも、雨で売店でムンクの「叫び」傘を購入する人がいました。これ、東京では目立ち過ぎますよね。

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オルセー美術館 (Musée d'Orsay)

20087paris_norways_478

毎月の月初めの第一日曜日はオルセーは無料です。という訳で、朝早くモンマルトルでの買い物を済ませ、地下鉄を乗り継いでオルセー美術館 (Musée d'Orsay)に向った。コンコルド広場のそばにあり、セーヌ川に面しております。

 マイフォト オルセー美術館 (Musée d'Orsay)

 私は2002年に一度訪問していますので、二回目の訪問となります。ここは、昔はオルセー駅とホテルだった訳ですがその後、美術館に改装されました。今でも、大時計は当時の駅の雰囲気を残していますね。

 薬師寺展のように炎天下で2時間も並ぶ必要もなく、直ぐに無料で入れました。これは、嬉しいですね。この美術館は印象派を中心に展示されているので、日本人には馴染です。モネも勿論ですが、ルノワールを始め多くの印象派を中心に高校の美術で学んだ絵をまじかで見ることが出来ます。

 

20087paris_norways_484オルセー美術館 ピアノを弾く少女
ルノワール ピアノを弾く少女たちオランジュリー美術館 ピアノを弾く少女

ルノワールのピアノを弾く少女達の絵はオランジュリー美術館でも見ましたが、此処でも展示されており、オルセーの方がきめ細かく背景が描写されており整っています。しかし、オランジュリーの絵の方が先に描かれ、筆の勢いがまるで違うそうです。従い、専門家の間ではオランジュリーの絵の方が美術的には価値が断然高いという。

 ルノワールの絵もモネの絵も絵に近寄り眺めると、何が描かれているか判りませんね。随分と絵から離れないと何を描いているか判らない。絵を描く時に随分と絵から離れて描かないと出来ませんね。

 現在のテクノロジーを使えば、自分の描くキャンバスを遠方からビデオカメラで撮影しながら、手元でモニターを観てキャンバスに筆を走らす事で克服できるのではないだろうか、そんなアホな事を考えながら絵を見てました。

 写真集を見ていただければ、懐かしい絵が多くあると思います、そのうち時間が出来れば絵のタイトルを写真集に掲載する予定です。なんせ、毎日が酷暑でありスケジュールが重なり多忙なので、写真だけを掲載しておきます。申し訳有りません。

 暗い部屋でスリに遭遇しました、私を後ろから追突しバッグのチャックを半分まで開けられましたが、防御しました。ホンマ、海外では巣利に気をつけましょう。

 

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パリ点描

 フランスでは何処の地域でも朝市はあると思います。パリでもアパートのすぐ傍に朝市は立ちます。食料品が主に売られており、新鮮な野菜や果物チーズ、それにお魚まで手に入ります。お店の人は殆どがアラブ系の人々なんですね。今でもイスラム商人の伝統が残っているんでしょうか。

 マイフォト パリ点描

 オランジュリー美術館に行く前にモンマルトルにでかけました。モンマルトルには芸術家が多く住んでいると聞いていますが、可愛いい雑貨を売っているお店がありました。少し小雨で天気はよくありませんでした。

 写真にあるような、可愛いいユニークな雑貨が店一杯販売されています。モンマルトルの丘には上がりませんでした。以前に一度訪れた事があります。スリが多いので気をつけましょう。

 オランジュリー美術館はコンコルド広場のそばにあり、チュイルリー公園にあります。セーヌ川に面しており遠方にエッフェル塔も望めます。セーヌ川には行き交う船を眺めることができます。パリという町はこのセーヌの交通の便により成立したと言われています。

 おランジェリー美術館を訪れたあと、百貨店にでかけ買い物をしてパリ東部のバステイーユ近くのアパートに帰りました。

 写真は全てデジカメで撮影したものですので、あまり鮮明ではありません。

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オランジュリー美術館とコンコルド広場

 7月5日今日は朝から小雨が降る天気です。午前中はモンマルトルに義妹の紀ちゃんのお店の買出しにでかけ、その足で、昼頃にコンコルド広場の傍のオランジュリー美術館に出かける事になった。

 マイフォト オランジュリー美術館とコンコルド広場

 

モネ 睡蓮 展示場

オランジュリー美術館は2006年に改装され、モネが希望した展示場になったのではないでしょうか。自然の光をとりいれ、楕円形の部屋を二個用意されている。そこに4枚の障壁画とでもいうべき睡蓮の絵がぐるりと飾られ、合計8枚の巨大な睡蓮の庭が構成されている。

 

モネ 睡蓮

モネが晩年取り組んだ睡蓮の大作を国家に寄付し展示方法を指定したそうです。86歳で亡くなるまで白内障と戦いながら描き続けた睡蓮の大作です。光の画家と言われるように、朝の光、夕日の光、雲が池に映る光、緑の木々が池に映る光、それぞれ二つの楕円形の部屋に飾られています。

モネ 睡蓮

 天井からは自然光がとりこめるように設計された展示場であり、モネの拘りが窺われますね。

 まさに、モネの傑作である、睡蓮の池が季節と、時間帯の変化に応じて再現されるように思いました。モネの睡蓮の池を見なければこの絵の心が判らないようにも思いました。

 フランスという国はこのように芸術を育て大事にする国である断片を見る思いです。

 印象派を中心とする展示

ルノワール ピアノを弾く少女たち

 モネの大作「睡蓮」だけでなく、印象派の画家を中心に展示されています。ルノワール、セザンヌ、ルソー、ピカソと有名な画家の絵が展示されていました。マイフォトを参照してください。

 コンコルド広場とセーヌ川

 

コンコルド広場
セーヌ川よりエッフェル塔

この場所は今回で4回目の訪問となりますが、遥かにエッフェル塔を眺めセーヌを行き交う船を鑑賞するには絶好の場所と思います。是非、一度はお訪ねされる事をお勧めします。

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モネの家 ジヴェルニー

 7月4日 朝8時15分 St. Lazare駅を出発しパリ西部80キロにあるVernon駅を目指した。モネの愛した自宅アトリエと[花の庭]、[水の庭]を見物する為です。Vernon駅前にはバス停がありバスで往復のチケットを娘が買ってくれた。一人4ユーロです。バスの時刻表を貰い帰りのバスの時間をおよそ確認しておきましょう。

 マイフォト モネの家 ジヴェルニー

ありし日のモネ

 バスで20分程度でしょうか、モネの家の近くのバス停に到着します。そこから歩いて5~6分のところにモネの家があります。バスの往復料金は一人4ユーロですね。今日は一日ここで過ごす予定です、たっぷり時間があります。

 モネの家の入場料金は一人5.5ユーロですが、娘はメキシコの学生証で4.5ユーロと割引き可能でした。多分、日本の学生証でも割引可能ではないでしょうか。

 モネの自宅

 部屋という部屋の壁には日本の浮世絵が飾られていて、浮世絵博物館と間違うばかりでしたね。広重の絵が多く飾られていましたが、北斎もそれ以外もありました。モネは奥さんに日本の着物を着せて絵を描くほど、日本に憧れたのでしょうか。

その日本とは、浮世絵を通じて感じた日本だったのでしょうね。ルノアールもゴッホも浮世絵に強く心を打たれたと聞いています。モネは浮世絵の何に感動したのでしょうか。

太鼓橋と柳と池

 それは、彼の自慢の庭に見つける事が出来るような気がします。花の庭と水の庭(睡蓮の池)にあるように思われます。西洋人が好む庭とは昨日見学したベルサイユの庭のような、幾何学的な庭ではないでしょうか。

緑の世界と光

 モネの庭は自然そのものを、あまり手を加えずいろいろな植物が共生する緑溢れる世界でした。睡蓮が浮かぶ池は鏡のように池のまわりの世界を映し、光の加減で色々と変化する風景でもあり、たぶん、季節ごとに植物の様相も違うのではないでしょうか。

 人間というものが、自然を支配するという考えではなく、自然の中で人間が生きてゆくという世界であるような気がしました。彼は晩年27年間死ぬまでこの池の睡蓮を描き続けたそうです。白内障になっても睡蓮の池を描き続けたという。明日は、パリのオランジュリー美術館を訪問する予定ですが、彼の睡蓮の障壁画ともいうべき大作をこの目で確かめたいと思います。

モネを偲ぶ旅

 モネが愛した田舎を三人で歩きました。モネの墓を訪れたり、中世の街が保存されている場所をめぐったり、大きな菩提樹の木陰のベンチに座り10.5ユーロで購入した二個のサンドウイッチを食べたり、持参のビールを飲んだり、時間が許すかぎりのんびりしました。

 フランスの良さは、田舎にあるように思いますね。娘の生むブルゴーニュも同じく素晴らしい、昔の家並みがそのままの自然に恵まれた場所です。

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世界遺産 ベルサイユ宮殿

 シャルトル大聖堂、ピカシエツトの家を見学後時間があるので、モンパルナスへの途中の駅ベルサイユで下車しベルサイユ宮殿を見学する事にした。3時以降だと入館料が安くなるので、割安だそうだ。一人4.5ユーロでした。私たちは3時過ぎでした。

 マイフォト 世界遺産 ベルサイユ宮殿

 

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17世紀に建設された元々は狩りの拠点の舘として建設されたそうですよ。ルイ14世から悲劇のマリーアントワネットで有名ですし、ナポレオンも縁が深い場所です。

鏡の間

 鏡の間は有名ですね、絢爛豪華な内装は目を見張りますね。しかし、日本の天皇家とか権力を握った人々は地味なもので、ついつい比較してしまいます。この差はどこから来たのでしょうか。

 しかし、如何に豪華でも便所が無いのが不思議なんですね。一応見学者用に入口あたりにありましたが、満員で男性はいいけど、女性は順番待ちで大変です。ベルサイユに行くときは是非トイレを済ませて行かれるのを女性諸君にお伝えします。

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 庭も気が遠くなるような広さを誇ります、幾何学的に作られています、これも日本庭園とは随分と異なるものですね。

 一度は、訪問するのもいいかもしれません、私はマリーアントワネットの悲劇とこの宮殿が重なります。

 夕方になり、パリに戻りました。

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世界遺産 シャルトル大聖堂

 7月2日に朝5時45分新横プリンスホテルから成田行き直行バスに乗り、家内と二人でリュックに食糧を詰め込み熟年バックパッカーの旅に出ました。行き先は、パリ、ブルゴーニュ、ノルウエーの旅です。朝9時発のAshiana航空の格安チケット約9万円の往復チケットでソウル経由でパリに向かう。

 成田発9時インチョム空港11時着。インチョム午後1時15分発パリのシャルル・ドゴール空港行きの飛行機に乗り換え、パリに現地時間18時20分に到着。娘のMISAYOが迎えに来てくれました。SASの直行バスに乗り懐かしのガル・デ・リヨン駅に向かう。この駅はブルゴーニュに向かう起点駅であります。これが4回目の訪問です。

 バスに乗り娘のパリのアパートに向かう。着いたのは夜の9時過ぎでしたね。ヘトヘトで25時間の旅を疲れをシャワーで落し、やっとタバコを吸いビールを飲み休息する。明日の3日はパリから西南80キロにあるシャルトルの世界遺産のノートルダム大聖堂(シャルトル大聖堂)とタイルの家(メゾン ピカシェット)に行くそうだ。

 マイフォト 世界遺産 シャルトル大聖堂(ノートルダム大聖堂)編

世界遺産 シャルトル大聖堂

 7月3日朝、娘のアパートから地下鉄でモンパルナスの駅に行き8時15分発のシャルトル行き鉄道に乗り一路、ノートルダム大聖堂を目指す。パリ市内にもノートルダム大聖堂があるが、シャルトルのノートルダム大聖堂は世界遺産なのですね。12世紀創建のフランスを代表するゴシック様式の歴史建造物です。

 シャルトル駅までは1時間程度ですが、途中ベルサイユ宮殿のある駅を通過します、今日時間があれば、帰りにベルサイユ宮殿にも寄りましょう。シャルトルまでは一人13.3ユーロの電車賃です。シャルトル駅に9時30分頃に到着しました。

 マイフォトを眺めて下さい、大聖堂の模様と塔に登った模様と古い中世の街並みを満喫できると思いますよ。是非、塔には登る事をお勧めします。高所恐怖症の人は途中まで登ればいいと思います。眺めが抜群です。

 大聖堂では「シャルトルの青」と称えられるステンドグラスが有名ですね。大きな空間が

見事なステンドグラス

青で満たされています。

映画のシーンに使いたい

 大聖堂を後にして、タイルの家(メゾン ピカシェット)に向いましょう。途中の街並は中世そのままでタイムスリップした気持ちになります。

 タイルの家(メゾン ピカシェット)

 この場所は必見ですね、墓守をしていたアーテイストがお墓に献納された陶器類の破片を集め自分の建物に張り巡らせた「おとぎの国」のようなお家です。カメラ撮影が禁止なので、残念ながら御紹介は出来ません。絵葉書は購入しました。まるで、自分がおとぎの国にいる錯覚を覚えますよ。

ピカシェットの家からの帰り

 さて、お腹が空いたので、スーパーでビールを購入しサンドウイッチを購入しベルサイユ駅に向かう電車の中で昼食を摂る事になりました。(貧乏なのね)

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無事熟年バックパッカーの旅から帰りました

Preikestolen リースフィヨルド

20087paris_norways2_466  7月2日から7月17日までのパリ、ブルゴーニュ及び10日間のノルウエー紀行から帰国しました。昨日16日に午後1時過ぎのブルゴーニュのとある駅で鈍行に乗り日本の成田に到着したのは、17日の夜の9時過ぎでした。何時間の帰国の旅か判りませんね。

 娘と家内と私の三人の16日間に及ぶ旅は貧乏旅行でした。スーパーで食糧を買い込み、パン、ハム、チーズ、レタスを買い、娘が持参のポットでお湯を沸かし日本から持参の味噌汁を飲み、現地で販売していた韓国製カップ麺のMr Leeを購入し飢えを凌ぎながらの旅でした。

 Preikestolen リースフィヨルドまるで、学生時代のワンゲルの旅です、私は大きなリュックに荷物を背負い歩荷(ボッカマン)、道先案内人の娘と、何時も冷静な家内の三人のヤジキタ道中でした。

 北緯70度のアルタでは5度まるで、真冬の寒さを経験し一晩中太陽が沈まない白夜という貴重な経験もしました。ノルウエーの物価の高さには驚愕です、外食などしようものなら二人で2万円は覚悟です。スカンジナビア半島の国は特別な国のようです。

 ニコンD40で撮影した写真(3千×2千)は2千枚を超え、スナップのデジカメが500枚、ビデオが3時間という記録を得る事が出来ました。

 おいおい、記録を公開したいと思います楽しみにして下さい。

注:画面左端で手を挙げているのはjoです

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