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長江デルタ経済圏

 今回の無錫、蘇州、上海の旅で実感したのは長江デルタ経済圏の存在ですね。一番上流で北の南京に始まり、無錫、そして蘇州、最後の河口の上海は工業地帯が繋がり、各都市は1時間以内で繋がっています。これが長江デルタ経済圏を形成しています。

Cyoukouderuta  Wuxi(無錫)、Suzhou(蘇州)、の中国名は日本人に馴染がありませんね。このグーグルアース写真で長江デルタの概要を把握できますね。

新幹線で上海、蘇州、無錫、南京と繋がっております。又、高速道路でも繋がっていますので、荷物輸送でも問題がありません。建設用の砂は張り巡らされた運河で運搬可能です。

 上海には日本人が常駐者が5万人、出張者が5万人、常時10万人が存在しているそうです。蘇州にも日本企業が沢山存在していますし、無錫も日本の製造業が五百社は存在します。上海から蘇州に1時間、蘇州から無錫に40分、無錫から南京に1時間です。

 (長江デルタの古代と日本)

20083musyaku_169  このあたりは呉の国と越の国でした。最新の発掘成果では長江下流域は稲作の起源と言われています。日本には多くの影響を与えた場所であり、蘇州でお会いした趙大生博士のお話は興味があります。

 (1)呉 クウ(くれ) 呉=句 で古代呉の国の発音です

 (2)馬 ウマ

 (3)稲 イネ 

 (4)人 ニン

 (5)呉服

 (6)1,2,3 イチ、ニ、サン と呼ぶ

 古代呉の国の言葉と日本語には共通の発音が多いそうです。日本は北京の漢音は少なく呉音である事は周知の事実ですね。

20083musyaku_137 蘇州のハイテクパークです、大学を4つも5つも集めそして、ハイテク産業を集め、工業から情報産業への脱皮を図っています。

蘇州は悠久の歴史文化と近代産業が融和した素晴らしい私のお気に入りの場所に見えました。

20083musyaku_255 一方、上海は大阪に似た夜は道頓堀のような風景が漂うネオンの街であり、これも興味が注がれる場所であります。

 これらの地域から日本は近く、東京まで飛行機で2時間の距離であります。新幹線で東京から京都に行く距離ではないですか。

今後の50年の時代はこの長江デルタ経済圏と日本経済圏が東アジアを牽引する予感がしました。

 

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無錫ホテル事情

 今回の無錫旅情は二回目です、昨年暮れに訪れこれが二回目です。今回は最新の五星ホテルに宿泊したのですが、色々と他のホテルも見学したので紹介します。

Kempinski Hotel Wuxi

ドイツ系のホテルで最新の5っ星ホテルです。

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 このホテルで三泊する事になりました。現地の人が予約をして下さいましたので、特別に良いホテルを選ばれたのでしょうね。

オーナーがドイツ人ですから、日本人の客からみると細かい不都合な部分が沢山ありました。

20083musyaku_035  部屋の鍵はICカード化されているのは便利でした、エレベータも写真の下部にある部分にICカードを近ずけないと行き先フロアーの階のボタンを押せません。

 セキュリテイーは完備してる様子です。しかし、バスルームのトイレはウオシュレットではないし、石鹸、歯ブラシ、櫛とかの包装は完璧すぎて中のものを取り出すのに苦労しました。部屋のテレビは最新の韓国製の大型画面のテレビですが、操作は操作仕様書を読まないとテレビを観れない。

同行した年寄りさんは、遂に最終日までテレビは観なかったそうです。

20083musyaku_084 20083musyaku_087  しかし、副市長さんを始め無錫市の政府、大学関係者の晩餐会では豪華な料理が出ました。子豚の皮を食べる料理は昔、桂林に旅行した時に食べて以来です。

伊勢海老も見事でしたね。

・ハイテクパークのホテル

20083musyaku_001 20083musyaku_011  無錫には幾つかのハイテクパークが存在します。重工業からコンピュータのソフト関連への産業に移行する為に沢山の施策がなされている。

事務所の建物から通信のインフラ、従業員の寮の建物や海外からの客人の為のホテルも料理屋も完備した地域を構成している。

無錫大飯店

20083musyaku_101 20083musyaku_103  このホテルは昔は東急が経営していたそうで、今でも長期滞在の日本人が多く宿泊しています。日本人の無錫での拠点のようですね。日本食屋さんもあり、便利なようです。

20083musyaku_122 20083musyaku_123  お昼をこのホテルで食べてみましたが、美味しい料理ですが、少し価格が高いようでしたね。

長期滞在であれば、ここは便利ではないでしょうか。

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鼈頭渚(げんとうしょ)公園

 マイフォト 太湖 鼈頭渚(げんとうしょ)公園 桜模様

 マイビデオ 太湖 桜模様(2)

「200832.wmv」をダウンロード

 マイビデオ 太湖 桜模様(3)

「200833.wmv」をダウンロード

20083musyaku_045  太湖、鼈頭渚(げんとうしょ)公園に桜を見学に行きました。日本人が桜を植えたそうです。日本企業が多く進出している地域では日本人が桜の木を寄贈するのが好きなようです。故郷の桜をどうしても観たいのでしょうね。

日本人は本当に桜が好きなようです。カラオケと桜は日本の大使のようです。

20083musyaku_058  中国の人々も桜が大好きなようで、沢山の観光客がバスで桜見学に来ています。桜は日本の固有の花木、江戸時代に作られた染井吉野は浮世絵と同じく鎖国の時代に花が開いた文化ではないでしょうか。

 江戸時代には庶民が花見をしたそうですが、素晴らしい文化だと思います。支配層の文化ではなく庶民の文化が桜ではないでしょうか。

20083musyaku_067 20083musyaku_068

  桜は日本の大使、アメリカでも日本人は沢山桜を植えました。一番喜ばれる国際交流ではないかと思いますね。ここ、太湖でも多くの中国人に喜ばれている風景を見ると本当に嬉しくなりました。

 太湖の風景によく溶け込んだ桜を何時までも眺めていました。

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無事帰国しました

20083musyaku_076  本日午後無事成田に上海より帰国しました。午後からは丸の内にて旧友のベトナムのBinh先生他、米国駐在時代の旧友と再会でした。夜は日比谷公園の松本楼にて花見の宴となりました。

さて、無錫、蘇州、上海と旅をして参りましたが、おいおい記事と写真を披露する積りです。無錫の太湖の桜は満開でした。上の写真は太湖の桜です。

20083musyaku_167 20083musyaku_219  憧れの蘇州を訪問できました、寒山寺、そして楓橋と漢詩に出会えた事は喜びです。

高校生の時代に叔父さんから聞かされた蘇州の面影をやっと辿る事が出来ました。

古都の面影と近代化された現代の蘇州の二面を経験して参りました。

20083musyaku_237 20083musyaku_244  上海は度肝を抜かれる摩天楼聳えるニューヨークです。中国の最先端のビジネスの街ではないでしょうか。昔の租界の面影もあり、又、超近代的な都市としての二面を持つ都会となっていました。

 夜景は素晴らしく、道頓堀の規模を数百倍したようなイメージですね。上海は関西と似てる感じがしました。

20083musyaku_289  ともかく、驚きの連続の旅であった事は確かですね。中国は凄まじい速度で近代化の道をまっしぐらです。一年で風景が変わると言われています。

13億の民が急激な近代化に邁進すると、世界はどうなるんでしょうね、心配になりました。

 おいおい、紀行文を掲載したいと思います。

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一週間休載致します

 明日より一週間ブログは休載致します。無錫、蘇州、上海と旅にでます。帰国しましたら、楽しみの蘇州紀行について記事を書きます、楽しみにして下さい。

 (横浜の桜模様)

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 私の子供たちが通った、大豆戸小学校の桜が満開です。まわりの桜は未だ咲いてもいないのに、小学校の桜だけが満開です。

どうしたんでしょうね、日頃子供たちの元気な声を聞いているから、桜も元気を貰ったんでしょうか。早く、子供たちを喜ばせようとして咲いているのでしょうか。不思議です。

さて、鶴見川の土手の桜並木は如何でしょうか。

20083sakura_004  この土手の桜並木は未だ、殆ど咲いていませんね。私が、一週間後に帰るまでは持ちこたえそうな雰囲気です。

しかし、一方でもう二分程度咲き始めた土手の桜もありました。

20083sakura_003 20083sakura_002  こちらの土手の桜は咲き始めていますね。一週間後には散っているでしょうか。

無錫、蘇州の桜は咲いているのだろうか、楽しみです。出来れば太湖のほとりの桜、蘇州の桜を眺めてみたいものです。

 桜と言えば入学式ですね。私の小学校は北河内郡招堤村の殿山第二小学校でしたね。半世紀以上も前の頃です。

 小学校入学式記念写真(殿山第二小学校校庭)

 それでは、暫く失礼します。

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鹿島神宮に関するメモ

 先日先輩である福永さんより譲り受けた、宮元健次先生の”神社の系譜”の本で記述された鹿島神宮に関する内容についてメモを記しておきます。

鹿島と言えば、サッカーの鹿島アントラーズですね、マスコットは鹿です、これも鹿島神宮とは関係が深い動物ですね。サッカーは意外と、日本神道と関係が深いのは御存じでせうか。日本サッカー連盟のシンボルは三本足のカラス、そうです八咫烏(やたがらす)ですね。神武天皇東征の海上の道案内をした賢いカラスです。

 ・常陸(ひたち)の国に存在する最古の神社の一つである。常陸とは常世(とこよ)の国であるという意味である。ヒタチと読ませるのは日立、即ち太陽が昇る国である事を意味する。

 ・古事記によれば、鹿島神宮の祭神である、建御雷神(たけみかずちのかみ)が香取神宮の祭神である天鳥船神(あまのとりふねのかみ)と共に地上に降り立ち、地上を支配していた建御名方神(たけみなかたのかみ)と相撲をとり、負けた建御名方神は諏訪に逃げて国を譲ったという。勝者の建御雷神は鹿島神宮に祭られ、敗者の建御名方神は諏訪神社に祭られたという。

 ・日本書紀では建御雷が武甕槌神と記述され、天鳥船神が経津主神(ふつぬしのかみ)と記述されている。天鳥船神(古事記)=経津主神(日本書紀)の神は鹿島神宮の傍の香取神宮に祭神として祭られています。ヤマト王権成立の立役者である。

 ・鹿島神宮の本殿は北向きという異常である、御神体は東を向いている。出雲大社の本殿は南向き、御神体は日没方向の西を向いている。鹿島神宮と正反対である。敗者の諏訪神社と鹿島神宮は同一緯度上に存在し鹿島神宮の地は常世であり、陽が昇る場所であり、諏訪は太陽が沈む黄泉の国である。

 ・この関係はヤマト王権の神であるアマテラスを祭る伊勢神宮が東にあり、国を譲った大国主を祭る出雲大社が西にあるのと同様の関係である。

 ・息栖神社(いきすじんじゃ)という神社が鹿島神宮の真南9キロにあるそうだ。この神社の真西9キロに香取神宮うが存在し、息栖神社を角に奇麗な二等辺三角形をしている。参考ブログ 三神社の位置関係 宮元先生はこの配置を、”息栖神社は祭神五柱の一つに天鳥船を祀っているが、鹿島、香取に祀られた英雄二神と、その乗り物である船の三つが水上交通の要衝である利根川を囲むように配されている。” と述べておられます。

 ・鹿島第一の神宝は甕山(みかやま)という塚であるらしい。1967年に発掘されたそうですが、甕や皿、杯などの祭祀器具が仰山発掘されたそうだ。かつて甕山は海に浮かぶ島であったそうで、神代の頃より甕が置かれていたそうだ。朝廷よりの使者はここを訪れ祝詞を献ずる風習があったそうだ。この甕にちなんで、甕島と呼ばれ鹿島の語源となったそうだ。

 (私の感想)

 ・鹿島神宮と言うと鎌足を思い出します。彼はここで生まれ育ち、飛鳥の中央政界に繰り出した訳ですよね。中臣氏の拠点がこの鹿島神宮ではないでしょうか。その後、藤原氏の姓を賜り、春日山にこの鹿島神宮を藤原氏は招聘する、それが春日神社です。

 ・古代5世紀の雄略天皇の時代には、既に利根川上流の埼玉県行田にある埼玉稲荷山古墳から出土した鉄剣が有名ですね。上流の地域の豪族は既にヤマト朝廷に仕えていた訳です。ヤマト朝廷にとりこの利根川水系の首根っこを抑えるのは重要だったのでしょうね。

 ・気になるのは、房総半島を早くに抑えた阿波忌部氏の水軍です。中臣氏と同じく朝廷の祭祀を司った忌部氏は和歌山、熊野、尾張と海上ルートを抑えており、房総半島にも拠点を築いていた。現在、安房と書いてアワと読ませるのは、阿波忌部氏の拠点だったからですね。

 (参考過去記事)

鎌足の父は鹿島神宮の祭祀であり、常陸国で生まれたと言われる。鹿島神宮は東国開拓 に功のあった、タケミカズチ命を祭っている。何故に出雲を倒したタケミカズチが常陸の 鹿島神宮に居を構えたか? 大和朝廷の東国の軍事拠点だったんでしょうね。 鹿島神宮 ...

2.JoBlog: May 2005

実は最近気になるのが、鹿島神宮と埼玉古墳群の稲荷山古墳そして、群馬県から栃木県 の上野(こうずけ)、下野(しもつけ)の毛野氏の古代 ... 関東に於けるヤマト朝廷の 拠点は鹿島灘の鹿島神宮と埼玉県の行田の埼玉古墳群の場所であったと想定されます。 ...
確か、昔、鹿島神宮を調査していた時に船で九州の防人として出陣する兵士の話を知り ました。 (萬葉集とは?) この言葉の意味について、昔、調べた事があります。数年前 に大神神社主催のセミナーが東京であり、中西進先生が講演されたのを聴きました。 ...

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今何故 坂の上の雲か

 今日の夜、NHKでは 坂の上の雲 の特番をやるようですね。どうやら、本格的に撮影が進んでいるのでしょうね。今日は番宣番組というか、2009年から3年に渡りNHKが総力を挙げて放映する番組の紹介ではないだろうか。

 参考 NHK坂の上の雲 クランクイン

 最近、自衛隊の不祥事が連続している訳ですが、明治の頃の海軍の精神構造について司馬さんは暖かい目で見ておられました。四国の名もない秋山兄弟と正岡子規の三人の若者の精神を通して明治という時代の社会を描いた作品ですよね。

振りかえると、私もこの作品については沢山記事を書きましたね。

さて、昨年、久しぶりに又、”坂の上の雲”を読みました。語り部(昭和の稗田の阿礼) 司馬さんは松山出身の二人の兄弟の目を通して明治の日本の叙事詩を語った。司馬さん はNHKの番組によく顔を出されていましたが、著作物以上に彼の語りが好きでした。 ...
しかし、”坂の上の雲”では日本海海戦の模様を詳細に描かれた。 (丁字戦法). ロシア艦隊 は対馬海峡を北上している、沖ノ島の近くである旗艦スワロフを先頭に縦2列の変則隊列。 日本の連合艦隊は旗艦三笠を先頭に南下する。私は何時も不思議なのは一番偉い ...
私は司馬さんの”坂の上の雲”日本海海戦の記述の中で感動をうけたシーンが有ります。 連合艦隊指令長官が誤判断をして全軍に指示を出した、しかしその判断は間違いであると 判断した、第二戦隊司令長官と参謀は命令無視をした行動です。 ...
以上は一部の過去記事ですが、是非一度か二度は読まれる事をお勧めします。今、欠けているのは青雲の志しではないでしょうか。ベトナム、中国を訪れると坂の上の雲の雰囲気を感じるのは私だけでは無いと思います。
 NHKは以前、街道をゆく、を番組化しましたが、私の感想では失敗だったと感じています。司馬さんの、関西人独特の味を出すことが出来なかったのではないでしょうか。余りにも、真剣に取り組み過ぎた感想です。
坂の上の雲は作者は終世、ドラマや映画化を拒否してきたと聞いています。本を読めばこれは実は反戦の精神で貫かれているのですが、演出如何のより戦争讃美に連なる事を懸念されたからだと思います。
 来年から放映が始まる、坂の上の雲、本当に楽しみにしています。
 
 

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又、寒くなりましたね

 昨日あたりから急に又、寒くなりました。息子のオーバーコートは二枚とも洗濯屋さんに出してしまっているので、今日は寒いのにコート無しで追い出しました。私のコートも既に洗濯屋さんですが、幸い義父から貰ったコートがあったので、其れを着て出かけた。

 (真央ちゃん、中野頑張る)

 昨夜のフィギャースケートのSPでは残念ながら、イタリアの女性に負けて2位でしたが、今日の早朝のフリーで優勝です。最初のトリプルアクセルで豪快な転倒をしてしまったのに、本当によく頑張りました。壁に衝突する転倒だったのに凄いと思います。サッカーも格闘技だけど、フィギャーも格闘技ではないかと思いましたね。

 中野友加里さんも頑張りました、残念ながら4位でしたが、二年後のオリンピックではメダルが狙えるのではないだろうか。韓国美人の17歳のキム・ヨナちゃんは体調が今ひとつなんでしょうね。しかし、転倒しても優勝出来る真央ちゃんの実力は並外れているんでしょうね。爺さんが女子フィギャーの感想を書くのは恥ずかしいけど、けど良かった。

 (桜は日曜に咲くか)

 予報では、この日曜日に咲くらしい。けど、この連日の寒さで大丈夫なんだろうか。大倉山の桜を眺めていると、未だ大きな蕾の状態である。私が無錫、蘇州、上海と旅をしてる間に満開になってしまうのだろうか。出来れば、帰国するまで満開になるのは待って欲しいものですね。

自宅の近くの鶴見川土手には沢山の桜並木があります。あまり知られていないので、穴場なんですが帰国まで是非、桜の花が散らないように期待しています。

 (合肥の関係者と会う)

 先日、南京のまだ西の内陸部にある合肥で会社を経営している人々と会う機会がありました。合肥というと三国志を思い出しますね、呉の孫権が居城するのは南京ですよね、魏はこの合肥に前線基地を作り戦いを挑んだわけですね。参考 合肥・南京地図

中国の人と会うと、仕事の話よりも歴史の話に逸れてしまうのが、楽しいです。日本人はホンマ良く中国の古代史に詳しいですね~~と、褒められます。そうなんです、日本は古代から沢山教えて貰った歴史がありますとね。

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冷たい雨 三ッ沢球技場

 マイフォト 冷たい雨の 三ッ沢球技場

 マイビデオ 2008年3月 横浜マリノスの戦い(1)

「20083marinos1.wmv」をダウンロード

 マイビデオ 2008年3月 横浜マリノスの戦い(2)

「20083marinos2.wmv」をダウンロード

 今日は朝から冷たい雨である。午後1時過ぎに息子と家内と私の三人でサッカー観戦に出かけた。冷たい雨の中新横浜まで歩き、地下鉄で三ッ沢上町駅で下車、サポータの後ろについて、スタジアムに向かった。

正面のいい席でしたね、しかし冷たい雨が降るし、風も吹くし、ビチョビチョになってしまった。マリノスの応援席は凄まじい元気もりもり、一方、大分トリニータの応援席はガラガラだけど、少ない人数でも頑張って応援していました。

 前半の試合を見る限り、大分の方が優位のような感じでした。目の前で選手が激しくぶっつかり合うのは迫力がありますね。サッカーはまさに、格闘技だと思いますね。大分は南米風のサッカーではないだろうか、体格の良い選手が多いし、南米風の外国選手も多く上手だな~~と感心して見ていました。

 ただ、大分のユニフォームはラグビーのチームのようなデザインと柄であり、何か違和感を感じます。その点、マリノスは爽やかなブルーで統一されており、品がありますね。

 雨も激しくなり、寒さに耐えかねて遂に、前半だけで球場をあとにしました。結果はマリノスが1対0で勝った事をその後知りました。

 サッカーの試合を現場で初めて観戦したのは、韓国でのワールドカップ開会式の試合でした。突然にチケットが入り前日にソウルに一人で飛んで行きました。フランスとセネガルの試合でしたが、感動の試合でフランスが負けたのです。セネガルの選手は全力を出し切り試合終了の笛とともに殆ど全員がグラウンドに倒れ込みました。

これで、サッカーのファンとなってしまいましたね。

 今日は結婚記念日です、寒いので鍋でも家族三人で囲みたいと思います。熱燗でね。

 

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明日はサッカー観戦

 突然に家内の知り合いの人が夜中に電話があり、明日の三ッ沢球技場でのサッカーのチケット三枚余ったという話が舞い込む。SS席招待のいい席だそうです、グッズ&フードのチケットもついていた。

 明日は、地元、横浜 Fマリノスと大分トリニータの試合です。雨が心配ですが、午後は晴れる事を期待します。3時から試合予定ですね。前列で騒いでいる爺さんがいたら、私です。

 (明日は結婚記念日)

 34年目くらいになるのではないだろうか。随分と月日が過ぎたものだと思う。見合で結婚し子供が三人生まれ、何とか育った。幸い誰も病気にはならず、元気で育ってくれたのが幸いです。しかし、三人も育てると随分と金もかかったような気がする。

結婚式は大阪桜の宮会館という、市職員が利用する安い会館で簡素な結婚式でした。仲人は大学の恩師の則武先生でしたね。新婚旅行は大阪から船に乗り瀬戸内海を九州に向かった。別府から湯布院に入り熊本、宮崎、高千穂にも行きましたね。所謂、南九州の旅でした。

 あれから、34年も過ぎてしまったんですね。

 子供達も成長し、私達は随分と歳をとってしまいましたね。今年は62歳になります。あと何年元気にしておれるでしょうね。元気なうちに、世界中観ておかねばなりませんね。まだまだ、未踏の地ばかりです。

と、言う訳で結婚記念日は貰いもののサッカーの切符を持って三ッ沢球技場に出かけてきます。

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古代華僑の活躍

  出雲にお住まいの方が以前、私のブログにコメントを頂きました。最近、彼のブログを興味を持って読んでおります。

 いずものこころ 古代出雲”不思議な王国”の謎シリーズ

 私も岡田英弘先生の”倭国”を読んで以来、古代において中国の華僑が日本列島で活躍したのではないかと想像するようになっています。”いずものこころ”ブログでは出雲を中心にこの仮説を状況証拠を取り上げながら、しっかりとした論考を進められているのに感銘した次第です。

 中国の歴史書から読み解く朝鮮半島の歴史から、日本列島を想像するアプローチは重要と考えるようになりました。紀元前4世紀の頃から中国の歴史書には朝鮮半島への進出の歴史が刻まれています。

先ず、燕が朝鮮半島に進出し原住民であったツングース系の人々と交流が始まった。そして、秦が中国を統一し朝鮮半島まで影響力を行使する。そして、漢王朝が本格的に朝鮮半島を支配下に置くわけですね。楽浪郡、帯方郡の時代です。

 中国商人が貿易出来るように交易路を開拓し、彼らの保護をする軍隊が駐屯し関所を設け城郭都市を建設した。その先端は洛東江の河口である釜山まで来ていた訳ですよね。日本列島に影響が無かった訳がないと考える方が素直な考え方ではないでしょうか。

 従来、古代に於いて、朝鮮半島系の人々が沢山日本に渡来し多くの先端文化、文明をもたらしたと学んできました。しいかし、その人々は純粋なツングース系の朝鮮半島の人々だけではなく、むしろ中国人と混血した人々および、純粋な中国人であった可能性が高いと考えられないでしょうか。

 秦氏や漢氏という古代の豪族グループは名前からして、故郷の中国を意識した名前ではないでしょうか。

いずものこころを読んでいると、今までと違う側面から日本の古代史が見えてくる気がしています。

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桂林紀行の思い出

 来週は無錫、蘇州、上海と旅をするわけですが、蘇州の写真を眺めていると2002年の正月に旅をした桂林紀行を思い出した。

○桂林紀行 2004/3/20

○桂林舟遊び 2004/3/20

○桂林紀行 続編 2004/4/9

○少数民族 2004/4/9

○桂林紀行(続編) 2004/4/9

 写真を最大に拡大して観て下さい、この世とは思えない不思議な世界です。中国という国は巨大な国です。この水墨画の世界に又、出会いたいと思います。

 グーグルアース 桂林川下り(予めグーグルアースをインストール必要)

「keirin1.kmz」をダウンロード 璃河船旅写真集

グーグルアースの写真で川の上下を辿りますと、奇麗な水墨画の写真が鑑賞できます。是非、暇な時間に観て下さい。 カメラのマークをクリックすると写真が観れます。

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テレビ番組 宇宙船・地球探検

 昨夜も一人で暇なので、夜、テレビをボ~~と眺めていた。面白い番組がありましたね。皆さんも観られた方が多いと思いますが、感想を述べます。

 (宇宙船 地球探検)

 今回はグーグルアースについての取材番組でした。グーグルは今や売上1兆8千億円の企業に成長していますが、メデイア企業として面白いと思いました。ソーラーパネルで電力の30%程度をカバーしたり、食堂で使う食材は半径250マイル以内に限るというフードマイレージを意識しているとか、メデイア企業のあるべき姿を提示していましたね。

 感動したのは、女性社員が自分が住むシリコンバレーから1時間程度南下したモントレー、カーメルという山のセコイアの群生林を伐採から守った話でした。この場所は懐かしく私も仕事で一時期別荘を借りて住んでいた経験があります。樹齢千年を超えるセコイアの森なのですね。

 突然に水道局からセコイアの森を伐採する通知を受け、彼女達は立ち上がりました。空中から撮影し、三次元画像に張りつける作業をやったようです。カリフォルニアの法律では2500エーカー以上の森は伐採禁止の法律を盾に、彼女達は最新のグーグルのコンピュータ技術を駆使し2750エーカーである事実を証明したそうだ。

自分達の仕事は何の為にやっているのか、グーグルアースは何の役に立つのか、企業の存立の基本に触れる話でした。

 私はブログでグーグルアースを多用していますが、不満もあります、私が好きな奈良などは殆ど写真が無く、古墳の検索が出来ない。又、信州の山を紹介したいのに殆ど詳細な画像がないのです。都内の写真は車まで見えるのに、奈良のお寺も古墳所有者も山小屋の親爺もグーグルに広告費用を払わないから、詳細写真が無いのかと、勘ぐってしまう。

 グーグルは広告で成り立っている会社ですから、どうしても儲かる方に会社は行くのでしょうが、一方で昨夜のような地球の環境問題に真剣に従業員が取り組んでいる姿勢も大事にするバランスが優れた企業にしているのではないだろうか。

 (自国のグーグルアース)

 グーグルアースの限界は国の国防と密接に関係していますのでどうしても軍需基地は非公開になるでしょうし、アメリカの会社とNASAの情報だけでは限界があります。やはり、自国の航空写真は自国の手で作らねば駄目ではないだろうか。

国土地理院も航空写真と合成した三次元日本地図を作成してくれないでしょうかね。特に日本アルプスとか奈良の古墳地帯です。山に登る人も携帯端末を持って登りGPSで自分の位置と三次元地図で場所を確認出来れば遭難も少なくならないでしょうかね。

 そして、皆さん写真を撮影して貰い最新の四季の画像を作成すれば、自然の観察もより深くなるような気がします。環境破壊が何処まで進んでいるか、日本の山は今どう窮地に立っているか、色んな事が判るのではないでしょうか。

海の中のグーグルアースは未だ開発されていませんね、海の三次元画像があれば面白いと思います、地球温暖化の進行状態も観察できるのではないでしょうか。

 色々と、考えさせる番組でした。

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絵を飾った

20082shinzaburo_takeda_018  竹田画伯の絵の梱包を解き、息子の部屋に飾った。大きな絵ですね、迫力があります。

息子は今日は沖縄に出かけて留守です、勝手に部屋に入り絵を飾った。地震で落下すると息子のベッドの頭の上に確実に落ちますね。

これで、落ちつきました。これは、先生の名画のうちの名画でしょうね、娘の宝物になりました。

20082shinzaburo_takeda_022  今日も私は一人で生活しています。京都、大阪に連絡すると家内は元気で仕事をしている様子です。妹さんと二人で仲良く、朝は喫茶店のモーニングコーヒー、昼は美味しいお店を妹が探し家内を連れていってくれている様子です。先日は深夜2時までお父さんと仕事をしていたそうです。

 (ベトナム関係の仕事)

 昨日からベトナムとの交信が頻繁です。忙しい時は忙しくなるものですね。ベトナムでお世話になった大学の副学長さんからメールです。私が無錫、上海に行く期間に日本に学会で来られるそうで、彼は29日朝にベトナムに帰る予定を変更し1日延ばして貰う話をしている。私は29日に帰国予定ですが、是非ともお会いしたいので交渉中。

 過去記事 ベトナムの家庭に招待されるの巻

 過去記事 旧正月に招待される

 という訳で、鬼の居ぬ間に遊び呆ける積りでしたが、仕事が急に発生し資料作成と段取りの為の通信メールで謀殺されてしまった。

 (横浜は初夏の季節)

 もう横浜は初夏の気候です、外にでるとポカポカ天気です。遂に春が来ましたね、これからふくよかな季節、昼寝の季節が到来です。桜もそろそろでしょうか、上野の花見の音楽界も4月に入れば予定されています。楽しみが多い季節到来ですね。

 さて、今日の大河ドラマはどうなるのでしょうか。尚五郎はんとの別れですね。この前の萩紀行で教えてもらったのですが、尚五郎はんはその後薩摩藩の家老になるのですが、明治政府の要請で首相になる予定が直前に死んでしまい、残念ながら首相にはならなかったそうですね。

当時は長州と薩摩が交互に首相をだしていたそうです。年末の篤姫では西郷さんとの交渉、尚五郎家老との交渉が待ち受けているのですよね。幕末動乱の時代の人間模様は面白いです。

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漢詩の世界

 今回の無錫旅情では蘇州を訪れる予定です。蘇州と言えば寒山寺ですね。私のおじさんは戦前に15年間上海で日本の有名な製薬会社の代表として生活されていた。高校生の時代に東京の自宅を訪問した時に張継の漢詩の掛け軸が飾ってありました。

 楓橋夜泊(ふうきょう やはく)  張継

月落烏啼霜満天

江楓漁火対愁眠

姑蘇城外寒山寺

夜半鐘声到客船

 寒山寺は蘇州、唐の時代の素晴らしい詩だと思います、当時の高校生にとり一番好きで愛唱していた詩でしたね。

月落ち、カラス鳴き、霜天に満つ

こうふう りょうか しゅうみんに対す

こそ 城外の 寒山寺

夜半の しょうせい かくせんに 至る

 蘇州の運河にかかる太鼓橋のたもとで船を浮かべ仮眠をとっている。なかなか眠れない夜であった。もう月も落ち烏が鳴いている。霜は天に満ちてまっ白である。運河沿いの楓の葉は風に揺れ、漁火が寝付かれぬ目に揺れている。一体今何時ころだろうかとまどろんでいると、姑蘇の町はずれの寒山寺の鐘の音がご~~~んと聞こえてくるではないか。

 大阪府立寝屋川高校時代の話ですね。昭和38年の頃でしょうか。掛け軸を眺めながら感激して張継の詩を声をあげて詠んでいると、おじさんが驚いていました。あれから45年以上も過ぎて今度、その蘇州を訪れる事が出来るのだ。

若い頃は漢詩と古文だけは一生懸命勉強する事を勧めますね。だらだらとした文章ではなく簡潔でいいたい事を詩的に表現できる訓練が出来ると考えています。これが、大人になってから威力を発揮する。ビジネスの世界でも簡潔明瞭に心を伝える事が一番重要なんですね。

参考 グーグルアース航空写真 寒山寺(予めグーグルアースインストール必要)

「kanzanji.kmz」をダウンロード

 楓橋夜泊 現場(写真があります)

「syunn-bou-kanshi.kmz」をダウンロード

 (杜甫 春望)

 春望    杜甫

 国破山河在 くに破れて山河あり

 城春草木深 城春にしてそうもく深し

 感時花濺涙 時に感じては 花にも涙を注ぎ

 恨別鳥驚心 別れを恨んでは 鳥にも心を驚かす

 烽火連三月 烽火さんげつに 連なり

 家書抵萬金 かしょ ばんきんに あたる

 白頭掻更短 白頭かけば 更にみじかく

 渾欲不勝簪 すべて しんにたえざらんと 欲す

 杜甫46歳の晩年ですね、安禄山の乱で長安は荒廃に喫している、変わらないのは自然だけだ、平和な時と同じく長安の都には花が咲いているが、今は涙が出てくるのみだ。鳥の鳴き声に風流を感じる筈が今は不安で驚かされる自分である。三か月に及ぶ戦火により都はめちゃめちゃだ、家族らの手紙は貴重である。頭の毛は無くなり、役人はかんざしさえ刺せないほど老いてしまった。

 この杜甫の詩は誰でも愛唱されたでしょうね。大戦の廃墟で生まれた私の人生もこの杜甫の詩から始まったと思います。

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今日は朝から雨

 朝8時半頃に仕事で新宿に出るので外にでると雨ではないですか。傘をとりに部屋に戻るのも面倒だし、春雨じゃ~、濡れてゆこう~~、と、風流にチャリに乗り大倉山の駅に向かった。結構雨は激しくなり、濡れるではないか、スピードを出した方が濡れないかゆっくりチャリを漕げば濡れが少ないか何時も迷うのですね。

ここは、時間軸tが関係するのでしょうが、アレコレ考えながらチャリを漕ぐ。

 ゆっくり漕げば上からの雨には沢山濡れるけど、自分の進行方向からの横殴りの雨には軽減される。しかし、速度を上げれば上からの雨は少なくなるように思うが、前方からの雨は仰山かぶるような感じがする。これ、地球物理学か航空工学か判らんけど、どうすれば雨の被害を最小限にする事が出来るのだろうか。

オホーツクのてっちゃんは確か応用物理の専門家だったようだから、今度訊いてみよう。なんて考えながらチャリで大倉山駅を目指した。(ほんの僅かな手間で、傘をとりに帰ればベストなんでしょうがね)

 (笠、傘について)

 さて、笠というと頭に被るものですよね。能登紀行の輪島で長女が被るのが笠ですよね。 参考記事と写真 みさよと笠

 傘は頭にかざすものです。高松塚古墳の壁画にもある貴人にかざす傘ですよね。最近ではアメリカが日本にかざしている”核の傘”、自分で核を持つと”核の笠”となります。本当でしょうかね、確信はありません。

稲作文明の土地では蓑笠というのがありますね、子供の頃の北河内郡大字招堤村のお百姓さんは被っておられました。参考 蓑笠

そういえば、道中笠というのもありますね、木枯らし紋次郎のスタイルですね。参考 道中笠

私が好きな女性の笠は市女笠(いちめがさ)ですね。参考 市女笠 貴婦人が笠の周りに絹のカーテンをつけた衣装です。こんな姿をした女性がいると素晴らしいですよね。

 今でも、鄙な温泉宿に行くと番傘がありますが、油紙を貼った多少重いけど風情がありいいものですよね。最近は都内では番傘をさしてる人は見かけなくなりました。

 

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桜が散り始めました

20082shinzaburo_takeda_013  今日チャリで大倉山駅に向かう道で桜が散り始めているのを見つけました。これは、噂に聞く河津桜なんでしょうか。信州の合宿の帰り道の東名高速道路で松田近辺で河津桜が満開の場所を見つけました。

しかし、身近な自宅から徒歩2~3分の場所にこんな桜が存在したとは驚きです。まさか梅ではないでしょうね。

20082shinzaburo_takeda_014 三四本の桜の木が満開で散り始めているのです。これは決して昨年の桜の花ではありません。

今日は午後から仕事でしたので、早朝に息子の弁当を作り、朝食を用意し追い出し、息子と私の布団を干してデスクワーク。そして、洗濯をして、ブログも書いて昼飯を作り仕事に出かけた。ホンマ、家内が大阪の義父の事務所が猫の手を借りたいそうなので、出稼ぎにでかけている。

 義父の事務所兼別宅は大阪の下町にあり、江戸時代の長屋のような倒壊寸前のような事務所なのだ。そこの二階で家内は住みこみで働いているそうだ。夜中には天井を鼠が運動会をするという。

それに比較すれば、息子の世話程度は簡単な事であります。暫くは、家事・洗濯・掃除・ゴミ出し、弁当作成は私の仕事です。

 鬼がいぬまに、鹿島神宮と香取大社でも取材にゆきたいのですが、24日から無錫旅情が待っているので、仕事も詰まっている。週末は仕事で謀殺されるでしょうね。

日本に帰国する頃には桜は満開だろうな~~。無錫、上海には桜はあるんでしょうね。ひょっとすると、太湖のほとりで満開の桜を楽しめるかもしれない。(ワクワク)

 

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最近の中国無錫事情

 昨年秋頃から同期の友人の依頼で中国は太湖近くの無錫市との関連仕事のお手伝いをしています。昨年末に初めて無錫を訪問しましたが、今月末に又訪問する可能性がでてきました。

 過去記事 無錫から戻りました

 過去記事 無錫料理

 (無錫市の企業誘致)

 無錫市は古くから日本企業の製造業は進出しており上海、南京の中間地点として工業化が進んでいる豊かな地域な様子ですね。経済特別区にはIT関連企業の誘致であるとか、最近は海外留学生の帰国を促しベンチャー企業を起こさせる数々のプログラムを政府は提示している。

 市政府は金持ちで企業進出したくなるような魅力的な誘致策を大胆に打ち出しています。企業誘致で大事な人材の教育と確保についても、極めて具体的な方策を打ち出しています。今や、中国各地では経済発展の過酷な誘致合戦競争が繰り広げられているのでしょうね。

中国の人は私の印象は合理的であり柔軟な考えを持っているという印象です。現実を大事にする風土があるのでしょうね。

 経済特別区の政策は大胆であり、IT関連企業誘致が重要と考えると3年で200社60万人の雇用を創出するような、日本では考えられないような施策を打ち出しますね。スピードが日本とは雲泥の差のように思います。日本でこのような施策を提案すれば、根拠の無い眉つばと罵られそうですが、こちらでは当たり前のようですよ。

 海外の大学、大学院で勉強し実務経験ある起業家に対しては今回の施策では、5年で30社のベンチャー企業を立ち上げる計画も挑戦的ですね。その為の人、モノ、金及びインフラの整備も着々と進めている。未来に対する人材への投資も大胆であります。

さて、日本の地域活性化と比較すると、地方自治体は金が無いのが現実ではないでしょうか。無錫市は特別金がある自治体なので、簡単には比較できないかもしれませんが、政策に夢があるように感じられますね。

 日本では相変わらず、道路財源でもめていますね、道路計画だけが存在しても地域は豊かにならないのと違いますかね。道路はインフラの一部であり、何より大事なのはユニークな経済発展の拠点を作ることではないでしょうか。その原動力は人材ですよね。

起業精神溢れる若者を集め、教育機関を充実し切磋琢磨出来る環境整備が一番重要と考えていますが、それが難しいと思います。

 (長江流域文明圏)

 私は今回の仕事はそれなりに人材育成の関連仕事なので、興味があるのですが、それ以上に興味があるのは長江流域の古代文化、文明についての勉強です。長江中流・下流域は黄河文明よりも早くに文明が開化した地域と考えています。

時間があれば、沢山の最新の発掘現場を見学したいと考えています。

 参考過去記事 良渚文明御存じですか?

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赤とんぼYouTube御紹介

 最近の赤とんぼのフライト模様について素材をYouTubeにかっちん殿が登録されています。左サイドバーの中ほどに設置しましたので、暇な時に馬鹿な親爺どものフライト風景を眺めてコーヒーでも飲んでくつろいで下さい。

 赤とんぼ 動画集YouTube

全部で18本が登録されています。非公開映像は沢山あるのですが、音楽著作権の問題があり公開できません。

 昨年秋合宿のDVDはかっちんが素晴らしい作品にしてくれました、約1時間の作品ですが、編集が素晴らしく感動の映画となりました。残念ながら音楽著作権の問題があり公開は出来ないのが残念ですね。

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メキシコの民話と絵本

 メキシコ在住40年の竹田鎮三郎画伯と清水たま子絵本作家のお二人は、幾つかの素晴らしい絵本を出されています。手元には三冊の福音館書店から出版された絵本があります。メキシコの少数民族に残る民話とか言い伝え、そのような話が原型として作品となっているようですね。

 文章はたま子さんが担当し、絵は鎮三郎さんが描かれておられます。二人の息のあった感動の絵本となっています。共通のテーマは人間という生き物は自然に生かされているという教えではないだろうか。

20082shinzaburo_takeda_010  (カエルの およめさん)

 この絵本はメキシコ・ミヘ族の民話がベースとなっているようです。王さまの三人息子が王さまの言いつけで、嫁探しの旅に出て末っ子が見つけて来たのは小さなカエルという話です。

ところが、この小さなカエルは料理も酒も魔法の如く作り最後はサボテンの実の中に入り奇麗な人間のお嫁さんに変身するお話です。ミヘ族の言い伝えは、大事な料理方法も酒造りも周りの動物達から教えて貰った事を伝えているのでしょうね。

20082shinzaburo_takeda_012  (チャマコとみつあみの馬)

 この絵本はメキシコ・ミステカ族の民話をベースにされた作品です。

乱暴者の子供のチャマコという男の子がドエンデという神様に動物達との兄弟になる重要性を教えられる話です。猪や七面鳥やオウム達と仲良くなりなさい、人間は動物達に助けられて生きて行く話です。

千年前に神の罰として大洪水が起こり、牛も馬も流され、大地は乾き、マンゴは稔らなくなった。生きているものは、動物も花も木も皆兄弟 兄弟とともに 生きる限り我々は滅びないという話です。

20082shinzaburo_takeda_011  (ロバのつくった道)

 メキシコにはロバの日というのがあります。お二人が住んで居られる場所はオアハカという田舎町のまだ田舎の自然に囲まれた鄙な場所です。メキシコ在住40年以上です、ポツンと存在していた自宅の前のロバの道もこの40年で随分と変化したのですね。

 今や舗装された道路に変わり、バスが走るように便利になりました。しかし、大洪水が起こると道路は寸断され、元の陸の孤島となるのです。その時はロバが薬品や医者を乗せて助けに来てくれる。ロバの道は生きているのですね。

 竹田鎮三郎画伯の描かれる絵や版画の根底にある精神が絵本という言葉と絵で解説されているように感じています。子供向けの本は本当に怖い作業だと思います。批判精神の無い子供を対象にする本や絵は責任重大でしょうね。

 (月岡貞夫さんとの出会い)

 竹田画伯と二晩、画伯の自宅兼アトリエで秘蔵のメスカルを御馳走になりました。私はお話を聴いていると昔仕事で出会う事が出来た月岡貞夫さんを思い出していました。どこか根底に通じるモノを感じました。

月岡さん、同僚の梶山君とアジアの民話を集めアニメーション番組をテレビで連載しようというプロジェクトを進めていた頃を思い出しました。台湾の山岳民族、フィリピンまで出かけ取材旅行をした事があります。残念ながらプロジェクトは実現しませんでしたが、民話に残されたものは今も呪術的に人々の心を支配していると思います。

 かぐや姫伝説は遥か南方のフィリピンに存在している事に驚愕したり、動物との触れ合いの民話は海を媒介として同じテーマのものがアジアには存在している事を身を持って体験しました。

竹田画伯、月岡貞夫さんと出会えた事は本当に幸せだったと感謝しています。

 参考過去記事 月岡貞夫さんとの出会い

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「ぼくらは此々にやってきた」

20082shinzaburo_takeda_005 先日、メキシコ在住の娘から連絡があり、師匠の竹田鎮三郎(たけだ しんざぶろう)画伯の油絵をラッキーにも手に入れたと連絡がありました。数日後、梱包された大きな油絵が届いた。

20082shinzaburo_takeda_006  「ぼくらは此々にやってきた」

 1983年 制作作品

 120cm X 80cm

 作者: 竹田鎮三郎

  竹田画伯については昨年のメキシコ紀行にて初めてお目にかかった画伯ですが、現在娘がオアハカの美術大学でお世話になっています。

参考過去記事 死者の日の祭壇

 竹田画伯は東京芸大油絵学科を卒業したあと、北川民次画伯を師と仰ぎ大きな影響を受けられたと聞く。その後、メキシコに渡りもう40年以上メキシコに永住されている画家さんです。こよなくオアハカを愛し、土地の精霊に守られながらも日本人の縄文時代以前から大事にしていた精神的なモノを大事にされています。

 手元に、娘が大事にしている北川民次画伯の版画全集があります。

20082shinzaburo_takeda_001 20082shinzaburo_takeda_002

 民次画伯もメキシコを愛した画家だったようですね、素朴な温かみのある純朴な気持ちにさせる絵ではないでしょうか。

 竹田先生とどこか精神的にも共通するところがあるように感じています。

竹田先生も40年以上前の日本の画壇がヨーロッパ風の抽象画全盛に嫌気がさし、メキシコに渡ったと聞いています。岡本太郎画伯もメキシコの素晴らしい風土と絵画に感動され大きな影響を受けたのも皆さんご存じですね。

20082shinzaburo_takeda_007 20082shinzaburo_takeda_008  インデイオの祭り画集からの二枚の油絵を紹介しますが、先生が48歳頃の作品です。

娘が手に入れた作品も竹田画伯の30歳代の代表的作品であると思います。大きな迫力ある絵ですが、しばらくは横浜の我が家の息子の部屋に飾る事にしました。

 設置が終われば又、記事を書きたいと思います。

 参考文献 

 

 ・竹田鎮三郎 画歴

 ・メキシコの息吹

 ・Indigo Arts

 ・絵本断片

 ・油絵紹介

 ・Art of Oaxaca

  ・Humboldt State UNiv.

 

そのうち、又、画伯愛蔵のメスカルを飲みにオアハカを訪問したいと思います。

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2008年 冬合宿無事終了

20082fuyugattssyuku_054  2008年度 赤とんぼ冬合宿は無事終了しました。

今年は豪雪と初日は吹雪に見舞われましたが、二日目は幸運にも快晴に恵まれ楽しい冬合宿となりました。9名の参加となり賑やかな夜の宴会は盛り上がりをみせた合宿でした。

20082fuyugattssyuku_058  今回横浜組は横浜から東名高速で三島に向い、管理人の自宅を訪問し富士川に住む清ちゃんの自宅迄二台の車で向い、わこちゃんのベンツを置き去りにして、管理人の車1台に5人が乗り遠足気分で一路、岩岳を目指した。

20082fuyugattssyuku_006 霧降高原から眺める霊峰富士は思わず、拝みたくなるお姿であります。日本という国は富士山という霊峰を持ち本当に幸せと思いますね。

 何時までも右手に霊峰富士を眺めながら一路甲斐の国経由で信州を目指した。

20082fuyugattssyuku_039  初日こそ吹雪で、私一人が飛行機を飛ばしましたが、二日目は快晴に恵まれ充実した飛行会を楽しめました。又、二日目午後はスキーを楽しむグループもあり皆さん充実した合宿となったのではないでしょうか。

残念ながら、三浦さんは土曜日の夕方からの参加となりましたが、楽しい宴会には参加出来て良かったと思います。

宴会では、昨年秋合宿の記録映像を編集し、かっちんが感動的な1時間の記録映画をDVDにして全員に配ってくれました。本当に感動する映画でした。

 取り急ぎ速報でした。

 マイフォト 赤とんぼ2008年度冬合宿記録写真集

  わこちゃん 赤とんぼホームページ

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オバマ御縁 地域興し

 最近小浜市(オバマ)が勝手に盛り上がっている様子ですね。オバマ大統領候補と同じ名前の御縁で勝手に市民一丸となり応援してると聞く。オバマ饅頭、オバマハンバーグは何と名物鯖が入ってるらしい。傑作なのは、栗きんとんを巻き込んだロールケーキだ。これ、クリントンを巻き込むという意味らしい。海外の記者も取材に訪れる今日この頃とか。

 小浜市ホームページ

 (鯖街道と小浜)

 皆さん、若狭湾にある小浜は古代より有名な良好な港があるんです。そして、暖流と寒流が交わる漁場であり古来、御食国(みけつくに)と呼ばれ天皇家に贄(にえ)として海産物を奉る国でした。志摩の国も淡路の国もそうですね、志摩の国は干しあわびで有名ですね。話は逸れますが、天皇家は魚が好きだったんでしょうか、何で海産物ばかりが御食国なんでしょうか、昔の天皇家を支えた海の民の貢物という意味なんでしょうか、謎ですね。

小浜は、それと同時に、朝鮮半島の辰韓のちの新羅、高句麗との交易の貿易港として栄えました。主に鉄の貿易で栄えたと聞いています。この地を抑えていたのが聖徳太子で有名な膳臣であります。膳氏というのは、天皇家の食糧を司る役職のようですが、本業は鉄の生産、加工、流通であったと考えられます。

 (膳氏と聖徳太子さま)

 聖徳太子さまが、晩年に斑鳩に本拠を置かれるわけですが、此処は膳氏の本拠地であります。晩年に一番愛された奥さんは膳太郎女という膳氏の姫さまです。太子様を支えた氏族として秦氏と膳氏がありますが、ともに新羅、高句麗と縁が深い氏族であります。

太子の仏教の師は慧慈という高句麗の高僧ですね。百済ではないのが重要なところですね。当時は高句麗の方が文化レベルでは高く、仏教の面でも進んでいたと考えられます。そのパイプ役は秦氏と膳氏が担当したのでしょうね。

 私が大好きな国宝第一号の太秦の弥勒菩薩さんは新羅から贈られたものですよね。新羅、高句麗に近い太子さんの背景には、彼の母上である穴穂部間人皇女(あなほべの はしひと)にあると思われますね。彼女の母は蘇我稲目の娘である小姉君です、あの高句麗から連れて来られた美女か、その娘と噂されている人です。

 穴穂部とは膳氏と同じ、鉄に関係する氏族であり丹後半島の日本海側で丹後半島の先端に間人(たいざ)という地名があります。蘇我、物部戦争の時に太子のお母様は一時この間人に避難されたと言う。上垣外憲一氏は”聖徳太子と鉄の王朝”の本で間人を”たいざ”と読むのは古代の高句麗語ではないかと推測されている。

 上垣外憲一先生の話では、太子のお母さんの間人皇女さんは自分の弟の穴穂部皇子が蘇我馬子に殺されたを悲嘆し、斑鳩の藤の木古墳に埋葬したのではないかと言われています。藤の木古墳は崇峻天皇の陵墓ではないかとの説もありますが、石棺に収められた見事な金銅製の冠とか馬具は新羅、高句麗の技術者でなければ作れないと言う。

 中宮寺は太子の母である間人皇女が建立された寺でありますが、弟の穴穂部皇子の菩提を弔ったのではないだろうか。

 オバマさんの米国大統領選挙と若狭湾の小浜市が不思議な御縁で盛り上がった話題を取り上げました。

 (追加です)

 小浜は3月3日に”お水送り”の行事がありましたね。奈良の二月堂の若狭井にここから水を送るのですね。古代から若狭と奈良は深い繋がりがあったのでしょうね。

 (明日から冬合宿です)

20082tsurumigawa_007  明日から冬合宿です、写真のサーカス20SR機も持参する事にしました。フロートはフラミンゴ機のものを使いまわしします。

1機だけでは、心配なので2機にします。この飛行機も自作ですが、既に飛行実績がありますので、多分大丈夫であろうと思います。

20082tsurumigawa_008  明日は6時過ぎにわこちゃん、かっちんが迎えに来てくれるので、飛行機を搭載して東名高速で三島に向います。三島で山小屋管理人の車に乗り換えて清ちゃんも一緒に合計5名が一緒に岩岳、白馬村を目指します。

 素晴らしい冬合宿になるように、頑張ってきます。

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Eco時代に道路か海運か

 今日本では田中角栄時代に創設された道路特定財源の存続を巡り喧々諤々議論が伯仲している。道路のお陰で信州まで高速道路で便利に飛行機を飛ばしに出かける事が出来て感謝している。しかし、道路を作ればそのメンテ費用は膨れるばかりでしょうね。

ローマの崩壊を思い出されますね。沖縄に行くと電車が無い、道路しかないこれはアメリカ文明ではないでしょうか。狭い国土で、人口密度が高く、山国では鉄道輸送が効率的ではないのだろうか。

 しかし、人口密度が少ない日本の過疎地では鉄道は採算が合わない、だから車による輸送手段に頼らざるを得ないのは実情でしょうね。けど、角栄さんの時代から随分と時代は経過したし、道路を作るのは地方の経済活性化に繋がるのという話は本当なんでしょうかね。疑問です。

 西欧を旅していると鉄道が充実しているのが判りますね、多分産業革命以降豊富な鉄資源とアジアを初め帝国主義で植民地政策で沢山の財を蓄えたので、鉄道に投資できたのでしょうか。アジアを旅していると鉄道が貧弱ですね。沖縄なんて道路しか無い。不便極まりない世界だ。

昔サンノゼに暮らしていたが、鉄道が無い、人口の集中と道路の混雑を避ける為にサンノゼ市は日本にデレゲーションを送り鉄道を勉強した。そして、鉄道を敷設したが、失敗した。どうも、米国人は鉄道を好まないようだ。

 (ローマ文明と海運文明)

 そこで、話は飛躍するのだけど、道路と言えばローマですよね。鄙な地であるガリアの地までローマは道路を建設した。文明とは道路であるというのがローマ文明ではないだろうか。アメリカはまさに、ローマ文明を受け継いだ文明ではないだろうか。

 欧州は実はパリにしても多くは運河で結ばれた国なんですね。豊富な河川を利用し交易の要所に都は出来ている。実はアジアの盟主である中国も隋の時代から運河を掘削し、長江と黄河を結び河川による輸送を中心にした文明であると思う。

日本列島の歴史は明らかに海運の歴史です。平城京の時代に陸運を重視した国衙を地方に設け陸運重視の政策を採用したが殆ど失敗している。山岳が80%を占める日本では無茶な政策だったのでしょうね。

 (エコ時代到来)

 東京では殆どの江戸時代からの河川は道路に変更された。大雨が降ると神田川は氾濫するので、地下に巨大な溜池を構築している。しかし、考えてみると関東平野の周りの山々は変わっていないのだから、降った雨は扇状地に流れますよね。何か、昔の河川を埋めるとその代わり別の水路が必要という事ですよね。

 それでは、何で河川を埋めたのでしょうね。人間と物資の移動を車に頼ったからですよね。しかし、東京は今や夏はヒートアイランド状態です、昔の数多くの河川と水路が存在していればもっと効率良い世界が出来ないのでしょうかね。

 化石燃料ももう100年以内には無くなるでしょうし、地球温暖化の問題は切迫していますよね。もっと、船と車と鉄道が共存した輸送を考えた方が環境に優しい世界を作れるのではないでしょうかね。

 

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本日は啓蟄

 本日は啓蟄(けいちつ)と言ってそろそろ冬眠していた虫が穴から出てくる季節だそうだ。春分までの期間が啓蟄と呼ぶそうですよ。奈良のお水取りと同じく春を告げる言葉ですね。

20082tsurumigawa_005  今週金曜日から信州は岩岳、白馬村で赤とんぼ冬合宿です。昨夜はフラミンゴ機のフロートの修理を行いました。昨年フロートが着陸時に壊れて穴が開いてしまっていたので、バルサ材を張り付けてフィルムを部分的に貼り直しました。(雑な工作)

20082tsurumigawa_006 現地にてフロート無しでも飛行が出来るように、陸上仕様のままフロートを胴体にゴムで固定する積りです。

かっちんも同じ機種、フラミンゴ機にフロートをつけた機体を持参予定だそうですので、二人で奇麗な編隊飛行をする積りです。二機が雪積3メータの雪田で同時に離陸し次々とタッチ・アンド・ゴーを繰り返す映像が撮影できる予定ですよ~~。背景には真っ白な白馬連山が映る予定です。

20081chibaflight_003  千葉のラジコン親爺は零戦にアルミのソリをつけて挑戦するそうです。迫力がありそうですね。期待がもてます。

主翼の主脚は離陸すると引っ込む仕様ですので、ソリは離陸とともに主翼にひっつくような事を考えているのではないでしょうか。

20081chibaflight_011  わこちゃんは、箱枕機を持参するようですが、二台のソリをタンデムに接続すると予告していましたが、さて、どうなるでしょうね。

 Ysさんは何時も完璧な雪上使用の飛行機を持参されるので、安心して見ておれます。電動機でのソリ仕様の飛行機だと想像しております。

 啓蟄という事で、寒い冬はラジコンも冬眠状態でしたが、そろそろ又、飛行機の製作と飛行を楽しむ時期が近くなりましたね。

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雛祭の夜 銀座

20082tsurumigawa_003  2008年3月3日雛祭の夜の銀座4丁目。

 この夜は同期入社の4名が銀座の夜を徘徊した。何時もの魚屋で七輪の上で魚介類を焼き、酒を酌み交わす。ほろ酔い気分で銀座に繰り出し浦川どんの馴染の酒場でこの世を忘れる。

今夜は雛祭、酒場の女給さんも奇麗な着物を着ておられる。蘭の花で飾れた、白粉の匂い漂う世界で赤飯を御馳走になる。

20082tsurumigawa_004  銀座4丁目の景色は健在ですね、大人の街の気品は今も健在だ。六本木、赤坂、恵比寿、新宿もいいけど銀座は昔と変わらない気品がある。

同期入社の4名はもう40年の付き合いになりますね、銀座の40年も変わらない。変わったのは、我々が歳をとったというだけだ。

 あと何年こうして同期が集い酒場の徘徊が出来るんでしょうね。

  (週末は赤とんぼ冬合宿)

 今週金曜日からは、恒例の赤とんぼ冬合宿が始まる。積雪は2メータ70センチ氷点下の世界だ。http://web.hakuba.ne.jp/iwatake/snow/index.html

 気温は氷点下7度程度だな~~。http://www.mapion.co.jp/weather/admi/20/20485.html

 今年の岩岳、白馬村はかなり厳しい世界の様子だ。積雪が3メータ近いという事は飛行機を回収するのにスキーを履かないと無理ですね。山小屋管理人は忙しいですね。

 今年の合宿は突然の無錫市の幹部が東京を訪問するスケジュールと重なり、参加出来ないと諦めていたが、仕事より遊びを優先すべしとの同期の仕事仲間の配慮により、参加出来る事になった。

さて、今回は横浜三人組みはわこちゃんの高級車ベンツで三島に向い、山小屋管理人のでかい車に乗り換え、新人の清ちゃんも加わり5名の団体で岩岳、白馬村を目指す事になりそうです。賑やかな車内になりそうですね。

 という訳で、持参できる飛行機はスペースの関係で1機程度に限定されそうです。千葉組の二人、岩ちゃん、ラジコン親爺は関越自動車道で長野方面から白馬に入る予定とか。Ysさん三浦先輩も参加されるので、又、賑やかな年寄りラジコン飛行機クラブの合宿は始りそうです。 今年はどんな事件が起こるでしょうかね、楽しみで~~す。

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春の気配がしますね

 奈良では春を告げるお水取りが始まりましたね。関西に過ごしていた子供の頃には、この修二会が始まると母がいつもこれで暖かくなるよ、と言っていた事を思いだします。昭和20年代から30年代の頃の北河内では、暖房というと火鉢を使用する程度で厳しい寒さに耐える冬の季節でしたね。

 姉は二人いましたが、冬になると通学で自転車に乗るので、可哀そうに手は”しもやけ”で真っ赤に腫れていました。家に帰って来ると何時も、洗面器にお湯を入れて薬品を入れて手を漬けている風景が印象深い光景でした。

 (昭和20年代の北河内の小学校)

 冬の北河内郡大字招堤(しょうだい)村の小学生の風景は何度も記事に書きましたね。一大イベントというと”兎狩り行事”と”学芸会”でした。両親と兄貴の墓参りに帰ると昔子供の頃に過ごしていた自宅の近くと兎狩りをした故郷の山を眺める事が出来ます。当時の光景が懐かしく思い出されますね。

 殿山第二小学校では高学年の生徒の冬の年中行事として、男の子も女の子も全て駆り出され猟師さんと一緒に山を麓から囲み、山の頂上に張り巡らせた網に向い兎を追いこむ行事です。男の子は手に黒竹の棒を持ち大きな声を張り上げて兎を追うのですね。

捕まえた兎は両足を縛り、生徒が二人で天秤棒で担ぎ学校に持ち帰るのです。翌日の昼食は兎汁の料理がでました。多分、豚汁ではないかと思いますが、先生は兎汁だと言うてましたけどね。

 これは、何時頃まで続けられた行事なんだろうか。まさに、神事に近い行事ではないでしょうか。私の今住んでいる横浜の小学校では学校で兎を飼育していますよね、こんな可愛いい兎を捕まえて食っていたのです。時代が変わったものですね。

 (学芸会)

 これも寒い雪が降る季節に行われました。全校生徒で行う行事です、クラス対抗だったと記憶します。役に合わせ衣服は母が作る必要があります。当日は家族全員で弁当を持参しての応援でした。雪の中、田圃道を歩いて1時間近くかかり学校に通う生活でしたね。

 数年前ですが、孫の幼稚園の発表会でビデオを回しながら、昔の子供の頃を思い出していました。

奈良のお水取りの報を受けると、何時も昔懐かしい子供の頃を思い出しますね。厳しかった冬もやっと終わる春の知らせがお水取りでした。

参考過去記事 jo少年の記録(目次編)

 (姉の夢をみた)

 先日、滅多にみないのですが二番目の姉の夢をみました。特に気にかけていなかったのだが、メキシコの娘から電話があり夢にでた姉が手術をしたという連絡が入りました。姉は関西国際空港近くに住んでいるのですが、カテーテルで血管の中にステンレスの網を入れて二か所の心臓近くの血管の補修工事をしたという。

医学の進歩というのは凄いものだと感心しています、早速電話をして姉と連絡を取りました。年齢も年齢ですから、心配です。

 (歴史小説を書きたい)

 最近、自分が文筆の才能があれば是非日本中の資料を集めて書きたい歴史小説があります。何と二本もあるのですね。

・博多の貿易商の神屋寿禎(かみやじゅてい)

 是非、この石見銀山を開拓し日本を世界の銀王国にした実業家である寿禎の一生について小説を書きたい。彼は船団を率い当時鎖国政策をとっていた大明国と貿易を行い、単なる商人ではなく石見銀山を一大銀生産加工コンビナートを築き日本の鉱工業生産を近代化した功績があります。

その後、彼が産業スパイとして大陸から盗んだ”灰吹き法”により明治の時代まで佐渡の金山を始めこの技術を伝播させ金、銀、銅という貿易商品の近代工業化を推進した結果を生み出した功績のある人物です。

 歴史というと、何時も権力を握る政治史に注目するが、実は実業家がこの国を動かして来たのではないだろうか。それも、グローバルな視点を持つ人物ですね。

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鶴見川 冬の夕暮れ

20082tsurumigawa_002  最近はメタボ解消の為に夕方は鶴見川を歩いています。時には大倉山梅林まで足を伸ばします。鶴見川の堤防は最近は奇麗に整備されています。(写真は富士山に沈む夕日です)

4月になれば奇麗な桜並木が満開になり素晴らしい光景となりますね。

 過去記事 鶴見川桜模様

20082tsurumigawa_001  桜と言えば、伊豆の河津桜が満開だそうですね。出かけるとなると、2時間半はかかるので京都に着いてしまう距離です。

さて、写真のサッカー場はワールドカップの決勝が開催されたスタジアムですよ。決勝戦が行われた日の夕方、ラジコン飛行機を飛ばしバスの駐車場に墜落した事がありました。

 (冬合宿が近い)

 赤とんぼの合宿は3月7日と迫りました。今年の岩岳、白馬は積雪が多く雪上からのフライトは素晴らしいと思います。しかし、残念ながら参加出来ない可能性が高くなりました。よりにより無錫関係の仕事が入りそうなのですね。一番楽しみにしているのに残念です。

 参考 2007年冬合宿感想 記事

 参考 2007年冬合宿速報 記事

 (惑星Xがあるらしい)

 ニュース記事

 先日テレビでも太陽系の端に惑星が存在するらしいという記事が報道された。しかも地球と同じくらいの大きさだそうだ。これは、理論的な推測だそうで、実見はされていない。しかし、教授の話では今後10年以内に発見されるだろうと予言をされていますね。

そこで、誰かが向井教授の理論に則り新惑星Xを発見した場合は誰が惑星の命名権を取得するんでしょうね。テレビでは向井教授グループだと報道していたが、本当だろうか。私が電波望遠鏡とかハワイの天体望遠鏡で見つけたら自分だと主張しますけどね。

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