« December 2007 | Main | February 2008 »

餃子を食べてて驚く

 昨夕は衝撃的なニュースがありましたね。私は餃子を作り食べようとしていた所に毒入り餃子のニュースが飛び込み驚きです。よりによって餃子を食べようとする時でした。ホンマ勘弁して欲しいですね。

 次々とJTは回収冷凍食品の銘柄をニュースで流し始めた。子供用の弁等食材と思われる食品ばかりだ。被害を受けるのは子供たちではないですかね。頭に来たのは生協は昨年12月に異常の報告を受けていたと報道があった。

 今回の事件で考えさせられるのは、CO₂の削減も考えると、産地近郊で生産された食材を食べろという警告ではないでしょうか。昔は旅行するとその土地でしか手に入らない食材を楽しんだものですよね。今は東京で日本中の、いや、世界中の美味しい食材を手に入れる事が出来るのですが、代償を払っているんですよね。

天洋食品のホームページを参照したけど、英語版でしか眺めていないけど貧弱な何も判らないホームページでした。

 昨夕はニラと白菜とキャベツと豚の挽き肉、にんにく、生姜、胡椒、塩、片栗粉、ゴマ油で餃子の具をつくっていたが、時間の無い働いている女性達は冷凍食品に頼らざるを得ませんよね。食材の安全性についてはどうすればいいのでしょうね。

 過去記事 フードマイレージ

 さて、そろそろ羽田に向かいます。CO₂を随分排出して札幌です。申し訳ないですね。日頃は自転車ですから勘弁して下さい。北海道まで自転車で行くとなると体力が持ちませんからね。

 そうそう、3月7日から赤とんぼの恒例の春合宿が信州は岩岳の山小屋”ちんぐるま”で開催予定です。今年は雪が既に2メータ積雪だそうですよ。楽しみです。

 

| | Comments (2)

明日から北海道旅行

 明日から2月4日まで北海道に旅行です。今回は札幌に拠点を置き雪祭りの準備状況とか、ペンギンちゃんの行進を見る為に旭山動物園に出かけます。

 旭山動物園気温状況

マイナス6度程度のようですね、北海道は寒いでしょうね。オホーツク育ちのてっちゃんの話では外でオシッコしたらアカンと忠告を受けています。(笑)

 冬の北海道紀行は初めての経験ですが、さて、どれ位寒いか、夜のススキノはどないな按配なのか、ラーメンと寿司が楽しみです。

 という訳で、しばらくブログは休載しますので宜しく。

 (飛鳥 亀石の話です)

 昨夜から、昔読んだ河上邦彦さんの”飛鳥を掘る”を再度読み返しています。そこで、飛鳥の有名な亀石の話について先生の説に私も共鳴するので、簡単にご紹介しておきます。

 過去 亀に関するJoBlog記事紹介

 亀の古代学

 jo君モンゴルに行く(2)亀石発見

 梅原さんの亀石説

 河上先生の説は亀石は橘寺の塔心礎として用意された制作途中のものであるという考え方です。重要な資料として羽曳野市の野中寺(やちゅうじ)の塔中心礎(塔の中心を貫く心柱を支える礎石)に刻まれた亀の刻印がそっくりなんですね。

その他、塔を支える亀の資料は唐招提寺にもあるという。金亀舎利塔(きんき しゃりとう)は亀が塔を背中に乗せた形をしているそうだ。

 鑑真和上が唐より来日する時に嵐になり、三千粒仏舎利を海に沈めたところ、亀が背にそれを負うて浮かび上がって来て返納したという。現存のものは国宝で鎌倉時代のものだそうだが、鎌倉以前に銅製の亀の舎利塔が存在していたらしい。

氏は同時に野中寺と橘寺に共通する特殊な構造を論述しています。野中寺の中心礎は特殊な柱穴を持っているらしい。中心柱の周りに三か所添柱の穴を穿った特殊構造であるという。

 同様の塔中心礎を持つ寺は羽曳野市・西琳寺跡、斑鳩町・若草伽藍、奈良県香芝市・尼寺廃寺(にんじ はいじ)そして飛鳥の橘寺だけだそうだ。これは、同じ工人が同じ時代にに建立したと推測できるという。出土瓦の分析から証明できるという。

 亀が世界を背負うという思想は仏教にも道教にもありますね、蓬莱山を背負うのも亀ですよね。亀石は橘寺の近くにいますので、何等かの理由で途中で放置されたのかもしれない。

そういえば、ハノイの文廟では沢山の亀さんが碑文を背負うていましたね。

 文廟 亀さん活躍

 明日から寒い北海道紀行です、しもやけにならないように気をつけて美味しい北海道の食材を堪能してきたいと思います。

| | Comments (2)

紀元前3~4世紀の朝鮮半島

 日本列島の縄文時代から弥生時代への変革の時代は何故起こったのか。日本列島の事情もあるだろうし、今まで存在しなかった稲作という海外から伝播された農業革命は何故発生したのかが昔からの疑問が続いています。

 では何故、稲作は日本列島に伝えられたのか、理由がある筈ですよね。日本列島は海に囲まれた島国ですから、海外から稲作を伝えた人々がいた筈ですよね、しかも偶然に船が流されて辿りついても稲作は伝わらない。きっと、何かの理由があり大陸から稲作は日本列島に伝えられたのです。

 この歴史を、現在判明しているあらゆる研究成果を踏まえ仮説に迫りたいと思います。先ずは中国の歴史書 史記 から紀元前4世紀から3世紀の頃の大陸と朝鮮半島の政情を探ってみましょう。

  (燕の朝鮮半島支配)

 残念ながら資料としては日本列島も朝鮮半島も紀元前の頃の事情は神話として語られるのは後世の書物にあるが、歴史事実としての文書としては中国の歴史書に頼らざるを得ません。勿論考古学により発掘により確定されねばいけませんが、先ずは中国の歴史書を探る事にしましょう。

私の理解では朝鮮半島はツングース系の遊牧民が縄文以前から南下して住んでいたと理解しています。しかし、南西部から南部の地域は黄海を挟み山東半島から中国東海岸沿岸に海を生活の場としていた人々、所謂、越人が沿岸に住んでた可能性もあります。この越人は九州沿岸にも住んでいた可能性があります。

 さて、紀元前334年に”史記”の蘇秦列伝”にて燕は東に朝鮮があるという言葉があり、朝鮮半島の北部が燕の支配下にあった事が判るそうだ。燕は紀元前284年に山東省の斉国を征服し6年間支配したという。どうも朝鮮半島の南部の真番(しんばん)迄支配を拡げたと解釈できるという。

 岡田英弘先生の”倭国”倭国への道によれば、”史記””朝鮮列伝”では燕国の全盛時代には、半島の北部の朝鮮地方から南部の真番地方まで、要地には砦を築いて官吏を駐在させて、中国商人の権益を保護していたという。ただ、真番がどれほど南方か問題だが洛東江の渓谷で日本列島への入口であったろうと言う。日本との目と鼻の先まで中国の勢力が延びていた事になる。

 その後、中国全土を統一した秦始皇帝が燕を紀元前222年に滅亡させ遼東郡を設置し遼東太守が朝鮮半島を保護下においたそうだ。その後、秦の滅亡とともに漢の劉邦が皇帝となり昔の燕の地に同郷人の盧綰(ろわん)を燕王にたてた。その後彼も劉邦に追われ朝鮮半島は漢の直接支配となるのが、紀元前195年である。

どうもこの頃に燕から亡命した満という人間が仲間とともに清川江を越え朝鮮の原住民や元の燕人や斉から亡命した人々を集結させ王険(平壌)に都を築いたそうだ。(朝鮮列伝)

 漢の遼東太守は満と契約を結び外臣として認め漢の軍事援助と経済援助を手に入れたそうだ。そして、朝鮮半島を満は事実上支配したという。

 (紀元前4世紀から2世紀の朝鮮半島)

 朝鮮半島の地図をネット上で探したがなかなかいいのが見つからない。そこで、手元に世界地図で朝鮮半島を取り出してもらえませんか。高校生に戻った積りで半島を眺めて下さい。

 朝鮮半島西北部の大同江を下りましょう、平壌を過ぎて江口近くで南から合流する載寧(さいねい)江に入り溯り瑞興江の渓谷から滅悪(めつあく)山脈を越えて礼成(れいせい)江にでる。下ると開城で漢江口にでますね。それを溯るとソウルさらに溯ると広州で最初の百済の王都です。そして忠州から小白山脈を越えると聞慶(ぶんけい)にでて洛東江を下ると伽耶(加羅)の国々、任那(みまな)の故地を経て釜山にでます。

 これが、朝鮮半島での縦断ルートと想定され、そのルートには古代も今も都が栄えている。このルートで中国の商人は貿易ルートを確保したと想定できるのではないだろうか。要所には砦が築かれ商人を保護したと考えられる訳ですね。

 (結論)

 ここで言いたい事は紀元前4世紀から中国の陸上ルートにて朝鮮半島を縦断して釜山迄陸上ルートが確保されていた事実です。私は多くの中国と日本列島のルートは長江から直接九州への海上ルート又は山東半島から黄海を渡り朝鮮半島西南部海岸から南部経由で九州及び日本海沿岸へのルートがメインだったと考えていますが、陸上ルートも存在していた事実は重要と考えるようになりました。

| | Comments (0)

中国からの出稼ぎ労働者

 昨日興味を持ってテレビを観ていた。福井県の田舎の零細企業である縫製工場といっても農家の離れにあるボロな縫製工場で働く中国からの出稼ぎ労働者の女性三名の番組でした。

 彼女達は上海の近くの田舎から来ておられるようで、最近の中国の急激な物価高と変化により上海近くの農家では生活が大変な様子でしたね。お金を稼ぎに3年契約で日本に働きにくるのですね。幼少の娘を残し若いお母さんが出稼ぎに日本に来ているのですね。

月給は10万円だそうですが、自炊で切り詰めた生活が紹介されていました。社長は兼業農家であり年寄りのご夫婦でとても社長のイメージからはかけ離れた映像でした。暗い倉庫のような場所で中国の女性3人が黙々とミシンをかける姿が印象的でした。

 救われたのは、社長の爺さんが差し入れしたり暖かく夫婦で3人の出稼ぎの人々の面倒を見ている事でしたね。彼女達も経費がかからないように、夕方になっても工場の電気はつけずに手元の小さな電気だけでミシンをかけている姿は涙がでましたね。

爺さんが風邪をひくと彼女達は卵とじのお粥をつくり持ってゆきました。心が通っている風景でしたね。

 (中国の格差拡大)

 中国の現地取材では変わりゆく農村の姿が映像で捉えていましたね。農民は物価高で困窮しています、日本も昔は農村からどんどん都会に人口が移動した事態が中国で起こっているのですね。

日本と異なるのはその速度が急激であることと、いい職場は学歴が必要だという事らしい。しかし、大学をでても3割とか4割しか就職出来ないという話も聞きます。急激な経済発展の源は外資の進出ではないでしょうか。中国の企業の発展は日本の過去の高度成長時代のようにあるんでしょうかね。

 一方で銀座の高級店で豪華な買い物をする金持ちの中国人は一体どうして金持ちになったんでしょうね。不思議です。昔の日本のように総中流という経済発展ではない事は確かなようですが、その理由は何なんでしょうか。

| | Comments (2)

横綱同士の対決

 今日の千秋楽の白鵬と朝青龍の横綱同士の対決は迫力がありましたね。久し振りに大相撲が盛り上がったのではないだろうか。意地と意地の対決を感じさせる本気の戦いを見るおもいでした。これで来場所も面白くなりそうな予感がしますね。

 彼らの筋肉と体型を見ていると、日本人ととても似ていますよね。我々が彼らに似ているのかも知れない。遥か昔に我々の先祖もユーラシアのモンゴル草原から海を渡ってきたのでしょうかね。

しかし、お相撲さんのナンバ(右手右足が同時に前に出る動き)と引く力は何処か海の民の面影があるのですが、相撲は歴史が古いですよね。私の故郷には片埜神社という有名な神社があるのですが、言い伝えによると野見宿禰が大麻の力士である大麻蹴速に勝利した褒美に垂仁大王から河内の地を与えられたと伝えています。

 彼は出雲の力士で土師氏に連なる氏族ではなかったかと思われます。日本の神話では国譲りの話でヤマトから派遣された力士である健御雷神(タケミカズチ)は出雲の健御名方神(タケミナカタ)に相撲で勝利し出雲を勝ち取ったという。

 (ふんどしは海洋民では)

 力士のふんどし(褌)は海に潜る人々がつける衣服ですよね。モンゴル兵がふんどしをしていた絵を見た事がないし、むしろ海に潜る人々がサメに襲われた時にふんどしをほどき、長く垂らし大きな動物に見せる為だと子供の頃に教えられた記憶がある。

モンゴル相撲は見てるとどちらかと言うと、レスリングのグレコローマンに似ていませんかね。相撲はやはり、稲作民とか海洋民の香りがします。先日、テレビでイースター島のモアイ像がふんどしをしている光景を観ましたよ。(笑)遥かポリネシア、メラネシアの人々はふんどしをしていたのではないでしょうか。

 (メキシコでも)

 メキシコのルフィーノタマヨ博物館で球戯をしている埴輪をみたのですが、競技者はふんどしをしているように見えました。勝利すると生贄にされたそうですが古代のメキシコのオアハカで見た彼らはふんどしをしていたのだろうか。謎ですね。

今日は迫力ある久しぶりの横綱同士の相撲からふんどしの話になってしまいました。

| | Comments (0)

2008年1月 千葉飛行会(ビデオ編)

 2008年1月26日開催の赤とんぼ千葉飛行会のビデオ記録を記事にします。

 わこちゃんベンツを語るの巻

「2008jan_chiba_flight1.wmv」をダウンロード

 わこちゃんフライトの巻

「2008jan_chiba_flight2.wmv」をダウンロード

 零戦八千代の空を飛ぶの巻

「2008jan_chiba_flight3.wmv」をダウンロード

 アミーゴ50ヘリ飛行の巻

「2008jan_chiba_flight4.wmv」をダウンロード

 オヤジたち語るの巻

「2008jan_chiba_flight5.wmv」をダウンロード

 以上5本の記録映像を記念に残します。

| | Comments (4)

2008年1月 千葉飛行会

 本日早朝、赤とんぼ千葉飛行会が開催された。

 マイフォト 2008年1月千葉飛行会

20081chibaflight_001  わこちゃんのベンツ3000ccアバンギャルド ワゴンです。朝6時前には迎えに来て貰いました。飛行機の燃料油で汚さないか心配ですね。

かっちんと三人で何時もの千葉八千代に到着。よっちゃんの自宅の裏の田圃で今日はフライトです。岩ちゃんも駆けつけ5名でフライトとなった。

20081chibaflight_006  今日は寒い、手がかじかむ寒さである、未だ1度以下ではないだろうか。年寄りばかりなので、寒くておっくうで、なかなか飛行機の準備をしようとしない。爺さん談義が始まる。

私も二機持参したが、寒いので1機だけ飛ばす事にした。フラミンゴのみにする。

20081chibaflight_004  今回の初の見参である、よっちゃんの零戦50である。引っ込み主脚であり、離陸するとメインギヤが翼に格納される仕様です。

何時見ても零戦の格好はいいですよね、独特の美しいフォルムを持っています。

20081chibaflight_015 岩ちゃんの新しいヘリ、アミーゴ50です。大きなエンジンを搭載して素晴らしい演技を披露していました。

週に一二度はクラブで飛ばしているそうですよ。

20081chibaflight_011 わこちゃんの自作モータグライダーです、俗称ハコマクラです。リポ電池の調子が悪くスピードがでませんでしたが、のんびりと八千代の空を飛んでいました。

わこちゃんも随分と上達したものです。

20081chibaflight_009 今回は、早めに切り上げラーメンを食べに行き、宴会をして豪華なベンツにての帰還となりました。

さて、次回は二月でしょうか。

| | Comments (2)

懐かしいシルクロード

久しぶりに懐かしい喜多郎のシルクロードを聴いてみましょう。

 YouTube Silk Road Kitaro

  YouTube Silk Road Violin & Kitaro

当時が懐かしいですし、雄大なユーラシア大陸をイメージさせる曲であると思います。ローマから奈良まで繋がった人々の思いが伝わる曲ですね。

 さて、明日は朝5時半起きで千葉遠征です。久し振りのラジコン飛行機のフライトですね。わこちゃん到着予定が6時、かっちんをピックアップが6時20分、千葉八千代到着予定が7時半でしょうか。多分零下1度程度の寒さでしょうかね。

 AURUM機 持参予定(関連記事)

 フラミンゴ2号機

以上2機を持参する予定です。

| | Comments (0)

早朝富士と新宿

2008asa_006  2008年1月25日早朝の富士山の遠望です。昨日から空気は澄み渡り綺麗な風景を楽しんでおります。

まだお月さんがでていますが、すがすがしい早朝の空気を感じます。

今日も朝から仕事ですが、雪も終わり肌を刺す冷たさの残る横浜ですが気分がいいですね。

昨日の新宿の景色も抜群でした、高層ビルから眺める新宿の光景もいいものです。

2008asa_002 2008asa_001  都庁近くのハイアットホテルの傍のビルから眺める新宿の眺めです。

空気が澄み渡り遠望できますね。昔の甲州街道の宿場町として栄えた新宿の光景です。

2008asa_003 今では高層ビルが林立し副都心としての活気がある場所であり、新宿駅は日本最大の通勤客が乗り降りする交通のターミナルでもあります。

昔はこのあたりは広場が広がり反戦集会などで、学生が集まった場所ですが今は都庁が出来て又、沢山のホテルやビジネスビルが林立し様相が一変した場所でもあります。

 明日は久しぶりの千葉フライトですね、楽しみです。

| | Comments (0)

鳥居 暦装置説

 今日は仕事の帰りに、先輩の福永さんと杯を傾けた。先輩は最近は昭和史の研究に凝っておられるという。同時に古代史にも詳しくお酒が進むにつれてやはり古代史の話になった。

 (鳥居 暦装置説)

 皆様馴染の神社の鳥居についての彼の説明は興味のあるものだったので、忘れないうちに記録しておく。彼が読んだ本の出典は別途確認して記録する積りですが、取り敢えず鳥居 暦装置説について記録する。

 その前に私も過去二つの鳥居に関する記事を書いたのでご紹介しておきます。

 鳥居について

 新説 秋の夕暮れ編

 さて、福永先輩の語る鳥居の特徴として、鳥居の方角は夏至と冬至の日に太陽が山から昇る方角に建てられているというのだ。これは、稲作民にとり大事な暦を知る装置と考える事が出来ると言う。

自宅に帰り、グーグルを検索してみると確かにこの説を支持する記事が多く見られます。参考までに掲載します。

 杜の風景

 神宮 夏至と冬至

 レイラインハンテング

 寒川レイライン

 今度は夏至の時に調べてみようと思います。しかし、農耕民にとり暦は大事ですよね、何時種を撒いていいか判らないですよね。マヤもアステカも暦は進化しましたよね。

| | Comments (0)

今治タオル 御存じですか

 今週末の土曜日は久しぶりに千葉でのフライトが予定されています。今回はわこちゃんの新しい車が主役ですね。おベンツのワゴン車の登場です。車を汚さないようにしないといけませんね。

 (地方再生プロジェクト)

 昨夜、NHKでは各地の経済復興プロジェクトの特集番組を放映していました。特に四国の今治のタオルについて興味を抱きました。100年以上の歴史を誇る愛媛県今治のタオルは最近の低価格の中国産のタオルに押され、半数近くのタオル生産者が消滅したそうだ。そこで、2007年から立ち上がった今治タオルプロジェクトは大成功を収めている実態をレポートしていた。

 (ブランドの確立)

 先ず、伝統技術を更に磨きをかける努力が注目です。タオルの切れ端を水に放り込むと5秒以内に沈下する品質の維持。これを、5秒ルールと決めたそうです。如何に吸水性に優れているか、全ての今治タオルのブランド製品にはこのルールを適用する。

 興味が深いのは自分達の素晴らしさは、以外と部外者でなければ気がつかないという現象ですね。他人から指摘されてそれに気がつくものだそうだ。確かに、日頃空気のように当たり前のように接している事、やっていることの一般的価値については自分たちでは気がつかないのかもしれない。

 参考 今治タオル オフィシャルサイト

 業界では白のタオルは安物というイメージが定着していたそうだが、彼らはその常識を覆し今治タオルの代表として真白なタオルを全面に打ち出したそうだ。まるで、雪のようなふわふわの高級感溢れるタオルに見える。風呂上がりに擦らないと水分がとれないタオルでは無い、身体に触れるだけで水を吸収してくれるタオルは気持ちが良い。

という訳で、我が家のタオルを調べると真っ白なタオルで今治タオルがありました。森清タオルでしたね。

 義父の故郷は香川県ですが、やはり繊維産業との関わりがあり手袋の縫製などもやっていたそうで、四国では綿糸を織る職業が盛んであったのでしょうかね。

 (空気を読む)

 最近の流行言葉にKYという略語が流行しているらしい。政治家には重要らしいが、なかなか自分が存在してる世界を自分が読むのは困難だ。一度、存在している世界から外にでないと判らないと思う。外の空気にあたり元の空気とどこが違うかを考える方が客観的に元の世界の空気は読めると思う。

 もっと飛躍すると、二次元に住んでいるアリンコは三次元の世界を理解出来ないと思う。昔の私の元上司で鹿児島出身の社長は常日頃、言うてましたね。”地に足をつけた考え方は重要である。しかし、地に足をつけた見方だけでは、水平方向しか見えない。足を地から離し、上空にあがり世界を見渡す社員も必要だ。”と言うてましたね。(笑)

| | Comments (0)

前方後円墳 論考

先ほど朝8時過ぎから横浜も大雪になりました。冬将軍の到来ですね。私は昨日から風邪の症状がでて薬を飲んで寝込んでいます。風邪には寝るのが一番であり、早期対処が一番だと思います。

 (古墳考 2008 始まる)

 讀賣新聞夕刊では昨日より特集記事”古墳考 2008”がスタートしましたね。記事は片岡正人さんのようです。彼は讀賣新聞文化部の記者さんですよね。

第一回の記事の見出しが”前方後円 不老願う 壺か”ではないですか。辰巳和弘先生の説を大きく取り上げている。参考 過去記事 卑弥呼の鬼道と壺形の宇宙

 記者さんは”古代の人々は、どのような思いを込めて古墳を築き、後世の日本人はそこに何を感じてきたのか。4回に渡って考える。”とあります。第一回の記事は松本清張さんの説である前方後円墳とは男女交合の姿を表したもので、死者の再生を願ったという説の紹介から始まっている。

 古代史に興味のある人々であれば、誰でもが存じておられると思うが、元々が前方後円墳という名称は江戸時代後期の陵墓研究家の蒲生君平(がもう くんぺい)氏が命名した名前である。著書”山陵志”に死者を運ぶ牛車をかたどって前方後円となしたと語る。

円は牛車の屋形に蓋をさした形、四角い方は車を牽く轅(ながえ)であると説明した。これが、最初の前方後円墳に関する考察で今でもこの呼び方で通用している。

 そして、水野正好(みずの まさよし)先生の大和、吉備、出雲の首長が集まり円卓でこの古墳を決定したという説も紹介している。前方後円墳には石室、埴輪、葺き石、等々の分析から弥生時代の各地の墓の特色を盛り込んだ集大成であるという。ヤマト連合国家の成立を物語る説である。

 最後に、辰巳先生の説を紹介しているが、詳細は以前に私も記事にしているので省略します。ともかく、日本にしか存在しない巨大な前方後円墳はヤマト王権の成立と大きく関わっている訳です。何故このような巨大な周濠を持つ独特の形状をした古墳を建設したのかは今だ謎なんですね。

 (神仙思想、蓬莱山思想)

 今回のカンボジアでの発掘成果である”水の祭壇”も、遥かインドから稲作とともに蓬莱山信仰が日本列島まで伝播したと想像すると楽しいですね。古代の中国人が信じた神仙思想では遥か東海に仙人が住む不老不死の島があるという言い伝えは重要ですね。

秦始皇帝も呉の孫権も確か船団を繰り出し東海に存在する神仙の国を目指した訳です。巨大な湖に浮かぶ前方後円墳の姿は確かに蓬莱山とも見えますね。ヤマト王権は中国との貿易を独占した連合国家と考えれば、中国から来る人々に蓬莱山を圧倒的なスケールでみせつける必要があったかも知れませんね。

 

| | Comments (2) | TrackBack (0)

プンスナイ遺跡 水の祭壇跡

 本日読売新聞朝刊にてカンボジア北西部のプンスナイ遺跡にて水の祭壇跡が見つかったという報道がされた。

 産経ニュース

 JIJI.COMニュース

 読売新聞ニュース

 団長さんはこのブログで何回もご紹介している、日文研の安田喜憲先生です

 場所は昨年私が訪問したアンコールワットの近くのようです。祭壇の発掘は昨年12月に掘り出したようですね。直径15メータ高さ3メータの小高い丘の上に平らな巨石がありその周囲に白い漆喰を塗った水路が巡らされているという。

 同様の遺跡は遥か離れた南米はグアテマラのマヤ文明遺跡(7世紀~9世紀)でも見つかっているという。これは水を扱う儀式で、水の恵みに感謝し豊作を祈ったという。氏によれば、古代インドでは豊作を祈る沐浴の施設や側溝の排水システムが整備され、水との共生の文化が発展した。この古代インドの文化が紀元1世紀には既にカンボジアに伝わり、堀を巡らす12世紀のアンコール遺跡に受け継がれたと説明。

 (日本との関係)

 水の祭壇となると、思いだすのが飛鳥の酒船石遺跡の亀ですね。MuBlogを参考にしてみましょう。 MuBlog 酒船石遺跡の亀 斉明天皇が禊wしたり雨を祈る祭祀あとではないかとも言われていますよね。

 さらに時代を遡れば、3世紀の飛鳥の巨大な箸墓古墳は満々と水を蓄えた周濠が巡っている。真ん中には巨大な前方後円墳が聳えています。このカンボジアの祭壇を巨大化したと考えると何処かで繋がっているようにも考えらませんかね。

 箸墓古墳をはじめとする前方後円墳も今だに謎とされていますね。ヤマト王権の誕生と深い関わりがあると誰もが考えている訳ですが、何故このような古墳を築造したのか判っていないと思います。

国際日本文化研究センターの安田先生の意図は何処にあるか判りませんが、今後プンナイ遺跡発掘報告書ではどのような研究論文がでるか面白いと思います。

禊というのは日本神道の一番大事な基本思想として存在しますね。そのルーツの一つが遥か離れたインドシナ半島に存在したというのが興味があるところです。水稲耕作民共通の思想として水を大事にする考えがあったのでしょうかね。

 (追伸 須弥山シュミセン思想)

 古代インドからのバラモン、仏教の思想として須弥山思想がありますね、水の中に浮かぶ岩山です。水の祭壇の思想背景にはこの須弥山の考えが存在するのではないだろうか。仏教が北回りで中国経由で飛鳥の時代に日本に到着する前に、弥生時代には既に江南の稲作が伝わると共に既に須弥山思想が南の海上ルートで伝わっていたのかも知れない。

  過去参考記事 卑弥呼の鬼道と壺形宇宙

| | Comments (5) | TrackBack (2)

古代日本での華僑の活躍

 昨夜の天気予報では今日は雪だという話でしたが、横浜では雪は有りません。曇って富士山も見えない朝を迎えた。相変わらず、息子の弁当を作り会社に追い出す。昨夜の鳥のから揚げの残りと鮭と卵焼きを朝にやり、冷凍食品をチンして梅干しを入れ出来上がり。

さて、今日は私はセミナーに参加予定で午後の2時過ぎから帝国ホテルの予定です。5時からは同ホテルでパーテイの予定ではないだろうか。

 (最近読み直している本)

 最近、電車の中とか新幹線の中で読み返している文庫本がある。中公新書の”倭国”という岡田英弘(おかだ ひろひろ)という東洋史の先生が書かれた本です。10年前の頃に読んだ本ですが、読みなおしている。

 傍に中国と朝鮮半島の地図が無ければ理解が出来ない本である。河川の名前と山脈の名前が沢山でてきますし大変です。考えてみれば、卑弥呼の時代には交通手段としては船だった訳ですから、河川を溯り山脈を越えて又、河川を下り交易をするという按配だった訳ですよね。

 (商人としての中国人)

 華僑という言葉は誰でも御存じでしょうね、世界中にネットワークを張り巡らした中国人の商売を目的とする横の繋がりですね。世界中のいたる所に中華料理屋と華僑は存在し、古い中国の伝統文化も守っている。

 岡田先生の”倭国”では卑弥呼が登場するまでの中国と朝鮮半島の歴史を克明に描いておられ、その中で日本列島を推測しようという論法と理解しました。邪馬台国を探る為には魏志倭人伝だけではなく、広く中国の江南地方の歴史と朝鮮半島の漢人と北方遊牧民の興亡の歴史を振り返らないと確かに日本列島の置かれた立場の理解は難しいかもしれない。

 (華僑ネットワークに擁立された卑弥呼)

 大胆な仮説と思うのは、卑弥呼が華僑のネットワークに擁立されたという説ですね。面白いので是非一度読まれる事をお勧めいたします。

彼の説によれば、卑弥呼登場以前の日本列島の状況は江南地方の沿岸から黄海沿岸、朝鮮半島南部沿岸地方、日本列島の津々浦々に大陸との交易で富を得た人々が存在したという。彼らを倭人と捉えている。日本列島の山で暮らす古代縄文人は含まない。

 倭人は航海を得意とし中国の拠点政府が認めた公認貿易人の集団であると捉える。彼らは日本列島の貿易港の地場の親分のような人々と連携し交易路を拡大していた。地元の親分というのがクニ(国)の首長であろう。魏志倭人伝に出てくる国々はまさにこの地元の親分が原住民を統率し、倭人と交渉し貿易の権限を持ち中国と交易した利益の分け前を得る人々とみる。

 (漢帝国の崩壊と楽浪郡、帯方郡の崩壊)

 倭国大乱に注目し、其れまで朝鮮半島に確固たる貿易拠点が存在した権力機構が崩壊し貿易の権益を持っていた日本列島の国国の首長は利益の源泉を失い同時に国を治める力を失った。そこで、乱が収集がつかないほど混乱な時期を迎えたという。中国では紅巾の乱が起こり、五斗米道という鬼道の宗教結社が猛威をふるう。

 確か、安田先生も指摘されていた紀元百年頃から始まる地球の気象異常が原因で、農作物が危機の状況になり世界中で民族移動と国の崩壊が発生したという。朝鮮半島および中国との貿易相手を失った日本列島では国の首長の収入が無くなり国同士の戦争が激しくなる。

 (卑弥呼擁立集団)

 突然に巫女さんが登場し日本列島の国々を治めるとは唐突であると岡田先生は主張しています。幾ら霊力があるにしても利益集団である国々を治めるには彼女を支えた何か経済に連なる共通利益の団体が無ければ選挙に勝てない。(笑)

 岡田先生はそのバックに華僑のネットワークが深く関わったのではないかと推測しておられます。そういえば、足利義満も平清盛も中国との貿易で巨万の富を蓄積し日本列島を支配した。卑弥呼を鬼道のたけた女王と魏志倭人伝は記述している背景に、当時の中国の五斗米道に連なる中国の華僑の闇ネットワークが絡んでいた可能性はあるかも知れないと想像は出来ますね。

 (統一国家が出来る前の日本列島)

 日本列島に統一国家が出来るのは飛鳥時代ですよね、其れまでは九州や瀬戸内海や日本海沿岸の国々では勝手に大陸と貿易をして利益をあげていたわけです。その為には航海をして武力も持ち国際貿易商社のような集団が倭人であったと考えたのが岡田先生の説ではないだろうか。(正確には皆さん本を読んでください)

 この倭人は中国の政治に詳しく情報に敏感で多くの華僑を含んでいたと考えられます。卑弥呼さんにいち早く、公孫氏が魏に滅ぼされた事実を伝え翌年には卑弥呼さんは使者を魏に使わしている。インターネット時代も顔負けの国際人ですよね。

 

Continue reading "古代日本での華僑の活躍"

| | Comments (8)

満中陰法要無事終わる

 義母の49日の法要、所謂、満中陰法要を無事終えてきました。幸い土曜日は暖かな天気に恵まれ日中は春のような暖かさでした。

法要は自宅にお寺さんに来て頂き法要を行い、歩いてすぐの義妹の離れで食事会となった。私は雑用係りの一人として義父が予め名前を書かれた札に従い、お膳を設置したり、料理屋さんから運ばれるお重を19名分設置した。

200849hi_009  (失敗談)

 お吸い物は巨大なヤカンに入れて運ばれたのでそれを温めればよかったが、問題は天つゆである。大きな瓶に入れて運ばれて来ていたので、義妹の台所にあるやかんを洗浄してそこに入れて温めた。

 さて、宴会は始り天つゆを皆様の皿に注ごうと末の義妹がお寺さんの皿に注ぐと何か異常を見つけ慌てて我々準備隊に緊急を告げに来た。マズイ!小さな紅茶のカスが沈んでいる。どうやら、私のヤカンの洗浄が不十分だったようで、紅茶のカスが残っていたんですね。冷や汗が出てくる。

 流石に次女の義妹は密かに茶こしを取り出し、隠れて天つゆを濾す事になった。なんせ、天つゆを入れる皿は真白なので、目立つのだ。何事も無かったかのように、皆様に茶こしで濾した天つゆを注いで無事危機を脱した。

この事件を知っているのは、私の家内を含む三人娘だけである。ホンマ皆様、くれぐれもヤカンで料理の汁ものを温める時は気をつけて下さいね。

 その後は、特に事件もなく無事宴会は進行し、お酒が入りほろ酔いとなり、女性の方々には別室に移動して頂き、次女の義妹が考えに考えた形見分けの儀が行われ無事終了した。特に義母の兄弟でただ一人お元気な弟さんに義母の懐かしい写真集と肌身離さず愛用されていた品をお渡しすると涙が溢れていたように思いました。

 心から死んだ人の気持ちになってお別れの会をするというのは難しいと思いますが、綿綿と続いた日本の伝統にのっとり枠は外さずに遺族は故人がお世話になった人々に故人になり代わりお礼をする行事は神経を使うものですね。

私は仏教に詳しくはありませんが、満中陰とは一つの気持ちの区切りだと思います、これで故人は彼岸の世界に旅立たれる訳ですね、別れのけじめをつける行事ではないかと思いました。

 (鳥せいで昼飯)

200849hi_001  満中陰法要の前日、家内と義妹と伏見の鳥せいで昼食をとった。義妹が鳥が好きだというので、待ち合わせて昼食となった。

何時もはMuの旦那に連れられて、ふうてん老人とお世話になるお店ですが、今回は私が案内して昼食でした。

200849hi_003 200849hi_004

 私は鳥カツで女性陣は右の写真のようなお弁当を注文されていました。

前回、Muの旦那には高価なフルコースを御馳走になりましたが、今回は700円程度の安い定食で済んでしまいました。(笑)

 ともかく、無事満中陰法要も終わり娘三人は義母との思い出の有馬温泉に出かけましたとさ。

| | Comments (0)

京都への里帰り

 今日は牛込のイタリアンで新年会だった。畳の部屋でイタリアンとはおもろい趣向ですね。おまけにフルコースの途中からカラオケ大会となってしまった。

日本人とはホンマ何でも取りこんでしまう遺伝子をもっているんですね。今や高級イタリアンのフルコースも畳の部屋でカラオケしながら食事もするという按配ダス。

このような事を縄文時代からやっていたんでしょうね。先祖から受け継いだ習性なんでしょうか。え~~とこ取りの思想なんやろね。

 (弥生時代の始まりを想像すると)

 私の勝手な想像ですから、酒でも飲みながら読んでください。多分現在の分類による、縄文時代の晩期頃には陸稲を携えた江南の船団か朝鮮半島に辿りついた江南の人々が日本列島に辿りついた。

陸稲は焼畑で作るだろうから、雑木林を焼き払い陸稲の種を撒いたのでしょうね。栗の栽培とかどんぐりを食べて魚を採集していた縄文の人々は興味深く集まって眺めていたのではないだろうか。こいつら何してるんやろか?

 数ヶ月後には稲の穂が実り、脱穀した稲の実を蒸し始めた。真っ赤な赤飯が出来上がり異国人は食べ始めた。栗と魚を持ち寄り”それ食べさせてくれんか?”と縄文人は尋ねる。これが、実に美味しい事に気がつくのが縄文人。土地を分けてあげるから、俺たちにも教えてくれと詰め寄る。

 その後、水稲の技術を持参した渡来人が又海岸に漂着する。彼らは灌漑設備が簡単な段々畑というか、棚田で水稲の栽培を始めた。苗代という高度な技術で寒冷地でも稲を栽培できる技術を持って来た。

縄文人が住んでいない荒地を開墾し稲を携えた人々は住みつき、縄文人と交易をしながら人々は融合したんでしょうね。稲を携えた人々は高床式という奇妙な家を建て始めた。稲を鼠から守る為に高床の柱には鼠返しの仕掛けとか面白いものを見聞する。

 縄文人を驚かせたのは、酒ではないだろうか。今まで猿酒(リキュール)しか飲んだ事がない酒飲みは稲作民が醸造する酒にひとたまりもなく魅惑され、稲作を始めたと私は想像する。稲の魅力は米から醸造する酒ではないだろうか。

 三輪山の大神神社も嵐山の松尾神社も酒の神様である。この発想はメキシコのオアハカで経験したメスカルという龍舌蘭から製造する酒が祭祀と強い関係があることを思い出す。人々が集まり神と交信する為には酒が必須だと思います。

異文化の人々が神を共有するには酒盛りが一番ではないだろうか。言葉も文化も異なる人々が打ち解け合うには酒が一番ですよね。今も変わらず世界中で行われている。

 稲作の人々も縄文人も同じ森と海の民ですから、安田先生の説を受ければ同じ循環型リサイクル文明世界観を持つ人々でした。直ぐに打ち解けあう事がこの日本列島では幸せでした。

今の神社の建物は大事な稲を貯蔵する宝庫ではなかったろうか。人々は登呂遺跡のような茅葺の家に住み、大事な稲は神社のような高床式の建物に保存し神とした。

 想像するのは勝手ですから、酒の話題としてしたためてみました、おそまつでした。

| | Comments (0)

しばらく休載します

 義母の49日の儀もあり京都に帰省致しますのでしばらくブログは休載させて頂きます。

 珍しく昨夜は東京でも雪が降りましたね、朝の成田空港の映像では飛行機に雪が積もっています。今日は午後から仕事ですが、宴会を早めに退席させて頂き帰宅したい気分ですね。

 (株価の下落が止まらない)

 アメリカのお陰で世界中が困っていますね。今日の朝刊の一面では米国のサブプライムローンによる世界中の金融機関が受けた損失は11兆円だとか。日本の金融機関6社の損失額は4700億円だそうだ。

 何でアメリカの住宅ローンの話で世界中の金融機関が損をするのか判りにくいですよね。私の理解は、米国で低所得者向けに開発された所得の増加を見越した、又、住宅土地の値上がりを見越したスライド式のローンの証券化に問題がありましたね。

 相手が低所得者ですから、数年後にローン金利が上がれば払えなくなる人が発生しますよね、そこでローンを貸し付ける米国の金融機関はリスクを分散する為に住宅ローン担保証券とか債務担保証券として債券化し利率の高い値段で世界中にばらまいたのがこの問題の発端です。

土地と住宅の値段が上昇してる期間では、低所得者は住宅ローンが払えなくなっても土地、住宅を売ればいい訳だし、価値が上昇してれば上昇した割合で又、ローンを組むことが可能ですよね。要は右肩上がりの世界を前提としたローン構造なんですね。

 所が、土地と住宅の価格上昇が止まるとか値下がりが始まると、破綻しますね、世界中で高金利ハイリスク証券として購入していた証券は紙屑となる訳です。何でそんなリスク高い証券を世界中の金融機関が購入していたのか、そこに証券信用格付け機関の甘い格付けが存在したのかもしれない。

 バブルでしょうね、世界中で余った金は増殖を求めます、各国の年金基金とかオイルマネーとか沢山の高金利を目指して活躍するお金がこのようなリスクが高くても高金利な証券を購入する訳です。そして、今回のように破綻すると、各金融機関は損失穴埋めの為に証券市場で購入した証券を売りその金で穴埋めを始める。

 東証1部では半数近くが外国の投資家だから売りが殺到すると証券市場は下落となる。需要供給の論理で成立してる市場では当たり前ですね。特に東証の日本の一流企業の株は世界的にみて割安ですから、(企業の純資産額と負債額の比較とか総株価額と企業の資産額の差額とか、成長率とか、一株あたりの利益額とか、)世界中の金融機関が日本株を売り始めた。

 私も被害を受けているが、別に株を売らないと困るわけではないので、持っているが不安を煽り一般投資家を食いものにする巨大資本の動きは要注意ですね。

 そこで、未だ発育盛りの中国の金融市場が心配ですね。米国は大統領選挙までは経済を本格的に回復させる動きをするか未定ですよね。今一番困っているのは、これら損失を出した巨大資本が企業の証券市場を捨て確実に値上がりする石油の先物取引市場に乱入してる事実ではないだろうか。それだけではない、穀物市場の先物とかの市場にも巨額の金が動いているという話も聞く。困るのは一般庶民だけだ。

これで、お判りのように我々の台所はグローバル市場の大義のもとに自給率が40%を切った状態では明日何が起こるか判らない不安定な世界に存在する事を認識する事でしょうね。

 (温暖化はもっと怖い)

 地球温暖化の問題はサブプライムローンのような問題よりももっと深刻な問題ですから、今からこの温暖化を止める技術開発とか安田先生が提唱する長江漁労・稲作民の世界観である循環型森の文明を再度見直す必要があるのでしょうね。

 此のまま温暖化が進むと、私の住んでいるマンションは古代の鶴見湾の海底になります。高い階に住んでいるので、海水は入らないけど鶴見川が無くなりラジコンを飛ばせなくなります。日本は平野が国土の20%しかない、殆どの都市は海岸線に存在し川で出来た沖積平野で繁栄しています。これを失う事になると考えると恐ろしいですね。

| | Comments (0)

日本神話と長江文明

 今年の大河ドラマは鹿児島が舞台ですね、そこで少し薩摩に関係する神話、古代史に触れたいと思います。舞台は笠沙という場所です。 参考地図 薩摩半島 笠沙

 近くに坊津町秋目という場所は鑑真和上が長江下流域から日本に船出し、遭難しながら沖縄経由でこの秋目に漂着した事でも有名だそうだ。長江から東シナ海に漕ぎ出すとこの薩摩半島の笠沙の野間岬あたりに漂着する事が多いという事です。

 (安田先生のニニギノミコト神話説)

 彼の仮説によれば、日本書紀にある天孫降臨神話においてニニギノミコトが鹿児島の薩摩半島の西の海岸、笠沙に降臨したのは過去の強烈な記憶であると述べる。時代は幾つかの候補はあるが、確定が出来ないがハイテクを持った長江文明を引っさげた人々が漂着したという。

 彼の長江文明の崩壊のプロセスを読んでいると今から4000千年前頃から始まった地球の寒冷化と乾燥化の気候変動により黄河流域の畑作・牧畜民が長江流域にしきりに南下し長江文明を持つ漁労・稲作民と激しく戦い長江文明の民を駆逐した歴史が背景であると仮説する。

最も激しく南下した時期は今から3000年前の頃であるという、環境考古学というのは池や地層に堆積した古代の地層に含まれる花粉とか黄砂色々と科学的に分析し当時の気候を推測する事である。

 歴史書でもこの事実が記録され、所謂、司馬遷の史記に書かれた夏の堯、舜、禹という黄河文明の皇帝が、中原から南下し江漢平原(長江中流域、洞庭湖ちかく)に進出し三苗と戦い攻略したとある。三苗とは長江流域で漁労・稲作文明をはぐくんでいた人々の事を指す。例えば、現在の苗族はその生き残りだという。

 その後、中国は秦王朝、漢王朝という黄河文明の王朝が長江文明を駆逐し統一された。多くの長江流域の稲作・漁労文明の人々は東シナ海に漕ぎ出し、台湾、韓国南部、日本へと難民として漂着したというのが安田先生の仮説である。その時に稲作、青銅器、蛇信仰、太陽信仰、鳥信仰、鳳凰信仰等々の日本の弥生時代の根幹になる文化文明を伝えたという。

 (記紀神話の謎)

 今でも考古学、歴史学の世界で不思議とされているのが、日本の神話である。何で王朝が関西にあるのに九州くんだりに降臨しないとあかんのか。高千穂でなければ何故いけないのか、高い山なら富士山がありますよね。しかも、神武東征なんて何故に記録しなければならなかったのか。謎なんですね。

 安田さんは、ニニギノミコトが結婚した現地のコノハナサクヤヒメとの間に生まれたウミサチ、ヤマサチの物語にも長江文明が色濃く残っているという。特にヤマサチがトヨタマヒメと結婚し彼女がお産をする姿が揚子江のワニの姿とか産屋が鵜の羽根で出来ているとか全く長江流域の漁労民の伝説だという。

 (何故このような神話が必要だったのか)

 安田先生は大胆な仮説を述べている。日本の古代は北方の朝鮮半島経由の畑作・遊牧民と長江流域の漁労・稲作民の混合された二重構造の国であったのではないかと仮説をたてている。

神武さんは九州に流れ着いた長江流域の集団の頭であり、その後、第10代崇神さんは北方畑作・遊牧民という。崇神さんの頃疫病が蔓延し国民の半数が死んだ話は牛からの結核とか畜産から生まれた疫病という。そして、私の故郷で大王になった継体さんは長江文明を引き継ぐ、長江海軍から日本の津々浦々を支配した海の民が支えた政権であったという。

 そこで、問題の唐・新羅連合に打ちのめされた白村江の海戦から招いた未曾有の日本の危機に対処した天武さんが日本の制度を唐に習い行政を北方化した。しかし、和魂洋才を実現すべく心は長江文明の漁労・稲作文明を忘れてはいけないと考えた。そして、日本書紀・古事記は出来たと仮説をたてています。

 天武さんは、太陽神であるアマテラスを重要視し、伊勢神宮の格をあげ手厚くし同時に肉食を禁じたという。そういえば、天智さんの頃までは伊勢は影の薄い神社でしたね。

 (感想)

 しかし、何ですね、東北大学で理学研究科博士課程を退学しその後理学博士となり環境考古学なんぞを始めた人の話は面白いですね。彼の説の背景には並々ならぬ、地道な研究が存在すると思います。池の底をボーリングし古代の地層に含まれる有機物とか花粉とか色んなものを調べ地球レベルで科学的に気候を解明してゆく作業です。

Continue reading "日本神話と長江文明"

| | Comments (2)

長江流域の初期文化

 参考文献 長江流域の初期文化

 この参考文献で長江流域の主な古代の遺跡について地図を眺めていると文明は中流域から稲作とともに発生したと想像できますね。現在も、沢山の長江流域では発掘が進んでいるので、未だ将来どんな驚天動地な発掘があるかは判りませんね。

安田喜憲先生の本を読んでいると、長江流域では6300年前に文明が開化したと仮説をたてておられます、主に中流域であります。最近の発掘である湖南省の城頭山遺跡の発掘は多くの成果をあげたようですね。

 直径360メータの円形の城壁に囲まれた遺跡は10万m₂だそうで、祭壇跡もあり周囲を川が巡っているそうだ。 参考文献 城頭山遺跡 そして、実か此処は苗族の故郷ではないかという仮説もある。 参考文献 城頭山遺跡と苗族

 詳しくは発掘報告書を読めば興味ある事実が浮かび上がると思いますが、未だ読んでいません。

 さて、私の興味は地図の中流域にある山背という遺跡です。BC1400年頃に栄えた青銅器の文化が開花した後の、楚の国になった場所です。山背(サンハイ)文化と呼ぶそうだが、実は弥生時代の我が国の銅鐸に似た祭器が多量に発掘されている事実だ。しかも、不思議な埋め方をされて発見されている。

滋賀県の琵琶湖近くの弥生遺跡からは巨大な銅鐸が沢山発掘されており、日本の古代の山背の国とは関係が無いのだろうか?謎は深まるばかりですね。

| | Comments (0)

2008年 成人の日

 昨日から外にでると顔が痛いほど寒い。今日の朝も寒さが一段と増している。娘と孫が北海道に帰るので、朝から慌ただしく準備である。孫は暖かな毛布を抱いて起きてこないので、厳しく起床を促すと毛布を抱いたままこの毛布を持って帰ると言う。

 昨夜、Jo爺さんが作成した極上の”おじや”を食べさせて新横浜プリンスホテルに向かう。荷物のカバンは私が自転車に乗せて運んでやる。朝8時過ぎである。横浜アリーナでは今日成人式があるのでしょうね、奇麗に着飾った娘さん達と、和服の男性諸君に出会う。

 プリンスホテルに到着すると、何と一階は奇麗に着飾った娘さん達であふれ返っているではないか。金屏風も用意されその前で記念写真を皆さん撮っておられる。昨夜はホテルに宿泊し美容院も完備された完璧な成人式コースが用意されているんでしょうね。

孫も到着し奇麗なお嬢様の間を縫って金屏風の前まで偵察に出かけた。

 ”さーちゃん、あと何年で成人式や?”

 ”あと11年や!”

娘と孫を家内と二人でプリンスホテルの前で見送り、バスは羽田空港を目指して行きました。何時までも手を振っていました。ホンマ、デズニーランドに行けて良かったね、楽しい冬休みではなかったでしょうか。

自宅に帰ると、羽田から携帯にメールが入り、飛行機は40分遅れて出発だそうだ、千歳空港は雪だそうだ。日中でも零下の寒さだそうだ、北海道は厳しいですね。

 (南京も雪だそうだ)

 ハノイのラジコン所長は今、南京にベトナム人と一緒に出張してる様子だ。寒くて雪だそうで、同行のベトナム人が寒くて死にそうだとか。(笑) 南京といえば、無錫から少し大陸に入ったところだ。やはり、東アジアはこの数日寒いようですね。ソウルはどうかと調べるとマイナス9度である、こりゃ寒い。

 話は変わりますが・・・・、篤姫大河ドラマ始まりましたね。幕末の島津藩が舞台ですね、桜島をバックに撮影されています、鹿児島は新婚旅行以来一度も訪れていないので、楽しく映像を観させてもらってます。今でも、桜島の噴煙で鹿児島の人々は困っているんでしょうか。火山灰とは、粒子が細かくて石英が尖っているので、吸い込むとヤバイと聞いていますが・・・。

 さて、斉彬さんと妾腹の久光はんの内乱がそろそろ始まりましたね。幕末全体を概観するとこの斉彬さんを慕った若手、大久保利通、西郷隆盛さん達が明治維新をやる訳ですね。斉彬さんの子供たちが次々と不審な死に方をし、最後は斉彬さんそのものが不審な死を迎えたのはこの頃の暗闘を物語ると思います。

 しかし、この本州の最南端である鹿児島から近代日本を建国する若者が続々と京都に登り、江戸を東京とする。この革命のエネルギーは何処からきたのでしょうね、大河ドラマを観てると少しは参考になるでしょうかね。楽しみです。

Continue reading "2008年 成人の日"

| | Comments (4)

2008年 正月明け風景

 孫が来ているので、家の中が騒がしい。普段は年寄り二人なので、ひっそりしている我が家だが子供がいるとうるさいものだ。今日は寒く外は6度程度らしい。私以外は風邪をひいたらしくゴホゴホ咳をしている。

 せっかく購入した、ゲゲゲの鬼太郎凧も出番が無い。孫と凧揚げしたのは、ブログを調べてみると2005年の正月のようだ。孫はまだ学校に通っていない頃で、今や小学三年生だ。

 2005年正月風景 記事

 昨日、長女から電話でフランスからメキシコに無事戻ったらしい。次女が長い間電話で近況を話していた。

 (ラジコン事情)

 このひと月程度、ラジコンから離れている。赤とんぼに今度参加された小川さんは地元のクラブに加入されたようだ。平均年齢は赤とんぼより高齢という情報が入る。ラジコン飛行機をやる若者は殆ど存在しないのでしょうかね。そういえば、アマチュア無線も若者には人気が無いと聞く。

若者は何をして遊んでいるんでしょうね。息子はバイオリンばかり弾いているので、特殊だと思うのですが、はて世間一般ではどうなんだろうか。そういえば、ハノイのラジコン所長はどうしてるだろうか?

 エンドレス・ラジコン研究所

 ハノイの今日の朝は20度と暖かいようですね、相変わらずジェットエンジンの自作に没頭されている様子ですね。10万回転に耐えることが出来るんだろうか、心配ですね。まさか部屋の中でケロシンを投入しなだろうね。スペースワープも成功し、ありんこの飼育に失敗した挫折を取り戻していたところのようだ。

そうそう、蟻と言えば娘の話ではフランスに帰省している期間、メキシコの自宅に設置したゴキブリ退治のコンバットの効き目は絶大で、1か月の留守の期間中に沢山ゴキブリを退治してくれたそうだ。蟻退治の薬でも効果があり沢山の蟻も退治できたという。

 さて、ハノイでは近々に所長からジェットエンジン点火成功のニュースか、爆発炎上のニュースが飛び込んでくるでしょうね。(笑)

| | Comments (0)

統一漢字が出来ないか

21世紀の経済世界を考えると今後100年のスパンで東アジアは連合を組まないといけないと感じる今日この頃です。EUのブロック圏、アメリカ北米圏、ロシア連邦圏に対して東アジアは中国と韓国と日本とベトナムが重要である。

 東アジアで津津浦浦連合を組もうという主張は私の考えですが、通貨統合の前に必要な文化的な繋がりが重要と考えています。EUはキリスト教という精神的基盤で繋がっている訳ですよね、そこで東アジアでは共通の精神的な基盤とは何だろうかと考えると、漢字ではないだろうかという結論です。

 (ベトナム、中国、韓国事情)

 ベトナムに駐在していて感じたことは昔は彼らも漢字を使用していました。しかし、フランスの植民地になり強制的にアルファベットを導入させられてしまった。しかし、母音は8っもありアルファベット表記では音を正確に表現できないので、アルファベットに色んな修飾記号を付加して、ベトナム表音文字とした。

今でもハノイの市街を歩いていると、時折昔の漢字表記に出会い懐かしさが蘇る。中国もすっかり昔の漢字は消滅し今では殆ど読めない漢字だ。文化大革命で昔の漢字の宗主国である中国が変わってしまったのだ。

 韓国も今はほとんど漢字を看板で見ることは出来ない、表音文字であるハングルで全土が統一されてしまった。昔は韓国の新聞ではかなり、見出しには漢字が使用されていたと思う。

 (統一漢字が出来ないか)

 今後100年の東アジアの経済圏を考えると統一漢字を設け、中国、ベトナム、韓国、日本、は東アジア経済圏での非関税取引において統一漢字を使用するとか、観光地の表記は統一漢字にするとか、いろいろと考えてはいかがなものだろうか。勿論、漢字の生みの親である中国が委員長になり推進して欲しい。

しかし、漢字の原点に戻り(故)白川静先生のお許しがなければいい加減な漢字は許されないし、書道家が書けないような美しさの無い漢字は没とする。漢字の原点の霊的力を失わない漢字を踏襲するのが原則である。

 とすると、奈良、京都での観光地の案内板も今のように、中国の文字とか、ハングル文字とか煩雑さは無くなり、観光地も公共交通機関も楽になりますよね。何より、旅行者も便利になるという按配です。

東アジアに配給する衛星テレビもテロップで統一漢字を使用するので、コストは削減されるし情報拡散速度が高まると思いますがね。

 という訳で、今年の初夢は秦の始皇帝以来久しぶりに、漢字を東アジア全域で統一漢字を定め大いに21世紀は世界に繁栄する津津浦浦連合バリアーフリー経済文化圏が出来た夢を見た。

| | Comments (0)

纒向遺跡中枢解明へ

掲題の見出しで読売新聞1月9日夕刊は報道した。

報道によれば、桜井市教育委員会は新年度から、初めて中枢地域の本格的な発掘調査を進めるそうだ。現在まで153回調査が行われたが、住宅開発などに伴う緊急調査が85%だったそうだ。まだ全体の5%も発掘は出来ていないそうだ。

 今回の中枢という部分は、先ず3世紀前半とみられる祭殿とみられる建物跡がある太田地区であり、もう一つは3世紀後半とみられる朝鮮半島の影響を受けた巻野内地区だそうだ。

 市教委の話では両地区の発掘を長期的な計画で順次、進めてゆくそうだ。

この纒向遺跡は私は卑弥呼の邪馬台国の場所ではないかと密かに考えている場所です。理由は山ほどあるので、ここでは述べませんが今年は無錫などに出かけていてはいけませんね。今すぐ発掘現場で作業員の一員として歴史的な発掘に関与したいですね。

 これは、ロマンではないでしょうか、吉備地方の土器や東海地方の土器が沢山出土する場所です、如何に広域に渡る人々がここに集結していたかが、実証されているのですね。最大のシンボルは箸墓古墳です。ヤマト・トトヒ・モモソ・ヒメの墓と伝承されている古墳が注目されます。

 (仕事の話です)

 今日は恵比寿で上海関連のプロの人から色々と中国ビジネスに関して話を聴くことが出来た。異国でビジネスを行う時は情報収集が一番大事である。夜は新横浜で後輩から同じく上海方面のビジネスの状況を聴かせて頂いた。ついでに、御馳走になってしまいました。

中国は今、バブルと言われる程経済発展が凄まじいですね。まるで、昭和30年代の日本の様子だと人々は言います。おまけに、中国の人々は商売上手ですから、環境が整うと素晴らしく力を発揮されるようです。

 13億の民が本格的に自由主義経済に参入してくれば、EUもアメリカも大きな影響を受けるでしょうね。さて、日本はこれからどうすればいいのだろうか?これを、現実に現場で経験してみようと考えています。

 

| | Comments (0)

朝食 あれこれ

 娘が新宿の帰りにドーナツを購入して帰宅した。

 クリスピー・クリーム・ドーナツ(Krispy Kreme)

2008syogatsu_001 2008syogatsu_002  娘の話では有名だそうですよ。私は一番シンプルなものが好きです。いろんなクリームが入ったものがあります。

バリエーションに富んでいるのが特徴でしょうか。

ドーナツというと、米国に住んでいた頃はよく食べました。朝食で食べるのです、簡単だから人気があるんでしょうね。自動車のアンテナにドーナツの輪っかを、輪投げのように積み上げて走る車を見かけたものです。

 (パンケーキ)

 孫が食べたいというので、パンケーキを焼いてあげた。これも米国時代はよく食べた朝食メニューですね。ジャムとか蜂蜜をかけて食べます。簡単だから便利なものですね。息子の朝食はヨーグルトにバナナを小さく切ったものを入れたものと、味噌汁です。

 皆さんのお家の朝食はどないなものを食べておられますか。味噌汁に干物の魚か鮭の焼き魚に海苔に納豆、卵焼きという日本伝統の朝食を食べておられる方はおられますかね。意外と海外に出かけるとこの日本の伝統朝食を食べる機会が多いです。

 宇治の義父は何時も、お粥にキャベツとお餅を小さく切ったものを入れたものを食されています。キャベツはいいそうですよ。

 ベトナムではフォーでしょうね。香菜を入れ鶏スープか豚スープでフォーを食べるのですが、あっさりして、お腹にはいいようです。無錫ではお粥ですね。漬物とかトッピングを乗せて食べると美味しいですよ。

 (二郎鮨)

 昨夜は三ツ星に輝いた82歳の二郎さんが特集されていましたね。彼は左利きなので、右手にネタとシャリを乗せ左手で押す、二郎握りが特徴だそうですね。シャリの外側だけが密集し中は空洞であるのが鮨の基本と聞いていますが、断面を見るとまさにそうでしたね。

 江戸前鮨の伝統を守る二郎鮨とフランスの三ツ星シェフの対決が面白かったですね。映像でも肝心要のシャリを作る工程は極秘でしたね、鮨はシャリ作りが一番重要だと聞いています。丹念に準備されたネタの仕込みは鮨にとり重要である事も学びましたね。

江戸時代のファーストフードとして生まれた江戸前鮨も此処まで進化したのが文化というもので、フランス人は日本の歴史と文化を尊敬していると思いました。

 しかし、鮨の本場は関西ですよね、あの琵琶湖の鮒鮨をフランスの三ツ星シェフに食わせるとどういいますかね。ミシュランが関西に進出するにはまだまだ、時間が必要だと思います。日本の食は奥が深いですからね。

| | Comments (0)

新年会と近況

 昨日は新宿で顧問先の会社の顧問4名で夕方4時半から新年会でした。お店は5時からしか開店しないのですが、無理やリ入れて貰いビールと新春振舞い枡酒からスタートだった。

 同期の浦川どん、1年先輩の福永さん、あと一人の富士通のOBさんです。どうしても最初は昔話から始まるのが宴会の常ですね、OS4F4 AIMの開発初期の話になり当時OSの窓口で活躍した浦川どんと、AIM DCの担当だった私とで如何にCOP相当の巨大トランザクションを捌くシステムを作るか議論した話になった。

 そして、更に過去に溯り市ガ尾寮時代の話になり、最後は現代に戻るという宴会の話の流れは最近作法になっている。(笑)

 要は現在の問題を解決するにあたり、過去を振り返り失敗の経験を思い出し数少ない成功例で元気を取り戻し、今の課題に多面的に打開点を探るのが年寄りの方法論だ。若い頃は情熱と思いこみと体力で全てを乗り切る作法であったが、60歳を越えると方法論も変化するんですね。

 4時間程度酒を飲みお開きとなった。飲み足りない福永さんと浦川どんはタクシーで銀座へと向かった。

2008syogatsu  (娘と孫が冬休みで帰省してきた)

 北海道の小学校は冬休みが長い、今週一杯は未だ冬休みが続くらしい。多分、夏休みが短いのでしょうね。という訳で、昨夜は自宅に帰ると賑やかだった。息子も正月休み明けで会社初日が辛かったのか既に帰宅していた。

今週は孫の相手で家内は大変でしょうね、デズニーランドに連れてゆかないと駄目だし、私は凧揚げをしないと駄目だし今週は忙しい一週間となりそうです。

 (ワンゲル同期忘年会記事修正)

 昨日、ワンゲル同期の八十川どんよりメールが来た。経営している会社は日本海の城崎温泉に近いらしい。製造業の会社のようですね。是非、暇な時に城崎温泉に静養に来いとのお誘いでした。私は未踏の地なので興味があります。

と同時に、彼は大学院受験には失敗したけど留年はしていないとの話ですので、ここで修正しておきます。ごめんなさいね。

| | Comments (4)

環境考古学

 正月番組で環境に関する番組が多かったので、最近は関連記事を二三書きました。以前の記事で環境考古学の安田喜憲(やすだ よしのり)先生の本を紹介した記事を思い出しました。再度掲載します。

 龍の文明・太陽の文明 安田喜憲先生

最近は又、昔読んだ安田先生の 古代日本のルーツ 長江文明の謎(青春出版社)を読み返してみた。

 多分、この本についても記事を書いたかもしれないが、忘れている。彼の説はチグリス・ユーフラテスで生まれた文明から千年遅れて開花した黄河文明はともに畑作・牧畜文明であり、実は長江流域には黄河文明より千年早く稲作・漁労文明がチグリス・ユーフラテスと同じ時期に開花していたという説であり、決定的に畑作・牧畜文明と稲作・漁労文明とは異なると述べている。

 日本の記紀神話で述べる神は明らかに稲作・漁労文明であると述べ、ルーツは長江流域にあると結論する。私が無錫に興味があるのは彼の説に興味があるからです。

 (雲南の竹とともに生きる人々)

 正月番組で雲南の少数民族が竹とともに生きる人々を紹介していた。彼らは竹林で暮らし稲作を行い、川で魚を採取して生きている。竹細工でもんどりを作り川に仕掛け魚を取る。そして、京都滋賀方面で有名な鮒寿司をつくるのだ。

餅もそうだ、このネバネバした食物は畑作・牧畜文明には存在しないそうだ、ネバネバと言えば納豆もそうだ。

雲南の人々は自分達の先祖は竹から生まれたと信じている。死ぬと、遺骨の一部を竹筒にいれて竹林に飾るそうだ。そこで、私が生まれ故郷の近く京田辺市を思い出した。かぐや姫伝説ですね。竹から生まれたかぐや姫の物語です。このあたりには、隼人庄があるのが何故か南方のルートを想起させるのですね。

 これから、益々科学的手法を使い考古学が発展してゆくと考えています。花粉分析、炭素14法、DNA分析、残留磁気、航空からの赤外線写真、等々ありとあらゆる科学的手法を使用して遺跡遺物の分析と人間との関わりの研究が進んでいます。

環境問題は過去の古代の歴史を振り返ることで、沢山のヒントを得る事が出来ると考えています。同じ過ちを犯さないように過去を振り返る事も大事ではないでしょうか。

| | Comments (2)

経済波乱の幕開け

 2008幕開けの東京証券取引所の株価は暴落した、1万5千円を割り込み700円以上株価は暴落した。欧州も米国も株価は暴落し世界経済は波乱含みで2008年は開幕しましたね。米国のサブプライムローンの破綻で逃げた投機マネーが石油の先物に動き、石油の高騰を引き起こしているらしい。

 昔から変わらないのは、欧米の投機マネーと中東の石油マネーが損をだすと、世界の弱い金融市場を破壊する行動にでて、利益を取り戻そうとする怖い現象を心配します。米国のサブプライムローンで巨額の損失を出した世界の金融機関は今、その損失を取り戻す為に色々と仕掛けてくる可能性が高い。

 例えば、東京証券取引所に対して彼らは持ち株を売り始める、東証の一部の株の半分程度は外資系であるから、彼らが全て売りにでれば株価は暴落する。とことん暴落させて安い値段で再度彼らは買い戻し今度は株価を吊り上げる、行動にでるでしょうね。

 私も随分と今回は持ち株が急落しこれからの証券市場を心配している。今は我慢するか株を売り損失を現状レベルで最小に抑えるか判断が難しい。日本の企業は決算期が3月末なので、5月か6月には配当がでる、その前には配当収益を獲得する為に通常は株価は一時的に上昇する。

しかし、成績の悪い企業は配当を出せないので、株価は一段と下落するでしょうね。私は別に投機家ではないし、日本の証券市場と企業が外資の投機資本攻撃に対抗する側の立場です。と言うても、些細な雀の涙ほどの株しか持っていません。

 (政治と環境問題)

 昨年から、日本の政治は停止していますね、法案は何も通過しないし、国会はねじれているし、衆議院選挙が終わらないと何も始まらないでいいのでしょうかね。韓国も保守党に政権は変わったし、米国も変わるだろうし、英国は既に変わりましたよね。今年は世界が変わる予感がしますね。

第一の問題は環境問題ではないでしょうか。エネルギーと産業構造の変革の課題でしょうね。このまま、CO2の排出が続き気温が上昇し海水が膨張を続けると日本の主要な都市は壊滅するのではないだろうかと、心配です。

  (縄文海進時代の海岸線)

 参考資料1 縄文時代の関東の海岸線

「JYOUMON-KAIGANNSEN.pdf」をダウンロード

 参考資料2 神奈川の縄文海岸線

「KANAGAWA-KAIGANNSEN.gif」をダウンロード

 参考資料3 横浜の縄文海岸線

「YOKOHAMA-JYOUMON-KAIGAN.gif」をダウンロード

この頃は海面が4メータから5メータ上昇したんですね。私の住んでるマンションは完全に古代の鶴見湾の海底です。仕事にはボートで通わないとあきませんね。東京なんぞは、心配は皇居が海に沈むという事態ですぞ、遷都が必要になってしまいます。

 日本は平野が国土の2割しかないのに、その平野が海になってしまうとどないなりますかね。テレビでもあまりに恐ろしいので、誰も報道しませんね。何が起こるか判らないのが自然の恐ろしさだと思います。

関西方面はどうなるんでしょうね、縄文時代のように上町台地を残して伏見あたりまで海になるんでしょうかね。海にならなくても干潟になりかもしれない。関東の縄文時代の海岸線の地図の見方は貝塚のある場所が海岸線と考えて下さい。

環境問題は都市部に住む人々にとり重大な問題である事が判りましたね。2008年は世界の環境問題が第一の課題として真剣に考える年となりそうだと予感します。

 

| | Comments (4)

フードマイレージ御存じ?

  昨夜環境問題を取り上げる番組が二三ありましたね。驚愕の実態を知らされ唖然としたのは私だけではないでしょうね。コンビニ弁当の話でした。幕の内弁当に使用されている具材が殆ど海外からの輸入である事実でした。

 シャケは北欧で養殖されているもの、鶏肉はブラジルの養鶏場、アスパラは中東、レタスは南カリフォルニアといった按配なんです。殆どが空輸されているのだ、そしてその輸送の為にCO2が排出されている。どれ位CO2が余分に排出されているかを定量的に捉えましょう。

 フードマイレージという計量的なCO2に換算出来る手法があるそうですね。

 参考 フードマイレージホームペー

フードマイレージとは具材が産地から消費地に運搬された距離をいいます、そして運搬時に排出されたCO2の排出量で換算する方法があります。CO2を100グラム排出する単位を1pocoと呼ぶそうだ。それでは、ホームページの各、食材毎に国内産と国外産を比較してみましょう。

 私の好きな”うどん”一人前で調べてみましょう。小麦ですね、国内は北海道、海外は北米西海岸としますと、差は9496キロ、0.53pocoとなります。鮭一切れでは、国内は北海道オホーツク、海外はチリでしょうか、差は15340キロ、0.42pocoとなります。

レタス1個の場合は、国内は長野県、海外はカリフォルニアとすると、差は9150キロ、1.91pocoと大きな数値となります。かぼちゃは、国内が北海道、海外はニュージランドですから差は、8314キロ、3.44pocoとこれまた大きな数値です。

 問題は、コンビニでは賞味期限が来ると捨てます、弁当の20%は捨てられるそうで、国内でパーテイとかレストランとか色んな場所で捨てられる食料が1年間で2000万トンという数値を月岡教授は指摘していました、これは飢餓諸国に世界中で援助される1000万トンの倍の量を捨てている国が日本なのだ。

 私は攘夷論者でもないし、鎖国主義者でもないし、コンビニが嫌いな訳でもありませんが、何処かおかしいと思いませんか。こんなシステムを続けていていつか大きなしっぺ返しというか、神様に怒られるのと違いますか。

 (環境考古学者が警告する)

 別の番組で私が愛読する環境考古学者の安田喜憲(やすだ よしのり)教授が指摘していたのは、文明崩壊のシナリオです。ギリシャ文明もローマ帝国も崩壊したのは彼らが自然破壊をしたからだと指摘しています。カラカラ大浴場で消費された水と木炭と石炭の量は膨大であり自然を破壊し気候変動を起こし滅亡したという。

彼は現在の自然破壊の元凶は1950年代からピークに達っした米国の大量生産、大量消費のシステム、パックス・アメリカーナであると断言する。

 (エベレスト街道での異変)

 大学ワンゲル時代の先輩が数年前に標高5千メータを歩くエベレスト街道を紀行した、そして彼は紀行文を書いていた。そして、正月にNHKではエベレスト街道を特集したので、食い入るように観ていた、何時かはトレッキングをしてみる積りだ。問題は、ヒマラヤの氷河が猛烈な勢いで溶けている事実だ。

そして、大きな氷河湖を形成し欠壊する危険が迫っているという。そして、ヒマラヤを源流とする黄河や長江やアムール川(黒竜江)、ガンジス川、等々はどんな影響を受けるか計り知れない。

 (ノアの箱舟と縄文海進)

 6300年前の縄文時代に気温上昇に伴い海面が2.5メータ上昇し、同時に欧州でも旧約聖書にあるように4500年前に大洪水が起こりノアの箱舟伝説が記録された。世界の気象異常が発生したのだ。多分、今それが急速に人間の自然破壊が原因で起こっている。

 気温上昇に伴う海水の膨張で海面は上昇したのでしょうね。南太平洋の島々が海面上昇で危機に瀕している映像を観ると本当に先進国の責任を感じますね。同時に、縄文時代に同じような事態に遭遇し、彼らは島を離れ大航海にでたのではないかと思いました。

ハワイやイースター島迄辿り着いた人々は何故危険な航海をしてまで、移住したのか判らなかったが、祖国が沈没するという事態が彼らを危険な航海に出させたと考えると動機がはっきりしますね。

 同じく、長江下流域でも黄河下流域でも海面上昇による気候変動で川は氾濫し住むところを失った人々が船で大航海にでて九州や日本海沿岸に辿りついたと考えると、稲作が彼らと伴に日本列島に伝播した動機が理解出来ますね。

 さて、一人一人が何が出来るか、各企業はこれをチャンスとして如何に環境に優しい、環境を破壊しない工業製品を開発するかが21世紀の大いなるチャレンジと考えましょう。

| | Comments (0)

ハンニバルと始皇帝

昨夜はローマの歴史を取り上げた番組を観ていた。塩野七生さんの本をベースにした番組だと思います。正月番組ではよく歴史ものが取り上げられますね、私には嬉しい限りです。ローマ史の中で昨夜も取り上げられた第二ポエニ戦争でのカルタゴの将軍ハンニバルは昔から興味のある歴史上の人物でした。

 グーグルアース カンネー(カンナエ)の戦場(予めグーグルアースをインストール必要)

「battle_of_cannae.kmz」をダウンロード

 私は戦術家として稀有の天才として時を同じくして場所は異なるが生まれ育ったハンニバルと秦始皇帝が歴史の不思議と考えています。二人は戦争に於いて比類なき戦略家であり、戦術家ではなかったでしょうか。始皇帝はBC259~210年 ハンニバルはBC247~183年ですからほぼ同時期と考えていいですね。

 (カンナエ、カンネーの戦い)

 参考 カンネー古戦場

 カルタゴ軍 重装歩兵32000人、軽装歩兵8000人、騎兵10000人

 ローマ軍  重装歩兵55000人、軽装歩兵一万人、騎兵6000人、野営地1万人

 ローマ軍8万カルタゴ軍5万と兵力に於いてハンニバルは劣勢であった、両軍ともに中央に重装歩兵を布陣させ両翼に騎兵を配置し正面から激突した。ハンニバルは中央の重装歩兵を2段構とし、前列に弓なりにガリア兵の重装歩兵を配置し、後方にカルタゴの重装歩兵を配置した。

ハンニバルは左翼の騎兵を重視しスペイン・ガリアの精鋭騎兵を配置させあたかも雁行の陣の構えとした。これが、始皇帝の軍団の構えと共通する戦形である。始皇帝の兵馬俑の2号坑の戦車隊、騎馬隊、強弓隊である。

 当時は未だ鐙も鞍も発明されていないので、騎兵は裸馬に乗るわけだから余程子供の頃から訓練していないと騎兵としては通用しなかった。ガリア、スペイン騎兵はローマの騎兵よりも数段優れた乗馬技術であったと想像される。

ハンニバル軍の左翼のスペイン、ガリア騎兵がローマ軍の右翼の騎兵を圧倒し、毛散らかしたそうだ。中央前段の弓なりのハンニバルの重装歩兵は後退しながらも相手の重装歩兵の進軍速度を落とし左右に散らばる戦形となった。

ここで、ハンニバルの軍の戦形は中央に2段構えだった後部のカルタゴ重装歩兵が中央に展開し、左右にガリアの重装歩兵が相手ローマ軍重装歩兵を囲むような鶴翼の陣と変貌したのだ。同時に左翼の機動部隊であるスペイン、ガリアの騎兵はローマ軍の後方に展開しローマの重装歩兵を完全に包囲したという。

 ローマは6万人が死傷し、野営地にいた1万人のローマ兵は投降し捕虜となり、ハンニバル軍は5700人の死傷者ですみ完璧にローマは敗れた。

 (始皇帝軍と比較する)

 多分世界中の陸軍士官学校では教材としてこの戦いは研究されていると思います。同時に秦始皇帝の無敵の軍団の研究も比較研究されていると聞いています。始皇帝軍は兵馬俑抗の戦形を見れば一目で左翼の機動部隊に1/4の兵力を注ぎ込み重要視していた事が判ります。

始皇帝の軍には強弓とか戦車という機動力に富む部隊とクロムメッキされた鋭利な青銅の剣を持っていたので、ハンニバルともし戦っていれば、歴史上に残る戦いが展開されたかもしれない。ハンニバルの象の機動部隊と秦の軍団の戦いはどのような戦いになったでしょうね。

 http://akatonbo-jo.cocolog-nifty.com/photos/swiss3/2004_07240026.html

 http://akatonbo-jo.cocolog-nifty.com/photos/swiss3/2004_07240027.html

スイス紀行をした時のユリア峠の風景です、この峠はカエサルが越えた峠であり、又、ハンニバルも象の軍団を率いて越えたかもしれない峠です。

 ハンニバルと始皇帝が活躍していた頃の日本はどのような状態だったのでしょうね。未だ弥生時代が始まる前の平和な時代であったのかも知れません。

| | Comments (0)

八千代の 町の植木屋さん

 大学時代ワンゲルの同期で一緒に4年間山で過ごした友人の田中清さんが、最近千葉の八千代で植木屋さんを始めたらしい。昨年末の大阪梅田で開催された恒例の同期の宴会でもっぱら彼の噂話で盛り上がった。

彼は経営学部出身で実家が私と同じ京阪電車の沿線に住み、一度二人で神戸の春日の道という下町で下宿した経験がある。お互い、神戸の阪急六甲まで通うのは遠方過ぎてしんどいというので、下宿した。

 (ネズミと南京虫に悩む)

 この長屋は同じく神戸在住のワンゲル同期の吾朗ちゃんの親戚が経営する長屋だというので、安心して入居した訳です。時代劇に出てくる江戸下町の長屋そのものでありまして、便所は長屋の中庭にあり住居は小さな部屋が幾つも連なった浪人が起居する風体でした。

当時は一畳千円程度でしたので、四畳半だと四千円程度の家賃であったと記憶します。二人は別々の部屋を借りた訳ですが、早速晩飯を食いに屋台に出かけた記憶があります。しかし、夜寝てみると巨大などぶ鼠が仰山部屋中駆け巡る運動会をするし、南京虫に体中食われるし、眠れない夜となった。

 噂では港町には南京虫がいると、昔、親爺から聞いた記憶があります、明治の頃から南方から南京袋に詰められた荷物に中国江南地方の南京虫が密入国していたので、蔓延したのではないだろうか。噛まれると二つの穴があき、みるみる腫れてくるし痒いし、大変なんですね。

という訳で、一か月程度で二人とも下宿は引き払った経験が有りました。彼は留年もせずに、大学を卒業し関西系の鋳物で有名なメーカに就職し宇都宮に赴任した。そして、私も東京に赴任したので、時折彼が住む宇都宮には遊びに出かけたものでした。

 (嬉しそうな植木屋さん)

「2007.9).xls」をダウンロード(たなきよ ガーデンサービス)

 彼の嬉しそうな顔を観て下さい、第二の人生が始まったのですね。昔から庭いじりが好きだったそうで、やっと実現した訳です。電話の話では昨年の9月末から12月末までに37件の注文を頂き庭の手入れをさせて頂いたそうです。素晴らしいですよね、元々が凝り性なのできっと手抜きはないと思います。

彼の宣伝用のちらしだそうですよ・・・・

「2007.8).doc」をダウンロード

 彼の仕事の写真を観る限り随分と刈りこむものだと思いますが、植木と庭が好きな彼には人の庭を使用させて貰い楽しませてもらっているという雰囲気が伝わりますね。専門の学校にも通い、シルバーの植木手入れの仕事を1年半経験しての旗揚げなので、確実に歩んでいると思います。

彼は近くに畑も借りて、農作物をつくっているそうなので、食べものには苦労しないし、好きな植木職人の道を歩めるし第二の人生としては充実した世界が始まったという印象です。身体が動く限り楽しめる素晴らしい生き方だと拍手を送りたい。

 (PARFAIT雑貨店 新春バーゲン)

 PARFAIT雑貨店

 義妹が園田で小さな雑貨店をひらいています、1月5日から新春バーゲンをひらくそうなので、是非、御近所の人は足を運んでもらえますか?何が売られるか知りませんが、多分ベトナム雑貨とこの前、メキシコのオアハカで仕入れたメキシコ雑貨が並ぶと思いますよ。高価なものはありませんが、ミサヨと家内が選んだものが沢山あります。

| | Comments (0)

産寧坂界隈 興正寺

2007oomisokakyoto_058 2007oomisokakyoto_059  京都の東山の清水さんへの参道付近で、産寧坂に浄土真宗の興正派の本山である興正寺があります。

産寧坂のイノダコーヒーの傍です。用事があり年末に出掛けました。

2007oomisokakyoto_060 2007oomisokakyoto_061  親鸞さんが開祖だそうですが、同じ真宗でも色々とあるんですね。

参道の道は実に写真の如く風情のある風景であります。産寧坂は人込みでごった返していますが、一歩わき道に入るとこのように静かな風情となります。

2007oomisokakyoto_062 近くには推理作家だった山村美紗さんと西村京太郎はんのお家がありました。もう亡くなられて数年たちますかね。姉の話では美紗さんは昔、御蔵山に住んでおられたそうですよ。

このあたりは、祇園も近いし、いい場所だと思います。

| | Comments (0)

蛇塚古墳

 グーグルアース 蛇塚古墳上空写真

「hebitsukakofun.kmz」をダウンロード

(グーグルアースを予めインストールお願い)

2007oomisokakyoto_023 2007oomisokakyoto_024  元糺の杜の近くの住宅地の真ん中に蛇塚古墳があります。探すのが大変ですが、Muさんは上手に探してくれました。秦氏の葬送の場所だそうです。

飛鳥の石舞台古墳に匹敵する巨大な石室が露になっています。巨大です!

2007oomisokakyoto_025 2007oomisokakyoto_026  偶然に石室の前の管理人のおばさんが鍵を開けて下さいましたので、石室の中に入ることが出来ました。

7世紀築造の前方後円墳だそうで、今は石室の石しか残っていませんが、蘇我馬子の石舞台を凌ぐ大きな横穴石室を持つ古墳には驚きでした。

2007oomisokakyoto_027 2007oomisokakyoto_028  案内板によると、前方後円墳の大きさは全長75メータであり、石室全長17.8メータ、玄室長6.8メータ、玄室幅3.9メータ、床面積25.8m²とあり、幅では石舞台を抜き、床面積では国内4位の巨大な横穴式石室だそうです。

2007oomisokakyoto_029 2007oomisokakyoto_030  蘇我馬子の時代にこの山背の国に秦氏は馬子に匹敵する巨大古墳を築いていたとは驚きですね。しかも、卑弥呼の箸墓から続く大和王朝の伝統的な前方後円墳であるところが興味あります。

2007oomisokakyoto_031 2007oomisokakyoto_032  聖徳太子を財政面で支えた豪族である秦氏は新羅を中心とする反、百済の朝鮮半島のバックがあったのではないだろうか。太子は蘇我氏の血を受け継いでいるが、不思議と高句麗、新羅に近い人材を回りに布陣させており、馬子の百済勢力とバランスを取っていたのではないだろうか。

2007oomisokakyoto_033 2007oomisokakyoto_034  太子の長男は山背大兄皇子ですから、秦氏が養育したのではないだろうか。聖徳太子が突然の死とともに、河勝は播磨の赤穂に逃れている。そして、その後、桓武天皇が山背に遷都するまで歴史の表舞台からは姿を消した。

いったい、この秦氏とは何者であったのか、これからも調べてみたいと思います。謎は深まるばかりである。

| | Comments (10)

御蔵山聖天 宝寿寺と界隈

 マイフォト 御蔵山聖天とその界隈

2007oomisokakyoto_035  比叡山無動寺の千日回峰行者澄光阿闍利によって大正9年(1920)に開創された天台宗延暦寺派のお寺だそうです。
本堂に安置されているご本尊は歓喜天像。比叡山西院樹王院より移されたそうです。

【木造菩薩形坐像】
 宇治市指定文化財である当宝寿寺の木造菩薩形坐像は寺の開創のあたり、滋賀県の金勝寺塔頭の金龍寺より移された仏像だそうです。金勝寺は湖南の龍王山(金勝山)にあり、かっては36の塔頭があった大規模な山寺だったそうです。開基と伝えられる良弁さん(689~772)は近江の出身で、東大寺の大仏造営に尽力し、東大寺の初代別当になった僧で有名ですね。

 2007oomisokakyoto_046 狸の置物が沢山ありますね、かわいいものです。

このお寺は御蔵山住宅地の山の上にあります、家内の実家と私の姉も住んでおり今度、義妹も引っ越して来ますので関係者が多く住む場所となりました。

 平安時代はこの御蔵山は藤原氏の皇室に嫁いだ姫君の陵墓が多く、宇治陵もこの山にあります。このお寺は大正時代に建立されていますが、古代には神社が存在した場所だと考えています。

昔は、麓から鳥居が沢山並んでいたそうですね。どのような神社であったのかは不明です。今でも鳥居があるのはその名残ではないでしょうか。

御蔵山の麓には藤原道長ゆかりの氏寺である、浄妙寺跡が今の木幡小学校がある場所にありました。広大なお寺であったようです。

 御蔵山全体が藤原氏の葬送の場所であったと想像できます。藤原氏以前のこの御蔵山は多分、許波多(木幡)の一部ですので、許波多神社の山社が存在したのではないかと勝手に想像しています。

| | Comments (0)

2008年 元旦

 2008年元旦の早朝富士山ビデオ

「2008-fuji.wmv」をダウンロード

平成20年元旦 鶴見川フライトです、美しい富士山を見ながらの飛行は素晴らしい!

今年もラジコンは順調との占いがでましたよ。(富士山占い)

2007oomisokakyoto_083 2007oomisokakyoto_084

 喪中ですので、新年のご挨拶はご遠慮致します。2008年がこの横浜にも参りました、そして雲がかかった富士山があります。昔から横浜に住む人々はこの富士山を眺めて暮らしておられたのでしょうね。これが、変わらない風景ではないでしょうか。

昨年はベトナム、カンボジア、モンゴル、メキシコ、揚子江、太湖の無錫、そして蝦夷地と旅をしました。今年も多くの国々を訪れると思います。身体が動くうちは世界の国々を訪問して感動を受けたいと考えています。

 そして、同時に私が生まれ育った故郷近辺を深く探る事で自分が生きた世界とその背景を歴史的に辿り、大げさに言うとグローバルに捉えたいと考えています。

政治の面でも、今年からは変わると考えています、お隣の韓国も保守の大統領に変わり、米国もブッシュさんは交代するだろうし、英国のブレアさんも交代し日本も参議院では野党が勝利し、世界史の政治の潮目が変わる年が始まるのではないでしょうか。

 昨年は戦争により被害を受けた貧乏な国々を巡りました、戦争というものは誰にもいいことは残さないというのが結論です。平和であるというのは、得難い、なかなか獲得出来ない世界である事を強く感じております。日本のこの60年間の平和は奇跡という歴史ではなかったでしょうか。

 ほんの数週間前に今まで元気であった義母を亡くしましたが、何時死が訪れるかは誰にも判りません。何時かは死が訪れると考えていても、身近な人が亡くなると実感としてそれが強く衝撃として、生きている幸せは貴重なものだと感じると思います。

昨年は私にとり激動の年ではありましたが、今年は平安な静かな年になって欲しいと思います。今年は多分に長江下流域に仕事の関係があり、長年の夢であった呉、越の国と日本との歴史的の深い関係を探りたいと考えています。又、自分の故郷についても再度、新しい発見の調査をしたいと思います。

 今年も、皆様がお元気で楽しく過ごされることをお祈り申し上げます。

| | Comments (2)

« December 2007 | Main | February 2008 »