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蛇塚古墳

 グーグルアース 蛇塚古墳上空写真

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2007oomisokakyoto_023 2007oomisokakyoto_024  元糺の杜の近くの住宅地の真ん中に蛇塚古墳があります。探すのが大変ですが、Muさんは上手に探してくれました。秦氏の葬送の場所だそうです。

飛鳥の石舞台古墳に匹敵する巨大な石室が露になっています。巨大です!

2007oomisokakyoto_025 2007oomisokakyoto_026  偶然に石室の前の管理人のおばさんが鍵を開けて下さいましたので、石室の中に入ることが出来ました。

7世紀築造の前方後円墳だそうで、今は石室の石しか残っていませんが、蘇我馬子の石舞台を凌ぐ大きな横穴石室を持つ古墳には驚きでした。

2007oomisokakyoto_027 2007oomisokakyoto_028  案内板によると、前方後円墳の大きさは全長75メータであり、石室全長17.8メータ、玄室長6.8メータ、玄室幅3.9メータ、床面積25.8m²とあり、幅では石舞台を抜き、床面積では国内4位の巨大な横穴式石室だそうです。

2007oomisokakyoto_029 2007oomisokakyoto_030  蘇我馬子の時代にこの山背の国に秦氏は馬子に匹敵する巨大古墳を築いていたとは驚きですね。しかも、卑弥呼の箸墓から続く大和王朝の伝統的な前方後円墳であるところが興味あります。

2007oomisokakyoto_031 2007oomisokakyoto_032  聖徳太子を財政面で支えた豪族である秦氏は新羅を中心とする反、百済の朝鮮半島のバックがあったのではないだろうか。太子は蘇我氏の血を受け継いでいるが、不思議と高句麗、新羅に近い人材を回りに布陣させており、馬子の百済勢力とバランスを取っていたのではないだろうか。

2007oomisokakyoto_033 2007oomisokakyoto_034  太子の長男は山背大兄皇子ですから、秦氏が養育したのではないだろうか。聖徳太子が突然の死とともに、河勝は播磨の赤穂に逃れている。そして、その後、桓武天皇が山背に遷都するまで歴史の表舞台からは姿を消した。

いったい、この秦氏とは何者であったのか、これからも調べてみたいと思います。謎は深まるばかりである。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

Comments

Joさん
 ややこしい話に、スジがすっきり通ったので分かりやすかったです。
 Muもまとめようとはしているのですが、気力がふにゃりとしてしまって、ね。
 百済、新羅、高句麗と、日本の有名人、そして渡来人との関係がときどき混乱します。
 ともかく、秦河勝が播磨に逃げたのは記憶に残りました。
 

Posted by: Mu | 2008.01.02 05:53 PM

Muさん

 お疲れ様でした、直ぐに場所が判り有難かったです。そういえば、私は寝屋川高校出身なんですが、実は寝屋川に秦河勝のお墓と伝えられる場所があるし、秦、太秦という地名もあります。

 淀川水系も抑えていた可能性がありますね。それに、一時、神奈川県の厚木に住んでいた時があるんですが、小田急沿線に大秦野という駅があり、南京豆の産地で有名です。

秦氏は関東まで入植していた可能性がありますね。

Posted by: jo | 2008.01.02 07:04 PM

 Joさん

 京都魔界巡礼シリーズその(2)ですか?σ(^◇^;)。。。それにしても、蛇塚古墳とは・・・何で蛇塚なんですか?

 住宅地の真ん中に忽然と古墳が現れる景色、想像できません。京都や奈良・・・古都には、嵌まると抜け出せなくなる歴史の魔界が沢山あるのでしょうね。 (´・ω・`)

Posted by: | 2008.01.02 07:09 PM

てっちゃん

 初詣は帝釈天に行かれた様子ですね。大変な混雑だったようで、漬物を購入してお帰りだった様子ですね。

蛇塚の名前は昔、この古墳の岩の間に仰山の蛇が住み着いていたそうですよ、だから俗称として蛇塚と呼ばれんでしょう。

 しかし、乱開発で住宅に囲まれてしまったようです。

Posted by: jo | 2008.01.02 07:49 PM

2008年が始まりましたね

 今朝はMu大兄に新年の挨拶をしました。
ブロッグ連歌師仲間として今年もよろしゅうお願いします。
元旦の鶴見川からの富士山きれいですね。
ホンマ関東はなんもないけど富士山だけはありますなあ。

 去年はJOさんいろいろありましたね。
よく体が持つなあといつも驚いています。
若い頃ワンゲルで鍛えた貯金が残っているのでしょうか。

 秦氏をグーグルに聴きますと366,000件とあります。
朝鮮発なのか中国(といっても広いですが)発なのか、それともシナイ半島当たりから流れてきたのではないか、などなどそのルーツは謎のようですね。
書かれたものが少ない、あるいは無い、ことの歴史をたどるのはむずかしいですねえ。
そこにロマンがあるのかも、ね。

Posted by: ふうてん | 2008.01.02 10:46 PM

ふうてんはん 

 お身体の調子が年末は悪かった様子ですね。昨年最後の山田塾には出る予定でしたが、京都に帰る必要があり、失礼しました。

 物理的な年齢による老いは仕方ないと思いますが、何とか元気な身体を維持したいと思います。最近は、メタボでお腹が出てきました、運動が必要と思います。

 先ほどまで、イチローの特番を観ていましたが、世界の一流になる男は違いますね、日々の精進が凄まじいと感じました。

今年はどのような年になるか判りませんが、無理をせずに、気楽に人生を楽しみたいと思います。しかし、男というものは何時も何か緊張感とか危険な匂いがする世界に自分を置かないと、面白くないという変な動物だから、困りますね。

 ともあれ、お互い身体だけは気をつけましょう、そして京都方面で三人で遊びましょう。

Posted by: jo | 2008.01.02 11:08 PM

 昨年は、『JoBlog』で世界の見聞を広めることができました。今年は(京都の魔界)について、賢くなれそうです(笑)。

 蚕の社・蛇塚古墳については、以前記事にしたことがあります。でも、実際に行かれると、迫力が違いますね。

 本年も、ノンフイクション『JoBlog』を楽しみにしております★

Posted by: ほかも | 2008.01.03 10:26 AM

Joさん
ひさしぶりに、ふうてんさんも元気なようなので、一席。

昨日ご承知のえどるん君と和製映画を見に行きまして。
帰路に、三条「イノダ」でもよりましょうとなって、西行しました。最初に、円形のでっかいカウンターのあるイノダをのぞいたら、店頭のグッズ売り場も外も、待つ人で一杯。

あきらめて。
すぐそばの、ふうてんお気に入りの蕎麦屋の角を曲がって、イノダ本店を見たとたん! おお、道に人があふれて列をなしているのです。

イノダは好きですよ。
しかし、珈琲飲むのに、なんで行列つくらなあかん! と腹を立てて、そのまま別のイタリアンに入りました、とさ。

かくの如く、京都は正月なんかは込みますね。底冷えのする中旬以降、ぜひ二人で来てください。

ここのところは、ふうてんさんの顔をたてて、爺さんの好きなところへおつれしましょう。宇治平等院なんか平安朝風で、よろしで。きゃはは。
再見

Posted by: Mu | 2008.01.03 10:27 AM

ほかもはん

 初詣は大神神社と北野天満宮だったようですね、毎年、ほかもはんのブログで大神神社を参拝させて頂いています。(笑)

 もうすぐ、娘さんの大学受験ですね風邪をひかさないように注意してあげて下さい。弟さんの挙式も春だそうで目出度いことが続きそうでなによりです。

今年は、京都魔界探検をしたいと考えています、さてどうなりますか、楽しみにして下さい。

Posted by: jo | 2008.01.03 11:23 AM

 Muの旦那

 今年は山背と謎の継体大王の宮を探りましょうぞ!

ところで、昨夜テレビで伊勢神宮をやっていましたが、豊受大神が鎮座する外宮の方が格が上だそうですね。

 この豊受大神は女神ですが、元々は丹波の国に鎮座されていた神だそうですよ。

これからも、探検する場所が多くて困りますね。今年も宜しくお願いします、ふうてん老人が元気になれば是非、京都方面でも宜しく。

Posted by: jo | 2008.01.03 11:36 AM

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