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韓国紀行(2) 慶州古墳公園

 前回の紀行文で辰韓・新羅について触れましたので、現在の慶州、昔の辰韓・新羅の古墳公園について記事を書きたいと思います。

 マイフォト 慶州古墳公園

 マイビデオ 慶州古墳公園(1)

 マイビデオ 慶州古墳公園(2)

 注:映像では珍しい美しい鳥とかわいいリスの映像を撮影できました。

 現在慶州は韓国の国の政策により、古都観光の地として整備がすすんでいます。新羅の都であったこの国は日本とも馴染の国でした。前回はスサノオについて出雲との関係に触れましたがそれ以外にも古事記、日本書紀には新羅との関係が沢山記述されています。

 神話の時代になりますが、垂仁大王の時代ですが、新羅の王子アメノヒボコ(天之日矛、天日槍)に関する面白い記述があります。新羅の国である女が沼の傍で昼寝をしてると陰部に日の光が当たり赤い玉を産んでしまいました。その玉を横取りした王子のアメノヒボコは自宅に持ち帰り傍に置いておくと奇麗な娘に変身したそうだ。

 王子はその娘と結婚したが、ある時に王子の横暴な振る舞いにアイソをつかした娘は両親の故郷に帰ると言って、日本の難波に帰ってしまった。王子は彼女を忘れられずに難波まで追いかけてくるのですが、難波近くの海で住吉の神に阻まれ会うことが許されなかった。悲痛の王子は播磨、近江、若狭を経て但馬の国に落ち付き土地のの娘と結婚して土着したと語る。

 それ以前にも、新羅のツヌガアラシトという加羅の国の王子が若狭に来て土着したという神話を載せている。現在の敦賀は彼の名前から来ている。

 (天馬塚古墳)

 ガイドさんの話ではこの古墳は5世紀から6世紀前半に築造されたと説明されていました。日本では河内王朝、倭の5王の時代ですね。とりわけ、雄略大王の時代あたりではないだろうか。古墳名の由来は出土品から白樺の皮に描かれた天馬の絵から命名されたそうだ。

 古墳の形式は私は初めて観て驚いたたが、木棺に遺体を東枕に据えてその上に河原石を饅頭のように積み上げその表面数メータを粘土で突き固めている形式だ。だから、年月が経ると木棺は押しつぶされるので、円墳の頂上は凹むのだ。これでは、簡単に墓を暴く事は出来ない。

 この墓が建造された頃の日本は所謂、河内王朝の時代であり大山古墳を始め300メータを越える巨大な前方後円墳を築きあげていた時代である。ヤマト王権がこの時代、如何に東アジアで巨大な勢力を維持していたか想像される。

新羅とヤマトの関係に少し触れたが、如何に当時海を媒介として朝鮮半島と日本は交流が深かったかが改めて判ると思います。

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Comments

Inland Sea

 瀬戸内海は(Inland Sea)と英語では言われるそうです。
直訳すれば(陸地の中の海)となりましょうか。
貴兄の韓国紀行、慶州篇を拝見してこのInland Seaを思い出しました。

 瀬戸内海の愛媛の一角に精油所みたいなのが集まった地区もありました。
地元の友だちに言わせるとロシア船が多くて結構交流もあったようです。
(瀬戸内海は海じゃない、まるで河のようだ)というてはったとか。
当方の家から瀬戸内海を望むとそういう大きなタンカーが望見されたものです。

 考えてみれば日本海もある意味大海ではなく、ユーラシアと日本の間にある(河)のようなものかもしれませんね。
古来人々はずいぶん行き来してきたし、これからもさらに盛んになるのではないでしょうか。
もともとくっついていた朝鮮と日本の間にいつごろか地殻変動が起こって(Sea)が、(Seaもどき)ができちゃった。
そんだけのことで、あんまり角付き合わせることもない間柄なのでしょうねえ。

Posted by: ふうてん | 2008.04.25 10:54 AM

ふうてんさん 御無沙汰です

 今回の韓国の旅は千キロも走ったので疲れましたが、バスの車窓から韓国の田舎の風景を満喫できました。

日本と変わらない風景です、というか昔の北河内の田舎を思い出させる風景でした。もっと早く若いころから来れば良かったと後悔しています。

 東アジアで経済圏を作るのが私の理想ですが、その前にやらねばならない事が多いと思います。特に歴史問題です。

 韓国では日本により破壊された歴史遺産を必死で復元しています、日本人で協力されている人々も多いと思いますが、一部でしょうね。

 過去の歴史は消し去ることは出来ないけれど、近代以前までは朝鮮半島と日本はもっと緊密だった筈です。

私は、21世紀は長江デルタの一億の民と韓国5千万の民と日本の一億の民がトライアングルで経済圏を作るのが夢です。世界と互角で戦えると思う。

 残念なのは、ハングル文字ですね、これが読めない。(勉強すれば良い?)そうですね。

 ガイドさんの話では韓国人の平均的な人で漢字を書けるのは自分の名前だけは漢字で書けるそうだ。

出来れば、漢字も復活して貰えないでしょうかね・・・。

Posted by: jo | 2008.04.25 12:00 PM

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