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ヒロシマ 

 山陰山陽と旅をしましたが、最後に紀行記としてヒロシマです。あまりに重いので、記事には出来そうもないので、今回は止める積りでした。しかし、原爆ドームをこの目で観ましたし広島平和記念資料館も見学した今の思いの断片だけでも記録しておきます。

2008sanninnsanyo_292  1945年8月6日朝8時15分に原爆搭載機エノラ・ゲイは広島に原子爆弾を投下した。一瞬で14万人の命と半径2キロを灰燼にしてしまった。殆どが軍人ではない一般市民である。

資料館の被災者というより虐殺された人々の遺品をまともには見れませんでした。家内は資料館を出るまで目を真っ赤にし泣いていました。

2008sanninnsanyo_287 以前、スミソニアン博物館で原爆投下機であるエノラ・ゲイを見学した事があります。確か機体を半分に切断し機首部が展示されていたと記憶しています。広島を選定したのは、原爆の威力を計測する為に平坦な半径3マイル以上の場所で山とか障害物が無い場所で、今まで空爆で被害が受けていない場所という科学実験モデルのような選定であったと聞きます。

2008sanninnsanyo_285  この虐殺行為について歴史上裁判はなされたのでしょうか。戦争とは戦勝国は裁かれないものだろうか。日本人の歴史では恨みを持って死んだ人は永遠に祟るという思想がありますね。アメリカは広島に慰霊の神社を建設すべきではないでしょうか。

 鎮魂するには悪い事をした人が慰霊の為に神社を建立し、祭祀を行うのが礼儀ではないのだろうか。

2008sanninnsanyo_290 ヒロシマは終わってはいない。

毎年この場所に140万人の見学者が訪れるという。世界中の人々がここを巡礼している。戦後60年も経過しているのに、外国の軍隊が駐留している被保護国である日本である。何時になれば、独立出来るんだろうか。

 何も悪いことをしていない、3輪車に乗っていた子供が一瞬に灰になってしまった恨みはどう鎮魂すればいいのか。

2008sanninnsanyo_291  ヒロシマは終わっていない。

 核爆弾が二度と使われないようにするには、世界中で廃棄するしか道は無い。核保有国の人々がここヒロシマに来て欲しいと思った。

  (参考過去記事)

  東京大空襲 M69焼夷弾

  ドイツ紀行 ユダヤ民族の悲劇

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55万アクセス記念記事

 JoBlogを始めたのが2004年4月でした、もうすぐ4年目になります。累積ページアクセス数が55万アクセスを達成しました。読者の方々は身内の関係者とか昔からの仲間とか仕事を通じて知り合いになれた皆様が殆どだと思います。時折、このブログを通じてお顔も存じておりませんが、随分と記事とコメントで知り合いになれた貴重な方々もおられます。そのような方々にはこの場を借りまして感謝をしたいと存じます。

 私のブログは身分を公開して記事を書いています、従い危険を伴う事を覚悟で書いている積りです。関係者に被害が及ばないような事は常に配慮して書いている積りですが、時折失敗をする事もあると思います、それだけが、心配です。

 身分を公開して書いているには理由があります、本来公のメデイアを使用する時は責任があります、又、コメントを書いて頂く人も責任があります。無責任なコメントに対しては断固対処させて頂く覚悟で始めましたが、この4年間で幸い、一度もそのような事件は有りませんでした。素晴らしい読者さまばかりだったのが本当に嬉しい限りです。

 ただ、トラックバックを最近は禁じていますが、営利主義の商業目的で自動的にトラックバックをかける輩がいるので当面はそれを排除する為にトラックバックは禁止しました。フイルタリング技術が進化した折りには解除する積りでいます。又、希望者には解除しています。

インターネットは殆どが誰か判らない人が記事を書いているのが現状であり、信憑性に欠けるのが欠点です。ですから、この情報は本当に正しいのかどうか自分の責任で見分けるしかありません。しかし、この時代何が正しいのか判らない世の中ですから、私のブログの内容も話半分で読んで頂ければ幸いです。

 全体累計アクセス数: 550041 1日当たりの平均: 395.14

 記事累計アクセス数: 267601 1日当たりの平均: 192.24

 ページ別アクセス数(過去1か月間)

アクセス数: 21,600
訪問者数: 13,601
1 JoBlog: トップページ 8732,701 6.4% 12.5%
2 大倉山梅園 梅模様: トップページ 290430 2.1% 2.0%
3 JoBlog: 大倉山梅林 2008年花通信(1) 279387 2.1% 1.8%
4 JoBlog: 明日香 真弓かんす塚古墳 170261 1.2% 1.2%
5 大倉山梅園 梅模様: 大倉山公園梅林 162231 1.2% 1.1%
6 JoBlog: 冬の北海道紀行 その1 176209 1.3% 1.0%
7 JoBlog: クエ料理 九絵家(大阪) 107146 0.8% 0.7%
8 JoBlog: 大倉山梅林 二分咲き模様 114138 0.8% 0.6%
9 JoBlog: 趣味 108129 0.8% 0.6%
10 JoBlog: 大倉山梅林 2008年花通信(2) 79101 0.6% 0.5%
11 JoBlog: 蘇我稲目と渡来美女 65100 0.5% 0.5%
12 JoBlog: 旅行・地域 8694 0.6% 0.4%
13 大倉山梅園 梅模様: 未だこれから 5388 0.4% 0.4%
検索ワード
1 大倉山梅園 535 12.2%
2 大倉山 318 7.3%
3 真弓かんす塚古墳 212 4.8%
4 梅園 185 4.2%
5 2008 118 2.7%
6 99 2.3%
7 大倉山梅林 95 2.2%
8 大阪 79 1.8%
9 九絵家 77 1.8%
10 ラジコン 72 1.6%
11 釣魚料理 52 1.2%
12 ハノイ 42 1.0
曜日別統計
95482 6.6% 10.7%
118546 8.2% 12.1%
121627 8.4% 13.9%
7901,270 54.7% 28.1%
111561 7.7% 12.4%
104509 7.2% 11.3%
106519 7.3% 11.5%
アクセス地域
1 東京 520 24.7%
2 神奈川 330 15.7%
3 大阪 161 7.6%
4 静岡 112 5.3%
5 千葉 105 5.0%
6 北海道 80 3.8%
7 埼玉 77 3.7%
8 京都 75 3.6%
国・言語
1 [ja] Japanese 4,418 98.4%
2 [en] English 37 0.8%
3 [zh] Chinese 28 0.6%
4 [ko] Korean 3 0.1%
5 [de] German 2 0.0%
6 [es] Spanish 1 0.0%

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3k職場ですか IT職種

 昨夜は友人から”ガイヤの夜明け”番組を観るようにメールが入っていた。私の昔からの関係者が沢山いる職場の取材番組だというのでテレビを観た。

 聴きなれない言葉がテーマでしたね、ワーキングバランスというものがテーマであるようだった。ある会社の総務部の人が朝5時に起床し、コンビニで朝食を買いこみ暗いうちに会社に行く。リストラでどんどん人員削減が行われる中で、特に具体的成果を定量出来ない職場の総務部としては、ひとより早く会社にゆきやる気をみせるのが必要だと考え行動している。

 必死で生きている彼の姿は悲しいけれど、彼が出来る事を全力でやっているのだ。そういえば、私が昔役員をやっていた会社の人事・総務関係の担当役員は彼と同じで、誰よりも早く会社に来て洗面所で顔を洗っている姿を観察していた事を思い出した。

秀吉が草履取りをしてる頃の伝説を思い出した場面だが、複雑な気持ちでテレビを観ていた。

 私が世話になる、ニフテイのある社員の取材になり興味を持って眺めていた。大部屋の職場で毎日夜遅くまで仕事をしている。夜の11時、12時はざらだそうで、残業も70時間を超えるという。子供を風呂に入れてあげる余裕もない毎日が放送されていた。

恒常的になっている残業。右肩あがりの時代は会社としても売上利益がガンガン上がる時代はこれでもいいけど、売上も上がらない、利益も出ないけど競争の激化から現場の人間にしわ寄せが来て、とめどの無い仕事量が押し寄せる。

 ワーキングバランスのコンサル会社が来て、従業員の意識改革を提案する。長時間働くだけげが、会社の為にはならないですよと言う。給料は会社の利益から支払われるのですと当たり前の話をする。

この取材会社は残業代が支払われるので、正確には3Kの職場ではない、多くの中小のソフト会社の社員は残業代無しで過酷な勤務をしていると聞く。

 (もっと厳しい時代が来る)

 ベトナム、中国無錫と最近は仕事をしているが、IT関連のソフト関連技術者の国際競争力という観点で眺めると果たして日本のIT関連技術者の報酬額が妥当であるか?疑問ですね。日本企業が日本国内で日本の技術者に払う賃金は今後も維持できるか私は悲観的です。

 ベトナムの最高学府をでた優秀なソフト技術者は3万円の給料です、無錫では5万円程度だろうか。だから、付加価値の高い仕事を目指さないと生きては行けない。このいいか悪いか別にして労働力が国際流動化してる時代に昨日と同じ仕事をしていては、昨日までの給料を貰えない不確実な時代ではないでしょうか。

 日本のような先進国では、世界に真似が出来ないようなようなものを開発するか付加価値の高いビジネスモデルを目指すか、差別化出来る知的分野を開拓しないと今の給料は維持出来ないのではないでしょうか。

 毎日会社に行き、膨大な仕事量を捌くだけで日が暮れるのが実情なんでしょうが、それも大事だけど、何でこんなに仕事があるんや?と、時には根本的な事を考え違うやり方、違う視点から仕事を考え直す思考の時間が持てれば素晴らしいと思います。

 

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大倉山梅林 満開です~

 マイフォト 大倉山梅林満開2008年春

 今日の大倉山梅林は満開です。今週末には是非、観梅に来て下さい見頃です。

今年は三回、大倉山梅林には足を運びました。今日はどんよりとして、今にも雨になりそうな雰囲気でした。健康維持とメタボを回避する為に山を登りましょう。大倉山の山は結構しんどいですよ。

 写生をする女性一人がおられるだけの、静まり返った大倉山梅林、一人占めでしたね。

梅の香りが立ちこめ、まるで我が家の庭のような気持ちでひと時を過ごしましたね。是非、御近所のかたは東急東横線大倉山駅下車で歩いて、胸突き八丁10分で梅林に到着出来ます。

 残り少ない梅の季節を満喫して下さい。

20082ookurayamabairin_054  老木が花を咲かせているのを観ると、応援したくなるし元気が貰えますよ!

 頑張れ!来年も会いましょう。

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広島焼きと鉄の話です

2008sanninnsanyo_293 2008sanninnsanyo_294  広島では御当地自慢、広島焼きと名前は忘れましたが、写真の左のような食べ物を頂きました。

広島焼きは自宅でも時折作ります、昔、テレビのタメシテガッテンで教育を受け実践しています。お好み焼きとは決定的に異なるのは”キャベツを蒸す”料理であるという事ですね。多量のキャベツを食べる事が出来るので身体によさそうに思い、好きな料理です。

 (安芸名物)

2008sanninnsanyo_279 2008sanninnsanyo_280  厳島では”あなご飯”が有名ですね、1400円程度で食べる事が出来ますが、今回はチャンスが無く食べる事が出来ませんでした。(岩国寿司をたべちゃいました)

厳島では焼き牡蠣が美味しそうです、時間に余裕があれば是非試してみたいですね。いい匂いが路上に漂っていました。新鮮な牡蠣を浜辺で焼いて食べるのは贅沢ですよね。

 (古代史好きな親爺二人)

 最近、一年先輩の福永親爺と新宿でビールを飲むのが楽しみになっている。彼も古代史が好きで日曜古代史研究家であります。先日、彼から宮元健次さんの”神社の系譜”光文社新書を貸して頂いた。

この本では殆どの神社に見られる”自然暦”について丁寧に解説がされています。太秦の元糺すの杜も大神神社も厳島神社も鹿島神宮もありとあらゆる古社が分析対象になっています。

 私は、最近は石見銀山の影響もあり、昔読んだ上垣外憲一(かみがいと けんいち)さんの”高句麗からよみとく飛鳥 聖徳太子と鉄の王朝”を読み直しています。以前に高句麗については記事を書きました。 高句麗文明とヤマト

 (ヤマト王権と鉄資源)

 鉄資源は世界史に於いても重要でしたね、ヒッタイト王朝が一番有名だと思いますが、日本の古代史に於いても重要でした。否、今でも重要ですよね日本の製鉄技術と鍛造技術、特殊鋼は世界一ではないでしょうか。私の学生時代には鉄は国家なりという言葉がありました。

 日本では5世紀の河内王朝の頃までは鉄は朝鮮半島の鉄の産出国である朝鮮半島南部から輸入していた。魏志倭人伝にある弁韓、辰韓が鉄を産出すると記述がありますが、新羅と伽耶の事をさしています。岡田英弘先生の”倭国”を読んでいると既に紀元前の漢王朝の時代に朝鮮半島には楽浪郡、帯方郡と中国のコロニーが出来上がっていましたから、製鉄技術は帯方郡に移植されていたと考えられます。

 最終的に朝鮮半島の歴史を眺めると、鉄を抑えた新羅が伽耶を制圧し文化レベルの高い国であった百済、高句麗を滅ぼし半島を掌握するのですね。新羅が今日の慶尚北道高霊(コリョン)大伽耶を併合したのが562年です、完全に朝鮮半島の鉄を完全に掌握したのです。

 5世紀の河内王朝までは安定的に大伽耶から輸入していた鉄資源はここに閉ざされ、日本列島で鉄の生産が本格的に開始せざるを得ない事になりました。河内王朝が滅亡し新たに継体王権が成立背景には鉄資源の供給ルートの消滅が背景にあったと、上垣外憲一さんは説いています。

 継体天皇の父は彦主人王は琵琶湖西岸の高島、安曇川流域の製鉄の豪族であり、母は振姫で越前の三国の製鉄の豪族です。振(ふり)とは上垣外先生の説では石上神宮の神体、布留の剣の”ふる”だと言う。韓国語のプル、即ち火を表す言葉に通じるという。氏は論を進め、古代の二大製鉄技術を掌握出来たのは継体天皇であると論を進めた。

 古代の日本の製鉄技術には九州北部から西日本に存在した砂鉄から鉄を製造する方法と、もう一方は鉄鉱石から製錬する方法であり北陸から東日本に存在したという、この説は古代製鉄に詳しい村上英之助氏の説だそうだ。

 継体天皇の父、彦主人王により高島に存在した砂鉄からの製造法と奥さんの振姫の故郷の越前北陸の鉄鉱石から鉄を製造する技術を導入し大々的な生産・質の面で飛躍がありその経済力と・武器生産能力を背景として近江・北陸の製鉄氏族を後ろ盾とする継体天皇の成立が生まれたと説く。

 東アジアの国家間の興亡の歴史から日本史を分析する方法は面白いと考えています。多分これだけの理由ではないと私は考えますが、河内王朝の滅亡は中国大陸の南朝偏重主義から勃興する北部中国勢力の関係を持てなかった事も原因かもしれません。色々と事情がある中の一つの王朝交代の歴史側面と捉えましょう。

 

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世界遺産 石見銀山

 マイフォト 世界遺産 石見銀山(町並み地区)

 動画記録 石見銀山 羅漢寺、五百羅漢

「20082iwami1.wmv」をダウンロード

 さて、昨年に世界遺産の産業遺産として登録された石見銀山にでかけました。世界遺産に登録された地域は、地図情報 遺跡全体鳥瞰図を参照してください、広大な領域となります。実際に掘削され間歩(まぶ)と呼ばれる沢山の坑道が集中する銀山の中核部から銀を精錬する施設の場所、製品を運び出す港と一大古代の産業コンビナートが遺跡です。

 私はその中で、銀山地区は道路のがけ崩れの為に入ることが出来ませんでした。従い代官所、羅漢寺が点在する町並み地区南北約1キロ程度の町並みを見学しました。本来は銀山の中核部を見学する予定でしたが、崖崩れでは仕方ありません。

 (石見銀山は何故世界遺産か)

 今回の旅では、厳島神社、広島平和記念物(原爆ドーム)も世界遺産に登録されていますね、この石見銀山遺跡とその文化的景観が何故価値があるのでしょう。

ここで述べられている、16世紀から17世紀にかけて石見銀山で採掘、精錬された東アジア独自の精錬技術である灰吹き方による純度の高い銀は世界の1/3の銀を産出し世界に流通していた事実です。メキシコで銀が採掘されるまでは、石見銀山が世界の銀生産の中心であったのです。

 明治以降の19世紀後半に産業革命で開発された新しい技術での銀採掘・精錬の時代には銀鉱脈が枯渇してしまい、幸いに人力だけの銀生産のコンビナートが遺跡として残ったのは幸いでした。世界が注目するのは石見銀山の環境に対する取り組みが16世紀から厳しく管理された日本の鉱業生産に対する考え方であると思います。

 現在、石見銀山を見渡しても何処に鉱山が存在したか判りません、全ての山には木が生い茂り自然環境が保たれているのです。精錬には膨大な木材が必要になりますが、木を伐採すると必ず植樹をする徹底的な管理がなされ、鉱山労働者も罪人ではなく、一般の人々が従事して生活空間を守りながら銀の生産をしたという。

 (歴史の謎について)

 この石見銀山を発見したのは、博多の貿易商の神屋寿禎(かみやじゅてい)という人物だそうで、1526年に発見したという。彼は、大内氏の明との勘合貿易で総船頭をする自前で船団を組み明と貿易をしていた豪商です。彼は出雲の銅を買いつける為に日本海を航行しこの石見銀山が夜、光り輝くのを発見したという。

山師というのは、夜、山を見るそうですね、鉱物資源が含まれる山塊は不思議な光を発するのを捉えるそうだ。多分、空海さんも中国で学んだ山師の心得を持っていたのではないでしょうか。さて、寿禎は、宗丹、慶寿という二人の禅門を招いて、「灰吹法」という銀精錬技術を導入したいう。

 彼らは朝鮮半島の技術を伝えたと言うがそれは、不思議ですね。、「灰吹法」という銀精錬技術は中国の国家機密であり、私は寿禎が国際産業スパイとして活躍し、中国からその技術者を密航させたと推論したくなります。

寿禎は中国、明との貿易をしている船団の頭ですから中国でエキスパートの人材を密かに密航させる事は出来た状況証拠はありますね。多分、このあたりを調査されてる専門の人々がおられると思いますが、私はそう考えたいと思います。朝鮮半島に伝わっていれば、もっと早く出雲に伝わっていたと考えます。

 (最後に)

 19世紀末以降に開発された産業革命での鉱山の開発技術は機械化により多量の高品質な貴金属を生産する事は出来たのでしょうが、同時に環境破壊と公害をまき散らしたのは事実ではないだろうか。石見銀山には世界中の鉱山関係者が見学に来るそうだ、私は専門的な事は判らないが彼らがこの古代の銀山と人々の暮らしが調和した世界から多くを学ぶと言う。

 今度は、是非、銀山地区を見学したいと思いました。

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1等賞 ふく会席セット届く

 およそ、くじ引きには縁のない私ですが、何とふくの本場、下関からふく会席セットがクール宅急便で送られてきた。

20082fugu_001  実はこの前、山陰山陽のツアーに出かけた時にバスの中でくじ引きがあり、何と32名の中で私が1等賞を獲得したのだ。

今日その河豚(ふくと下関では呼ぶ)会席が宅配されて来た。

20082fugu_002 ・とらふく刺身 最高級のとらふくの刺身ですよ。

・ふくから揚げ 鮮度の良いクロサバふくを使用し、むらのない下味をつけたもので油170度程度で1~2分揚げれば良い。

20082fugu_004 ・ふくつみれ 新鮮なふぐの身を練り合わせた高級つみれ、お吸い物にしてミツバを入れて頂くことにした。

・とらふぐしゅうまい 活きの良いトラフグの中骨より抽出されたエキスと新鮮なトラフグの身を使用したこだわりの、和風しゅうまいだす。

20082fugu_005 ・ふく白子豆腐 新鮮なトラフグとゴマフグの白子・最高級の吉野葛・国産大豆をふんだんに使用した豆腐です。ポン酢醤油、酢味噌で頂く。

・ふく煮こごり 風味の良いしいたけのだしにトラフグの皮と、ふぐの身をふんだんに使用した煮こごり。

20082fugu_007 20082fugu_008 ・とらふく雑炊 とらふぐの中骨より抽出しただしと、トラフグの身をふんだんに使用した上品で低カロリーな雑炊である。お湯とポン酢をかければ出来上がり。

20082fugu_009_2 という訳で、今夜はふく会席の夕食である。皆さん、申し訳ありませんねそれでは頂くことにします。

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厳島神社 安芸の宮島

 マイフォト 厳島神社 写真集

 動画記録 海より眺める厳島神社

「2008itsukushima1.wmv」をダウンロード

 動画記録 厳島神社

「2008itsukushima2.wmv」をダウンロード

2008sanninnsanyo_240 2008sanninnsanyo_248  厳島神社というと平清盛と毛利元就を思い出しますね。歴史上この神社と宮島が歴史上おおきく注目された時ですね。

 (古代史にみる宮島と厳島神社)

 島全体が神さまがお住みになる恐れ多い場所です、ですから神社は海の中に建設されています。神社の建造は推古天皇の元年に佐伯鞍職(さえきのくらもと)という豪族が建立したという。この佐伯氏は古代において大伴氏と並ぶ軍事に携わる氏族だったようですね。神社の神様は宗像の三女神であります。

 この前、京都魔界探訪時に太秦の元糺すの杜を訪問しましたが、秦氏が建造した松尾大社と宗像神社と厳島神社の三社は特別な造りをしています。所謂、松尾造り(両流れ造り)という非常に珍しい建築様式だそうだ。切妻造りに似て鰹木・千木が存在しない珍しい建築だそうです。

 宮島はヤマトと大陸を結ぶ重要な瀬戸内海航路の軍事上の拠点として重要だったのでしょうね。

2008sanninnsanyo_249 2008sanninnsanyo_252

 しかし、奇想天外な海の中に神社を建立するとはまさに、海の神を祭るに相応しい考えかもしれませんね。

台風が来る度に被害をうけるが、その度に修理を行い神社を守るという気が遠くなる執念には恐れ入ります。

 多分、世界に例が無い建造物とそれを守る人々の執念の場所ではないでしょうか。しかし、美しい神社である事に感動をうけました。清盛もこの海に浮かぶ能舞台を眺めていたのでしょうね。

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老後の趣味 油絵を描く

 先日、東京の三軒茶屋のキャロットタワーに同期の浦川どんと油絵展覧会に出かけた。

 もう30年以上前の頃の時代ですが、私も浦川どんもてっちゃんも、お世話になった大先輩である吉原先輩が油絵を展示されているという。1年半単位で油絵仲間数人と一緒に作品を発表されている様子です。

若い頃から油絵が好きで、描いておられた様子ですが仕事が忙しくこの数年、完全にリタイアされてからは精力的に絵を描いておられる様子です。

20082doukikai_027 20082doukikai_028  月に一度は絵の先生とともに仲間で野外でのスケッチに出かけるそうです。奥さんがおにぎりを作って渡してくれると言う、ゴルフと油絵三昧とは素晴らしい老後の生活だと思いませんか。

 吉原先輩との思い出は山ほどありますが、私が米国のシリコンバレーに駐在している頃が一番お世話になったと思います。

20082doukikai_029 20082doukikai_030  当時ベーシックソフトの親玉でしたから、しょっちゅう古河先輩と渡米されて来ました、その都度御一緒させて頂き、仕事にゴルフと楽しませて貰いました。

日頃の姿からは、まさか絵を描かれるとは想像も出来ない御仁でしたが、人間隠れた才能はあるものですね。脳ある鷹は爪隠す ですね。

20082doukikai_031 20082doukikai_032  既に200枚以上の絵をお持ちだそうですが、80号レベルだと置場に困りますね。殆どが風景画だそうですが、信州は白馬の絵もあり私も懐かしく観させて頂いた。

そういえば、私も入社した頃に同期の加藤ちゃん、先輩の戸田さんと油絵同好会を作り、休日には油絵を描いていた頃がありました。

20082doukikai_033 20082doukikai_034  娘がまだ現役でメキシコで絵の勉強をしていますが、Takeda Shinzaburo先生に師事をして学んでいます。

しかし、何ですね、老後は信州の山奥で好きな絵を描いたり、ラジコン飛行機を飛ばしたり、仲間と音楽を楽しんだり、冬はスキーを楽しむような静かな生活は理想です。

 そうそう、展覧会にはオアシス開発者で日本語処理の大家の神田大先輩が奥様と来ておられました。懐かしい再会でもありました。

20082doukikai_035 20082doukikai_037  又、同期の昔ミュンヘンに駐在していた小林どんも駆けつけて来ました。吉原先輩よりお茶を御馳走になり、同期の3人を相手に懐かしく昔話に花が咲いた展覧会でした。

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名古屋のケン坊快挙

 先日富士通の同期会があり、同期入社で同じ職場で数年間過ごした名古屋のケン坊が昨日、経済産業省から中小企業IT経営大賞を受賞した。

 経産省 中小企業IT経営大賞

 授賞式 写真記事

八幡ねじのオーナー社長の鈴木健吾さんですが、今回の受賞本当におめでとうといいたいです。私が二年前にベトナムに赴任する時に薬のセットを頂きました。その時の記事は

 餞別の品

ベトナムでは大変役に立ちました、風邪薬、お腹を壊した時、怪我をした時と重宝させて頂きました。受賞前夜、渋谷で同期会の宴会でも再会し受賞の喜びを乾杯しました。

 彼は昭和44年3月に横浜国立大学を卒業し、私と同じ職場に配属になり数年間を過ごしました。当時、オンラインリアルタイムシステムを建設する部門でした、ジェームズマーチンの”オンライン・リアルタイム設計”の本を読み、待ち行列理論を勉強しトランザクションとシステムの処理サーバのサービス時間からコンピュータ資源の待ち行列とスループット時間の計算を一緒にやっていました。

 論理計算と同時にモデルを製作し一晩中大型計算機を動かしシュミレーションも行った。当時はこのようにして、設計段階で第一勧業銀行とか神戸銀行とか我々がやらせて頂く銀行のオンラインリアルタイムシステムの設計は行われていた。それを、入社1年目の我々の任務でしたね。

 徹夜に徹夜を重ね、証券会社さんへの提案書は殆ど失敗したり、英語の本の輪読会を休みの日にはさせられたり、無我夢中の入社数年間の経験を一緒に過ごしました。一橋大学卒の浅岡どん、北大出身の高島どん、私とケン坊の4名で当時、富士通のコンピュータ草創期のオンラインリアルタイムシステムの金融分野での最前線の二等兵をやらされていました。

その後数年して、ケン坊は故郷の名古屋に帰り実家の八幡ネジで研鑽する事になりました。今や、タイランド、中国と子会社を展開し今回の受賞となったんですね。お疲れさまでした。

 (湯島天神の梅模様)

 今日は、午前中東大の本郷キャンパスで仕事がありそのあと、同期の浦川どんと湯島天神の梅の偵察に出かけた。

20082doukikai_012 20082doukikai_014

 東大本郷キャンパスからは歩いて10分程度でしょうか、学問の神さんの菅原道真はんを祭る湯島天神さんです。

此処は梅で有名ですよね、今年の状況はどないな按配か調査しようという訳です。

沢山の人々が訪れていますが、梅は2分咲きという程度でしょうか、大倉山梅林よりも貧弱な状態ですね。

20082doukikai_015 20082doukikai_019  浦川どんの話では今年は少し、開花が遅れているのではないかという観測です。

しかし、受験生にとり必死の願いの絵馬は夥しく累々と吊るされていました。願いが叶うといいと思いますが皆さん受験はまだ続いていますよね。

20082doukikai_018 20082doukikai_023  境内では猿回しのお姉さんが、観客を集めて頑張っておられました。

湯島天神の梅はまだまだ先のようですが、今日のポカポカ天気で一気に開花に向かうかも知れませんね。

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秋吉台より岩国城下(錦帯橋)へ

 マイフォト 秋吉台より錦帯橋(岩国城下)へ

 動画記録 秋吉台

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 動画記録 岩国城下その1

「2008-kintaibashi.wmv」をダウンロード

 動画記録 岩国城下その2

「2008-iwakuni-jyouka.wmv」をダウンロード

 萩で温泉に浸かり疲れをとり、翌朝は秋吉台に向かった。昔、学生時代に一度秋芳洞を見学した記憶があるが、殆ど忘却の彼方である。今回は秋芳洞巡りはやめて、展望台よりカルスト地形とドルメン(窪地)を眺めるだけにした。遥か太古に於いてサンゴ礁だったんでしょうね、石灰岩の地形は雨に侵食されている。

展望台からの眺めはビデオを観ていただければ、判りますが眺めはいいですね。中国山地のなだらかな山並みが墨絵のようで美しいです。老齢期に入った山脈なんですね。

 (城下町 岩国散策)

2008sanninnsanyo_167  270年間吉川氏の居城であった岩国城と錦川にかかる有名な錦帯橋です。美しいフォルムの橋ですね、木だけで、アーチを支える構造は素晴らしいですが、現代の地元の技術屋さんが伝統の匠の技を受け継いだそうです。クギも特注で伝統刀鍛冶が錦帯橋の為に打ち込んだそうです。

日本には法隆寺の宮大工棟梁のように、伝統技術を受け継ぎ永久に建物を守ってゆくシステムは素晴らしいですね。伊勢神宮の遷宮も20年単位で技術を次の世代に伝えて行くシステムだと聞いた事があります。ここが、石の文化と森の文化の違いがあるんでしょうね。

 この錦川の下流には米軍の岩国基地がありますね、そして基地問題で揺れた市長選挙は最近の出来事でした、難しい問題です。

 さて、吉川(きっかわ)氏と言えば、関ヶ原を思い出しませんか。吉川広家は東軍に内通し不戦を約束、その代わり毛利本家の安堵の約束をかわしていた。そして、本戦に於いて南宮山に陣取った広家は毛利秀元、長宗我部盛親が戦闘に参加できないようにする事で東軍の勝利に貢献した。しかし、約束はホゴにされた事は皆さんご存じ。

 吉香公園には佐々木小次郎像がありました。写真は撮影しませんでしたが、巌流奥義を極めここで燕返しの技を取得したという噂も聞いています。作家、吉川英治は現岩国観光ホテルに滞在し宮元武蔵を執筆、錦帯橋近くで小次郎が燕返しの技を取得したと想定したそうです。

橋のたもとで、食べた岩国寿司(箱すし)は美味しかったです。やはり、寿司は関西の技法でしたね。

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萩の夜 萩観光ホテル

2008sanninnsanyo_146  萩の夜は山の上の萩観光ホテルでした。

日本海が一望できる素晴らしいホテルです。露天風呂から日本海を眺めていました。能登半島の加賀谷さんもそうでしたが、海岸の温泉は海の水を温めたような感じがして、東北の山の中の温泉は硫黄とか硫化水素の臭い匂いがしますね。

2008sanninnsanyo_147 私は、高校生の頃から親戚が福島県の中の沢温泉で旅館をしていましたから、何回か学校の休みには遊びにゆき、温泉とは硫黄の匂いがするものだと考えていました。

その後、色んな温泉が存在する体験をしました。屋久島の安房での海岸にある満潮時にしか出来ない天然の露天風呂は良かったですね。

2008sanninnsanyo_148 我々、赤とんぼが合宿する岩岳では近くの温泉から湯を汲んで来てそれを沸かす温泉に入っています。やはり、硫黄泉ですね。

食事は河豚会席で豪華でしたね。昨年暮れの大阪での大学時代のワンゲル同期仲間との宴会も河豚会席でした、どうも河豚に御縁があるようです。

動画記録 萩観光ホテル オーシャンビュー

「2008-hagi-hotel.wmv」をダウンロード

(閑話休題)

 今日こんなニュースが飛び込みました。

高松塚の壁画モデルが中国に(アサヒニュース)

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風邪でダウン

 旅行中から風邪気味でしたが、今日は遂にダウンしてしまった。実は二日前、新宿で或る会社の顧問会議のあと宴会をしてしまったのだ。

鼻水がでるし、足腰が痛いし喉は痛いし散々でした。(自業自得)しかし、午後からは仕事で資料作成を行っていた。鼻水を始末しながら悪戦苦闘。

 今日は午前中は仕事で夜は同期会の宴会が渋谷で開催される予定です。

 (神社の系譜)

 先日、同じ顧問仲間の福永さんから宮元健次さんの”神社の系譜”という本をお借りした。以前に私も京都魔界探訪記事で秦氏の元糺すの杜と暦の関係について記事を書きました。 

 過去記事 鳥居暦装置説記事

 過去記事 元糺すの杜 京都魔界巡礼

 宮元健次さんの著書は丁寧に神社の位置と春分・秋分の日の出方向と日の入り方向の関係、冬至の日の出と日の入り方向、夏至の日の出と日の入り方向とその方向に存在する聖なる山との関係を丁寧に論じておられます。

いずれ又、記事を書きたいと思いますが風邪気味なのでしばらくはブログも休ませて頂きます。

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萩焼きと城下町

 マイフォト 萩焼き窯元と城下町

2008sanninnsanyo_076  萩焼きの窯元を訪問しました、昔我が家にも萩焼きがありましたが割れてしまい、今は存在していません。確かな手ごたえの重さと、柔らかい手触りと暖かさと、凸凹の乳白色で大好きな湯呑でした。

 萩焼きの歴史は浅く、文禄慶長の役の時に朝鮮半島の陶工を連れて来た時に始まるそうですね。本当に秀吉はひどい朝鮮半島の人々には申し訳ない歴史を作ったものです。昔読んだ本の記憶では、秀吉は日本を殆ど統治して部下に与える領地が少なくなり、代わりに陶磁器に高価な価値を創造し大名に与える経済戦略を採用したというのです。

 当時の李朝の陶磁器は金銀に匹敵する価値のあるものだった、というか新しい価値を創造したのではないでしょうか。

2008sanninnsanyo_129 2008sanninnsanyo_133

 (木戸孝允)

 彼の生家を訪問しました、彼と幾松との熱愛の話は素晴らしいですね。その後、妻となり木戸松子として幸せでした。幾松時代の絵がありますが、大変別嬪さんですね。

しかし、本当によく幕末の京都で生き残れたのも芸者 幾松のお陰ですね。

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 洋装、和装での松子(幾松)さんのお姿です。出来れば、龍馬も生きておればもっと嬉しかったのですが、残念です。

 この城下で近くに高杉晋作の生家もありました。この小さな城下町で明治維新の原動力となった若者がいたのです。

 動画記録 萩焼き窯元

「2008-hagi.wmv」をダウンロード

 動画記録 萩城下町(木戸孝允)

「2008-hagi-jyouka.wmv」をダウンロード

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松下村塾 維新胎動の地

 マイフォト 明治維新胎動の地 写真集

20082fuji  長州の幕末での志士を育んだ場所、松下村塾を訪れました。今は松陰神社として萩城下の中洲から少し離れた下級武士が起居した場所にあります。吉田松陰は26石取りの杉 百合之助の次男坊として生まれ、実父の弟で毛利藩 兵学師範の吉田家の仮養子となる。

2008sanninnsanyo_047  ほどなく、吉田家当主は無くなり、松陰5歳で当主となり父の又、弟である玉木文之進から厳しく教育を受ける。天保11年ですから10歳の頃には毛利藩主の御前で兵学講義を行い藩校であり明倫館の兵学教授となる。よほどの、秀才であったのでしょうね。

玉木文之進が主幹していた松下村塾の塾頭になるのであるが、江戸時代に如何に庶民の教育レベルが高いか判りますね。武士だけではなく、一般庶民も明倫館の教授から学ぶ事が出来たのですね。多分、薩摩でも水戸でも何処の藩でも庶民は学ぶ事が出来たのが世界に誇れる教育大国ではなかったでしょうか。

 特に、幕末時薩摩や、鍋島や、長州や西国諸国は大陸との貿易をしていましたから、世界情勢は刻々と入っていたのではないでしょうか。情報と若者の教育レベルの高さが江戸にいる連中よりも緊迫感が高かったと想像できますね。

 毛利藩は関ヶ原以降、徳川幕府に取りつぶしに近い程厳しい処置を受け萩の小さな場所に押しこめられた歴史がある。城は中洲の島にあり城下町は中洲の小さな範囲である。毛利元就からの武将の多くの家族は農地の開墾をして生きるしかなかった。

しかし、毛利藩には元就からの中国地方の雄藩としての誇りは、75万石の薩摩藩と同じく持っていたのではないでしょうか。ところで、松陰は25歳で松下村塾の主宰者となり幕末の志士を育てる事になります。

2008sanninnsanyo_049  木戸孝允、高杉晋作、久坂玄瑞、山県有朋、吉田捻麿、前原一誠、等々の明治維新の活動家を輩出する事になります。

冬の日本海から吹きつける風は冷たい、彼らは西洋諸国が植民地を目論み押し寄せる脅威から如何に毛利藩、否、日本を守るかという1点に集中していたのではないでしょうか。その精神的支柱が吉田松陰さんでしょうね。

2008sanninnsanyo_043  写真集で処刑される時の親に宛てた辞世の句がありますが、涙が止まりませんね。

 動画記録 明治維新胎動の地(約2分)

「2008-syouin-jinnjya.wmv」をダウンロード

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津和野 雪景色

 マイフォト 津和野 雪景色 写真集

 萩・石見空港から先ず津和野にバスで向かいました。1時間くらいでしょうか、流石に山陰ですね雪が多いですね。団塊の世代の人は御存じでしょうが、若い頃この津和野は人気がありましたね。

2008sanninnsanyo_017 2008sanninnsanyo_014  (鷺舞)

 オスの鷺(口を開けている)とメスの鷺(口を閉じている)が舞う神事がこの津和野の弥栄(やさか)神社で行われているそうだ。

2008sanninnsanyo_011 どうも京都の八坂神社の祇園会で行われていた鷺舞を当時の大内氏が山口に招聘し吉見氏がこの津和野に伝えたそうだ。疫病退治の行事である祇園祭りの行事がこの小京都、津和野に伝えられたのですね。

 参考 鷺舞神事 島根県立古代出雲歴史博物館

是非、博物館のホームページで鷺舞の動画をお楽しみ下さい、素晴らしいです。

八坂神社はスサノヲノミコト(素戔嗚尊)をお祭りしていますから出雲系統ですね。ですから里帰りと考えればいいのでしょうか。

2008sanninnsanyo_034  (森鴎外旧宅)

 この小さな医者の家に生まれたのですね。80石取りのお家だったそうですね。15歳の若さで東大の医学部に入学し19歳で卒業しています。どうも年齢を誤魔化したと地元の説明をしてくれた人は言うてました。そして、主席で卒業したのですから秀才だったのでしょうね。

2008sanninnsanyo_024 2008sanninnsanyo_025  (津和野の鯉)

90歳程度の老齢の鯉がいるそうですね、随分と長生きするのですね。鱗とか骨を分析すると木の年輪のように層があるそうで、それで年齢が判ると言う。

 ビデオ記録 津和野雪景色(約5分)

「2008-tsuwano.wmv」をダウンロード

(zapさん投稿写真 35年前の冬の津和野写真)

Tsuwano

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明日から山陰山陽の旅

 明日は朝5時半の新横浜プリンスホテル発の羽田行きバスに乗り石見空港に向かいます。風邪気味でして体調がいまいちですが、大丈夫でしょう。

 (ブログ いずものこころご紹介

 出雲にお住いの方と推測していますが、出雲の古代史に関して東洋史の立場で考察されています。即ち古代華僑の活躍を推論し如何に出雲で古代栄えた国が成立したのかを論じておられます。

基本の考えは東洋史の岡田英弘先生と宮崎市定先生の考えをベースに独特に出雲の個別論を展開されています。是非、参考にして下さい。

 私も最近は京都の太秦の秦氏の元糺の杜、蛇塚古墳を実検し太秦寺、松尾大社をふくむ巨大な秦氏の古代での活躍に感動しました。出雲の心で記事にも書かれていますが、聖徳太子の隋への返礼で日本に来訪した裴世清の記録に秦王国の記述がある訳ですが、まさに華僑の集団が拠点にしていた場所が日本に存在していたのではないでしょうか。

 中国、朝鮮半島、日本と海を媒介し貿易ルートを確保し販路、生産路を開拓していた人々が存在していたのでしょうね。

 さて明日からは風邪がぶり返さないように気をつけて出かけてきます。

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東京駅界隈のレストラン

 奈良方面の紳士淑女御家族と老齢のお方が東京駅界隈で夕食をされるそうだ。多分現役のビジネスマンならば、丸の内ビルのレストランをお勧めでしょうね。

残念ながら現役を退いた私がお勧め出来るのは、私が現役時代に活躍?していた頃にお世話になったレストランしかご紹介出来ない。

http://akatonbo-jo.cocolog-nifty.com/jo/2006/01/post_e69f.html

築地市場 青果食堂 市場の厨房

http://www.kanpachi.jp/tenpo_kokusaibil_s.html

寿司屋の勘八 国際ビル

http://www.kanpachi.jp/tenpo_syun_s.html

寿司屋の勘八 丸の内店

http://www.palacehotel.co.jp/restaurant/restaurant.html

パレスホテル 和田倉

http://www.marunouchi-hotel.co.jp/restaurant/index.html

丸の内ホテル レストラン&BAR

http://r.gnavi.co.jp/g073704/

東京ステーションホテル レストラン赤レンガ

http://www.kaikan.co.jp/r_b/r_b.html

東京會舘のhttp://www.kaikan.co.jp/r_b/toen/index.html

中華 華

http://majinz.blog47.fc2.com/blog-entry-396.html

八重洲 地下街レストラン

 築地市場の青果食堂は新鮮な食材で安くておいしいのが素晴らしい。ただ、現場のおじさん達も来られるのでフォーマルな衣装には向かないでしょうね。寿司屋の勘八は現役時代によくお世話になった。お腹が空いた時に、先輩に連れられたり後輩を連れて簡単に食事が取れて直ぐに銀座に足を延ばす時に便利でした。

 パレスホテルは皇居の傍ですから、お年寄りには喜ばれると思います。地下の和田倉にはよく通いました。外人を連れて夕食をするには便利ですし、バーもあるしくつろげると思います。

 丸の内ホテルは特に昼飯を食べるのに利用したり、外人との昼食会には利用しました。

東京ステーションホテルは明治の頃の雰囲気があり、レトロな感じを楽しむにはいいのではないでしょうか。最近はどうなのか存じていません。

東京會舘は仲間と一緒に沢山の人数で宴会をするには安くて、品があり重宝な場所ではないでしょうか。

 最後に、八重洲の地下街はお店を決めずにブラブラ歩いて雰囲気の良いお店で足を止めるのにいいのではないでしょうか。東京のサラリーマンの生態を観察出来ると思います。

ガード下とか野郎ばかりで飲みに行く場所には詳しいですが、ファミリーで食事をする場所となると限られると思います。多分、現役の読者の方々の方が詳しいでしょうね。

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祟礼門 大火

 昨夜のニュースで驚くべき映像が映し出されていた、しばし呆然として眺めていた。韓国のシンボルとも言うべき南大門(祟礼門)が炎上しているのだ。14世紀末に建造された世界的な遺産です。

初めて韓国を訪問したのは、ワールドカップが開催された時に開会式を観る為にでかけた時であり、その時にこの南大門と対面出来た。建造された頃はこの門の両側には延々と石積みの城壁が巡っていたのでしょうね。

 朝鮮王朝を開祖した太祖李成桂がこの漢城に遷都し1394年に都を建造した。敬福宮を中心に王城を開いた。この時に崇礼門は建造されたのだ。名前は礼を崇う国に至る門という意味ではないでしょうか。中華文明圏ですから礼が一番大事な約束事なんでしょうね。

 そういえば、琉球王朝でもそうでしたね。守礼之邦と書かれた守礼門です。首里城には守礼門がありますが、やはり中華文明圏時代の名残りですね。そういえば、聖徳太子はんが隋の煬帝に手紙を送った時に激怒したのは、礼を知らない国だと非難した事を思い出す。又、漢の時代でしょうか、倭の国では大王は朝の暗いうちに政務を行い、日が昇ると朝廷に於いて、弟に政務を任せたという話を中国の皇帝は聴き、その風習を止めさせよと言った話を思い出す。

 (ブランド好きな中国人)

 中華と言えば、先日テレビで北京から富裕層の人々の日本観光旅行の取材番組がありました。貿易商を営む旦那と奥様も仕事をされ二人の合算年収が2千万円という夫婦が子供をつれて日本に旅行されていた。銀座で高価なブランド品を購入されている。

 日本では本物が安心して買えるのが魅力だそうです。しかし、何ですね、ブランド品を買いまくるのは日本人だけかと考えていましたが、中国人も好きなんですね。日本人には古来島国ですから、舶来品を尊ぶ風習が存在したのは理解できるのですが、中国人もブランドが好きというのでどうもアジア共通の性癖かもしれないと考えないといけませんね。

 アメリカ西海岸に住んでいた頃に米国人を分析していたが、彼らは決してブランド品に大金をはたいて購入しようとはしませんでした。実利主義なんです、10万円のロレックスは買わない。不思議ですよね。しかし、立派な家と家具は欲しいのが米国人ではないだろうか。

 (権威と権力の分離)

 余談になりますが、日本の古代の歴史を学べば学ぶほど疑問が多く湧いてくる。邪馬台国の卑弥呼から連立王国から擁立された権威はあるが、権力は無い社会体制がその後のヤマト王権にも引き続がれたのではないか。5世紀に雄略大王が専制君主的な行動をするとどうやら潰されたようである。継体さんがそこで、連立で擁立される。

聖徳太子さんも中央集権国家を築こうとしたが、17条憲法でも和もって尊しとなす、と言わざるを得ない。どうもローマ共和制時代の帝国のように専制君主を排除する思想が根底にあるように思われますね。今でも、会社の社長は御神輿に乗るという言い方をする。

 権威と権力を分離する思想はこの日本には脈々と受け継がれているのだろうか。

この話はブランド好きとは関係が無いですよね。

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山陰山陽の旅 予定

 今週木曜日から二泊三日で山陰山陽方面の旅に出かける事になった。

 ・2月14日 早朝 羽田ーー石見空港 

   津和野、萩、松下村塾、萩焼き窯元、萩温泉郷(泊)

 ・2月15日 秋吉台、錦帯橋、安芸の宮島、原爆ドーム、広島(泊)

 ・2月16日 石見銀山、羅漢寺、 夕方、広島空港ーー羽田

 一番の楽しみは石見銀山なのですが、残念ながら崖崩れで見学は出来ないらしい。世界遺産に登録されたようですが、残念です。石見銀山近くで生まれ育った友人がおりまして、彼の子供のころの話を酒を飲みながら聴くのが何時も楽しみでした。

 過去記事 出雲のポン太君

 宮島も初めての訪問です。平清盛の夢跡を探りたいと思います。

原爆ドームは一度は訪問しないといけないと思います。気が重いですが、現実をちゃんと観ておきたいです。

  追加参考記事 ほかもさんのブログ 

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建国記念の日

 今日は建国記念の日という事で祭日です。中国とかベトナムとか韓国では未だ旧正月の休みなんでしょうか。戦前は、紀元節と呼ばれた祭日だったですね、家の前には日の丸を掲げていましたね。最近は自宅に日の丸の国旗を掲げるお家は少ない気がします。

 (国旗あれこれ)

 日本で目立つ国旗と言えば、イタリアンレストランでのイタリア国旗でしょうかね。ベトナムではありとあらゆる場所にベトナムの国旗が掲揚されている。普通の日でも自宅に国旗が掲揚してる人がいますが、共産党の人なんでしょうか。中国も目立ちますよね。

 一番国旗掲揚が好きな民族と言えば、歴史の浅いアメリカでしょうね。自宅に国旗を掲げている人が多いのに驚かされますね。日本では国旗と国歌が見れて聞えるのは意外なサッカーの試合ですよね。国際試合での競技場です。忌まわしい過去の大戦のイメージでは無くて若い選手と若い観客が国歌を歌う姿は不思議な光景に見えますが、私は何処か嬉しい気持ちになります。

 外国のサッカー選手が日本の国歌をどのような気持ちで聴いているんでしょうか。時折そんな事が気になります。あの特別なスローテンポの曲で御詠歌のような曲ですから、出鼻を挫かれるのではないだろうか。

 (建国記念)

 日本以外の国で建国記念の祭日を設けている国はどうなっているか気になりましたので、少し調べました。多くの国々では建国記念の祭日を祝っている。しかし、殆どが独立記念という比較的歴史の浅いメモリアルになっている。日本のようにヤマト建国の神話をベースにしている国はお隣の韓国の檀君神話ぐらいではないだろうか。

 悠久の歴史を誇るお隣り中国でも現体制の中華人民共和国の建国記念となってるのではないだろうか、秦の始皇帝が建国した統一中華を記念している訳ではない。イタリアでも紀元前のローマ帝国の建国を記念している訳ではない。

 かの大戦の敗戦により紀元節は廃止され、建国記念の日が設けられたのは二十年後あたりではなかったでしょうか。多くの議論があったようですね。皆さんのお家では子供さんにどのように建国記念の日を説明されてるんでしょうか。

この祭日をきっかけに、歴史に興味を持ってもらえば嬉しいと思います。神武天皇が橿原で即位されたと言うけど、何で日向の九州から来られたのと子供に訊かれますね。親も歴史を勉強しないと答える事が出来ない。

 北海道から沖縄までの南北に長い列島は海に囲まれ、殆どが山岳地帯の日本列島は亜寒帯から亜熱帯迄の気候を持ち繊細な四季を与えてくれる自然。世界一素晴らしい国土だと思います、何時までもこの素晴らしい土地に住みついた先祖を敬う日として建国記念の日と個人的には考えています。

 (閑話休題)

 この連休中にテレビでは旭山動物園にお番組が幾つか放送されていましたね。レッサーパンダ(小熊猫)の空中散歩と猛獣の雪豹、アムール豹が紹介されていました。是非、過去記事の動画を参考にして下さい。小熊猫はとても可愛いいですし、アムール豹が吠える場面は迫力がありますよ。

  冬の旭山動物園 動画記録集

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大倉山梅林 2008年花通信(2)

 2008年2月10日日曜日の大倉山梅林の状況を報告します。未だ二分咲きですので、見頃は二週間後ではないでしょうか。

 動画記録 大倉山梅林2008年2月10日梅模様(1)

「2008-ookurayama-ume1.wmv」をダウンロード

 動画記録 大倉山梅林2008年2月10日梅模様(2)

「2008-ookurayama-ume2.wmv」をダウンロード

 動画記録 大倉山梅林2008年2月10日梅模様(3)

「2008-ookurayama-ume3.wmv」をダウンロード

昨夜は横浜も雪が降り積りました。今朝はすっかり雪も止み、昼頃はポカポカ天気となりましたので、大倉山梅林に散歩としました。

20081ookuraymaume_016 20081ookuraymaume_015  まだまだ二分咲き模様ですので、二週間後が見頃になるのではないでしょうか。しかし、ぽつんぽつんと咲く梅もよろしいものです。

ポカポカ天気のなかのんびり出来ました。

 参考過去記事 大倉山梅園 2008年度花通信(1)

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北海道 冬の札幌点描

 冬の北海道紀行は初めての経験でしたが、今回気になったものを取り上げてみます。

 (だるまストーブオブジェ)

20081hokkaidokikou_100  このオブジェは宿泊していた札幌のホテル ニューオータニの玄関に飾られているだるまストーブのオブジェです。NANMOSA STOVEと刻印されており、意味が判らないのでグーグルに訊いてみました。

 参考記事 なんもさストーブ

”なんもさ”とは、北海道の方言で”どうてこと ないよ!”という意味だそうで、このオブジェは彫刻家の流政之さんの作だそうです。ところで、だるまストーブと言えば、道産子のてっちゃんが詳しいので彼の記事を調べると。

 道産子哲ちゃん ルンペンストーブ記事

 参照記事 ストーブあれこれ

全くオブジェにそっくりなだるまストーブの写真がありますよね。昔は石炭でこのような温かみのあるデザインのストーブが使用されていたんですね。

20081hokkaidokikou_099 (札幌駅の駅弁屋さん)

 冬の天然寒ブリ弁当、いい響きですね。明治32年創業だそうですよ。このお店の前に回り販売されてる弁当をよだれを垂らして眺めていました。残念ながら食事をする場所が決まっていたので、弁当は諦めました。

    参考ブログ ”ふろく”zapさん 駅弁記事

20081hokkaidokikou_173 (ハンバーグ寿司)

 孫が花まるさんの回転すしで食べたものですが、ハンバーグ寿司なんかが存在するんですね。初めて知りました。

20081hokkaidokikou_002 (恭太の特別席)

横浜から二匹の猫が北海道に移住しました。写真は恭太ですが、もう一匹の虎は人見知りをして私がゆくと姿を見せません。何時も押し入れの中に隠れています。

20081hokkaidokikou_007  娘の家の近くはこんなに、雪が積り買い物も車でゆくか、歩いても大変です。今回は橇を持って買い物に出掛けました。帰りは荷物を橇に乗せて引っ張って帰りました。

孫を乗せて二三回は引っ張りましたが、疲れて息切れでしたね。

20081hokkaidokikou_085  時計台前のレストラン”小麦の家”の前から観る時計台です。

楽しい思い出が一杯出来ました有難う。

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大倉山梅林 2008年花通信(1)

20081ookuraymaume_009  大倉山梅林の今年(2008年)の状況について報告します。未だ二分咲きというところでしょうか。

2006年度の大倉山梅林の状況はどうだったでしょうか。

 2006年2月11日 大倉山梅林蕾模様

 2006年2月19日 大倉山梅林二分咲き模様

過去と比較すると今日はまだ8日ですから、二年前に比べると早いかも知れない。地球温暖化と関係があるでしょうか。

20081ookuraymaume_008 20081ookuraymaume_007 20081ookuraymaume_006 20081ookuraymaume_005 こないな按配です。全く蕾にもなっていない梅もあります。今週末では未だ見頃ではありません。

 最近私のブログで大倉山梅林(園)の検索で来て頂く人々が増えています。地元のブロッガーとしては梅模様をお知らせする義務があるように感じまして報告します。

20081ookuraymaume_010 20081ookuraymaume_011  東横線大倉山駅で下車されれば山を10分程度登れば梅園です。散歩がてらに是非、お立ちより下さい。

山からは武蔵小杉のビル街も見えますし鶴見方面も遠望可能です、風光明媚な場所ですよ。

20081ookuraymaume_012 20081ookuraymaume_013  出来ればお弁当をご持参頂き、のんびりして下さい。梅祭りの頃は屋台もでますので、賑やかになります。

今後、又、見頃になれば報告します。

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蘇我稲目と渡来美女

 昨夜から明日香村の真弓鑵子塚古墳に関するニュースがあり、メモ記事を書いた。

 過去記事 真弓鑵子塚古墳

ところで、朝日新聞のニュースで解説された京都橘大の猪熊兼勝先生の蘇我稲目と朝鮮半島から連れてこられた美女説が面白いし夢がありますので、少し解説記事を書きます。ニュース記事では百済の美女とありますが、高句麗の美女の間違いだと思います。

 (日本の動乱と新羅の勃興)

 日本では河内王朝の武烈大王を最後に河内王朝は衰退し、新しいヲホド王(継体大王)の時代に転換します、この混乱の時期に新羅はヤマトが影響力を行使していた洛東江界隈の任那同盟の盟主である金官国(金海)を532年に併合してしまう。

継体大王は九州の雄である磐井との有名な磐井の乱を制圧する訳ですが、朝鮮半島に対する河内王朝以来の影響力は失われて行く。562年には洛東江の加羅諸国と呼ばれた国々が新羅に併合されてしまうのです。最後に生き残った安羅(弁辰安邪国 アヤ国)から渡来したと想定されるのが、例の漢(アヤ)氏と推定されている。

その後、欽明大王の時代となり朝鮮半島は百済、新羅、高句麗という時代になります。

 (大伴連狭手彦の出兵)

 百済の要請で高句麗の南下を防ぐ為に欽明大王の時代に大伴連狭手彦が大将軍として出兵し百済の計略により高句麗の王城を攻め落としたと日本書紀には記述があります。興味があるのはここからですが、その時に略奪の金品と共に美女二人を連れ帰り蘇我稲目に差し出したという。

 日本書紀 欽明天皇23年(562年8月)

 ”美女媛〈 媛名也。 〉并其従女吾田子。送於蘇我稲目宿禰大臣。於是。大臣遂納二女以為妻、居軽曲殿。”

 これが、美女の媛と従女吾田子(あたこ)であり、稲目は二人の女性を妻とし軽の曲殿(まがりとの)に住まわせたという。この二人の美女は姉妹であった可能性があります。これが今回の猪熊先生の説に繋がるのです。元々が石室には二つの家形石棺二個と木棺が存在したという真弓鑵子塚古墳ですし、稲目の没年が6世紀中葉であることが理由です。

 (どんな美人であったのだろうか)

 蘇我稲目は娘二人を欽明天皇の妃として送り込んでる天皇の外戚ですよね、強大な権力を持っていたと想像できます。彼女達の運命はどうなったんでしょうね。

考えられるのは、彼女達を妻ではなく養女として受け入れ天皇に差し出した可能性と、もし子供が出来ており女の子であれば天皇の妃として差し出した可能性があります。

 日本の正史の欽明天皇の事績に書かれる程、美人だというのですからひょっとすると、青い目の女性であったかも知れませんね。

想像するのは勝手ですから、何とでも考えられます。当時に瓦版屋がおれば三面記事として色々と書かれたのではないだろうか。

 可能性として、彼女達は異国の略奪された事を不服とし稲目を憎み拒んだかもしれない。そこで、かぐや姫伝説を瓦版屋が作り上げた可能性もありますね。

という訳で、猪熊先生の説から逸脱してしまいましたが、面白い夢をみさせて貰いました。

 

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明日香 真弓かんす塚古墳

 本日夕方のNHKニュースでは明日香村の真弓かんす塚古墳の石室に関する報道があった。 

 朝日新聞ニュース 真弓かんす塚古墳記事

 6世紀中ごろの古墳であり、石室の大きさは同じ明日香の蘇我馬子の墓と想定されている石舞台古墳より巨大であるとの報道です。報道では、渡来人の集団である東漢(やまとの あや)氏の首長の墓ではないかと報道。川原氏の族長ではないかと報道があった。

 ニュースでは元橿原考古学研究所の副所長兼付属博物館館長の河上邦彦先生が画面で語っておられた。最近、又、先生の”飛鳥を掘る”を再読していたところでした。

この古墳に関しては、以前MuBlogでも関連記事が掲載されていました。

 MuBlog 飛鳥の古墳&石舞台古墳

 (東漢氏 やまとのあやし)

 先祖は応神大王の時代に朝鮮半島の加羅諸国のひとつである安羅国から渡来した氏族と想定されているらしい。漢をアヤと読ませるので、安羅がなまったと考えられています。河内には既に漢氏が地盤を築いていたので、明日香のヒノクマに拠点を置いた漢氏を東漢氏と呼んだ。

歴史上有名な話として、崇峻大王を暗殺した東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)が有名ですね。6世紀中葉の古墳とすれば馬子が生まれた頃ですね、東漢氏は秦氏と並び渡来系として多くの職能集団を率いて渡来していたと想定されます。

 先月、MuBlogの旦那と訪問した太秦の蛇塚古墳の石室も馬子の石室よりも大きいと記事を書いたところでした。

 参考過去記事(JoBlog) 蛇塚古墳

 参考過去記事(MuBlog) 蛇塚古墳 

 最近は岡田英弘氏の”倭国”を再読して以来、渡来系の氏族は高句麗、百済、新羅、加羅それぞれの国から渡来した人々の中には実は漢王朝が朝鮮半島に築いた楽浪郡や帯方郡に土着した中国系華僑が含まれているのではないかと考えています。

可能性としては、華僑が朝鮮半島の原住民に技術を教えテクノクラート集団として養成し大きな部族集団として渡来した可能性もあるのではないだろうか。

 いずれにせよ、今回の石室調査の発表は如何に渡来系の集団が大きな力を持っていたかが判りますね。

(追伸)

 MuBlog 真弓かんす塚古墳関連記事

 参考 風の書記事

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北緯30度から40度の帯

 昨夜は雪の埼玉スタジアムでのサッカー試合をテレビで観戦していた。熱帯地方から来たタイランドの選手には申し訳ないな~~と思って観ていた。気温1度で雪が降り、整備されたグリーンは滑るだろうし、勝手が違ったのではないだろうか。これは、日本の作戦だったのだろうか。

 ところで、この半年の期間に北海道に三回も旅行したのだが、風景が何所かフランスの田舎、ブルゴーニュに似ていると感じていた。どうも私が生まれ育った北河内方面とは何処か異なるのだ。そこで、昨日から高校時代に使用する世界地図をペラペラめくりながら北緯30度から40度の約1千キロの帯に注目した。

 日本列島では九州から東北の盛岡・秋田あたりまでカバーされる地域である。多分日本の歴史では平安時代の頃には日本国として認知されていた地域である。この帯を西に地球儀を回してゆきましょう。

 朝鮮半島は南部全てをカバーし北部では平壌も包含されます。中国に延ばせば北は北京から南は上海、即ち黄河文明と長江文明をカバーする事になります。インダス川上流をかすめイスラマバード、カブール、タジキスタンを北限としカスピ海南部を含みながらチグリス・ユーフラテスの文明圏を完全に包含する。

そして、トルコを北に南はナイル川のエジプト文明をカバーする。そしてギリシャ文明圏を包含しながら地中海南部とアフリカ北部を包含しながらスペイン南部とポルトガルのリスボンを含む南部地域をカバーする。

アメリカでは東部では北はフィラデルフィア、ワシントンDCから南限はフロリダ半島の根元を包含し、西はサンデイエゴからサクラメントのほぼ主要な都市はカバーされる。

 こうしてみると、文明の発祥地として名高い4大文明は全て含まれる事になります。インダス文明については考古学上ハラッパー遺跡を源と考えますので完全にこの帯に含まれます。

 これに対してローマを中心とする欧州の地域は北緯40度より緯度が高い領域に存在し気候も寒冷化し植生も針葉樹の領域が多くなるのではないでしょうか。畑作、牧畜の領域だと考えられます。一方北緯30度より南の地は亜熱帯の地域となり又、植生も気候も異なると考えられます。

 地球はでかいようで、実は人間が生活できる快適な地域は南北1千キロの僅かな領域であるのではないだろうか。文明が発展し北緯40度から上の領域にも住めるようになり、又、南の亜熱帯から熱帯の領域にも住めるのでしょうが4大文明の発祥地を考えるとこの僅かな北緯30度から40度の領域が重要であると考えられませんかね。

 問題は地球温暖化の影響です、この快適な僅か南北千キロの帯がどのようになるか、地球がどのような試練を我々に課すか、未知数ですね。

北海道を旅していて、やはりここはヨーロッパのようだと感じたのは物理的に本州とは異なる北の大地であったのですね。

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冬の藻岩山

 娘の勧めにより藻岩山に出かける事にした。大通り公園近くでチンチン電車に乗り一日乗り放題300円の切符を買い乗車し、ロープウエイ乗り場の駅で下車し、15分程度歩いてロープウエイ乗り場に着いた。

 ガビ~~ン ロープウエイの営業開始は11時からである、到着したのは10時少し経過した時間で、小一時間待つ事になった。勘弁してほしいですよね、もう少し早く営業してくれかね。

 マイフォト 冬の藻岩山写真集

 動画記録 冬の藻岩山その1

 動画記録 冬の藻岩山その2

 (藻岩山 天然記念物)

 参考文献 営林署資料 藻岩原始林

 どうもこの山の名前はアイヌ語らしい、ちいさな山という意味だそうだが、元々は営林署の資料の写真でおわかりのように、近くの小さな山がモイワと呼ばれていたそうだ。明治政府が勝手にモイワ山を円山となずけたので、インカルシベ(何時も登って見張りをする場所)という名前のこの山に神聖なモイワの名前が引き継がれたとグーグルは教えてくれます。

 都会の近くに原始林が残っているのは珍しいそうで、400種類以上の樹種が存在しているそうだ。詳しくは営林署の資料を読んで下さい、興味深いですね。

 ともかく、待ち時間が長いので、オホーツク、札幌育ちのてっちゃんに抗議のメールを入れた。(ちゃんと時間を調べて来ない方が悪いのですが・・・)

ロープウエイ終点からは、雪上車に乗り頂上まで連れてくれます、これには孫も大喜びでした。どうも此処は皆さん夜景を見る為にこられるようですね。函館山と同じで、きっと夜景は素晴らしいと思います。しかし、今回昼間は晴れていましたので、景色は抜群でした。

 皆様も是非、札幌においでの折にはロープウエイの営業時間帯を確認の上、お越し下さい。(笑)

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札幌時計台とテレビ塔

 札幌観光の定番、時計台とテレビ塔、道庁旧本庁公舎あたりを巡りましょう。

 マイフォト 時計台(旧札幌農学校演武塲)

 マイフォト 道庁旧本庁公舎

 マイフォト 冬の札幌テレビ塔

 (動画ご案内)

 動画記録 札幌時計台

 動画記録 旧本庁公舎、テレビ塔

 (時計台)

 初めて建物の中に入りましたが、明治以降の蝦夷地開拓の歴史がこの札幌農学校とともに語られています。そのシンボルがこの時計台なのでしょうね、開花文明のシンボルが時計台というのは、大学には必ず時計台がある事で判りますね。

 てっちゃんの話では、彼が北大に在学していた頃、そう昭和40年から44年ですから40年以上も前の頃は図書館だったらしい。明治の10年代には農学校が開設され本格的な蝦夷地開拓の農業の拠点として建設された。当時、経済の中心は小樽でしたので、日銀も民間の経済関連企業は小樽でした。

 過去記事 北海道 道南の旅 小樽編

 明治政府は外国から著名な先生を招聘し100年先を考えた人材育成の礎をここに作ったんですね。内村鑑三、新渡戸稲造、と沢山の日本の将来を担う人材を輩出したんですね。新渡戸さんは5千円札で有名だから皆さん御存じですよね、国際的に活躍し国際連盟の事務次長としても活躍、最後は海外で客死されています。

 余談になりますが、日本列島の歴史を考えるに過去何回か国際的な危機に直面しました強固な統一国家を作らないと国が滅びる時期がありましたね。最初は聖徳太子の時代です、大陸に巨大な統一王朝 隋が成立した時代、部族の連合ではない統一国家建設に芽生えた時代です。そして、鎌倉時代の元王朝の襲来の武士による統一国家建設の時代。そして大航海時代で西洋が殖民地開拓に乗り出した江戸幕府成立の時代、そしてアヘン戦争から始まる東洋の危機の明治時代です。

 明治の新しい国家建設の息吹が感じられる札幌時計台でしたね。蝦夷鹿は昨夜のフレンチの三ツ星シェフも北海道まで蝦夷鹿を求めて来ていましたね。料理の仕方で美味しいのかもしれない。

 (テレビ塔)

 ここから雪祭りの開催されている大通り公園は一望のもとです。遠方には大倉山シャンチェが見え、藻岩山も見え素晴らしい眺めです。私はビデオカメラの望遠レンズで楽しみました。ミュンヘン、サッポロ、ミルウオーキと北緯34度の線上にある恵まれたビールの産地で親しまれた素晴らしい土地を日本は持っているのは誇りですね。

地球温暖化の影響はこの北の大地にも押し寄せてくるのでしょうか。先日旭山動物園のアザラシの飼育係の人が話しておられましたが、今年の流氷にも異変があるという。流氷が途切れアザラシが日本海側に移動して越冬を開始したという。

20081hokkaidokikou_117  時計台の前の二階のイタリアンレストラン(小麦の家)で昼食をとり、ワインを飲みながら明治の頃の札幌を考えていた。

このレストランはパスタとピザが美味しいですよ。

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札幌雪祭り 準備状況

 参考 公式ホームページ2008年度 札幌雪祭り

 宿泊していたホテルから歩いて大通り公園まで歩き、雪祭りの準備状況を見学する事にした。娘と孫と4人での散策です。

 マイフォト 2008年 札幌雪祭り準備状況写真集

 マイビデオ 2008年度 札幌雪祭り準備動画記録集(1)

 マイビデオ 2008年度 札幌雪祭り準備動画記録集(2)

 札幌雪祭りの時期には混雑が予想されるので、前日に横浜に帰るスケジュールをたてました。雪祭り、初めての経験ですね、大通り公園に沢山の雪像とか氷の像が建設されていました。

 札幌は旭川に比較して雪が多い場所なんですね、道路脇はうず高く除雪された雪が積まれています。舗道は比較的雪が除雪されているのか、特別の工夫がされているのか判りませんが安全に歩くことが出来ます。

 宿泊していたニューオータニのホテルから南下して時計台を通過して、大通り公園に向いました。現在工事中ですから、ちゃんと観れないですが、制作途中を見る方が面白いと思い興味を持って制作途中の作業を観察していました。

 自衛隊とか市民団体の人々が思い思いの雪像を製作されていました。ほんの数日しか命の無い雪像を作る所に意味があるのでしょうね。日本人の人生観に適合した諸行無常の世界ではないでしょうか。

 丁度、大倉山ではスキージャンプの世界大会が開催されている時期でしたので、外人の観光客が多く見学されていました。札幌雪祭りの歴史は古く、1950年に地元の中学生・高校生が大通り公園に雪像を作ったり雪合戦のイベントをしたりしたのが始まりだそうですね。

楽しく過ごさせてもらいました、地元の皆様と自衛隊北部方面隊の皆様の尽力のお陰ですね、感謝します。

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冬の旭山動物園 ペンギンの行進

 氷点下11度の旭山動物園に出掛けました。片道、札幌から3時間の距離にあります。昨年夏に訪問して以来、二度目の訪問です。

 過去記事 旭山動物園訪問記

 参考 旭山動物園公式ホームページ

  マイフォト 冬の旭山動物園写真集

 マイフォト 夏の旭山動物園写真集

 ペンギンの行進動画記録

 あざらしモグモグタイム動画記録

 白熊、北極狐、ふくろう、レッサーパンダ動画記録

 アムール豹、雪豹、ペンギンモグモグ動画記録

 アムール虎動画記録

 冬の旭山動物園皆様も是非足を運ばれては如何でしょうか。

 

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冬の北海道紀行 その1

20081hokkaidokikou_014  4泊5日の北海道紀行を無事終えて楽しい思い出一杯で横浜に還りました。所が羽田から新横浜プリンスホテルに行くバスが雪の為に欠航です。

旭山動物園ではマイナス11.6度だというのにバスは動いていますよね。ホンマ都心は雪に弱いですね。さてさて、冬の北海道満喫してきました、というか孫とも再会出来て一緒にホテルに泊まり楽しい5日間でした。

20081hokkaidokikou_021  旭山動物園では人気のペンギンちゃんの行進も観ることが出来ました。一匹だけやんちゃなペンギンがおりまして、一人列から離れて道草していますね。けど、列に戻るまで待っているのが可愛いい光景でした。

動画でも沢山収録しましたので、後日披露したいと思います。本当に可愛いい人気があるのが判ります。

20081hokkaidokikou_030  動物園の龍もあまりの寒さで鼻水を垂らしていましたよ。(笑)

マイナス11.6度の表示は丁度お昼の頃ですから、朝と夕方の寒さは半端ではありません。皆さんよくこんな季節に札幌から3時間もかけて来ますよね。といいつつ私達は、横浜から来てますけどね。

20081hokkaidokikou_108  そうそう、時計台の建物に入られた事がありますか。今回は暇なので、入りました。記念館として昔の札幌農学校時代の歴史展示がされているんです。注目は写真の料理です、有名な外人教官か誰か外人の歓迎会で出された料理です。

 白鳥のロースと温野菜、鹿のロース、タラ、鹿の煮込み料理、アイスクリーム

 てっちゃんの先輩諸氏はこんな料理を明治の初めの頃に食べていたんですね、驚きでした。白鳥なんか食べていいのでせうか。

20081hokkaidokikou_124  札幌雪祭りの準備も順調ですよ、明日から始まりますね。未だ準備中なので、制作途中を見ることが出来て楽しかったです。いろんな人々が思い思いの雪像を作っておられましたね。自衛隊の人々は流石に巨大な雪像を製作されていました。

20081hokkaidokikou_165  札幌駅にある有名な根室の回転すし屋である、”花まる”さんに出掛けました。今の旬である真タラの白子(真だち)を食べました、美味でしたね。毎回北海道に来て感心するのは回転すし屋さんは、美味しくて安くて感動しています。

という訳で、楽しい冬の北海道というか札幌紀行を何回かに分けて記事にしたいと思いますので、宜しくお願いします。

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