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元糺の杜 京都魔界巡礼

 12月28日MuBlogの旦那の案内で京都魔界巡礼の第一歩を踏み出した。冷たい雨が降る京都、私は少しためらったが元気なMuの旦那に背中を押され、平安京の原点である太秦の元糺(もとただす)の杜に出かけた。

 MuBlog 木嶋神社の三柱鳥居

 マイフォト 元糺の杜 秦氏の故郷

 木嶋座天照御魂神社(このしまにます あまてる みたま じんじゃ)と長い名前の神社です。俗称は蠶(かいこ)のやしろと呼ばれています。

2007oomisokakyoto_016 Mu氏は青春時代この太秦の地で過ごされた、言わば庭のような場所だそうです。記事にこの神社の詳細について書いておられるので、私は省略しますが、ここが平安京の原点にあたる場所だと私は考えています。

 秦氏が日本書紀にでてくるのは欽明天皇の時代だそうですが、朝鮮半島から渡来したハイテクのグループであったようです。秦氏が創建した神社はこの蚕のやしろから、嵐山の松尾神社、伏見稲荷、そして多分に一族であろう、カモ氏の下賀茂神社と山背の国を築いた渡来系豪族であった訳です。

 歴史書で秦氏が有名になるのは聖徳太子さんの財政面を支えた時代です、秦河勝の時代でしょうか、日本の国宝第一号の広隆寺(蜂岡寺)の弥勒菩薩を新羅から招聘したのも河勝ではないでしょうか。

聖徳太子一族が滅亡するとともに秦氏は一時的に歴史の表舞台からは去りますが、密かに力を貯え桓武天皇の時代に強引に秦氏の故郷である、山背の国に都を移し建都する訳ですね。秦氏の御殿であった場所に御所を建設し平安時代が始まるのです。

 桓武天皇さんは禊の為にこの元糺の池まで来られたのでしょうね。その当時はこの元糺の池の三柱鳥居の場所からは清水が噴き出していたのでしょう。神聖な場所だったと思います。醍醐天皇の時代に下賀茂神社に禊の場所を移し、糺の杜となりここが元糺の杜と呼ばれるようになりました。

 次回は秦氏の葬送の場である、蛇塚古墳へと話は続きますが、秦氏が果たした日本の歴史は極めて大きいと考えています。奈良時代の大事件、道鏡事件での宇佐神社の神託も件もそうですが、時代を遡れば応神天皇の時代の秦氏の拠点であった宇佐神社も秦氏との関係が深いと考えています。

この元糺の三本鳥居を眺めていると、ここから平安京が開始されたのだという思いが強くなります、冷たい雨がふる杜を訪れ再度、平安京を見直す旅を始めたいと思いました。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

Comments

Joさん
 実に有意義な古都の午後でした。
 蛇塚もまた掲載しますので、よろしく。

 宇佐神宮と秦氏のことは、Muも知らないので、いろいろ考えて、またお話を伺いたいです。こちらも、仕込みをしておかないと。

 そうそう、中国のこと、目が開かれました。車中での話をうかがって、聞くと観るとは違いが大きいと思いました。無錫は、きっと日本の源流なんでしょうね。

Posted by: mu | 2007.12.31 07:01 PM

Muさん

 お世話になりました。元糺の杜も蛇塚も驚愕でした、大事なものを見落としていましたね。

 宇佐神宮の地元は秦氏の拠点だと思います、彼らは東に移動したのでしょうね、そして山背に拠点を築いた。

次回の魔界巡礼が楽しみです、私は来年は長江下流域、呉、越の故郷であり我が祖国に多くの文化文明を伝えた中国の人々の史跡を巡ります。

 楽しみが多いですね。

Posted by: jo | 2007.12.31 07:16 PM

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