明日香 真弓かんす塚古墳
本日夕方のNHKニュースでは明日香村の真弓かんす塚古墳の石室に関する報道があった。
朝日新聞ニュース 真弓かんす塚古墳記事
6世紀中ごろの古墳であり、石室の大きさは同じ明日香の蘇我馬子の墓と想定されている石舞台古墳より巨大であるとの報道です。報道では、渡来人の集団である東漢(やまとの あや)氏の首長の墓ではないかと報道。川原氏の族長ではないかと報道があった。
ニュースでは元橿原考古学研究所の副所長兼付属博物館館長の河上邦彦先生が画面で語っておられた。最近、又、先生の”飛鳥を掘る”を再読していたところでした。
この古墳に関しては、以前MuBlogでも関連記事が掲載されていました。
(東漢氏 やまとのあやし)
先祖は応神大王の時代に朝鮮半島の加羅諸国のひとつである安羅国から渡来した氏族と想定されているらしい。漢をアヤと読ませるので、安羅がなまったと考えられています。河内には既に漢氏が地盤を築いていたので、明日香のヒノクマに拠点を置いた漢氏を東漢氏と呼んだ。
歴史上有名な話として、崇峻大王を暗殺した東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)が有名ですね。6世紀中葉の古墳とすれば馬子が生まれた頃ですね、東漢氏は秦氏と並び渡来系として多くの職能集団を率いて渡来していたと想定されます。
先月、MuBlogの旦那と訪問した太秦の蛇塚古墳の石室も馬子の石室よりも大きいと記事を書いたところでした。
参考過去記事(JoBlog) 蛇塚古墳
参考過去記事(MuBlog) 蛇塚古墳
最近は岡田英弘氏の”倭国”を再読して以来、渡来系の氏族は高句麗、百済、新羅、加羅それぞれの国から渡来した人々の中には実は漢王朝が朝鮮半島に築いた楽浪郡や帯方郡に土着した中国系華僑が含まれているのではないかと考えています。
可能性としては、華僑が朝鮮半島の原住民に技術を教えテクノクラート集団として養成し大きな部族集団として渡来した可能性もあるのではないだろうか。
いずれにせよ、今回の石室調査の発表は如何に渡来系の集団が大きな力を持っていたかが判りますね。
(追伸)
参考 風の書記事
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Comments
地元では、有名なようで、友人のブログには、テレビ発表より前に紹介されていました。
『風の書』
http://asukakaze.blog.shinobi.jp/Entry/526/
参考にしてみてください
。
Posted by: ほかも | 2008.02.08 08:53 AM
有難う御座います、”風の書”参考にさせて頂きました。地元の人は以前から御存じなんですね。
MuBlogでも紹介されていましたが、以前から知られていた事実なんですね。
朝日のニュースで紹介されていた被葬者の推理で京都橘大の猪熊兼勝先生の稲目と高句麗の美女説
はいいですね。
夢がありますので、少し記事を書いてみます。
Posted by: jo | 2008.02.08 10:06 AM