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韓国紀行(9) 落涙 落花岩、百済

 今回の旅のクライマックスです。日本のヤマト王権と極めて深い関係にありました百済を訪れます。朝鮮半島に於いて過去の歴史上一番に文化の華が開いたのは百済王国でした。(地元ガイドさんの話)

その百済も660年に新羅と唐の連合軍は百済を滅ぼします。追い詰められた百済の官女達百名以上が断崖絶壁の上から白馬江に身を投げたのですね。その様はまるで、花弁が舞って散るが如く儚く美しかったと歴史書は述べています。

 3年後にやっとヤマト王権は百済復興を願い軍を出しますが、白馬江河口の白村江にて羅唐連合の水軍に大敗を喫するわけです。

 マイフォト 落涙 落花岩 百済最後

 マイビデオ 落花岩、皐蘭寺、白馬江(1)

 マイビデオ 落花岩、皐蘭寺、白馬江(2)

 マイビデオ 落花岩、皐蘭寺、白馬江(3)

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 百済は新羅が唐と連合した軍に660年に滅びる訳ですが、百済の将軍である鬼室福信は日本の斉明天皇、中大兄皇子に復興要請をします。そして日本に人質となっていた百済皇子の余豊璋をたてて戦います。

 開戦前夜、九州の朝倉橘広庭宮にて突然に斉明天皇は急死します。不思議な鬼火の話や建物が燃える話がでたり、斉明天皇の葬儀には大きな笠を被った鬼が見下ろしていたとか不思議な話が連続します。

 そして日本の水軍は白馬江河口の白村江にて大敗を喫する訳ですね。その後、中大兄皇子は九州から本当に飛鳥に帰還出来たのか不明です。天智天皇として大津宮で即位しますが、飛鳥というか大和には帰る事ができなかったのではないでしょうか。

 (落涙 落花岩)

 白馬江の船上と扶蘇山城の断崖絶壁の上にある百花亭から多くの官女達が身を投げた場所を実地検証する事ができました。彼女達は何故死を選んだのでしょうか、生き延びる道は無かったのでしょうか。今はあれだけ文化の華を開いた百済には当時を偲ぶ遺物は一切残っていません。わずかにこの儚い悲劇の断崖だけが残っているのです。

韓国では慶州の古墳公園から歴史遺跡の復興作業は行われ、ソウルでも景福宮の復興とかどんどんされているが、こと、百済に関しては殆ど手がつけられていないのが実情だ。むしろ、歴史を消し去ろうとしているように思えるが私だけの感想だろうか。

 韓国の歴史は難しいとこの百済に立ってそう感じた。

20084korea_030  百済をクダラと呼ぶのは今だ定説が存在しないそうだ。大国(クンナラ)からきたのではないかという説。そして、この百済の港の名前からきたという説があります。日本に渡って来た百済の人々は何処から来たかと問われると、大きな百済の港であるクダラから来たという訳ですね。

 それから、異説、トンデモ説ですが実は余豊璋は鎌足ではないか?という妙な説があるそうです。それは、この百済滅亡から白村江の戦いの期間、鎌足の歴史的記述が一切無いという事実から憶測された説です。

 私は生まれ育ちが北河内郡大字招堤村です、王仁博士、百済寺とクダラに囲まれて育った訳ですから自分の故郷を見学するような気分でした。しかし、残念ながら今は百済の栄華の跡は何処にも残っていませんでした。国破れて山河あり の杜甫の気持ちですね。

 百済の栄華の跡は、むしろ日本に残ったと解釈したい。

  参考記事 飛鳥寺のモデル、韓国扶余の王興寺

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韓国紀行(8) 水原華城

 水原華城 (スウォン・ファソン)はソウルから車で40キロ、約1時間の距離にあります。百済の都である扶余へ行く途中です。華城は朝鮮正祖大王が1794年に着工し2年9カ月をかけて建造した城塞です。父の墓を楊州からここに移し遷都も考えたが完成後に正祖は死んでしまい遷都はならなかった。

 城塞の中には王様が墓参りの時に宿泊された行宮(あんぐう)華城行宮があります。チャングムの誓い(大長今)も撮影された場所ですね。オープンセットは楊州に作られたそうで、今はチャングムのテーマパークになってるそうです。

18世紀末に韓国の技術の粋を集めて作られた城塞都市は世界遺産に登録されています。

 マイフォト 水原華城 世界遺産

 マイビデオ 水原華城(1)

 マイビデオ 水原華城(2)

 マイビデオ 水原華城(3)

20084korea_015  北に位置する長安門から城壁の上を東に向い歩いただけですが、見事な城壁に感動しました。城壁に掲げられている旗の色は四神思想に従い北は玄武で黒、東は青龍ですから青の旗となります。

平安京では鴨川が東に南北流れていますが、ここでは水原川が流れ、風流な華虹門という結構が素晴らしい趣をだしていました。

20084korea_025  長安の城壁と比較すると高さはそれほどでもないですが、石も煉瓦も使用し堅固にできているし、銃眼も備え大砲も備え頑強な砦という印象です。

 何で北の門が長安門で南の門が八達門なのか理由は判りません。東の門は蒼龍門ですから四神の青龍から意味は判ります。西は華西門でした。

 日本では城塞都市というのは発達しませんでしたね。欧州を始め世界の共通は城塞都市ですが、日本だけは都は無防備でしたね。何故なんでしょうね、不思議なんです。

 参考文献 水原華城(1)

 参考文献 水原華城とチャングム(2)

 参考文献 水原華城 地図

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韓国紀行(7) 宗廟 世界遺産

 マイフォト 宗廟 世界遺産

 マイビデオ 宗廟 (1)

 マイビデオ 宗廟 (2)

 朝鮮王朝は儒教の国ですね、宗廟は重要なものであり、祭祀をきちんと行うことで国の安寧を願ったのでしょうね。歴代国王と王妃の位牌を祀り、祭祀を執り行った場所が宗廟なのです。世界文化遺産として登録されています。

 位牌を祀る正殿ですが、ウナギの寝床のような建物ですが、これは国の安定を願い、無数に立ち並ぶ柱は絶えることのない王位の継承を表現し、水平に空の果てまで広がるような屋根は無限を象徴しているそうです。多くの願いが込められた建物なのですね。

宗廟の敷地は森で覆われ沢山の小鳥達が集まり、静寂そのもので明治神宮を思い出すような場所でした。

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韓国紀行(6) 景福宮

 1395年に太祖、李成桂が創建した巨大な宮殿です。紫禁城を思わせる大きな宮殿ですが、秀吉時代の出兵で焼かれ、高宗の時代1868年に再建された。当時は330棟の建物が瓦を並べびっしり立ち並ぶ雄大な光景だったそうです。

 しかし、又、日本の韓国併合により殆どの建物は撤去され一部の勤政殿他ほんの僅かな建物以外は破壊され、朝鮮総督府の建物が建てられたそうだ。1990年から本格的な復興作業が始められ、総督府の建物を撤去し興礼門一帯を復元され王妃の寝殿、東宮、乾清宮、泰元殿等々が複元された。韓国の旅は辛い事が多いです、秀吉時代と軍国時代の日本の侵略の傷痕が何とも辛く申し訳ないと思う。

 マイフォト 景福宮

 マイビデオ 景福宮(1)

 マイビデオ 景福宮(2)

 マイビデオ 景福宮(3)

 私は数年前にワールドカップがソウルで開催された時に初めて韓国を訪問した、その時に会社の友人と二人で訪れたのは昌徳宮でした。17世紀の面影を残している宮殿ですが、今は世界遺産に登録されています。日本の宮家である梨本家から嫁がれた大韓帝国最後の皇太子妃である李方子(まさこ)さんもこの宮殿で暮らしたと聞きました。

 さて、景福宮ですが以前に訪れた北京の紫禁城を思い出される結構でした。国家行事が行われる勤政殿の朝廷には右に文官、左に武官が庭に立ち並び国王は勤政殿の玉座に座る光景がここでも展開されたようです。日本も飛鳥時代から朝廷と呼ばれる中国の政治体制を取り入れたのではないでしょうか。

 宮殿を見学していて珍しいのは、オンドル設備でした。ビデオで紹介していますが床下で火を焚く場所があり建物の裏には煙突がありました。ソウルの冬はマイナス30度にもなると聞いています、日本の寒さとはケタ違いなのですね。トイレがどうなっていたのか、不明です今後の調査が必要ですね。

慶会楼という高床式の大きな建物が池の中に佇んでいます、王さま主催の宴会が開催された場所だそうだ。中心部の床面が一番高く外側に行くほど一段ずつ低くなる構造だそうです。勿論一番高い席に王さまが座ったのでしょうね。景色もいいでしょう。

 韓国の王宮の模様はチャングムで馴染ですが、ドラマの撮影場所は韓国紀行の最後の方で紹介できるかもしれませんが、水原にある華城行宮で撮影されたそうです。景福宮のスラッカンの場所は未だ複元作業はされていません、空き地になっていました。

しかし、日本と韓国を比較してみますと飛鳥時代から平城京の時代、平安時代と中国の政治体制を導入して国を経営していた訳ですが、武士の勃興により随分と韓国、中国とは異なる国のかたちになったのですね。日本は朝廷と幕府という体制が長く続きました。

 大陸の陸続きである韓国と海を隔てた日本とは随分と異なる道を歩き始めたのだと感じた景福宮の旅でした。

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韓国紀行(5) 丹陽八景

 慶州とソウルを繋ぐ小白山脈を越えるルートをバスで移動した。シルクロードの朝鮮半島の重要なルートと思います。今回の旅ではこのルートを実際に体験するのが楽しみでした。中国の燕の時代から秦王朝、漢王朝と朝鮮半島に進出しました、そして半島を南下する陸上ルートは日本列島にとり重要でした。

 ソウルが存在する漢江河口から舟に荷物と馬を搭載し遡上する、そして南漢江(ナマンガン)を南に向い遡上するのだ。馬を下ろし船を牽引させる。中国の文化・文明はこのようにして華僑と中国の軍隊により南下したのだ。南漢江の上流に位置するのが丹陽(タニャン)である。ここで、船を降り小白山脈を越えて洛東江上流にでます。

 洛東江を下ると釜山という終着点に到着するのだ。小白山脈越えて安東を経由し新羅の都にも行けます。今回の旅はその逆のルートをバスで行きました。

 マイフォト 小白山脈越え 丹陽八景

 マイビデオ 丹陽八景

 慶州から北路120キロ2時間半の高速道路で丹陽に到着する事ができます。南漢江の上流で景色が素晴らしく丹陽八景と呼ばれています。

20084korea_245  島潭三峰は漢江上流の川の中にあります。ガイドさんの説明ではこの3個の岩には面白い言い伝えがあるそうです。

真中にある大きな岩が旦那さんで、左の小さな岩が本妻さんだそうだ。しかし、子供が出来ず妾さんができて右の岩がそうですが、お腹に赤ちゃんが出来たそうだ。少しお腹が膨らんでいるように見えます。

 ホンマ面白い話を伝えるものですね、日本でも大和三山の三角関係を思い出しました。日本も韓国も発想は似てるものですね。

丹陽は石灰岩でできた土地のようですね、近くに大きなセメントの工場がありました。多分鉱物資源に恵まれた場所ではないでしょうか。丹陽という言葉から丹ですから、水銀も採掘できたのではないでしょうか。丹陽からソウルまでは200キロ3時間の距離ですね。

20084korea_255  南漢江に沿いソウルを目指すわけですが、途中の山の中では沢山の地元の人々のお墓を観察できました。

丘の端を切断して、円墳を作る構造です。このような墓が無数に眺める事が出来ました。日本のヤマト王権の象徴である謎の前方後円墳の成り立ちの説の一つに丘尾切断説というのがあります。

 バスの窓から現在も続いているこの地域のお墓はまさに、丘尾切断型の墳墓である事に驚きました。

 大陸の文化・文明が日本列島に伝播したルートは沢山存在すると思います、長江下流域から直接日本列島に到達するルートもあれば、山東半島から朝鮮半島の沿岸経由で日本列島に到着するルートもあるでしょうね。しかし、大陸から陸上で慶州、釜山まで通じるルートも重要ではないだろうか。

次回は是非、洛東江流域、昔の加羅、伽耶の国々を訪れて小白山脈を越えるルートを探訪してみたいと思います。

注:丹陽八景(島潭三峰、石門、上仙岩、中仙岩、下仙岩、舎人岩、亀潭峰、玉筍峰)

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韓国紀行(4) 高麗青磁

 慶州(キョンジュ)にて高麗青磁を製作している工房を訪れた。

  マイビデオ 高麗青磁窯

20084korea_229  小さな登り窯がありました。高麗青磁というと悲しい歴史を思い出しますね。秀吉の時代の朝鮮出兵です、多くの朝鮮の陶工を日本に連れ去ったという事実です。黒田藩の高取焼、鍋島藩の有田焼、唐津焼、長州藩の萩焼、薩摩藩の薩摩焼と枚挙のいとまがない。

20084korea_219 20084korea_220  今回の旅では一般大衆が出入りする食堂で朝、昼、晩と食事をしたが、食器が全てプラスチックというのでしょうか、日本のように陶磁器ではない。

食堂の人に訊きました、何故、陶磁器を使わないのですか?答えは壊れるから。という返答でした。

 しかし、本当の理由は日本にも責任が多いにあるのではないだろうかと思う。勿論、最近の朝鮮戦争の動乱で多くの陶磁器は壊れ、一般庶民の食卓から陶磁器が消えてしまっつたのかも知れない。ひょっとすると、高麗の時代、李氏朝鮮の時代では陶磁器は貴族のものであり、一般庶民とは関係のない世界であったのかも知れない。

20084korea_222 20084korea_223  高麗青磁の作り方を簡単に教えて頂いた。まず800度程度で素焼きの器を作るそうだ。そして、高麗青磁の特徴である象嵌技術に触れます。素焼きの器に彫刻刀のようなもので模様を削りますね。

 その凹に新たな粘土、白土や赭土(あかつち)を筆や刷毛などで塗りこみます。そして表面を平に削り、又、埋め込み作業を何回も繰り返す。

20084korea_224 20084korea_227  そして最後に釉薬をかけるのですね。そして高温で焼くのだそうです。1800度とか詳しくは判りませんが、釉薬についても判りません。しかし、出来あがった翡翠の宝石の輝きを放つのですね。

 高麗青磁のルーツは中国浙江省の越州窯にその源を発し、9世紀から10世紀に朝鮮半島に伝えられたといいます。中国の唐帝国が崩壊した混乱の時代に伝えられたのでしょうか。

20084korea_218 20084korea_225  しかし、長江デルタで開発された青磁の技術が海を越え朝鮮半島に伝わり、そして日本に伝わり各々、各地での独特の進化を遂げた青磁の世界も面白いと思いますね。

所詮は、現地の土と石と植物の灰で作られる炎の芸術作品ですから真似は出来ないのでしょうね。

20084korea_228  窯の近くでぽつんと佇む松の木が印象的でした。

長江デルタと韓国と日本の三角関係は今後もお互い影響し合い世界に冠たるものを創りだしてゆきたいと思います。それは、同じセラミック、半導体の世界ではないだろうか。日本は恩返しが出来るのではないでしょうか。

 注:トラの壺は象嵌を施した段階のもので、これから釉薬をかけます。

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韓国紀行(3) 慶州石窟庵・佛國寺

 慶州には世界遺産として前回御紹介の慶州歴史遺跡と今回ご紹介する石窟庵と佛國寺の三か所あります。

 マイフォト 慶州 吐含(トハム)山 石窟庵と佛國寺

 マイビデオ 慶州 石窟庵

 マイビデオ 慶州 佛國寺(1)

「20084bukokuji1.wmv」をダウンロード

 マイビデオ 慶州 佛國寺(2)

「20084bukokuji2.wmv」をダウンロード 

 参考 慶州地図

 (石窟庵ごあんない)

 吐含(トハム)山の中腹に岩を刳りぬき、花崗岩の石で作られた釈迦如来坐像がお座りになり、そにお周りを石のドームで天蓋を作った見事な新羅の建築技術が発揮された世界遺産です。751年頃ですから奈良の東大寺が建立された頃に作られたそうだ。その後、儒教が広まり仏教は廃れたそうですが、偶然に1909年に郵便配達の人が雨宿りの場所を探している時に埋もれた石窟庵を発見したそうだ。

 撮影禁止ですので、マイフォト、ビデオでは御紹介出来ませんが、参考資料でお釈迦様を見て下さい、それは美しいお姿です、感激でしたね。綿密に計算されたドーム構造であり冬至の朝の光はお釈迦様の額にはめ込まれた宝石に当たり、光り輝くそうです。新羅の国は石の加工技術と建築技術に関して世界一ではなかったでしょうか。

古代から中世および近世にかけて新羅の石工技術集団は日本に於いて大活躍したと歴史で学びました。日本の城の石垣、鉱山技術、これらは新羅からの渡来集団とその子孫によると承知しております。

 残念な話はガイドさんの説明では、1913年頃から日本の拙い技術集団がこの石窟を修理したそうですが、ドームの上にセメントで固めたりしたので湿気が充満し崩壊の危機に遭遇したそうです。今は韓国の技術者がガラスで密閉し温度、湿度を調整する事で危機を脱している状況だそうです。本当に申し訳ない話です。

 このお釈迦様は遥か東の日本海を見下ろしておられます、新羅の人々はこの海原に漕ぎ出して活躍したのでしょうね。その彼らを見守っているようです。

 参考文献 石窟庵

 (佛國寺ごあんない)

 日本の天平時代ですね、丁度東大寺大仏殿の大仏開眼会が開催されたのが、752年ですからこの佛國寺が建立された751年とほぼ同じ年に新羅と日本で建造されたのだ。そして同じ金銅毘盧遮那仏である。韓国では今でも光り輝いていますが、その理由は定期的に金箔を貼るからだそうです。

 そういえば、この頃に緊迫した朝鮮半島及び渤海国と唐帝国、大和朝廷の一触即発の戦争の危機にありましたね。過去記事を参照してください。

 過去記事 出雲心の旅(その2)

 朝鮮半島を唐の力を借りる事で朝鮮半島を統一した統一新羅にとり、唐と渤海国(元の高句麗の遺民が建国)の緊迫は板挟みだったでしょうね。しかも、渤海国は大和朝廷と軍事同盟を結ぼうとしていましたから、政治情勢は緊迫していたと思います。

 しかし、そんな時に海を挟んで新羅と日本で同じ毘盧遮那仏を祭る仏教寺院を建立したのは歴史の面白さを感じます。ガイドさんのお話では、秀吉の時代に日本軍はこの寺を破壊したそうです。そして、二度目の不幸は明治以降、日本は再度侵攻し痛手を与えたという事だそうです。

 舎利塔は日本の料亭の庭に飾られていたそうで、心ある新羅の文化に詳しい日本人が返還した事は少しでもの安堵の気持ちにさせられました。このような歴史は私達は学校で学ばない、事実は事実として学ばねば本当にいけないと思います。

多くの韓国の小学生が見学に来ています、この寺の歴史を先生は子供たちに語っているでしょうね。日本の子供たちもこの韓国に修学旅行に来て日本の歴史の負の遺産を教えるべきだと思いました。

 参考文献 佛國寺

 参考文献 佛國寺(2)

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韓国紀行(2) 慶州古墳公園

 前回の紀行文で辰韓・新羅について触れましたので、現在の慶州、昔の辰韓・新羅の古墳公園について記事を書きたいと思います。

 マイフォト 慶州古墳公園

 マイビデオ 慶州古墳公園(1)

 マイビデオ 慶州古墳公園(2)

 注:映像では珍しい美しい鳥とかわいいリスの映像を撮影できました。

 現在慶州は韓国の国の政策により、古都観光の地として整備がすすんでいます。新羅の都であったこの国は日本とも馴染の国でした。前回はスサノオについて出雲との関係に触れましたがそれ以外にも古事記、日本書紀には新羅との関係が沢山記述されています。

 神話の時代になりますが、垂仁大王の時代ですが、新羅の王子アメノヒボコ(天之日矛、天日槍)に関する面白い記述があります。新羅の国である女が沼の傍で昼寝をしてると陰部に日の光が当たり赤い玉を産んでしまいました。その玉を横取りした王子のアメノヒボコは自宅に持ち帰り傍に置いておくと奇麗な娘に変身したそうだ。

 王子はその娘と結婚したが、ある時に王子の横暴な振る舞いにアイソをつかした娘は両親の故郷に帰ると言って、日本の難波に帰ってしまった。王子は彼女を忘れられずに難波まで追いかけてくるのですが、難波近くの海で住吉の神に阻まれ会うことが許されなかった。悲痛の王子は播磨、近江、若狭を経て但馬の国に落ち付き土地のの娘と結婚して土着したと語る。

 それ以前にも、新羅のツヌガアラシトという加羅の国の王子が若狭に来て土着したという神話を載せている。現在の敦賀は彼の名前から来ている。

 (天馬塚古墳)

 ガイドさんの話ではこの古墳は5世紀から6世紀前半に築造されたと説明されていました。日本では河内王朝、倭の5王の時代ですね。とりわけ、雄略大王の時代あたりではないだろうか。古墳名の由来は出土品から白樺の皮に描かれた天馬の絵から命名されたそうだ。

 古墳の形式は私は初めて観て驚いたたが、木棺に遺体を東枕に据えてその上に河原石を饅頭のように積み上げその表面数メータを粘土で突き固めている形式だ。だから、年月が経ると木棺は押しつぶされるので、円墳の頂上は凹むのだ。これでは、簡単に墓を暴く事は出来ない。

 この墓が建造された頃の日本は所謂、河内王朝の時代であり大山古墳を始め300メータを越える巨大な前方後円墳を築きあげていた時代である。ヤマト王権がこの時代、如何に東アジアで巨大な勢力を維持していたか想像される。

新羅とヤマトの関係に少し触れたが、如何に当時海を媒介として朝鮮半島と日本は交流が深かったかが改めて判ると思います。

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韓国紀行(1) 辰韓・新羅の謎

 今回の韓国の旅では又、新たな朝鮮半島の古代史に関する疑問が湧きあがった。その最大の疑問は慶州、昔の新羅の国の繁栄についてです。ガイドさんの説明では朝鮮半島では一番早く国が起こり、紀元前1世紀頃との話ですが、千年間繁栄したという。

20084korea_096 20084korea_127  写真は夫婦塚と天馬古墳から出土した王冠ですが、28基の円墳が集中しており近年発掘されている。古墳公園として今は開放されているが、何故、このような山に囲まれた農地にも恵まれない鄙な地で国が繁栄したのだろうか。

 漢王朝が朝鮮半島を支配していた時代には慶州は帯方郡に属し、その後、帯方郡は百済、伽耶、辰韓と分裂する。慶州は辰韓の拠点とされた場所だ。

 その後、三国時代となり新羅の王都として繁栄し最後に唐と連合して百済を滅ぼし、高句麗も滅ぼし朝鮮半島を統一するのだ。しかし、その繁栄の経済的な背景は何だったのだろうか?疑問が湧きますね、半島の東の端にあり、山に囲まれ経済が繁栄する理由が見つからない。

20084korea_213  東大寺が建造された頃、新羅ではこのような立派な仏国寺が建造された。東大寺と同じ華厳宗であり、大日如来である。驚くほど東大寺と似ている、時代も同じだ。

山の上には岩窟の石像があり遥か東の日本海を見下ろしている。

20084korea_157 20084korea_167  こめかみにはめ込まれた宝石に冬至の朝の太陽の光は当たり洞内を光り輝かせたという。

遥か日本海を見下ろしながら、日本の古事記や、日本書記の神話の時代のスサノオを思い出していた。彼は、神話によれば天上界から最初に降臨したのは新羅の国であるという伝承を持つ。

 仮説としては辰韓(新羅)の国力は鉱物資源と鉄の製造技術と貿易航海ではなかっただろうか、出雲との連合経済圏を作っていた可能性はなかったのだろうか?夢は広がるのです。

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韓国から帰国しました

20084korea_084  無事韓国の旅から帰国しました。

 羽田からソウルの金浦空港に飛び、チャングムの撮影現場であった水原古城を巡り、百済の最後の都である扶余の都で涙を流し、新羅の都を訪れ古墳巡りを行い、小白山脈を越え南漢江の上流の丹陽を訪れ、再度ソウルに戻る強行軍の旅でした。全行程千キロに及ぶ旅でした。

20084korea_257  パーキングエリアで見つけたタコ焼き屋です、関西文化がこの韓国にも存在していました。嬉しいですね、今やタコ焼きは韓国にも広まっているのです。

新羅(慶州)の都から小白山脈を越える南漢江の沿岸では桜が咲いていました。日本の桜のルーツは朝鮮半島にあるのでしょうか、それとも近世に日本人が植えたのか判りません。今後の調査が必要ですね。

 ソウルは金浦空港から羽田までは1時間40分の身近な距離です。もっと早く、韓国の歴史の旅に出ればよかったと後悔しています。4日間、朝昼晩とキムチを食べたので、身体はキムチの匂いに包まれたようです。

 写真は350枚、ビデオ1時間は記録しました。おいおい、紀行文を書きたいと思います。是非、韓国の小学生、中学生、高校生と日本の同じ学年の子供達が遠足で韓国、日本を相互に訪れる旅をこれからして欲しいと思いました。

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23日 夜帰国します

 今晩8時の羽田発ソウル行き便にて暫く韓国を旅行します。

今日の予定は、ソウル到着後バスにて水原に向います。ソウルは10時過ぎに到着し、水原のホテルは深夜0時半頃だそうです。眠たいですね。

という訳で、しばらくブログは休載となりますので、宜しくお願いします。

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移民論議

 今日の朝のテレビでは、今後50年間で1千万人の移民を受け入れる議論がされていた。どんどん少子化が進み、人口は激減する様相を呈しそのうち年寄りばかりの国になり、5千万人を切る国になるとどうなるのか。現在の医療制度も年金も世界第二位のGDPも夢と消える日が近いと。

 現在の日本の経済のレベルを維持するのは、所詮が無理な算段なんでしょうね。しかし、考えてみれば狭い国土に1億2千万人も住んでいる事、事態が異常なんと違うかな~と思ったりもする。無理して移民を受け入れて将来、彼らの子孫を本当に保障出来る国土なんでしょうかね~と、思ったりする。

 私は鎖国主義者でもないし、むしろ日本の文化文明に憧れて移民を希望する人とか、海外で迫害に会い亡命を希望する人々は積極的に受け入れる事は大賛成です。しかし、労働力が不足するからとか、働き手が少なくなり日本の医療制度とか年金とかGDPの下落とかを憂慮した政策として移民歓迎の政策を立案するのは何処か変だと思う。

 老人が増えれば、元気なうちは職場で働けるように積極的に労働市場を変えて行くとか、少子化になれば少ない人口でどう豊かな国を作るのか、とか、考えるのが本道ではないだろうか。GDPが高いだけが、豊かな指標ではない。

 今日の議論を聴いていると、日本の農業が何故崩壊したのか、一次産業の労働力を二次産業、三次産業につぎ込み、GDPを高めその資金力で農作物を輸入する。輸入に頼り炭素を沢山排出しながら毒餃子を輸入している国になっている。

しかし、何時までも海外から農作物を輸入する事は可能なんだろうかと思う。最近はオーストラリアの乾燥化とか環境異変により農作物の不作が続き価格が高騰化しているという。ベトナムも米の輸出は停止したそうだし、タイでも米の価格が高騰してるそうだ。

 (カリフォルニア移民都市)

 シリコンバレーは今やアジア系住民とかインド系住民が沢山暮らしている、技術屋の世界にはアメリカ人はあまり希望しないので、アジア系が多い。彼らは共存しているし、切磋琢磨して夢を追っている。これは素晴らしい、日本にもアジア系の人々が集まり新しい技術の開発やベンチャードリームを追いかけるのは素晴らしいと思う。

しかし、過去の歴史をみると移民というと単純労働者の獲得の為の移民政策というのが実態ではなかっただろうか。そうすると、社会に格差が生まれ社会問題が起こる。欧州や米国を観てるとそうではないだろうか。

 日本の教育機関にどんどん海外の留学生を受け入れる議論もされているそうだ。大学も独立法人化され生き延びる為には、海外から優秀な学生を獲得したいと考えるのがあたりまえですよね。海外の学生も日本の資格が獲得出来れば日本企業に勤める道も開け高い給料を得る事も可能だ。加速するでしょうね。

時代が随分と溯るけれど、明治政府は国民を養う為に海外の国々に移民を奨励した過去の歴史がありましたね。明治100年で今度は海外から移民を招聘する国になろうとしているのだ。

 移民問題をどう考えるか、難しい課題だと思いますが、海外の人々に迷惑をかけないで島国で暮らす日本人というのが、私はよろしいと思います。

 

 

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新横浜駅界隈 新緑の候

20084shinyoko_008 20084shinyoko_009  新横浜の駅が変貌しました。巨大なビルが建ちビックカメラが入りました。今日は、デジタルビデイオカメラの電池を買いに出かけた。

3年も使用してるとリチュームイオン電池は駄目になるようですね。あまり充電が出来ないようになります。

20084shinyoko_011 20084shinyoko_010  キャノンのビデオですが、電池がなんと7500円もするのには驚きです、キャノンはボロ儲け過ぎですよ。こんなのセイゼイ3000円以内です。ラジコン親爺を馬鹿にしてると思った。しかも中国製である。

インクで儲けたり、バッテリーで儲けたりホンマ商売があまり好かんです。

 しかし、ビックカメラも今までは新横浜駅のガード下のバラック建物にいた頃は経費も安く済んだろうが、今度はこんな巨大な立派なビルに入り、随分と維持費や経費がかかるだろうな~~。いらぬ、心配です。

20084shinyoko_012 20084shinyoko_014  新横浜プリンスホテルと新幹線です。アリーナに向かう陸橋からの風景ですよ。新横浜駅からアリーナに向かう道です。イベントで来られた方なら馴染の光景でしょうね。

このプリンスホテルから羽田空港行きの直通バスがでているので、本当に便利です。日曜日の夕方はここから、羽田空港経由、ソウルです。

20084shinyoko_015 20084shinyoko_016  現在、駅前にはドーナツ型の陸橋の建設工事中です。交差点の上に円形の陸橋を建てて混雑を緩和する計画でしょうね。

本当に新横浜に引っ越して来た頃に比べ見違えるように都会になってしまいました。昔は、駅だけで周りは畑でした。

20084shinyoko_019 20084shinyoko_021  子供の日が近いですね、鯉のぼりが老人ホームの建物に昇っていました。空き地には菜の花が満開です。

今日は風が強く、鯉のぼりも元気よく泳いでいましたね。

20084shinyoko_006 20084shinyoko_007  何時もの散歩コースの鶴見川堤防です。今日は天気が良く暖かい日となりました。しかし、風は強く飛行機を飛ばすには問題がありそうですね。明日は早朝から千葉でフライトの予定です。

20084shinyoko_001 20084shinyoko_002  写真講座です、左は花壇のローアングル写真、右はハイアングルの写真です。同じ花壇を撮影してもアングルによりイメージは異なるものですね。え?あまり変わりませんか。

20084shinyoko_004 20084shinyoko_005

 八重桜が満開です、ここは太尾新道の桜並木です。鶴見川と並走しています。

さて、明日は5時半起きで6時過ぎに、わこちゃんが高級車ベンツでお迎えに来てくれるので、明日の飛行機の準備と韓国歴史の旅の準備で忙しい。

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1960年代のフォーク

私が寝屋川高校を卒業して六甲台のキャンパスに通い始め、ワンゲル部に籍を置いた頃はフォーク一色であった。1964年の頃である。誰もがギターを購入しコードを覚えフォークソングを歌っていた。これが、平均的な学生の生活ではなかったでしょうか。

 (ジョーン・バエズ)

 彼女はフォークの女王と呼ばれフォークの女神と呼ばれていた。透き通るような天使の声はむさくるしい若者を虜にした。それでいて、反戦の旗手でもありました。森山良子さんも彼女に憧れた人ではなかったでしょうか。

 http://www.youtube.com/watch?v=EcNN5SEb-Kg&feature=related

    Joan Baez - Oh, Freedom (Live 1966)

 

 http://www.youtube.com/watch?v=4cmNRVL1drA&feature=related

    Joan Baez - It Ain't Me, Babe (Live 1965)

 1964年は私が大学一年生の頃ですね。私が唄っていた曲は次の2曲ですが、最近の彼女の映像がありました。

 

  http://www.youtube.com/watch?v=sKvdPsnkPC0&feature=related

    Joan Baez - Where have All The Flowers Gone

  

  http://www.youtube.com/watch?v=gDwK-Zir8ls

    House of The Rising Sun

 彼女は未だ売れていなかったボブ・デイランの才能を見つけフォーク界に彼を導きました。ボブ・デイランは素晴らしい詩を書き多くの若者の心を捉まえました。学生運動のうねりの中で彼は反戦、反体制のカリスマとして登場した。

  

http://www.youtube.com/watch?v=5PhUdVHIj3w&feature=related

old_1964_bob dylan song

http://www.youtube.com/watch?v=XRbeUnn-AUA&feature=related

Bob Dylan - Mr. Tambourine Man

  

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カメラについて

 最近、奈良方面のブログをされている主婦の方がカメラ教室に通い始められたそうだ。コメントを書き始めるとついつい、亡くなった父の事や義父のカメラ好きの話に及び長くなり送信すると400字オーバーでコメントが消えてしまった。仕方ないので、記事にする事にした。

 私は4年前に購入したちゃちなカシオのExilimという胸のポケットに入る薄型のデジカメで恥ずかしくもブログの写真を掲載している。その後、Fujiのデジカメを購入したが、電池が直ぐに無くなるので、直ぐに使用するのを止めた。従い、4年間使い古した古代のカシオを今でも便利に使用している。何時かは、ほかもさんのように、ニコンや梶山君のような高価なデジカメを購入したいと考えている。

 私の身の回りには三人のカメラに魅せられた人々がいた。

 (カメラ小僧の会社の友人)

 ブログ「ふろく」を掲載している昔の会社の同僚です。かれは、確か中学生の時代からカメラと機関車に惚れた繊細な心をもった人です。中学生の時代に一人で機関車の撮影に関西から長野まで汽車ででかけ当時の雑誌に記事が掲載されたという文学青年です。

大学は憧れの北海道大学に行き、カメラ屋でバイトをしてついつい、カメラと写真に打ち込み8年間在学したという猛者です。彼のブログの写真はやはり、素人のものではありません。どこか感動があるのですね。

 今は、上野方面の音楽仲間とギターを片手にビートルズを唄っていますが、何時までも子供の心を持った素敵な仲間です。

 (義父もカメラ狂でした)

 宇治の実家には開かずの部屋があります。怖いですね、そこには特別の温度、湿度が管理された誰もが触れない秘密の納屋があります。家内の話では、その中には義父の大事なカメラ群が格納されているそうです。

今は、義父の友人のカメラ屋の親父も亡くなりカメラを手にする事はありません。しかし、カメラに関する雑誌は私のラジコン技術の雑誌よりも古く、多量に棚に並べられている。家内を始め、娘三人の子供の頃は週末になるとモデルとしてカメラの被写体にされたそうだ。

 私の長女のMisayoが武蔵野美大に入学しカメラに興味を持つと、どれほど義父は喜んだか、続々と娘にカメラを進呈しアレコレ教授を始めました。沢山の、高価な古代のカメラを進呈し弟子として訓練する積りだったのでしょうね。

その娘もフランスに行ってしまい、デジタルの世界に入ってしまったのでその後は義父もカメラの話は娘にしなくなりました。銀板の世界を捨てた人には興味が無いのでしょうね。ここが、難しいアナログとデジタルのせめぎ合いの世界ではないだろうか。

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Jo君のおフランス紀行(3)

  (農家での暮らし)

  なんとか、車は壊れないで無事に下宿先の農家に到着した所まで話は進みましたね。お昼にビールとワインを飲んだので酔っぱらいながら紀行文を書いています。

  お隣さんは、本当の専業農家らしく麦農園と牧畜をしている。家の近くは牧場で牛が沢山放し飼いでいます。庭にはアヒルと鶏がそれぞれ20羽近く放し飼いでウロウロしています。アヒルは羽を切っていないので、脅すと空高く舞い飛び、普通はアヒルは飛ばないと考えていましたので、驚きでした。

  朝市があるというので、食糧を仕入れにでかけました。ワインを1ダース程度購入し、娘と彼氏はハムとかパンとか色々と購入していました。近所の人々はここで1か月の食糧と雑貨を買うそうです。基本的には食糧は自給自足ですが、足らないものを買うのですね。

   

  中世の街並みの中で、石畳の上に露店が並び、知り合いになっている人から買う。昔は物々交換だったのでしょうか。近くのワイナリーの人が彼氏の知り合いで、ワイン1本が30フラン程度です、4500円というところか。これが、45千円で都会では売られています。

  彼氏はワイナリーで昔はよく季節労働者として働いたそうで、やたらとワインについては詳しい人です。夜ワイン談義となり彼から空恐ろしい話を聴きました、諸氏には参考になると思いますので話半分で聴いて下さい。

 

  今、無農薬ワインが叫ばれていますが、その背景としてシャルドネ村の化学薬品汚染の話が背景にあるようです。朝早く、宇宙服のようないでたちの一団が化学薬品を散布するそうです。村の子供には奇形児が多く生まれ、深刻な問題だそうです。

  どこのワイナリーも化学薬品を使っており、特に有名ブランドのワイナリーはそうだそうですよ。そう言えば、ワインの木は病気をするのですね。無農薬で育てたワインを飲む事を勧められました。そういえば、防腐剤も化学成分ですよね。

  やはり、ワインを楽しむには無農薬農園の近くに住み、化学物質を使わないワイナリーのワインを飲まないといけませんね。ワイン園で働く人々にとり農薬問題は深刻な問題であるようです。

 (酒とチーズと新鮮な野菜)

  ともあれ、腹が減れば裏の菜園から野菜を採ってきて、地下のケイブからチーズとワインと自作の各種果実酒を持ってくれば良い。流石にフランスの田舎では、棚に沢山の種類の自作のビネガーが並び、無農薬醤油までありました。

  色んな種類のハーブとオリーブオイルを組み合わせて瓶に詰めておくのですね。話を聴いていると、チーズに合わせてワインを選ぶという印象を受けました。ワインに合わせて食い物を選ぶのではなく、これがブルゴーニュ風流儀なのでしょうか。

  食事の最後には強烈な栗から製造したスピリッツを飲まされました。蒸留酒で45度はあると言っていましたが、自家製です。各家庭では代々、酒の製造を許されたライセンスがあるらしく、親子で受け継ぐそうです。う~~ん、面白い話だ。

  家の中には沢山の鳥を飼っているらしく、鳥籠が吊るされている。又、主人が読む本。奥さんが読む本が所狭しと並べられていました。奥さんは考古学者らしく、古代の発掘写真が掲載された本が並んでいました。

  (フランス人の生き方)

  生きる為の食糧はあるので、仕事は自分の本当にやりたい事をやる。嫌々好きでもない仕事はやらない。戦後60年、焼け野原から復活した日本民族にとり、今までは生きるために働いた、しかし、ある程度食い物に目処がついたらなら、これから本当の日本人の生き方について海外から評価を受ける事になるでしょうね。

  隣の農家の親爺と夕暮れの田舎道で出会った、相手はトラックタ―に乗っているが、物珍しいのか話しかけられた。ほのかな触れ合いがありました。

  日本人が昔、エコノミックアニマルと蔑まれた時代がありましたね。観光会社の商業主義に乗せられ、観光地を寸暇を惜しみ、うわべだけを眺める旅行と買い物ツアーが日本人のイメージを駄目にした。現地人との会話を拒否した観光旅行が問題だったと思う。

  例外に漏れず、私も家内もそのような旅を今迄続けてきた訳ですね。しかし、今回の旅で感じたのは、何処か今までと違うものを感じたし、本当の旅の楽しさというものに触れた気持ちになりました。

  今回の旅では、家内はパリの地下鉄でスリに出会い、鞄のファスナーを開けられましたが、幸い彼女が気が付き何とかスリから逃れる事が出来ました。パリ市内は近隣貧乏諸国から入り来んだよからぬ連中がウロウロしています。世の中、安全は自分で守らねばならないのが鉄則ですね。

  リンゴから作るシードルはノルマンデイとこのブルゴーニュが有名だそうで、自家製を飲みました。玉どん、今度は一緒にでかけませんか?今回は車が壊れたので、ワイナリ巡りは出来ませんでしたが、ここの家主は年に4回はウエールズに旅行に行くので、娘がいれば又、行けますよ。ここらで、ブルゴーニュ紀行を終わります。

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Jo君のおフランス紀行(2)

  どうも変化が無い、不思議だな~~と思っていました。あとで判明するのですが、仏蘭西は日本の1.5倍の国土面積で耕地面積はその8割、日本は耕地面積2割ですから農業力の面では各段の差となります。だけど、娘の居候している農家で確認したのですが、自分の足で近くの刈り入れの終わった麦畑を歩いていると、まるで日本の秋吉台のシラス台地を歩いているようでした。

  石灰岩の石ころが沢山あり、こんなの畑と呼べないと思った。これは凄まじいアルカリ土壌ではないだろうか。こんな過酷な環境で農耕は出来ないと思う。家庭菜園で野菜を確認したが、全てが小さいのだ。可愛い玉ねぎ、ま~無農薬農業をしてるそうだが、全てが小さい。じゃが芋も小さい、さやえんどうはそれなりの大きさ。

  農業は私の専門ではないので、玉井の旦那に訊いてみたいと思う。勿論、牧畜は草さえあればOKで面積があれば其れで良い。けど、特定面積でどれだけの人間を食わす事が出来るかを考えると、日本の田圃の方が余程力があると思う。

  日本は耕地面積では遥かに仏蘭西に劣るが、本当に農業力という観点で考えると果たしてそうだろうか?と、疑問が湧いてきた。今回の紀行で仏蘭西の北の大地であるノルマンデイも訪れたがブルゴーニュと同じ土地の感触であった。

  話は飛ぶが、4大文明の発祥の地はナイルとメソポタミア、インダス、そして長江/黄河流域である。長くヨーロッパがガリアの森に覆われ、人の住む場所では無かった理由があるのではないかと思った。

   (オーセールに到着)

 

  ともあれ、2時間かけて目的の駅に到着した。娘の彼氏が出迎えてくれたが、後ろに3人乗ると車がおかしい。走ると凄まじい音が鳴り始め、どうも右後方の車輪あたりが怪しい。

  街の中心は小高い丘の上に教会が2つ聳えているが13世紀から16世紀にかけて建設された中世の街並みがその儘タイムスリップしたような街なのです。市内を抜けて、ワインデイングロードを30分程ドライブすると目的の娘が居候している農家に到着した。

  出迎えは、牧羊犬でやたら人なつっこいワンちゃんです。この犬とその後、私と息子は友達になるのです。私も息子も同じ犬歳なので、どうも好かれるようです。

  この家の持ち主は本職が先生だそうですが、趣味が無農薬農業と家作りだそうだ。全てこの家は彼が建築したそうだ。まるで、製材所のような機材が巨大な納屋に格納されており、セメントのミキサー迄ありました、何なんでしょうか。

  余程の変人のようです。この季節、夫婦で何処かへバケーションに出かけ、娘二人は昔の奥様の家に帰っておりました。犬と猫と畑の世話を娘と彼氏がする為に居候している訳です。

                          ・・・・続く・・・・

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Jo君のおフランス紀行(1)

   200187日より14日までJo君は初めて仏蘭西に旅をした。

 この旅日記は復刻版です、当時の新鮮な感動が面白いのでJoBlogに記録する。文章は友人の玉井さんに宛てた手紙の形式をとっております。フランスから帰国後その翌日に記録されています。

  2001815日記録 玉井さんへの手紙

 

   Jo君のおフランス紀行

 去る87日から14日迄、仏蘭西へ紀行してきました。私と家内と息子と3人で仏蘭西に住む娘を訪問した紀行速報です。

 今回は特に玉井さんが興味あるブルゴーニュの田舎への紀行について簡単に述べます。

  

  (Gare de リヨン駅)

  

  ホテルはパリの東に位置するGare de リヨン駅に付随するステーションホテルのようなホテルに滞在しました。朝の7時の汽車にて娘を含む4人にてブルゴーニュに向いました。切符は既に娘が買っており私たちはただ、娘について行くだけという安易な旅です。

  この駅は仏の南部へ行くKey駅なので、リヨンとかマルセーユとかブルゴーニュを経由して地中海迄行く列車の起点だそうです。

  海外で汽車に乗るのは珍しく、駅は誰でも入る事が出来て勝手に乗る事が可能です。日本のように改札は有りません。切符は既に購入済みでしたので、プラットフォームに設置されている端末でカチャンと切符に印刻して乗るのです。

 

   セルフでして、これをせずに乗ると後で車内にて車掌さんが来た時に、罰金となります。これは重要ですので、是非覚えておいて下さい。

  早朝の汽車でしたので、客は少なく、4人がけの向かい合った席に座れて窓の景色を堪能出来る態勢です。隣の4人席には多分仏人でしょう、ポツンと一人の老人が座っていました。

  ブルゴーニュのワイナリー見学には多分、この駅から3時間半ほどかけてデジョンまで行くのが適当でしょうが、我々は手前の2時間で到着するオーセールの駅です。ブルゴーニュワインの北限でしょうか。オーセールの近くには白ワインで有名なシャルドネ村が有ります。

  娘と家内は直ぐに眠りについたので、私は席を離れ一人で近くの席に場所を移し仏蘭西の田舎の景色を楽しむ事にした。殆どがトウモロコシとヒマワリの畑でして、麦の刈り入れも既に終わっていて裸の土地がむきだしです。

   ヒマワリはゴッホの絵で私の記憶にはあるのですが、油をとる為だそうですね。たまに牛とか羊がウロウロしていました。

              ・・・続く・・・

 参考グーグル地図

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企業誘致あれこれ

 昨日はホテルオークラで半日、無錫市の企業誘致イベントに参加した。無錫市からは市長さんを始め副市長さん、企業団地の役人の人、投資局の人、大学関係者、色んな人々が来日し精力的な活動をされていた。東京の次は大阪で開催しそしてソウルに開催と聞いている。東アジアの経済巨大都市、東京、大阪、ソウルを巡る旅である。

 無錫市は2006年度GDPで中国で7位の都市に成長し、改革開放以降日本を中心とする製造業の進出により経済成長を遂げて来た。日本企業は千社を超えるそうだ。太湖という観光資源、近くに蘇州という歴史のある観光資源と戦前から絹織物で発展した中国第4位の経済圏と隣接している。

 何より、香港に次いで中国第2位の経済都市である上海も控え、又、呉の都であった経済政治の中心である南京も近くだ。南京は2004年度GDPが2000億元で無錫は3300億元ですから既に無錫は南京を抜いている。何れにせよ、杭州を含めた長江デルタ(揚子江デルタ)の南京、無錫、蘇州、上海、杭州、等々の15都市で形成する江南デルタとも呼ばれる地域の経済規模は人口一億人と伴に中国の3割以上を占める経済都市である。

 来年あたりからは、上海と南京を1時間で結ぶ鉄道工事が開始されるそうで、益々上海を金融センターとする長江デルタの経済圏は進化を遂げるであろう。数年以内に日本のGDPに迫る可能性は十分にあると予想される。無錫は北京と上海を結ぶ高速鉄道が通過するので、デルタの中心に位置する無錫の経済発展は無視出来ない。

 (123計画と530計画)

 現在無錫では二つの戦略的経済成長計画を掲げている。123という計画は製造業をベースに新たにソフトサービス分野、アウトソーシング分野、アニメ分野、ハイテク分野への経済シフトを掲げ3年で2000人の規模の会社を100社作る計画だ。これで、20万人のソフト関係の高度人材を養う計画だ。

 この荒唐無稽に思われる計画も実は本気であるようだ。既に箱もの、インフラの整備も終わりあとは中身だけという按配だ。無錫は製造業の充実という背景があるので、今まで蓄積されたお金は豊富に持つのが強みであり、人材育成の為に巨額の資金と環境を整えている。モデルは日本の高度経済成長時の官民一体となった、欧米諸国から揶揄された日本株式会社がモデルである。

 今の日本は地方自治体は借金まみれと随分と異なる。アウトソーシング分野ではインドに何回も足を運び、インドの最先端のソフトサービスの技術分野を学んでいる。そして、日本、韓国の先進諸国の企業を誘致し日本、韓国、長江デルタのトライアングル経済圏を目指しているようだ。

 人材育成には熱心であり、江南大学、東南大学、北京大学、だけでなく専門の職業訓練大学に力を入れている。即戦力になる大学を卒業した人を対象とする大学である。

 無錫空港からは日本との直行便を企画しているようで、現在の上海虹橋空港と羽田便よりは便利になる予定だとか。

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桜も終る 太王四神記

 満開だった桜もすっかり終わったかと思うと未だ八重桜が咲いています。本当に桜の命は短いですね。日本人が何故この花を好きなのか、この華やかな咲き方と、散り方に共感を持つからでしょうね。桜の木の下で仲間と宴会をする風習も日本人を考える上で重要でしょうね。

 桜が終わると新緑が眩しい風景が広がります。日本の自然環境は本当に素晴らしいと思います。今回、経済発展を続ける中国を旅をして感じた事は森とか林とか木々や花に出会えなかった事が気になります。上海から無錫への高速道路の周りは、コンクリートのアパートばかり。

高度経済成長時代の日本もそうだったかも知れませんね、関西に住んでいて京阪電車の周辺の町は田圃がどんどん建売住宅に変貌し、奈良も宅地化で自然環境は随分と変化してしまった事を思い出した。人々が豊かになる事と自然環境が破壊されることは切っても切れない関係なんでしょうね。

 ベトナムのハノイでも感じた事ですが、森や林や里山が存在しない事が気になっていました。今回の中国の旅でもハノイと同じ印象を持ちました。長い歴史の中で人々が暮らす方法も違うのかも知れませんね。

  (NHKの韓国ドラマ)

 最近、NHKでは週末の夜中に韓国ドラマの放映を始めました。今回初めて観る事が出来ました。太王四神記という番組らしい。随分と韓国とか日本でも人気がある番組らしい。番組を観ていると、西暦375年とか具体的な数値がでるので、真面目な歴史ドラマかと思ってしまった。

 どうやら、私の観測では高句麗の公開土王がモデルのドラマであるようです。4世紀末から5世紀にかけて高句麗を強大な国に発展させた中興の祖ですね、日本でも公開土王の碑文で有名です。日本軍が碑文を改竄したとかしないとか、韓国の学者との間で議論がされている碑文です。

 この高句麗を巡り中国と韓国の間では政治的な問題が起こり、中国は周辺の一部であったと主張しているそうですね。中国が南北に王朝が分かれており少し弱体化した時代ですから高句麗は領土を広げ南下をする、百済、新羅、加羅の国を攻めるのです。

日本列島は河内に王朝が存在した時代で、応神大王から仁徳大王に続く倭の五王の時代です。巨大な古墳を築き強大な権力集中がなされねば実現できない前方後円墳を築いた時代です。

 私は太王四神記を全て観ていないので、中身は判りませんが先日一度観た限りでは高句麗の公開土王が主役の歴史ファンタジーではないかと思います。河内王朝との戦争も登場するのでしょうか。多分、ヤマトは朝鮮半島南部の洛東江周辺の加羅、伽耶、の国で産出される鉄が重要ですから、高句麗の南下に対して貿易相手の国を守る為に兵を出した公算は考えられます。

 私は任那の日本府がヤマトの領土であったとは考えていません、ヤマトは鉄が欲しかっただけですから、貿易の為の駐在員はいたレベルではないかと考えています。高句麗の南下政策に対して、新羅、百済から頼まれて朝鮮半島に出兵した事も事実かも知れませんね。

 ところで、番組を観てると里見八犬伝のモチーフが導入されている気がしました。元々は水滸伝でしょうが、8個の数珠が飛び散り8人の剣士が盛り上げる話がこの番組では風水の北の玄武、南の朱雀、東の青龍、西の白虎の4人の剣士が登場するのではないだろうか。

しかし、4世紀末の東アジアで朝鮮半島を中心に繰り広げられたスケールの大きなドラマなのか、今後時間があれば観てみたいと思いました。倭の五王はでてくるのだろうか。

 参考 キャスト一覧

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大先輩 辻さんを囲む会

 昨夕は自由が丘の金田に於いて、昔お世話になった大先輩、辻さんを囲む会がありました。幹事はてっちゃんでした。

20084tsujisan_002  辻さんはもうすぐ70歳というのに頭にはふさふさの髪があり、黒髪が残っておられます、昔と同じ元気もりもりでした。40年近い昔でしょうか、未だ新人の頃に辻さんの班で仕事をしていました。

今回のメンバーは辻さんの配下でKDDさんのDual System(二台の計算機がチャネルを経由し同時に会話しながら同期をとり処理を進める高度な信頼性を保持したシステム)を開発したメンバー、福永さん、村上さん、九川さんが一緒でした。

20084tsujisan_003 KDDのシステムを動かしたあと、辻さんは全銀協システムの中継コンピュータシステムの親分として指揮され、回線周りを村上さん、リアルタイムOSの開発とオンラインのメイン処理システムの開発は(故)藤原さんをヘッドに私はそこでリアルタイムOSの開発をやりました。

20084tsujisan_001  その後、川崎重工業さまの水島むけにRJE(Remote Job Entry System)の開発プロジェクトが起こりてっちゃんと九川さんはそのプロジェクトに入り辻さんの配下で、私は同期の吉村さんと一緒にトヨタさまのTELEX蓄積交換システムの開発に入り同じく辻さんの配下で働きました。

20084tsujisan_004  もう40年前から35年前の期間ではなかったでしょうか。当時は果敢に世界で未だ実現されていないシステムを考え提案し、自分達の能力を信じて創造開発に挑戦した時代でした。

世界の先端を切り開いているという自負と誇りが我々を支えていたのです。

20084tsujisan_006  辻さんは私の同じく関西人でして、宇治の寿司屋の息子さんでした。べらんめい調の話し方は独特で、我々の辻グループは渡世人のような集団だったんではないでしょうか。

数々の思い出を残し、私とてっちゃんと九川さんは辻さんの部隊を離れ、当時の事業部部門が総力を挙げて開発に取り組んだオンラインDB/DCシステムであるAIMの開発プロジェクトに入りました。

20084tsujisan_005  辻さんは私の結婚式にも来て頂き、その後も折にふれ色々と相談に乗って頂きました。

40年間の富士通生活の中で、初期のころに薫陶を受けた先輩が辻さんでした。

今は引退され、滋賀方面の古代史の故郷を写真に収めておられるそうです。本当に楽しい一夜でした。金田で食事をし、そして二次会は八甲田でした。

参考: てっちゃんのブログ 関連記事

 注:てっちゃん記事に間違いがあれば修正して下さい、随分と昔の話ですので記憶があいまいです。多分、間違いは少ないと思いますが・・・・。

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新緑萌える新宿

20084ccw_006  今日は昨日と打って変わり暖かな日となりました。新芽が鮮やかな明るい緑になりました。この、桜が終わったころの木々の緑は格別美しいですね。

大都会新宿ですが、木々が多く植えられているので気持ちが和みますね。

20084ccw_008 20084ccw_004  今日は空も澄み渡り抜けるような明るさです。昨日の雨で空気は掃除され、何処までも透き通るような景色です。

上海とかハノイとかロスでは何時もどんよりと、スモッグが都会の空を覆い、曇天です。昔の東京はスモッグだらけでしたが、近年本当に良くなりましたね。

排気ガス規制とか、車の性能が向上したのか、色んな原因があるのでしょうね。

20084ccw_002 20084ccw_003  是非、日本の優れた省エネ技術、エコ技術、環境に優しい技術を海外の人々に役にたって欲しいと思います。

東京は恵まれていますね、こんな奇麗な空と緑と摩天楼が調和しています。

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今日の夜は同窓会

 昨日は不気味な一日でしたね。朝6時半頃に中央線の変電所か何処かでブレーカの故障からか火がでて7時間以上、中央線は停止し50万人以上が被害にあった。GDPに換算するといくらの被害だろうか。雨の中線路を歩く真面目なサラリーマンに冷たい雨が降り注いでいる光景は痛々しい。

事故原因についてのJRの説明も的を得ないし、警察当局の発表も聞かないのも不思議だ。信号ケーブルが焼けただけで、7時間も中央線が停まりますかね。テレビでは、近くのマンホールの蓋が飛びあがったという報告だ。

 アメリカに向かうダライ・ラマさんが成田で乗り換えの時間、日本に入国した。アベさんの奥さんがお会いされたそうで、記者会見もテレビで放映された。世界中の人々は彼の会見を観たのではないだろうか。

水面下での政府交渉は大変であったと想像される。彼を入国させるか、させないか。否応なく世界の政治情勢の渦に巻き込まれ始めた日本だ。それも、御近所の国の話だ。そして、今の日本は衆参ねじれの混迷政治だ。

 長野は大丈夫である筈がない、国境無き記者団という組織も初めて聞いたし、メンツを古来4000年間大事にしている国の話だし、ホンマ心配です。善光寺の参道からスタートするそうだけど、無理に決まってる。アメリカのサンフランシスコなんぞ、無茶苦茶なコースに変更したし、やったという事実だけで、次の国にトーチを渡している。

 このさい、長野でやるなら白馬のジャンプ台を見下ろす白馬岳頂上で受取り、後立山連峰の峰峰を山岳警備隊が歩くのはどうか。中国はトーチをヒマラヤに持ってゆく計画ですよね。しかし、政治問題になりそうなオリンピックは悪夢のモスクワを思い出します、アスリートは可哀そうだ。

難しい世界情勢の渦に巻き込まれた日本の幕開けの実感を昨日受けた。

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ニュージランド紀行 見直し

 色々と調査をしたが、結論として6月のニュージランドの山は無理と結論です。真冬に穂高に入るようなもんやね。それに、観光バスでウロウロするのも好きでは無いので、ここは夏に本格的にミルフォードトラックを走破する計画に変更したい。

 ニュージランドの夏は12月から3月の季節になります。其れまでに、メタボを解消し、トレーニングを行い毎日20キロの山道を歩ける体力を養成したい。

 (ミルフォードトラック)

 参考旅行会社記事 世界一美しい散歩道

 フォトギャラリー その1 その2 その3

 このトレッキングはかなりなトレーニングを積んでいなければ無理なワンデリングですが、死ぬ前に一度は経験すべきでしょうね。大学クラブの先輩の二年前の体験記を読んでいるとその感動が今も残っています。歳をこれ以上とると難しいかもしれない。

 旅行会社企画 その1

 旅行会社企画 その2

 私の結論は旅行会社企画その2で申し込みたいと思います。このコースは一日に50人しか山には入れない制限があるので、早めに申し込みが必要でしょうね。多分、トレッキングは50名中8割から9割は日本人以外だと思います。

 安くあげるには、現地のトレッキングを予約して自分で安い時期を見計らい航空券を予約する方法もありますが、面倒ですよね。

 という訳で、今年の夏からトレーニングを開始し体力を鍛えて、年末から年明けにかけて仲間を誘い決行したいですね。

Photo  グーグルアースでトレッキングのコースを検索してみました。概略写真の通りの厳しい行程です。テ・アナウからスタートし最後はミルフォードサウンドのマイターピークに達するワンデリングになります。

グーグルアースになれている人は是非検索して下さい、トレッキング途中の美しい写真がグーグルアースでは収録されていますよ。

 

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無錫飯店 点描

 無錫で日本人旅行者および長期滞在者に人気の無錫飯店でお昼を頂きました。

20083musyaku_122  中華料理ですね。ホテルの中にありました。勿論、日本料理屋もありますが、今回の旅は全て本場中華料理にしました。

郷に入っては郷に従えの教えです。(笑)

20083musyaku_121 20083musyaku_117  乾物です、ふかのヒレと干し鰒(あわび)ですね。御立派なもんですね、ヒレは日本製でしょうか、中国製でしょうか判りません。立派な干しあわびですね、中華料理では乾物をよく使いますね。

20083musyaku_118 20083musyaku_119  木耳(きくらげ)と干し貝柱でしょうかね。中国は絹の本場ですから桑の木は沢山あるでしょうから、木耳は沢山採れるのではないだろうか。まさか、シイタケではないですよね。

20083musyaku_115 20083musyaku_120  右の写真はナマコの乾物である事は判るのですが、左は判りません。ナツメとか漢方にでてくる乾物の一種ではないですかね。

そういえば、中世の頃に日本は俵物と言って乾燥ナマコを随分と中国に輸出したと歴史で勉強しましたね。中国は基本的に陸上、言い方変ですが海に面している地域は少ない。圧倒的に川と農耕の国ですよね。海産物は海外に頼ったのかもしれません。

  (ユニークな飾りもの)

20083musyaku_128 20083musyaku_127  これ、蘇州のハイテクパークでお目にかかったオブジェですが、水っ鼻を垂らしているような印象を受けたので思わずシャッターを切りました。

美意識というのは、異なるものですね。私は気持ち悪いですが・・・。

20083musyaku_068  中国の古い時代の橋はこのようなアーチ型の太鼓橋が殆どですね。ローマの建築技術だと思っていましたが、中国とどちらが古いのでしょうかね。石や煉瓦を積み上げてゆきアーチを作る技術はローマが発祥と思っていたのですが。半円が水に映りまんまるに見えるのが何とも縁起がいいように思えます。

 (祭さん大変)

20083musyaku_125  無錫のお役人の祭さん、大変です。今、子供が生まれたという電話が入りました、急いで病院に駆けつけないといけません。

大事な時に我々の会議に出て頂き申し訳ありませんでした。立派な赤ちゃんだったそうですよ。写真は、劇的瞬間というか今電話を受けた所です。

 来週又、今度は日本でお会いする予定です。奥様、赤ちゃんは無錫ですが、御苦労さまです。

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ニュージランド紀行(計画)

 6月3日よりニュージランドに行く計画が進んでいます。ニュージランドは南半球ですから、6月というと初冬の季節ではないだろうか。私は初めてなので、楽しみですが、大学時代のワンゲルの先輩諸氏がミルフォードトラックのトレッキングに行かれ素晴らしいと激讃です。

 人間より羊の方が多いという事以外はあまり知識のない国であります。

Nyuujiirando2 6日間の予定ですが、成田からクライストチャーチに飛びます。オーストラリアには二回出張ででかけた経験がありますが、多分10時間程度かかるのではないでしょうか。

 翌日朝に到着し、空港から230キロ離れたテカポ湖へ車で移動です。約3時間少し。そしTekapo て、クイーンズタウンへ其のまま車で向い泊。約300キロ4時間と強行軍ですね。

 翌日はミルフォードサウンドのトレッキングです。(大丈夫かな~~)

Queenz 4日目はクロムウエル経由マウントクックに向います、約210キロの車での移動。山をウロウロしてクライストチャーチに戻り泊。

 5日目はオークランドに飛行機で飛び宿泊。6日目はオークランドから成田に帰る便に乗るという強行軍のようですよ。

Mtcook  6月の気候が大丈夫であれば、行こうと考えています。

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上海は今

 上海は私が生まれる100年前にアヘン戦争の終結、所謂「南京条約」によりイギリス、フランスが中心となり租界が設置され、1920年代には東洋の真珠と言われるモダンな都市が出来上がったと聞いている。私の叔父さんが上海で暮らしていたのは1930年頃から1946年ですから東洋の真珠と呼ばれた時代だ。

20083musyaku_237 20083musyaku_239  現在の上海は摩天楼が立ち並ぶメガ経済都市として東アジアでは5番目の都市となっている。一番は東京でGDP1191B$,二位は大阪341B$,三位は香港244B$,四位はソウル218B$,そして上海が5位139B$となる。

東京は別格でニューヨークを抜いて世界一の都市ですから東アジアで比較するのは酷だ。

 しかし、上海の背後には長江デルタ経済圏が控えており、南京、無錫、蘇州、杭州、等々の長江デルタはもうすぐ1時間で結ばれる経済圏へと変貌する。長江デルタ15都市全体で巨大な経済圏を作る計画は着々と進んでいる。

20083musyaku_246 20083musyaku_250  現在日本の森ビルは100階以上の高いビルを建設中です。今年中には完成するでしょうね。日本の大手金融機関はこのビルに入ると予想されている。

長江デルタ15都市の人口は約8千万人、日本、ベトナムの人口に匹敵している。経済が11%以上で成長しているが明らかに将来は1千億ドルのGDPの経済圏を作るであろう。

20083musyaku_247 20083musyaku_259  中国の経済はこの長江デルタの経済発展が牽引していると言って過言ではないでしょうか。

話は古代に飛んでしまいますが、日本列島はこの長江下流域の呉、越という国々の人々により稲作を始め青銅技術その他多くの文化文明を受け継いだ歴史を持ちます。韓国もそうではないでしょうか。

20083musyaku_251 20083musyaku_253  改めて、日本列島の大阪を中心とする九州を含む西日本はこの長江デルタ経済圏と密接な強固な連合経済圏を作る事で21世紀は飛躍出来るのではないでしょうか。

韓国ソウルを頂点とする長江デルタ地域、西日本地域のトライアングル経済圏が機能すれば世界に冠たる先進地域になると考えられますね。

 20083musyaku_287

 写真のような運河と夜景を眺めていると、何処か大阪の夜景に似ているように感じました。結構電飾が好きで派手好みで商都というイメージがします。

 今や北海道のスキー場や信州白馬のスキー場も中国、韓国からの客が半数を占める勢いではないでしょうか。中国は賃金が安いからオフショア開発という発想は捨てないと21世紀の日本は豊かにならないと感じた旅でしたね。

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まさき&まゆの音楽会

 4月6日日曜日夕方5時より東京、鴬谷ライブハウス「What's up」にて まさき&まゆの愉快な仲間達 お花見音楽会というなが~~いタイトルの音楽会がありました。

 マイフォト まさき&まゆの音楽会2008

  まさきさん 動画ブログ 演奏会模様(二日間限定)

20084masaki_concert_001  お店の玄関です~~。昔は神社のお神輿を入れる倉庫だったそうですよ。今でも階上は神社です。まわりは、連れ込みホテル街です。

5時開演で貸し切りでした。メンバーは何時もの、正木さんとまゆさんが中心です。そして、正木さんの明大時代のバンド仲間、麻里子さんの職場の仲間のピアニカの倉持さん、今回初参加のイケメン青年渡久地(とくち)さんのギター、梶~のビートルズ、ピアノの麻里子さんでした。

 私は準備していなかったトークと下手な五輪真弓さんの「雨宿り」をけんたパパと一緒に歌わされました。

20084masaki_concert_030 20084masaki_concert_009 20084masaki_concert_029 20084masaki_concert_034 楽しい楽しい音楽会も夜8時にクローズとなりました。

上野の桜は未だ咲いています。

20084masaki_concert_042 今日も楽しい時間を有難うございました。次回は紅葉の頃に又やりましょう。楽しみにしています。

 けんた&あとむ パパママ&まゆさん 有難うございました。

(追伸)

 関連ブログ記事 zapさんの音楽会

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韓国周遊5都巡り(計画)

 4月20日より4日間、韓国の旅にでる事にした。訪問する都市は水原(ス ウオン)、扶余(プヨ)、慶州(キョン ジュ)、丹陽(タ ニャン)、ソウルですね。急に、韓国に行きたくなり旅行会社のツアーを調べた、羽田発の便利な便で行けるツアーの中でこれを選んだ。

 (シルクロードの最終ルート)

 私は岡田英弘先生の「倭国」を読み日本列島に文化・文明をもたらした朝鮮半島の陸上ルートを辿る旅に憧れるようになった。紀元前4世紀の頃から中国の燕、秦王朝、漢王朝は続々と朝鮮半島に進出し文化・文明を伝えた足跡があります。

Koreapenin

朝鮮半島を縦断するルートは大同江流域の平壌(ピョンヤン)から川を南下し河口で載寧江を溯り滅悪山脈を越えると礼成江の上流にでる、川を下れば高麗王朝の首都であった開城の漢江口にでます。漢江を遡れば左手にソウルそして右手に百済の王都広州ですね。

 そこから南漢江を遡ってゆき忠州を経由、小白山脈を越えると聞慶(ぶんけい)でありここから洛東江を下ると加羅の国々が存在し日本でも馴染の任那(みまな)の国々が存在した場所です。そして釜山に到達し日本海にでるのだ。洛東江周辺は百済と新羅に挟まれた小国が林立する国々であり、金官加羅の国もこのあたりであり、製鉄が盛んでヤマトはここから鉄を延べ板(てつてい)にして輸入したのだ。

 日本のヤマトの古墳からはここから輸入した鉄が埋蔵されているという事実を考古学では証明している。朝鮮半島の洛東江周辺の鉄はヤマトにとり重要なものでありましたね。この鉄を巡り日本列島では、貿易権を巡り幾多の戦いが行われたと想像されます。

製鉄技術は多分、中国から朝鮮半島を縦断するルートを通じてもたらされ、現地民を教育して製鉄産業が起こったと考えられます。指導したのは中国人だったと考えるのが素直な考えと思います。やがて、製鉄に必要な森林が欠乏し森を探して日本列島に辿りついたのが出雲であり、スサノオではないでしょうか。

 5世紀末に応神大王、仁徳大王から続いた河内王朝が倒壊し継体大王が新たな王権を築く頃には日本列島で鉄鉱石から鉄を製造する技術は確立されておりこの洛東江周辺の鉄は重要でなくなったと解釈できます。

 いずれにせよ、紀元前4世紀の頃から朝鮮半島は中国人により開拓され、多くの文化文明をもたらし、当時の最先端の産業を育て交易路を半島南端の釜山まで開通させたと考えられます。目と鼻の先が日本列島です。日本の弥生時代の始まりはこの朝鮮半島を縦断するルートの開拓が重要であったと考えられますね。

 勿論、海上ルートでの中国、山東半島から、長江下流域から船で朝鮮半島、及び直接ルートで日本列島に文化文明をもたらした事も事実だと思います。しかし、この朝鮮半島に築いた中国の楽浪郡や帯方郡の影響は多大であったと推測されます。

 今回の旅はその一部に触れる旅ですので、先ずは偵察の部類でしょうね。何れはこのルートを辿る旅をしたいと思います。

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蘇州料理

 蘇州にて趙大生博士と蘇州国際科学技術パークの人々に御馳走になった蘇州料理をご紹介します。その前に、

20083musyaku_136  石臼を挽く女性の人形です。テコの原理で挽いていますね、臼そのものは日本と変わらない。稲作が長江デルタから日本列島に伝播したときに石臼も伝わったのでしょうね。

菜種油も胡麻油もこのようにして挽いたのでしょうかね。

20083musyaku_189  レストランの玄関に飾ってありました、楽器でしょうかね。古代中国では色んな大きさのサヌカイトの石を吊して楽器として使用したのを思い出しました。その後、青銅器の時代となり銅鐸のようなものを吊して演奏した系統のものでしょうか。

 さて、蘇州料理でしたね。

20083musyaku_174 20083musyaku_175  左は芋ですかね、右はアヒルの舌の料理です。何かグロテスクですが美味しいと勧められました。少し、硬いので入れ歯の人には難しいかもしれません。

蘇州料理は川魚料理と新鮮な野菜が中心で辛くはありません。日本人には向いているのではないでしょうか。

20083musyaku_177 20083musyaku_178  左はお肉で右はソラマメのペーストです。甘くて美味しい料理でしたね。肉も柔らかく料理されていました。

長江デルタ地域では共通の少し甘い味付けではないでしょうか。

20083musyaku_179 20083musyaku_180  左は川海老で右は栗と百合の根の料理だったと思います。両方とも私は大好きですね、しつこくないのが嬉しいです。

茶碗蒸しの中身を食べてるようで、油こっくないのが良かったです。

20083musyaku_181 20083musyaku_182  左は豚肉の料理で右は草餅です。日本と同じですね、草餅は子供のころに母が作ってくれた、よもぎ餅と同じで中に、こしあんが入っていました。

懐かしい味で故郷に帰ったようでした。

20083musyaku_183 20083musyaku_184  川魚料理と豆腐鍋ですね。長江デルタでは池と川で獲れる魚料理は値段がとても高いです。客人を招待した時には必ず魚を一品ださないと歓待していないと思われるそうですよ。

20083musyaku_185 20083musyaku_186  野菜の料理ですが、何の野菜か忘れました。

趙先生は丁寧に料理を紹介して下さいました。先生は、京都工芸繊維大学の客員教授もされていて、日本語は御上手でした。蘇州は昔は繊維の国だったそうですよ。

20083musyaku_170 20083musyaku_173 20083musyaku_187 20083musyaku_188 20083musyaku_169  昼間から紹興酒の乾杯を続けてしまい足もとが危ない状態となってしまいました。

 酔いは寒山寺で冷やす事にしました。

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地頭力ってご存じですか

 昨夕、NHKのクローズアップ現代で取り上げられていた話題です。最近の企業の入社問題に出される傾向だそうです。解説では企業は新しい発想で事業を開拓する人材を求めているそうで、無から有を生み出す力のある若い人材が欲しいらしい。

 私と同じ年代の人なら、地頭(じあたま)力と聴くと、ついつい頭に手が行き、毛が薄くなったな~~と嘆き、地頭の力が無くなったと勘違いするでしょうね。

どうも違うようですよ、地頭力とはどうやら結論から仮説をたてて論証する仮説論証能力と、全体を大きく捉えるフレームワーク思考力、そして物事を単純に捉えて抽象化する能力の三点を重要視する見方のようです。

 ともかく、知的好奇心があるか無いかが重要なポイントになるようです。多分、正解の無い課題に対して、問題解決プロセスを試験官は判断するのでしょうね。どのように、課題を捉えたのか、どのような発想で問題解決方法を考えたのか、そしてその解決方法は論理的か発想だけでは駄目で具体的な解決プロセスを評価するのでしょうね。

グーグルに訊いてみると、色々と本がでてるようです。参考:地頭力を鍛える

 (マイクロソフトの試験)

番組ではマイクロソフト社の試験問題を紹介していました、問題:富士山を移動させるにはどうすればよいか だそうだ。

 随分と失礼な問題を出す会社だな~~と思いました。私が受験者ならこんな問題を出す会社には失望し受験を放棄しますね。日本の文化・文明を馬鹿にするなと言い放つでしょうね。

しかし、面白い問題だから昨晩布団の中で色々と考えた。(私も暇だね~~)

 ・先ず穴掘り考古学の思考では単純に山を削りトラックで運んで積み上げる方法を考えた。富士山は確か3800メータの高さだ、単純に45度の傾斜で正三角錐を考えると半径3800メータ高さ3800メータの円筒の体積を出し半分にすれば体積がでるな~~。5トントラックで土砂を運べば何台のトラックが必要で、運転手と土砂を削るパワーシャベルは何台必要か・・・・そんな事を考えた。

 ・しかし、これでは途中でマグマ溜まりに衝突して皆、死ぬなと考えた。そこで、プレートテクトロニクスの理論に思考を変更し、所詮は日本列島のフォッサマグナの西側はユーラシアプレート、東は北米プレートに乗っかってるから移動している。富士山はフィリピン海プレートに乗った伊豆半島が衝突して出来た火山ですから、何もせんでも富士山は移動したはりますという結論に達した。

 ・が、これでは技術的過ぎて日本文化・文明を馬鹿にした会社をやっつける回答にはならない。

 ・私の回答は昔よくシアトルで会議をしたビル・ゲイツを富士五湖に招待し、連れて行きます。夕焼けに映える富士山が水面に映るお姿を見せますね。酒を飲みながら霊峰富士の本当のお姿は水面に映る姿が本当の富士であると解説する。

 刻々と姿を変える水面のお姿を見ればこれが回答であると答える。ゲイツはん、何でこんなしょうもない問題を出したのかと反省するでしょうね。

20083kanaesaaya_108  今日も富士山は我が家のバルコニーから奇麗なお姿を望むことが出来ます、動いてもらったら困ります。

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鶴見川 桜満開 動画集

 マイビデイオ 鶴見川堤防 桜満開(1)

 マイビデイオ 鶴見川堤防 桜満開(2)

 場所地図 Tsurumigawasakura                                      

 場所は大倉山駅、菊名駅、新横浜駅から等距離にある太尾町です。鶴見川は日産スタジアムを通過し、突き当りで大きくカーブします。下水処理場がある場所ですね。

 本日夕方、廃車寸前のボロチャリに乗り、チャリから撮影しました。お聞き苦しい金属音は私のチャリのノイズです。

見事な桜ではありませんか、自宅から数分の距離であります。マラソン人がすれ違い、妙な爺さんがカメラ片手に煩いチャリで走る姿はきっとみっともない姿でしたでしょうね。

 今年も無事に桜の季節を迎える事ができました、あと一年は大丈夫でしょうね。

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昔懐かしい上海風景

20083musyaku_226 20083musyaku_227  上海賓館のフロントに掲げられてた昔懐かしい風景です。上海に外国人が押し寄せて来た頃の風景ではないでしょうか。叔父さんが戦前に駐在していた頃の風景ではないだろうか。

この頃は船で上海に向ったのでしょうね。今は飛行機、羽田から上海虹橋空港迄二時間ですから、便利ですね。

20083musyaku_229 20083musyaku_230  イギリス風のロータリーが有りました。昔の馬車時代の名残りでしょうか、ボストンあたりでも残っていますよね。交通量が少なければ、信号が必要ないので、便利だったと思います。

上海が東洋の真珠と呼ばれた時代のハイカラな趣ではないでしょうか。

20083musyaku_231  昔の、租界と呼ばれる外国人が居住した場所を訪問したかったのですが、観光旅行では無いので、仕事優先で諦めました。

しかし、夥しい数の乱雑な電線は何なんでしょうか?まるで、ベトナムのハノイのような気がしますね。

この場所は、上海でも異空間のような雰囲気が漂っていました。

  (上海は大阪みたいだ)

20083musyaku_284 20083musyaku_285  夜の上海の風景は川とネオンが輝く水の都、キンキン・ギラギラでケバケバです。

大阪人と上海人は何処か似てる所があるのではないだろうか。そういえば、お互いに商都ですね、政治よりも商売の街ですから住民気質に相似があるのかも知れない。

デジカメで撮影した質の悪い動画ですが、雰囲気は感じられると思いますので、参考までに掲載します。

 デジカメ動画 上海夜景 関西風

「20083musyaku_299.avi」をダウンロード

 (蘇州夜曲)

 上海に移動前に蘇州を訪れましたが、昔懐かしい蘇州夜曲の紹介を忘れていましたね。YouTubeにありましたので、紹介しておきます。

Continue reading "昔懐かしい上海風景"

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春休みももう終わり

 春休みで孫と娘は里帰りしていました。私が中国に出張しているあいだに帰省していたようです。伊豆の方に家内と一緒に、いちご狩りにでかけたようです。北海道に帰る最後の夜はベランダで二人で花火を楽しんだ。昨年の夏に購入していた花火が残っていました。

20083kanaesaaya_106 20083kanaesaaya_107  寒い夜なのに、ガタガタ震えながら花火です。今度又、帰省してくるのは夏休みでしょうね。

皆で川の字になって寝るのもキャンプ生活みたいで、楽しいものですね。

 昨日は、東京は風が強く桜の花は随分と散ってしまったでしょうね。春の嵐でした。

 (蘇州の大学村の図書館)

20083musyaku_141 20083musyaku_142  蘇州のハイテクパークには大学が5校程度集められております、中国では有名な大学ばかりですが、図書館も共同で建設されています。

中国でも図書の電子化が進んでおり、図書室では皆さんパソコンの画面で勉強していました。

20083musyaku_143 20083musyaku_144  仕事仲間で、同行した若者の話では精華大学でも殆ど図書は電子化されており、紙は使用しないそうですね。

エコ問題を考えると、これからは電子化されたもので、対応するのが世界の流れかもしれませんね。

しかし、流石に中国、書が展示されている部屋では沢山の美しい書が展示されていました。私も筆を渡されましたが、遠慮しました。

20083musyaku_146 20083musyaku_155 20083musyaku_156  蘇州も無錫も最近はアニメーション産業に力をいれています。沢山の労働力が必要な労働集約型の産業ですから、中国は興味があるのでしょうね。

20083musyaku_160  中国ではアニメーションは動漫と呼ぶのですね。漫画が動くという意味でしょうね、漢字で何でも表現するという中華思想が残っていますね。戦後の日本では明治の頃のように西洋のものを漢字で表現する事が殆ど無くなりました。カタカナの氾濫ですね。

 蘇州は歴史、文化の香りが高い場所ですから、将来、アジアを代表するアニメーションが此処から生まれるかも知れませんね。楽しみです。

 上海と日本は二時間の距離です、異国というと随分と離れた別天地という考えが日本人には有りますが、国の枠を外すと実に御近所である事が旅をすれば判ります。九州と上海では1時間以内ではないでしょうか。21世紀東アジア津々浦々連合経済圏を夢想している私としては感慨深い旅でした。

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蘇州 寒山寺 桜吹雪

 マイフォト 蘇州 寒山寺 写真集

 マイビデオ 寒山寺 桜吹雪(1)

 マイビデオ 寒山寺 桜吹雪(2)

 マイビデオ 寒山寺 桜吹雪(3)

20083musyaku_193  遂に、憧れの蘇州 寒山寺を訪問出来ました。唐の時代に高僧である寒山と拾徳の二人の禅僧が住んだお寺で有名です。所謂、寒山拾徳であまりにも日本では有名ですね。雪舟も沢山の寒山拾徳をテーマとした絵を描きましたね。

 私は唐の時代の詩人、張継の漢詩 楓橋夜泊 の漢詩に憧れを抱いていました。寒山寺から少し離れた運河に懸かる楓橋の近くの船で詠んだのでしょうね、静かな蘇州の旅情を感じられます、静かな中に遠方から聞こえる寒山寺の鐘の音が静かさをより引き立てているように覚えます。

 過去記事 漢詩の世界 楓橋夜泊(張継)

 訪問した時は丁度、桜が満開で境内では桜の花びらが風に舞っていました。誰が、桜の木を植えたのでしょうね。唐の時代には存在しないと思うのですが、誰か日本人が植えたのでしょうね。

 建物は清朝の時代だと聞いていますが、文化大革命の嵐もこの寺を襲ったと想像できます。幾多の災難を受けながら佇む寒山寺、何時までも唐の時代の文化を残して貰いたいと思いました。

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